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俺と雨と雨神様と  作者: レニィ
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50.選択

 宗近はその夜を、厩舎のアカの隣で過ごしていた。


 幼い頃から、両親に叱られたり、兄たちを困らせたり、悩んだりすると、宗近は厩舎の馬たちの側に行って、その寝藁に潜り込んで夜を過ごしていた。

 その方が家族のいる屋根の下で、布団の上で横になるよりも、ずっと心地が良くて、考えがまとまるからだ。


 今日は二人の人間に頭を下げられた。

 優しくて、馬のことになると少し抜けているけど、それでも家の事になると、しっかりしている長兄の宗一郎。

 その宗一郎を愛し、大切に想っている、宗近の幼馴染だった、嫁のヨリ。


 二人が望むのは、宗近の帰郷だ。


 当然だ。あまりにも今の馬飼の家の状況は、悪すぎる。


 腰を痛めた父は、懇意にしている茶屋の旦那様よりも歳をとっている。茶屋の旦那様ですら、治るのに時間がかかったのだ。父はもっとかかるかもしれない。それどころか、もう仕事をさせることが無理かもしれない。


母だって、歳だ。父がいない穴を埋めようと、無理をして、次に倒れるのは母かもしれない。


長兄だけで、全ての馬を見切れる訳がなく、その嫁のヨリだって、身重だ。無理をさせる訳にはいかない。


まだ幼い宗一、そしてこれから産まれてくる二人目。馬飼の家は、養って行かなければいけない人間が二人いる。


 人を養う為にも、馬を育ててやらなければならない。

 

 だというのに。


 こんな時こそ、居て欲しい次兄が、宗二が、もう居ない。


 宗近は、藁の中で寝返りを打つ。

 アカは辛抱強く、宗近の側に静かに寄り添っていた。

 

 本当は、宗近よりも、宗二の方がこの家から出て行きたかったのかもしれない。

 宗二が、ヨリと宗近の事までを知っていたかはわからない。


 だが、もし、知っていたら。


 宗一郎と一緒になったヨリを見ていて、居心地の悪さを感じていた宗近まで見た宗二は、本当は、宗近よりも馬飼の家から出たかったのかもしれない。


 たまたま、宗近がアカを育てていたから。

 無茶を鑑みない少年から抜け出したばかりの年頃だった宗近が、先に家を出てしまっただけで。


 宗二にも、家の外へ出るきっかけがあれば、外へ出ていたのではないだろうか。


 それを宗近という人間が抜け出した穴を埋める為に、五年間も自分の想いに見ないフリをしながら、馬を育てあげていた宗二を、突然としか言いようがない方法で居なくなった次兄の事を、宗近は責めることなど、出来なかった。


 出来るわけがなかった。

 

 寝藁の中で身を捩った宗近の近くに、アカの顔が近づいてくる。

 宗近は、その鼻筋を撫でる。


 『あそこは、まだ俺の帰る場所じゃないんだ』


 昨年の年を越す直前、宗近がアオに伝えた言葉だ。

 あの時は本当に、こんな事になるだなんて思わなかった。

 まだ、俺の帰る場所じゃない。

 今だって、そう思っている。いや、思いたいのだ。

 なぜなら、しばらくは帰る場所を、会うべき存在を決めたばかりだから。


 『いずれ、帰る時は来ると思う。だが、それはたぶん、まだ先の話だよ』


 「……ずっと、先の話だと思っていたのにな」


 宗近は悔しくなって、アカの顔に抱きつく。

 

 せっかく出会えたのに。

 せっかくあんなに綺麗になったのに。

 甘いものが大好きで、ちょっとあげるだけで、あんなに喜んでくれたのに。

 最近は、外に自由に出られるようになったから、話をしてくれるようにもなったのに。

 大切な友だと言いながら、それ以上の気持ちをあの綺麗な青い瞳の奥に隠して、それでも笑ってくれた、あの子に。

 

 宗近が初めて大切な想いを持った、あの雨の神様に、アオに会えなくなるだなんて。


 宗近はその晩ひさしぶりに、涙を流した。

 アカはその涙を静かに、受け取った。


゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。


 翌朝、何もなかったかのように馬の世話を終え、朝食のために卓に着いた宗近は、全員が揃うのを待った。

 

 今朝は調子がいいのか、父も卓に着いている。宗一も昨日の今日なので、きちんと卓に着いて、食べる気まんまんだ。


 全員が揃って、いただきますと号令をする前に、宗近は待ったをかけた。


 「宗一郎兄さん。ヨリさん。父さん。母さん。今まで、俺のわがままに合わせていただいて、ありがとうございました」


 宗近は急に始まった事で驚いている家族の前で、正座をして頭を深く下げた。


 「勝手続きで申し訳ないのですが、馬飼宗近。この度、遊学の旅を終え、再び馬飼の家へ戻りたいと存じます」


 頭を下げている宗近以外の視線が、全て宗一郎に向かう。

 馬飼の家は宗一郎が嫁をもらった時から、宗一郎に家督を継がせた。

 あの日以来、馬飼家の事は全て、宗一郎が指揮を取る事になっている。


 宗一郎は、首を垂れる弟の前に座ると。


 「……馬飼宗近が、馬飼の家へ戻って来る事を、許す」


 宗近が戻る事を許した当主は、変わって宗近に向かって頭を下げる。


 「宗近。馬飼の家を、馬たちを、守って欲しい。頼む」

 

 宗近は顔をあげる。


 「頼まれた」


゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。


 家へ戻る事を宣言した宗近は、一度営業所へ戻る為に支度を整えた。

 電報で先に伝えているとはいえ、本格的な引き継ぎを行う為にも、一度営業所へ戻らなければならない。


 それに、どうしてもあの港町へは自分とアカの脚で向かって、伝えたかった。


 世話になり続けた茶屋にも、港町の男たちにも、働き者の女たちにも、次を担う子どもたちにも。


 何より、あの山の中でこれから一人残される雨の神様には、宗近が直接伝えなければならない。

 どんなに、伝えたくなくとも。


 明日には立てる、という所まで準備した頃、ペタペタという足音が、宗近のすぐ側で止まる。

 履物を履いていない、素足の足音に、懐かしさを感じながらも、その音の軽さが、あの時、聞いたモノとは別人のモノである事をわからせる。

 

 旅の準備を整えた宗近の隣に座り込むのは、小さな小さな背を丸めた、甥の宗一だった。

 宗一は今にも零れ落ちそうな涙を溜めて、その涙がこぼれ落ちないようにと、目も口も、顔の全てをしかめて、宗近の隣に座っていた。


 その小さな身体に、宗近は優しく話しかける。


 「どうした、そういっちゃん」

 「……」

 「お母ちゃんか、お父ちゃんにでも、叱られたか?」


 宗一はふるふると、首を横に振る。


 「じゃあ、どうした?」

 「……むねちかおじたんも、いなくなっちゃうの?なんで、おにもつ、つめてるの?」

 「……宗近叔父ちゃんは、お外の仕事がまだ残ってるんだ。それを終わらせるために、一旦ここを離れなきゃなんないから……」

 「ほんとう?……そうじおじたんみたいに、おしごとだっていったのに……かえってこないことない?!」


 宗一の声が、涙声に変わり始める。

 宗二は、宗一に仕事だと言って、出て行ったのだろう。

 宗一は真っ直ぐにそれを信じて、宗二の帰りを待っていたに違いない。


 なのに、待っていた宗二はいつまで経っても、帰ってこない。

 どんな幼児でも、待たされ続ければ、それが嘘だと気がついたのだろう。


 今の宗近と同じように荷物をまとめた宗二が、帰ってこなかった。だから、宗近も帰って来ないのではないかと、宗一は不安になったのだ。

 きっとこの子は、仕事だという理由だけじゃ、納得してくれない。


 宗近は、懐に大事にしまっていたものを取り出す。


 「そういっちゃん。良い物見せてやるから、涙拭きな」

 「……い、いいもの?」


 宗一は、着物の袖で涙を拭くと、顔を上げた。

 その顔の前には、青い綺麗なガラス玉と、それを飾る花を象った紐で出来た、とても美しい飾り物だった。

 お母ちゃんだって、こんなに綺麗なものは持っていないだろう。


 「……なぁに、これ」

 「これは、宗近叔父ちゃんの大事なお守りだ」

 「おまもりなのに、きれい」

 「だろう?叔父ちゃん、これをくれた神様に、……"さようなら"を言いに行かなきゃいけないんだ」

 「かみさま?いしでできてるやつ?」


 宗一が指しているのは、おそらく家の側にある馬頭観音様の石像だろう。

 アオに出会うまでは、宗近も同じ考えだった。神様は、石像や、神社のどこかに置かれた何かだと。


 「このお守りをくれた神様はな。石じゃないんだ。それに、そういっちゃんがお参りしている、馬頭観音様は、馬の神様で、このお守りをくれた神様は雨の神様なんだ」

 「ふぅん……?」


 まだ幼い宗一には、宗近の言っている事の全てが理解できる訳ではない。

 ただ、この青い飾りのお守りが、宗近叔父ちゃんにとっては、とてもとても大切で、それをくれた雨の神様は、とてもとても、いい神様なのだろう、と、宗一は思った。

 そんなに大切で、いい神様なら、さようならする必要はないはずなのに。


 「なんで、かみさまに、さよならするの?」

 「……その神様は、俺たちが住んでいる所じゃなくて、港町を守る神様だから。宗近叔父ちゃんが、ここに帰ってきたら、もう、会えなく……」


 宗近の言葉が詰まる。

 噛み締めた奥歯が痛いのか、それとも、アオに会えなくなる事が、辛いのか。


 「おじたん?」

 「……雨の神様は、アオ様は、このお守りみたいに青くて綺麗な瞳をしていて、甘いものが大好きで、とっても、寂しがり屋さんなんだ。……だから、俺が急に居なくなったら、悲しくなる。悲しくて、悲しくて、雨が降らなくなるかもしれない。そうしたら、いろんな人が困る。馬だって困る。だから、俺はアオ様に、"さようなら"を言いに行かなきゃいけないんだ」


 叔父の苦しそうな顔に、思わず宗一はその頭を撫でる。宗一が辛い時に、家族みんながそうしてくれたから。


 「おじたん。いっちゃん、まつよ。いいこにしてるよ。だから、かえってきてね」

 「……あぁ、わかった。必ず、ここへ帰って来る」


 宗近の気持ちがまた一つ、固まった。


゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。


 翌朝、朝日の登るなか、宗近はアカに乗り込んだ。

 家族全員。腰を痛めた父も、お腹を抱えたヨリも、眠そうに目を擦る宗一も、宗近を見送りに、表へ出ていた。


 「忘れ物はない?」

 「大丈夫だよ。昨日の晩にも確認したんだから」

 

 母は、それでも心配そうに宗近とアカを見ながら、日持ちのする食べ物を渡す。

 宗近がそれを荷物に仕舞うのを、ヨリが手伝う。


 「宗近くん。無事帰ってきてね」

 「……あぁ、宗一にも約束したからな。ちゃんと帰ってくるさ」


 ヨリを支えていた長兄も、宗近に声をかける。


 「どのくらいで戻れそうだ?」

 「どうしても自分で挨拶したい所は、数箇所だけだから、一月か、一月半かな」

 「そうか。ま、無茶な行程で帰ってこいとは言わないが、早く帰って来ないと、二人目の誕生に立ち会えないぜ?」

 「なんだよ、二人目の名前は、俺につけさせてくれるのかい?」


 宗近は冗談半分で兄に言ったのだが、兄は本気にしたようだ。


 「そうだな。俺が考えても、ありきたりなのにしかならないって、宗一の時に散々言われたからな。宗近がつけてくれるなら、ありがてぇや」

 「……なら、本当に早めに帰って来ないとな。責任重大だ」


 宗近は苦笑する。


 まだまだ寝ぼけ眼の宗一が、宗近の方を見る。


 「おじたん、いってらっしゃい」

 「あぁ、いってくるよ」


 宗近は、アカを進めた。


゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。


 故郷を出てから五日目に、宗近は営業所に着いた。

 いつもの通りに、営業所へ入った宗近たちを、馬借仲間たちは複雑そうな顔で迎え入れる。

 

 先に電報を出しているから、殆どが知っているのだろう。

 宗近が馬借を辞めて、故郷へ帰る事を。


 アカを営業所の厩舎へ入れると、宗近は真っ直ぐに、事務所へ向かう。

 所長室の扉の前で、宗近は脚を止めて、深呼吸をする。


 「親方!馬飼宗近です。入室してもよろしいでしょうか?」

 

 部屋の主は、返事よりも先にドタドタと扉へ走ってきた。

 ばっと開く扉に、思わず宗近も驚いて身体が跳ねる。


 「やっと帰ったか」

 「すみません。お待たせしました」

 「とりあえず、中で話そう」

 「失礼します」


 入った所長室の中では、また雪崩を起こした書類をマントを譲ってくれた馬借仲間が拾い集めていた。


 「さて、宗近。本当に、馬借を辞めて、実家に帰るんだな?」

 「はい。残念ながら」

 「一応、理由を聞いていいか?確か親父さんは、腰を痛めただけだったんだよな?」

 「えぇ、ですが、もう父も歳ですので、これ以上無理はさせられません。一番上の兄にも二人目の子どもが生まれる予定で、とてもじゃありませんが、家業である馬の世話に手が回らなくなる事が予見されます。それに……次兄が、軍に行ってしまいまして」

 「軍に……?」


 親方は思わず顔をしかめた。

 何やら、外の国との関係がきな臭いとは聞いていたが、それが影響して来るとは、親方も思っていなかった。


 「とにかく、俺が家に戻って、家業を手伝う必要が出来てしまいました。大変急なのですが、馬借を辞めて、この組織からも抜けて、実家へ帰らせてください」


 宗近は頭を下げる。

 親方は、宗近がこの営業所へやってきた時を思い出す。


 『再び実家へ帰りたいと思えるまで、働かせてください』


 そう言って、この青年は馬とその身一つで、この営業所に入ってきたのだ。

 毎年、年末になっても実家へ帰らずに営業所で年を越していたような青年が、実家へ帰る必要があるからと、馬借を辞める。


 「……もっと先になると思っていたのになぁ」


 親方は悔しそうに、そう呟いた。


 「急だが、仕方ない。人の運命は、人が予め知ることが出来ねぇ事だ。家族と家業の危機とあっちゃ、帰らせないなんてこと、させられねぇよ」

 

 親方は、宗近の肩を優しく叩いてやる。


 「大丈夫だ。粗方の引き継ぎは、ほとんど終わってるからな。細かいところを詰めれば、お前の仕事は、別の奴に任せられる」

 「ありがとうございます」

 「何、その為の組織だ。存分に使ってくれや」


 親方は、ニッカリと笑う。


 「親方、一つお願いが。……どうしても、俺自身が最後に一仕事終えたいのです」


゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。


 宗近は、そのまま所長室で引き継ぎを行う。


 引き継ぎといっても、実家へ急いで帰る時に伝えた販路や取引する商品に加えて、相手の名前や、これまでの買値、売値、それから、よく休む時に立ち寄った村や、野営が出来そうな所まで全てを書き出し、取りまとめる。

 やり取りをするのは、宗近にマントを譲ってくれた馬借仲間で、きっとこの先、親方の助手として、ゆくゆくはこの組織の長となるのだろう。


 引き継ぎの最中、彼は港町の販路だけはどうしても引き継ぎたいと申し出た。


 「俺もそうしてもらえると助かるが、なんでそんなに港町の販路を引き継ぎたいんだ?」

 「お前が懇意にしている茶屋の隣に、カフェー・ヘカテーってあるだろ?あそこの女給さんの一人に惚れちまってな。また行くって約束したんだ」

 「あー……なるほど」


 きっと彼は、女給が狐である事に気が付いていないだろうが、宗近は黙っておく事にした。

 黙っていれば、ただの美人だ。


 「じゃあ、俺が居なくなったら後は、頼むよ。カフェーだけじゃなくて、茶屋もな」

 「……なぁ、悪かったな」


 それまで楽しげに話していた仲間が、急に沈んだ声を出す。


 「なんだい急に」

 「俺さ、お前に言っちまっただろ?『続けられるのか?』って、そしたら、続けられなくなっちまった。言霊って言うだろ?俺が余計な事を言ったから、お前は馬借を辞めなきゃならなくなったんじゃないかって……」


 あの時、もっと違う言葉を掛けてやっていれば。

 あの時、必ず帰ってこいくらい言ってやれれば。


 そう思わずにはいられなかった。


 そんな男の背を、宗近は優しく叩いて、笑って言う。


 「『人の運命は、人が予め知ることが出来ねぇ事だ』。お前のせいじゃないさ」


゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。


 扇子の形をした町の要にあたる山に、朝日が登り切る。


 その朝日をいっぱいに受けながら、荷車に、たくさんの積荷を乗せ、宗近とアカは営業所を出発した。


 「……さぁ、最後の一仕事に行こうか、アカ!」


 アカは任せろと言わんばかりに鼻を鳴らす。

 

 宗近は、手綱から片手を離して、懐をグッと抑える。

 一つは、アオからもらったお守り。

 もう一つは……。


 軽快な音と共に、宗近とアカは進む。

 最後の一仕事をしに、港町へ向かって

人生は選択の繰り返し。


どうもレニィです。


自分の選択が正しいとか、間違っているとか、

そんな小難しい事も考えたりしちゃいますが、

吉でも凶でも、結果としてその選択をしていないと

今の自分はいないんだよなぁと、思うのです。


さて、本当に大詰め。

しばらく長文が続きますが、

最後までお付き合いいただけると幸いです。


どうぞよしなにー!!!

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