怒り
冷酷な光を宿した瞳がリエラに手を出そうとした貴族を見据える。
怒気という言葉では生ぬるい、殺気とだって取れる気配がその一角を支配していた。
一見すれば我を失っているようにさえ見える空気を纏っているが、その実リウの思考は冷静を保っていた。
何故なら、こうなることは予想していたからだ。
自分か、リエラか、はたまたディーネか。
少なくとも、誰かがこうなることを予想していた。
だから、怒りは覚えても動揺することはなかったのだ。
とはいえ、殺気に近いほど濃密な怒気は発しているが。
「……困ったものだわ。まさか、伯爵ともあろう方がこのような行動をするだなんて」
無表情でリウが呟いた。
独り言にしては明瞭で、毒を含んでいることからあえて口にしたということが窺える。
「魔王を怒らせた者というのは一定数居るの。だから〝あの魔王を怒らせた人が丸焦げになっていた〟とか、そういう噂が立つもの。場合によっては文献とかにも載るわ。……ねぇ、あなたは私を怒らせた者がどうなったか知ってる?」
「……し、知ら、ない……」
男が青ざめながらそう答えた。
リウはその言葉に静かに頷く。
表情の無いリウのあまりにも平坦な声がその場に響いていた。
「ええ、そうでしょうね。だって、存在しないんだもの。この世界のどこ探しても、そんなものは見つからない。噂の一つも、文献もない。なら、私を怒らせた者はいない? いいえ、居るわ。私本人が話すんだもの、信用出来るでしょう?」
リウが一度言葉を区切った。
そして、無表情のまま告げる。
「私が、全てを葬ったんだから。死体がないなら、消えたことになるだけ。行方が分からないだけ。死んだことになるだけ。塵さえ残さず消してしまえば、真相は本人以外誰も分からなくなる。目撃者はいない。だってこれを知った者は全員消したから。私の残虐性を知るのは、私が知らせてもいいと判断した者だけ。それ以外は許されない」
リウが、リエラに手を出そうとした者を信用するはずがない。
だから、これは実質的な殺害予告なのだ。
それが理解出来ないほど男は馬鹿ではない。
しかし、生きたいと思うのが人間というもので。
「ま、待ってくれ、協力する、謝る……!」
「……」
男の言葉にリウが沈黙を返した。
言葉自体は聞いてくれるようだと男が安堵する。
「も、もうしない! 申し訳なかった! なんでもするから許してくれ!」
その言葉を聞いて、リウが笑みを浮かべた。
他人が見れば、穏やかに感じられるであろう笑みを。
男が再び安堵し、そして
「――言ったでしょう、私が知らせてもいいと判断した者以外は許さないと」
絶望した。
リウの言葉に、その無表情に。
「ゆ、許し――」
初めて、リウが心の底からの笑みを見せる。
綺麗で、可憐で、酷く恐ろしい笑顔のままリウが無慈悲に言葉を発した。
「〝消失〟」
その場で、男が消え去った。
塵さえも残らずに、誰にも気付かれることなく。
リウの言葉通りに。
「……リウ、様……?」
困惑したようなリエラの声がリウの耳に入る。
リウがリエラの方を見て、苦笑い気味に微笑んだ。
「ごめんね。……受け入れろとは言わないわ。過剰で、理不尽だったことは理解してる。まだ、手は出されていなかったのに」
リエラがそっとリウの手を取った。
拒絶されると思っていたのか、リウが軽く目を見開く。
「リウ様がしたことは、よくないことです。……でも、わたくしを守ろうとした故の行動。助けられたのに、感謝以外の言葉を出すわけにはいきません。次からはお控え頂きたいですが……それだけです」
「……怖かったら、距離を取ってくれてもいいのよ?」
「あの魔法は何度か見て来ました。あのような魔法が、人の命を奪えないはずがない。驚きましたが、リウ様が〝人を殺す〟という光景は一度見ていますから。拒絶はしません」
リウが少し俯いた。
誰の視線も向けられていないのを確認して、リエラに抱きつく。
「ありがとう」
ふわりと微笑んで、すぐにリエラから離れたリウは手を繋いでディーネの元へ歩いていった。
ディーネの方は特に問題は起きていない。
強いて言えば、ディーネが次々に貴族の子息を虜にしていることだろうか。
止めなければディーネに告白をする者が大量生産されかねないので止めなければならない。
リウとリエラがディーネの元へ辿り着いたとき、ディーネはとても楽しそうに踊っていた。
踊りを中断させるわけにはいかないので楽しそうなディーネを傍観する二人。
踊りが終わると、すぐにリウが話しかけた。
「ディーネ」
『? あっ、りーちゃん!』
ディーネが満面の笑みを浮かべた。
子息たちに一礼してからリウに駆け寄る。
リウがディーネの頭を撫でれば嬉しそうにニコニコと微笑んだ。
子息たちが疲れてしまうからという理由でディーネを子息たちから引き剥がし、会場から出ていくのだった。




