心のアイドルと崇めていたパン屋の店員さんが、推しのエロ同人作家だった!?
「いらっしゃいませ」
「――!」
まだ眠い目を擦りながら店内に入ると、焼きたてパンの香ばしい匂いと共に、いつもの店員さんがヒマワリのような笑みを向けてくれた。
俺の心臓がドキリと一つ跳ねる。
たったこれだけのことで、「今日も一日がんばるぞい!」という気持ちになるので、我ながら単純だなとつくづく思う。
俺はそそくさとトレイの上にクロワッサンとクロックムッシュを乗せ、それを店員さんの下へと運ぶ。
「いつもありがとうございます。お会計は500円になります」
「……はい」
財布の中に大量に貯めてある500円玉の中から一枚取り出し、それをキャッシュトレイに置く。
この店でクロワッサンとクロックムッシュを買うとちょうど500円なので、500円玉をたくさんストックしてあるのだ。
……まあ、500円玉を貯めているのには、他にも理由があるのだが。
「ちょうどお預かりします。こちらはお品物になります」
「ど、どうも」
丁寧に袋詰めされたパンを、店員さんから受け取る。
その際に、ちょっとだけ俺と店員さんの手と手が触れてしまった。
お、おぉふ……!
「ふふ、今日もお仕事頑張ってくださいね」
「っ! は、はい、頑張ります!」
天使のように微笑まれて、俺の体温が一瞬で上昇する。
うおおおおおおお、オレは今、モーレツに感動しているッ!!!
やはりこの店員さんは、俺の心のアイドルだッ!
この人がいるから、毎日の辛い仕事も何とか乗り越えられているのだ――。
俺はパンを宝物のように抱えながら、ウキウキで会社へと向かった。
今週末は大事なアレも控えてるし、さっさと仕事終わらせないとな!
「よし」
そして迎えた日曜日。
俺は一人で、有明の某国際展示場に訪れていた。
最近俺は『双子の姉に変装して女子校に転校した件』というアニメにハマっていて、その中のヒロインの一人である、万城目千遊ちゃんを特に推しているのだ――!
千遊ちゃんは小生意気でロリ体型の後輩ポジという、非常にわからせ甲斐のあるキャラをしており、生粋のわからせフリークである俺は、ネットでありとあらゆる千遊ちゃんわからせ同人漫画を読み漁った。
そんな中出逢ったのが、『ヒキニート』先生だった――。
ヒキニート先生の描く千遊ちゃんわからせ同人漫画は、他の千遊ちゃんわからせ同人漫画とは一線を画していた。
わからせ漫画はその特質上、どうしても大なり小なりわからせるまでの過程にご都合主義が入ってしまうものだが、ヒキニート先生はそういったご都合展開を徹底的に排除し、誰が読んでも「こんなことされたら、そりゃわからせられちゃうよね……」と納得せざるを得ないリアリティを実現させていたのだ――!
俺は瞬く間にヒキニート先生の大ファンになった。
――むしろヒキニート先生にわからせられた。
そんなヒキニート先生が、今日の有明で開かれる同人誌イベントで、千遊ちゃんわからせ同人漫画の初のオフ本を販売するというのだから、一も二もなく駆けつけたというわけである。
おっと、空想にふけっていたら、いつの間にか会場内まで来ていたな。
某大佐の如く、「人がゴミのようだ」と言いたくなるような人だかりを掻き分けヒキニート先生のスペースまで辿り着くと、島中作家にもかかわらず既に行列が出来ていた。
流石ヒキニート先生――!
俺がわからせられた、偉大な方だけある。
これはそう遠くない未来、ヒキニート先生は壁サーになることだろう(確信)。
俺は逸る気持ちを抑え、いそいそと最後尾に並んだ。
嗚呼、遂に憧れのヒキニート先生にお会いできる――!
いったいどんな方なんだろう。
まあ、多分デブの小汚いオッサンだとは思うけど、そんなことは関係ない。
漫画家は描く漫画の面白さが全て!
作者本人の容姿なんて、些末なことなのだ。
「お会計は500円になります」
……ん?
いよいよ俺の番が近付いてきた、その時だった。
前方から、女性の声が聞こえてきた。
そんな――!?
ヒキニート先生は女性だったのか――!!?
ま、まあ、今は女性でも男性向けのエロ同人漫画を描いてる人は珍しくないが……。
まさかヒキニート先生もとは……。
よもやよもやだ。
でもこの声、どこかで……?
そうこうしている内に、俺の番がきてしまった。
う、うおおお、まだ心の準備が――!
だが、今は何にせよヒキニート先生作、千遊ちゃんわからせ同人漫画を買うしかない!
「あ、あの、一冊ください!」
「はい、お会計は500円になります」
「…………え」
「…………あ」
ヒキニート先生と目が合った瞬間、お互いの時間が完全にフリーズした。
それもそのはず、そこにいたのは俺の心のアイドル、パン屋の店員さんその人だったのである。
えーーー!?!?!?
「あ、え、あの……」
「えっ、その……」
あまりの状況に頭が真っ白になり、俺も店員さん――いや、ヒキニート先生もしどろもどろになってしまう。
だが、列もつかえているし、今はさっさとお会計を終わらせるしかない――!
俺は慌てて500円玉を取り出し、それをキャッシュトレイに置く。
「は、はい、これで」
「あ、はい、ちょ、ちょうどいただきます」
露骨にギクシャクしながらも、流れるように500円玉を仕舞うヒキニート先生。
この辺は流石、いろんな意味で手慣れているのだろう。
「ど、どうぞ」
「ど、どうも」
震える手で差し出された千遊ちゃんわからせ同人漫画を受け取る。
その際に、ちょっとだけ俺とヒキニート先生の手と手が触れてしまった。
お、おぉふ……!!!
「あ、ありがとうございました」
「……いえ」
耳まで真っ赤にしながら頭を下げてくれるヒキニート先生に何と言っていいかわからず、俺は逃げるようにその場から立ち去った。
本当は他の作家さんの千遊ちゃんわからせ同人漫画も買いたかったのだが、とてもそんな気にはなれず、俺はそのまま会場を後にした――。
家に帰って来た俺は、ヒキニート先生作、千遊ちゃんわからせ同人漫画と小一時間ばかり正座で睨み合った。
勢いで買ってしまったものの、果たしてこれを読んでもいいものなのかどうか、極めて悩ましい……。
これを描いたのがあの心のアイドルだと思うと、かつてないほどの罪悪感が肩に伸し掛かってくる。
――だが、ヒキニート先生作、千遊ちゃんわからせ同人漫画から発せられるあまりの魔力に、遂に俺の理性は陥落した。
恐る恐るページをめくる。
「――!!」
その瞬間、俺の罪悪感は綺麗に吹き飛んだ。
そこに存在するあまりの圧倒的なクオリティに、俺は耽溺した。
もうヒキニート先生作、千遊ちゃんわからせ同人漫画以外のことは、何も考えられなくなっていた。
――気が付けば俺は計三回も、プロミネンスしていたのだった。
「……い、いらっしゃいませ」
「――!」
その翌朝。
いろんな意味でドキドキしながら店内に入ると、そこには気まずそうに俯くヒキニート先生が。
ま、まあ、そりゃそうだよな。
いつも顔を合わせてる男に、自分が描いてる千遊ちゃんわからせ同人漫画を読まれちゃったんだ。
本来なら顔を合わせたくもないだろう。
……もうこのパン屋さんに通うのも、今日で最後にしたほうがいいかもな。
俺は甲子園の砂を集める高校球児のような気持ちで、トレイの上にクロワッサンとクロックムッシュを乗せ、それをヒキニート先生の下へと運んだ。
「い、いつもありがとうございます。お会計は500円になります」
「……はい」
500円玉を一枚取り出し、それをキャッシュトレイに置く。
ヒキニート先生は依然として目を合わせてくれない。
嗚呼、これでヒキニート先生ともお別れか……。
――さようなら、ヒキニート先生。
「……あ、あの、どうでしたか?」
「…………え?」
その時だった。
ヒキニート先生が頬を桃色に染めながら、上目遣いでそう訊いてきた。
はううぅッッ!?!?
む、胸がッッ!?!?
胸が苦しいッッ!!!
「え? あ、あの、どう、とは?」
「……わ、私の千遊ちゃんわからせ同人漫画、どうでしたか?」
「――!!」
ヒキニート先生はその宝石のような瞳に薄っすらと涙を浮かべながら、それでも真っ直ぐ俺の目を見てそう言った。
――ヒキニート先生!!
……俺はバカだ。
勝手に腫れ物扱いして。
ヒキニート先生は、誇りを持って千遊ちゃんわからせ同人漫画を描いていたんだ。
そこにあったのは、とにかく俺たち読者を楽しませたいという想いだけ。
何も恥ずかしいことなどない。
俺はヒキニート先生に、俺が感じたことを、そっくりそのまま伝えればよかったんだ――。
「――それはもう、ドチャシコでしたよッ!!!」
「――!!」
「特に千遊ちゃんに対して、一旦■■■で■■■から■■■に移行したところが秀逸でした! ■■■の時点でも大分■■ちゃってたのに、■■■で更に■■に■を■■ちゃったことで、見事に■■■■■■が■■ましたし!」
「ああ、そうなんです! あの部分は、私も特にこだわったところでして! 本当は■■■とかも■■■■おうかという案もあったんですが、それはちょっと逃げな気がして、敢えて■■■で勝負したんですッ!」
「うんうん、それで大正解ですよ!」
いつの間にか俺たちの間にあったわだかまりは霧散し、そこには長年共に死線を乗り越えてきた、戦友とも言える絆が芽生えていた。
「つ、次のイベントでも新刊出す予定なんで、よかったらまた買っていただけますか?」
「――!」
ヒキニート先生――!
「はい! たとえ四肢がもげようとも、這いつくばってでも買いに行きますッ!」
「ふふ、ありがとうございます。あ、まだお会計の途中でしたね。500円ちょうどお預かりします。こちらはお品物になります」
「ど、どう、も……!?」
丁寧に袋詰めされたパンを、ヒキニート先生から受け取る。
その際、明らかにわざと、ヒキニート先生は俺の手を艶めかしくそっと撫でてきた。
お、おぉふ……!!!!!
「今日もお仕事頑張ってくださいね」
「っ! は、はい、頑張りますッ!!」
天使とも悪魔ともとれる笑顔で微笑まれて、危うくプロミネンスしかける。
――俺はこの時、一生この人についていこうと心に誓ったのである。
――この数ヶ月後、俺はヒキニート先生にわからせられてしまうのだが、それはまた別の話。
お読みいただきありがとうございました。
普段は本作と同じ世界観の、以下のラブコメを連載しております。
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