一部の7 買い物
「ここだ」
扉を開けると紙の匂いが広がった。暇つぶしの小説を買いに、この古本屋にはよく来る。
「本……」
シェバは興味深そうに本棚を見ている。まだ読むのはおよそ不可能であろう専門書の棚だ。
「シェバにはその辺の本は無理だ。こっちの方がいい」
別の本棚から童話集を手渡す。ドゥタカ文字も使われているが、子供が読めるようにふりがながふってある。挿絵も多いから楽しいだろう。
思惑通りに少し重たい本を開いて挿絵を眺めている。絵というのも伝えたいことを伝えるという意味においてはある意味文字だ。それはしっかりとシェバの心を掴み、好奇心をくすぐった。
「きれい、です」
飛び回る妖精の絵は白黒だが、虹色の鱗粉を振り撒いているかのように見える。
「"ラタンの冒険"。この国どころか世界の半分ぐらいは知ってるだろう話だ」
「どんなお話ですか?」
「簡単に言うとラタン少年が旅する話だな。悪い魔物に攫われた妹を取り返すために」
基になっているのは教典の英雄譚だ。本当はもっとえげつない話なのだが、童話の例に漏れず子供向けに改変されている。
「この妖精はなにをしているんですか?」
「それは自分で読んで確かめるんだ。勉強したくなってきただろ?」
シェバはこくりと肯いた。
「他にも何冊か買っておこう。気になったのがあれば言ってくれ」
「うーんと…あ」
シェバが取った本の表紙には伝書虫が描かれている。"伝書虫のやさしい飼い方と生態"。
「カチ」
友達の名前を呟いて私に本を見せる。友達のことは多く知るべきだな。それに読めるようになれば伝書虫の餌やりも任せられる。これも買っていこう。
適当に良さそうな本を何冊か見繕い、店主に渡す。
「……あんた、奴隷買ったの?」
無口な中年男が口を開いた。私はこの店を何度も訪れているが、会話したのは数えるほどだ。
「まあ、成り行きでね」
「…………ふうん」
それ以降は金額だけ言って何も話さなかった。
本屋を出て帰る途中、シェバが立ち止まった。
「あれは、なんですか?」
ショーウィンドウには薄い水色のワンピースが飾られている。
服を買うという文化はここ十数年で急速に広まった。私のような田舎の出は親が仕立てた服ぐらいしか子供の頃は着たことがなかった。大量生産体制の確立が親の負担軽減と子供のおしゃれへの欲求を満たしつつある。
「きれいですね。こんな服もあるんだ」
シェバはショーウィンドウの前に吸い寄せられていく。
「着てみるか?」
「え、でも私が、それは…」
思えばいつまでもこんな安っぽい服を着せていてはシェバの健康に良くない。それに見た目を整えると心もしゃんとするものだ。
私が服屋に入ると、とりあえずシェバも後から入ってきてばつが悪そうにしている。
「いらっしゃいませ、お子様の服をお探しで?」
店の奥から女が顔を出す。服屋を営むだけあって、鮮やかな服を歳を感じさせないぐらい見事に着こなしている。40ぐらいに見えるが、店内の趣味からしてもう一回りは上かもしれない。
「いや、この子のものを」
横に避けて私の後ろで小さくなっているシェバを見せる。
「はい?……それは?」
「……見ての通り私の奴隷だが」
女は不思議そうに首を傾げている。どうやら見た目は誤魔化せても中身は古いままの人間であるらしかった。
「何か問題が?所有者が所有物を着飾ったらおかしいか?」
この論理ならこの女でも理解できるだろう。
「いえ、あー、まあ、代金を頂けるなら構いませんが」
渋々女はシェバに近づき、体を測り始めた。汚物を扱うようにするので無駄に時間がかかる。
「……私がやろう。巻尺を貸して」
それからシェバに合う大きさの服を選んで着せてやろうとする。試着室を借りようとしてまたも抵抗にあった。
「着替えるんですか!?ここで!?ああ、神様。どうして私の大事な売り物に獣の臭いをつけようとなさるのですか……」
この馬鹿は何を言っているのか。風呂には入れているし仮にシェバから獣の臭いがしたとしてこの短時間で臭いが移るものか。
女は放っておいてさっさとシェバを着替えさせる。
「あの、いいんですか。買ってもらって」
「気にすることはない。私は金の使い道がほぼないから。たまには少しは経済に貢献しなくては」
新しい服に身を包んだシェバは奴隷とは思えないような美少女だった。傷跡も長いスカートのお陰で目立たない。
「いいじゃないか、似合ってる」
「あ、その、ありがとう、ます」
試着室から出て女に話しかける。
「これを買おう。いくらだ?」
「知らないっ!早く出ていって!治安局に通報しますよ!」
女は自分の城を汚された気分でヒステリーになっていた。治安局を呼んだところで私は何も間違ったことはしていないのでなんの解決にもないのだが。
結局、落ち着いてから2割増で代金を払った後も女の表情はずっと強張ったままだった。