46.夏の差し入れ
空は夏の景色を映していた。
澄んだ青い空に浮かぶ白く大きな入道雲が、天高く伸びて、目の前をスイと、トンボが横切っていく。
時折吹く風が、木々だけでなく、ちぃが持ってきた風鈴を揺らす。
そんな夏の最中を、アオは神社の拝殿の軒下で、足をプラプラとさせながら、青い瞳をジッと鳥居の先、港町へ繋がる道へ向けて、待っていた。
待っているのは当然、あの馬借の青年と、その愛馬である。
『今度は長くなる』とは、聞いている。
それでもアオは、待ちわびる。
たとえちぃという、アオの事を見聞き出来る幼児が、嫌がる兄を連れてしょっちゅう会いに来ても、待ち人が来なければ、寂しい事は、寂しいのだ。
夏の強い日差しは、人を家に籠らせる。
人は強い日差しに当たりすぎれば、病になるし、暑い中着物をきっちり着込んでいれば、これまた病になる。
日差しを避け、着物を緩めていては、なかなか、外へ出ることも叶わない。
神社は閑散としていた。
だから港町の方から、しっかりと着物を着込んだ、女の姿をしたものが、丸いスイカを持ってやって来るのを見た時、アオは自身の目を疑った。
「コーンにちはぁ、雨の神様。稲荷神が一柱の使い、カフェー・ヘカテーより、雨の神様へ夏の差し入れに参りましたぁ」
やって来たのは、春の花見の時にアオに声を掛けて来た、稲荷神の使い。カフェー・ヘカテーの女給だった。
アオは青く光瞳を歪めて、女給とスイカをジトッと見やる。
「……何をしに来た、狐」
「狐と呼ぶのは、やめてくださいます?それに、理由ならさっきお伝えしたじゃあ、ありませんか。夏の差し入れに参ったのですよぉ」
「どうせ主人へ告げ口する為の様子見じゃろ。何が、夏の差し入れか」
「まぁ、手酷い歓迎ですこと。そんなに稲荷がお嫌いですか?リュウグウの愛し子様」
「好きか、嫌いかではない事くらい、お主にもわかっておるだろう。狐」
本能的に、どうしても反りが合わない。
それが稲荷と龍神なのだ。
「そんな事言いつつ、私どものカフェーのお菓子は随分と気に入っていたじゃあ、ありませんか」
「……あれは、珍しい菓子だったから、食べてみただけじゃ」
「ま、そういう事にしておきましょうか。で、このスイカ、一応私たちカフェーと、河童たちからの差し入れなのですけれど、本当にいらないのかしらん?」
狐だけからの差し入れだったら、アオも受け取らなかっただろう。
だが河童と聞いては、受け入れるしかない。
「……社の裏手に沢がある。そこで冷やしてから、食べれば良かろう」
「そうさせていただきますわぁ。……ところで、ここって包丁とかはあります?」
「あるわけなかろう。そのくらい、自分で用意してこい」
゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。
女給は、沢にスイカを置くと、近くの民家まで、包丁と皿を借りて来た。
それらを拝殿の軒下へ置くと、女給はアオの隣に腰を下ろす。
「借りたお礼として、スイカが冷える頃に来てもらえるように、人を呼んでおきましたよぉ。人間が大好きな神様の為に」
「……たしかに丸々一個は食べきれんから、人は呼ぶべきだろうが、別に人間の事が大好きと言うほどでは」
「あらでも、お嫌いなはず、ないですよねぇ?だって、人間が信じてくれなければ、消えてしまうのですものねぇ。それとも、いーっつも、お社の中からでも、見て待っていらっしゃる、あの馬借の青年だけが特別なのかしら?」
紅を塗った唇が、いやらしく弧を描く。
アオはその顔をキッと睨む。
「……何が言いたい。狐」
「いえね、今時にしては、珍しいと思いまして。人間の男を愛おしく想い、待つ神だなんて。こんなにも、人と人ならざるモノとの隔たりが深くなってしまった時代に」
ずっと昔には、珍しくもない事だった。
人が人ならざるモノを想うのも、人ならざるモノが人を想うのも。
けれど、いつからか、人は人ならざるモノを想うことをやめてしまった。人ならざるモノも、人を想うことを諦め、妖へ、神へとなって、より一層その溝を深めた。
人と人ならざるモノが想い合うのは、難しい。ましてや、人と神など、格が違いすぎる。
アオは女給の言葉に首を振る。
「何故そのような考えに至ったのか、理解に苦しむな」
「あらぁ?知らないんですか?この辺りの人ならざるモノたち間では、とっても有名なお話ですよぉ?もう消えるしか無いと思われていたリュウグウの愛し子が、人間の男に名を貰って、その上、愛おしく想って、毎日男がやって来るのを待っていると」
「……その話を広めたのは、お前じゃないのか?狐」
「言いがかりですわぁ。そんな事をして、私になんの徳があるのです?」
「さてな。わたしに、狐の考えはわからぬ」
「わからないことと、わかろうとしないことは違うのですよ?神様」
ふふっと、目を細めて女給は笑う。
その笑みを嫌味っぽく感じてしまうのは、やはり相手が狐で、アオがリュウグウの愛し子だからだろうか。
そんなことお構いなしに、女給は、ムスッとした顔のアオに話しかける。
「初心で、箱入り……いえ、社に篭り切りの神様には、わからないのかもしれませんが。男を愛おしく、じっと待つだなんて、そんなのは、人であれ、人ならざるモノであれ、恋に負けています。男は手のひらで転がしてやるもの。恋は楽しむもの。本気になったら、そこで負けですよぉ」
女給の狐はとても楽しそうに笑っている。
女給という仕事を狐たちがしているのも、そのように恋を楽しむ為かもしれない。
そんな彼女たちの考えに、思わずアオの顔が歪む。
「……やはり、狐の言うことはわからぬし、わかりたいとも思えぬな。わたしは別に勝負などしておらぬし、お主の言うような価値観もわからぬ」
「あらぁ、愛おしく思っていることと、恋をしていることは否定なさらないのですねぇ」
ニヤニヤと、アオを見る女給の嬉しそうな顔と言ったら、目の前に好物の油揚げを持って来られたかの様に喜んでいた。
何せ、目の前にいる神から、人間を想っているという言質が取れたようなものだ。
これは早いところ、主人に報告しなければならない。
けれどその前に、この可愛い神に助言をしてやることのも、主人の望む楽しみだろう。
「でも、それなら尚更。ただ待つだけでいいのかしら?」
「どういう意味だ」
「貴女は、リュウグウ様からも、海神様からも、愛されている神。そんなに愛されているのですから、海神様から名をもらい、その恩恵を受ける事だって、容易いでしょう?私どものように」
急に強く吹いた風が、神社を囲う木々を大きく揺らして、ザワザワと音を立てる。
ちぃが持って来た風鈴も、強い風に煽られて激しく音を立てる。
「私どもは、主人に愛されて、名を受けています。主人は、そう簡単に社を離れられない身。だから、私たちが主人の目となり、耳となって、代わりに人間たちの中に紛れているのです」
「町で開いている、かふぇとやらは、そのためのものか」
「えぇ、私どもの主人は寛大ですから、私たちは、町に居る事を許されています。ついでに、人間の男とちょっと遊ぶくらいなら、私たちの主人は喜んで、許してくれますわぁ。貴女もそのくらい、出来るのではなくて?」
「わたしはそれを望んでおらん」
「人間の青年と添い遂げられるとしても?」
神に愛されるには、何も人ならざるモノでなくともいい。
それを証明するかのように存在しているのが、目の前にいる雨の神だ。
「貴女と、彼。二人して、海神様から名を受けるのです。そうすれば、二人とも海神様の庇護下に置かれるでしょう?海神様の庇護下にあれば、人と神だなんて気にせず、好きなだけ一緒に居られる。海神様だって、貴女が庇護下に入れば安心なされるのでは?たとえ、おまけでもう一人増えたとて、あの方はそのくらい受け止められるでしょう。何せ、広く深い海の神なのですから」
実際、アオは昨年、出雲へ出向いた時、海神様から声を掛けられている。
御使い様は、再びアオを深い海の底へ沈めてしまう様な事はしたくないと反対したが、本当にアオが望めば、海神様から名をもらい、その庇護下に居る事を許すだろう。
けれど。
「馬鹿馬鹿しい。そんなことは、まずわたしが望まぬ。そして、宗近も絶対に望まぬ」
アオは鼻で笑って、女給の助言を排する。
けれど"絶対"という言葉に、女給はわざと頬に手を当てて、首を傾げる。
「……何故言い切れるのかしらぁ?人からすれば、死す事もなく、上手くすれば神格すら与えられる機会なんて、滅多にないでしょう?それを絶対に望まないなんて」
「絶対に、望まぬだろう。宗近は、そんなものよりも、何よりも、馬が好きな男じゃ。馬を愛し、馬の事ばかりを考えて、馬のために故郷をわざわざ離れる様な男じゃ。そんな宗近が、馬の居ない深い海の底に来るはずがない」
「……は?馬?……本当に、馬だけのために?人間が、神の庇護を断ると?」
女給には、まるで理解ができない話だった。
ただの獣として、短い生を終えたくないと、知恵をつけ、尾を増やし、今の主人の目と耳となる代わりだとしても、名を授かった女給にとって、神の庇護を受ける事は、最上の贈り物だ。
それを馬という生き物のためだけに断るだなんて、そんな酔狂な人間が居るだなんて。
「宗近はただの人間じゃない。本当に馬のためなら、そんな話など断るし、そもそも神格を得たいなどと、考えてもおらぬじゃろう。たとえ、わたしが声を掛けても、宗近は絶対に断るじゃろう。宗近はそういう人間じゃ。そして、そんな人間だからこそ、わたしは宗近を好ましいと思っておる。たとえ、お主の言う、"恋の負け"だとしても、わたしは宗近を待つ。本気で待ってやる。それだけの価値があると思っておるからじゃ」
アオが海神様から神格を受けて、この地の神となったのは、この地に残る、自分の家族を守りたいと思ったからだ。
宗近にとって、その守りたいものは馬と、たとえ離れたとしても、その故郷にいる馬を含めた家族だろう。
そんな、守りたいものを必死に守ろうとする宗近の事を好ましく想っているアオが、宗近の行く道を、生きる道を止めさせ、定める事など、出来るわけがない。
たとえ、負けだと言われても、アオは宗近を待つ。
そんな話を聞いた女給が、今度は理解に苦しむとばかりに、顔を歪める。
「私たちと貴女様とでは、随分と考え方が違うようですわねぇ。さっぱりわかりませんわ」
「ほぅ?『わからないことと、わかろうとしないことは違う』のではなかったのかの?」
ふふんと、アオは得意げに言い返してやる。
女給はムスッとしながら、『そろそろ、スイカが冷えた頃でしょう』と、立ち上がって、沢まで取りに行った。
゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。
冷えたスイカを、涼を求めて集まった港町の人々と味わっている時のことだった。
軽快な馬の足音が、山の方から聞こえて来た。
アオはいつもの通りに、境内に通る参道を駆けて、手水舎のところまで行って待つ。
こんな夕暮れ時に、宗近が来るだなんて珍しいと思いながらも、無事に帰って来てくれた事を嬉しく思う。
今ならば、冷えたスイカをアカも食べられるかもしれない。
はやる心を抑えて、じっとやって来る馬とそれを御す青年を待っていた。
「……ぬ?」
山の中から現れた馬も人も、アオは見たことがなかった。
それどころか、神社に集まる人々も、まるで見覚えのない旅人に、騒然とした。
馬は、雨ノ宮神社の前で止まると、それを御していた男が降りてきた。
鳥居の前で丁寧に一礼してから、アオの目の前をすいっと、通り過ぎて、拝殿の前で、礼をする。
見知らぬ旅人に、港町の男の一人が声を掛ける。
「あんた、一体誰だね?」
「ご挨拶が遅くなり申し訳ない。ここへ来たら、まず神社の神様に挨拶しろと言付けされてたもんですから、先に済まさせて頂きました。私は、馬借組合の一人。同業の馬飼宗近の代理でこの港町へ来ました」
宗近の代理を名乗った男の存在に戸惑ったのはアオだけではなかった。
「馬飼って事は、いつもの馬借さんの代理かい?」
「えぇ、馬飼は、実家の方で火急の用ができたもので、急いでそちらへ向かわねばならなくなりまして、それでも、こちらの茶屋へ卸している商品は届けなければと言われ、私が代理で参りました。……そこで、申し訳ないのですが、どなたか、馬飼が取引をしていた茶屋へ案内いただけないだろうか?町一番の茶屋とは聞いていますが、間違えては困るので」
その案内役を引き受けたのは、女給だった。
「私がご案内いたしましょう。茶屋はお隣ですもの。私もそろそろ、店へ戻らなければなりませんし」
「助かります。……よければ、私の隣へ座ってください。美しい女性を歩かせたくない」
「あらぁ、美しいだなんて、お上手なお方。それでは、皆さま、失礼いたしますわ」
女給は港町の人々へ頭を下げつつも、困惑しているアオをチラリと見る。
アオは、今、目の前に起こっている事を上手く飲み込めず、ただただ啞然とした顔で立っていた。
女給と代理の馬借を乗せた馬が港町へ向かうのを見届けたアオは、不安になって、山の方を見る。
「宗近……何があったのじゃ……」
宗近に何があったのか知る術を、アオは持っていなかった。
ただただ、不安な気持ちだけがアオの中で渦巻くと、それに合わせたように黒い雲がやってきた。
~(^*`∀´^)「男なんて手のひらで転がしてなんぼですわ」
どうもレニィです。
そんな台詞言ってみてぇ……
無理です。言えません。
そんな感じで、また女給さんに
ご登場いただきました。
がっつり女狐って感じで書きたくて。
やっぱ妖艶な狐女子って、いいじゃない?
さぁさぁ、いよいよ終盤に突入!
最後までお付き合いいただれば、幸いです。
そんな感じです。
どうぞよしなにー!!!




