現実
ぼくははっきりと思い出した。
「父さんと母さんは、本当に死んだんですか?」
まだ現実を受け入れられないぼくの質問に、白衣の男ははっきりと答えた。
「亡くなりました」
それを聞いた瞬間、何かがぼくの心を覆った。
それを絶望と呼ぶのか、憎しみと呼ぶのか、後悔と呼ぶのか、ぼくにはわからなかった。
だが、ぼくの心を覆った何かは、確実にぼくの心を蝕んだ。
悲しいなどの感情はなぜか湧いてこなかった。
ぼくの目には少しの光もなく、いったいどこを見ているのかもわからなかった。
そして気がつくと、心の声がでていた。
「どうして2人は死んだんですか?助けるのがあなたたち医師の仕事じゃないんですか?
さっきまで一緒にいたのに、何で今はいないんですか?教えてくださいよ、」
声は震えていた。
「こんな別れかた、あんまりじゃないか!
どうしてこうなったんだよ、教えてくれよ!
先生!」
こんなことを聞いても2人が生き返るわけでもなければ、さやが意識を戻すわけでもない。
無駄なことくらいわかっている。
でも、答えがほしい。
どうしてこんな理不尽な目に遭うのか、
どうして助からなかったのか、
ただ、答えが···
ぼくが怒鳴ってから数秒間沈黙が続いた。
点滴が一滴落ちるごとに、ポツンという音がはっきりと聴こえるくらい、部屋は静かだった。
そして先生が、口を開いた。
「きみのお父さんは、救急車が事故現場についた時には、もう亡くなっていたらしい。即死だったようだ···
きみのお母さんは救急車で搬送されている途中で心肺停止となり、その後、亡くなった。
きみの言う通り、命を助けるのが医師の仕事だ。だが、私たちは何もできなかった。本当に申し訳ない。」
白衣の男はぼくに向かって深々と頭を下げた。
謝られたところで、2人が生き返るわけでもない、
そもそも、助けようとする前に2人はすでに死んでいたのだから、先生が謝る必要なんてない。
それでも白衣の男はずっと頭を下げていた。
全ての責任が自分にあるかのように、ずっと。
頭をあげてください。
ぼくはそう言った。
「無神経なことを言ってすいません。
まだ現実を受け入れられなくて、
先生はまったく悪くないのに、」
白衣の男は頭を上げ、ぼくの言葉を聞き、
なんとも言えない表情になっていた。
なくなったものばかり考えるなと言われても、それは少し難しいが、ぼくにはまだ残っている人がいる。
さやだ。
さやに会いたいと白衣の男に言うと、
白衣の男は、ついてきなさいと言った。
事故のせいなのか、身体をうまく動かすことができない。
看護師らしき人と白衣の男がぼくを車椅子に乗せた。
そして看護師の人に押してもらいながら白衣の男についていった。
長い廊下では高齢の人を多く見かけた。
白衣の男はその人たちとすれ違うたびに、軽く挨拶をしていた。
ある程度進むと、先生の足が止まった。
そして、「ここです。」と言って、左を向いたので、
ぼくも左を向いた。
大きなガラスが張られた部屋の中には、心臓の鼓動をグラフのようなもので見る装置や、大きなモニターや、パソコンのようなものがあり、パッと見ただけではわからないほどの数のチューブが、真ん中にあるベッドに向かってのびていた。
そのベッドには、人工呼吸器をつけたさやが眠っていた。
こんなことを言っては縁起が悪いかもしれないが、さやはまるで死んだように眠っていた。
ぼくは息を飲んだ。
「さやは、生きてるんですよね···」
ぼくは震え気味の声でそう聞いた。
「なんとか一命は取り留めました。ただ···」
ただ···という言葉はぼくをこの上なく不安にした。
次の言葉が気になって、気がつけばぼくは先生の方を見ながら自分の手をぎゅっと握りしめていた。
「彼女が病院に運ばれてきたとき、彼女の内蔵は大きな損傷を受けていました。
緊急手術でなんとか一命は取り留めたのですが、完全に直すことは不可能でした。
なので意識が戻らないうちは、さやさんの周りにある装置がなければ彼女は死んでしまいます」
予想通りいいニュースではなかった。
さやはかなり重体らしい。
集中治療室と呼ばれるその部屋には、さやの命をなんとか繋いでいる装置がたくさんあった。
さやが生きているという安心感と、いつ死んでもおかしくないという不安感が複雑に混ざっていく。
しばらくさやをじっと眺めていると、誰かがぼくの名前を呼んだ。
ばあちゃんだった。
今にも泣きそうな顔でぼくのところへ来て、強くぼくを抱き締めた。
「よかった···ほんとうに···とうま···」
泣きながら震えた声でそう言った。
ばあちゃんは、父さんを産んですぐにじいちゃんを亡くした。病気だったらしい。
僕たちがばあちゃんに会いに行くと、ばあちゃんはいつも嬉しそうな顔をして、
いらっしゃい、と言って僕たちを迎えてくれていた。
小さい頃にぼくは、そんなに嬉しいの?と聞いたことがある。ばあちゃんは、
「ひとりは寂しいよ、だからあんたたちが来てくれると、すごく幸せなんだよ、ありがとね。」
と言っていた。
「ありがとね。」
僕たちが来ると必ず言っていた言葉だ。
だが、今日は違った。
「ごめんね、ごめんね、
そばにいて上げられなくてごめんね、」
何度も何度も震えた声でそそう言った。
ずっと···
ぼくはずっと黙って聞いていた。
「ごめんね」と言われると、ぼくは涙がでてくるらしい。
気がつけば泣きながら、不安が言葉になってでてきていた。
「ばあちゃん···ぼく、このまま、
ひとりになるのかな···」
何も意識せずにでた言葉だったので、ぼくの不安の本心だったのだろう。
ばあちゃんは抱きしめていた手をほどき、軽くぼくの手に触れた。
安心する温かさを感じる。
そしてぼくの目を見て言った。
「だいじょうぶ。さやは必ず目を覚ますし、
おばあちゃんだっている。
とうま、生きててくれてありがとね。」
これをきいたぼくは、涙が止まらなくなった。
ぼくは涙がでなくなるまでずっと泣いた。