54.黄泉平坂
アオが気がついた時。
もうそこは、身を潜めていた御神体の中でも、長年住んでいた社の中でもなかった。
広く、他には何もない場所に大きな鳥居があり。その先には、坂があった。
「ここは……」
「黄泉比良坂だ」
声がする方を振り向くと、そこには黒い髭を蓄えた大きな男神、海神と、その使いのリュウグウがいた。
「リュウグウの愛し子……いや、アオよ。お前は、黄泉の国へ来たのだ」
「黄泉の……国……」
アオは、気を失う直前の事を思い出す。
御神体を、アオがその社に神として宿る身体を、男たちが盗って行った。
「……海神様。御使い様。わたしは、一体、どうしてしまったのですか?何故、黄泉の国へ。黄泉比良坂の前に?」
《愛し子よ。落ち着いて聞いてくれ。……お主の身体であった鏡は、もう、無くなった》
「無くなった……?」
「人間たちが、鏡を溶かして、武器にしたのだ。そして、お前がいなくなったことで、あの社を守るものがいなくなり、もう、社も破壊されている」
そこまで聞いて、アオはようやく理解した。
自分が、神であるために必要だった物が、全て失われたのだと。
「……わたしは、もう、神には戻れないのですね」
いつかは、訪れると思っていた。
日に日に失われて行く力。
祈りのないまま、社にいる孤独。
けれど、こんなにも急に訪れるとは、アオも思っていなかった。
もう、あの港町を、そこに住む人々を、宗近を、守る事は出来ない。
「……わたしは、これからどうなるのでしょうか」
「アオよ。これからどうするかは、其方が自分で選べ」
「どういう、事ですか?」
「アオという名を我から与えられ、海神の使いとなって、再び人々を海の中から見守るか。それとも、名を捨て、御霊が本来行くべき場所へ向かうか。どちらかを」
アオはどうすればいいのかわからなくなった。
海神様の元へ行けば、海の底へ行くことになる。御使い様が悲しまれる。
だが、御霊が本来行くべき場所へ向かえば、アオは、アオという宗近から与えられた名を捨て、人間に生まれ変わることとなる。
迷ったアオは御使い様を見上げた。
リュウグウは、悲しげに、首をもたげて、アオを見る。
《愛し子よ。……我は、もう愛し子が苦しむ姿を見たくない。我が、掬い上げてしまったために、海神様に神格を分けていただけるように願ったために、愛し子は、その責を全うしようと、常に力を惜しまなかった。そのために、苦しむ姿を我はもう、見たくない。だから、どちらを選んでもいい。愛し子が幸せになれる方を選んでくれ。それが、我から愛し子へ望む、最後の願いだ》
「わたしの、幸せ……」
神となった時から、いや、その前から考えてこなかった。
アオの幸せは、何なのだろう。
力が抜けて、下がったアオの手に当たったのは、黒く光る、丸い石だった。
アオは、腰にずっと下げていたその石を手に取ると、ギュッと握りしめる。
そして、決意した。
「海神様。わたしは……わたしの選ぶ道は……」
海神とリュウグウは、アオの決意を笑顔で聞き入れた。
明日はとうとう最終話です。
最後までどうかお付き合いください。
どうぞよしなにー!!!




