44.瑠璃嬢の縁談(後編)
夕暮れ時、夕焼けが空を赤く染める頃。
瑠璃は、縁談に来たお相手の若い男性を連れて、大浦邸から港町へと向かう道を下る。
道すがら、子どもたちが背中に背負った籠に薬草を入れて、きゃあきゃあ言いながら走って横切って行った。
そんな様子を、瑠璃の隣を歩いているお相手は不思議そうに見る。
「……ここの子どもたちは、何故草を?青々としていて、あれでは焚き付けにもならないでしょう。まさか、いくらなんでも、草を食べる訳ではないですよね?」
港に着いたとき、たくさんの魚が水揚げされているのを見ていたお相手は、民は毎日新鮮な魚が食べられていいなと勝手に思っていた。
町の様子も都会程ではないが賑わっていて、栄えている印象を持っていたのだが、野辺に咲くような草を集めて食べなければならないのか、と不安に思った男は、隣を歩く、この港町を預かる予定の女性に聞く。
隣を歩く瑠璃は、何ということはないという笑顔で答える。
「あれは、薬になる草を集めて、この町の薬屋に買ってもらっているのですよ。薬草は、先ほどもお話した、神社の境内に生えている草の中から、薬草になるものを子どもたちが見極めて、集めているのです。そのおかげで、神社に生える雑草なども、定期的に抜かれているので、境内が綺麗に整えられているのです」
「子どもたちが見極めを……?ここの子どもたちは、薬草を知っているのですか?」
「えぇ、薬屋さんが子どもたちに教えて、覚えているのですよ。上手く集めれば、薬屋さんからお駄賃が貰えて、そのお駄賃で、今から行く茶屋でおやつとして、蒸し饅頭が買えるので、子どもたちも張り切って覚えて、集めるのです」
「はぁ、そんな事が……。それも、瑠璃さんが?」
「いいえ、思いついたのはこの町で薬屋をしている家の後継ぎの方です。町の人間がよく世話になっている薬屋で、あまりにもよく効くので、河童なのではないかと噂される程です」
「は?河童……?」
お相手は河童と言われてもピンと来ていないようだった。
瑠璃は少しばかり恥ずかしくなって、咳払いをする。
「もうしばらく歩けば、茶屋に着きます。是非その味を堪能してください」
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瑠璃とお相手が大豆田屋へ着いた頃は、丁度港町の人たちの夕飯時だった。
茶屋は、いつも通り、晩酌をしに来た男たちで盛り上がっていた。
いつもと違う時間帯に現れた瑠璃に驚いたのは、茶屋の若旦那、大豆田一茶だった。
「いらっしゃいませ、大浦さん。こんな時間にいらっしゃるだなんて、初めてですね。……えっと、そちらのお方は?」
「こんばんは、大豆田さん。今日は、私のお客様にこの港町と、一番の茶屋をご案内するために、参りましたの」
「そ、そうでしたか。ですが、今は……」
「この騒がしい様子が、本来の港町の姿ではありませんか。それを隠す事はないと、私は思いますよ?」
「……大浦さんが、そうおっしゃるなら。えっと、それではどうぞこちらへ」
一茶は、それでもチラチラと瑠璃の隣にいる男を見る。
男の方も、気にして辺りを見やる。
店は身なりのいい瑠璃とお客人が急に現れたことで騒ぎが一度収まり、静まり返る。
茶屋がこんなに静かになったことは、客の少ない時間にもなかったかもしれない。
瑠璃とお相手が席に着いても、茶屋の騒がしさは戻らず、ひそひそと囁き合うような声ばかりが聞こえる。
さすがの瑠璃も気まずさを隠せなくなって、蒸したての饅頭だけを頂いたらすぐにお暇しようかと思っていた時だった。
「なんだい、なんだい。誰かの葬式よりも静まり返って!ここは本当に、俺の馴染みの茶屋かい?」
赤銅色の髪を一つにまとめた鼻筋の高い大男が、店へ入って来るなり、そう大きな声で言った。
瑠璃も何度か会った事がある。港町の便利屋、天具風来だ。
風来の大声に、店に来ていた港町の男たちが慌てて、風来に黙るように身振り手振りで伝えようとするが、風来はそんなものなど見向きもせずに、若旦那と瑠璃たちのいる卓へ近寄る。
「よう、大浦の嬢ちゃん!ここで会うとは、奇遇だな。しかもこんな時間に。お屋敷も夕飯時じゃないのか?」
「こんばんは、便利屋さん。えぇ、奇遇ですね。今日は私のお客様に、この港町と、一番美味しい餡子の入った蒸し饅頭をご紹介したくて、ここへ訪れたのです。晩餐は、私の父の帰りが遅いので、まだなものですから、その前に、軽く食べようかと思いまして」
「客?あぁ、隣の若いあんちゃんか。……ん?でも春の花見の時に見かけた奴じゃないな。あいつはどうしたんだ?ひょろっこい奴」
茶屋にいる誰もが肝を冷やした瞬間だった。
瑠璃はそれに、あえて笑顔を作って答える。
「春の方は、港町の空気が合わなかったようで、お断りされてしまったのです」
「なるほど、ひょろっこい奴に潮の匂いと俺たちが合わなかったってわけだ。納得しかねぇな!」
ガハハと、大口を開けて笑う風来に、店に居る男たち全員の顔が青くなる。
若旦那は今にも卒倒しそうな程、青というよりも、白くなっている。
「で、あんたも同じかい?お客人。あんたは、前の奴よりもしっかりしてそうだし、美丈夫でいい男そうだが、それでも、俺たちが騒がしければ、空気が合わんと言って、大浦の嬢ちゃんの前、この町から立ち去るか?」
風来の問いかけは、瑠璃が聞きたくても、聞けないことだった。
瑠璃はこの港町の騒がしさと一緒に育ってきた。どんなに町一番の大きなお屋敷に住んでいても、港町の人々の生きる音を耳にしない時はなかったし、それが好ましいとも思っている。
この先、瑠璃の隣に立つ人には、この港町の騒がしさに逃げるような人ではダメなのだ。
けれど、瑠璃から直接問いかけても、相手が本当の事を言うとは限らない。だから瑠璃は聞きたくても、聞けないので、わざと騒がしいところへ足を運んで、相手を見極めようとしている。
そんな問いも、風来の手に掛かれば、一瞬の事だった。
風来には、怖いものなどない。なにせ、本物の天狗だ。天狗が何を恐れようか。
だから、風来は目の前の男に直球で問いかけた。
男はそんな風来の目を見定めて、より一層背筋伸ばし、胸を張って答えた。
「自分は、男所帯の家の出。軍人である父も兄も、大声を出す事が多い。また、高等学校は男ばかりで騒がしい場所だ。こちらの者たちが、今日を労い、陽気になるのは当然の事で、それを厭うことなどない。ましてや、その程度の理由で大浦様とこの町から立ち去るなんてことは、断じてしない」
風来はその答えに、また大口を開けて笑う。
「聞いたか皆!俺たちが騒いでも気にしないとさ!さぁ、いつもの通り騒ごうじゃないか!今日の一杯は俺の奢りだ!あんたも、一杯飲んでいけや」
「あぁ、馳走になろう」
風来とお客人とのやり取りを聞いていた男たちが、一斉に歓声をあげる。
若旦那は胸をなでおろすと、風来の為に酒甕と、瑠璃たちの為に小さな蒸し饅頭を用意してもらうため、一度厨へと戻った。
゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。
お客人は意外な事に、港町の男たちと打ち解けていった。
力仕事と身体が自慢の男たちは、軍人の多い家の方針で鍛え上げられたお客人は話が合うようで、一緒に酒を飲みかわしながら、話をしている。
その様子にほっとしたのは、若旦那だけではない。
瑠璃も、少しばかり緊張の糸が途切れて来た。そのせいか、家を出るまでに、会話が途切れるたびに飲んでいたお茶の効果が来てしまった。
「申し訳ありません。少し席を外させてください」
瑠璃はスッと席を立つと、大豆田屋の女中のミチに声を掛ける。
ミチは『あらあら、まぁまぁ』と言いながら、慌てて瑠璃を母屋の方へ案内する。
ミチの代わりに厨から出て来たミドリは、いつもの通りに、店中の男たちの湯吞みが空いていないかを見て回ると、蒸したての小さい饅頭を瑠璃たちの卓へ運ぶ。
瑠璃がいつも熱いものを、熱いまま口に入れて火傷をするので、卓に置いておいて少しでも冷まして置こうと思った。
ただそれだけだったのだ。
ミドリは卓に着く客人に会釈をしてから、蒸し饅頭を出す。
「オ待タセイタシマシタ。ゴ注文ノ品デス」
蒸し饅頭を卓に出して、また頭を下げたら厨へ戻る。その途中にもう一度、男たちの湯吞みが空いていないかを確認する。
そうするつもりだった。
ミドリの手首を急に掴んだのは、お客人だった。
お客人は怖い顔をして、ミドリを睨んでいた。
「……君。この国の者ではないな」
明らかに怒気をはらんだ声に、ミドリは恐怖で何も言えなくなる。
敵意の様な視線が、緑色の混ざる目を睨んで離さない。
「その顔立ち。隣国の者のようだが、そのように緑色の混ざった目をする者は、半島の方ではないな。大陸の方の者だろう!」
「……ッ!」
掴まれた腕がギリギリと音を立てそうな程に、強く掴まれている。
港町の男たちと力自慢ができるほどの男だ。振りほどく事は、できないだろう。
だが、ミドリは振りほどくよりも何よりも、男の怒りに満ちた目が恐ろしくて、竦んでしまって動けなくなっている。
「おい、何とか言ったらどうなのだ!」
男が怒りに任せてミドリの掴んだ手首を思い切り捻り上げようとしたその時。
一茶がその腕を、両手を使って、どうにか止めた。
「お客様……私どもの店の女中に、何故その様な乱暴をされるのでしょうか?」
「……何故?何故だと!お前は知らないのか。大陸の国が兵を出すせいで、この国の兵が海を渡り、命の危険にさらされているのだぞ!私の兄もそこに居る。いずれ、大陸の国とこの国は戦争を始める!戦が始まるのだぞ?!それなのに、その戦の元凶である国の者がこんなところで、しかもまるで、この国の者のように働いていて何故怒りが湧かないのか!」
「……えぇ、俺が知らない話ですし、わからない感情です。なんせ、俺はこの港町で茶屋を営んでいるだけの人間。軍人であるというお父様やお兄様に囲まれたお客様とは、置かれている環境が異なります。そしてそれは、彼女も同じ事です」
一茶は、持てる力の全てを込めてミドリの手首から、男の手を離すと、そのままミドリとの間に入って、その背にミドリを隠す。
「確かに、彼女の出自は、大陸の国です。ですが、彼女がその国を逃げるように離れて、この大豆田屋で働くようになったのは、最近の事ではございません。ずっと昔の事です。彼女は昔から、この大豆田屋の女中として、いえ、家族として働いてきました。そんな彼女が、どうして、大陸の国の今を知りましょうか?どうして、逃げるように離れた故国の責を、ただの女中一人が背負わなければならないのでしょうか?」
一茶は、男を睨みつける。
その顔は、いつもの頼りのない若旦那ではなかった。
「彼女は、誰が何と言おうと、大豆田屋の大切な家族で、この港町の住人です。それを害そうとするのであれば、俺は、たとえお客様であっても、許す事はできません」
「たとえその国を離れても、その女は敵国の者!敵国の者を庇い立てするのであれば、貴様も同じ者としてみなす!」
激昂した男は、いとも簡単に一茶から手を振りほどくと、その拳を振り上げた。
「何をなさっているのですか!」
男を叱責する瑠璃の声が店に響き渡る。
男の拳は、一茶の目と鼻の先で止まった。
「一体これは、どういう事なのでしょう。ご説明いただけますでしょうか」
瑠璃は口調も姿勢も崩さずに、男を睨みつける。
ただその瞳に沈んだ青色が、鋭く刺すように光る。
「瑠璃さんはご存知ないのですか?この女は大陸の、敵国の者。そして、この茶屋はその敵国の者を庇い立てする者が居ると!」
「彼女の出自がこの国でない事は存じております。ですが、私のお友達が、敵国の人間であるとは、一度も思ったことはございません」
「……お友達。瑠璃さんは、この女を友だと?」
「えぇ、大切な友人です。そして、この茶屋は、私が贔屓にしている店であり、この店の者、ここに居る全ての人は、私が守るべき港町の住人です」
「何、だと……?!」
瑠璃はうろたえる男の前に立つ。
「……私も以前、あなたと同じような浅慮で、彼女を責め立てたことがございます」
「浅慮だと?!」
「えぇ、浅慮です。とても浅はかな、子どもの癇癪です。だってそうでしょう?戦の問題は、大陸の国とこの国の事であって。今、この港町に居るただ一人の人間である彼女に、何の関係あるのですか?それも、その国が敵国になるずっと前に、この日の本の国へやって来た、ただの女性に」
「たとえ昔は敵国でなくとも、今は敵国だ。その女が、故国への情を取り戻したら、どうする!」
「たとえそうなったとて、こんな鉄道も通っていないような辺鄙な田舎の港町にいただけの彼女が、この国に不利益をもたらすとは、私は全く思えないのですが。それでも……」
瑠璃は頬に手を当てると、皮肉に満ちた笑みを作る。
「あなたは、ここに敵国の民が居ると、大声で叫んで言いふらすのですか?今の大陸の国の事を何も知らないような女性を指差して、癇癪を起こした子どものように?」
男は完全に頭にきたようで、怒りで顔が真っ赤になっていた。
「っ!あなたとはここまでのようだ」
「えぇ、そのようですね。私も、浅慮で守るべき民を守ることができないような方を、大浦の、いえ、この港町を背負う方としてお迎えする訳には行きませんもの。念のため、はっきりと申し上げさせていただきますわ。あなたはこの港町に相応しくありません。どうぞ、お引き取りください」
「この事は、父に報告させてもらう!」
「どうぞ。ご勝手に」
男は肩を怒らせて、茶屋を出て行く。
大浦邸には、来た道を戻ればいいのだから、瑠璃の付き添いはいらないだろう。
男は最後に捨て台詞として『行き遅れになっても、知らないからな!』と叫んで行った。
瑠璃はそんな言葉に、馬鹿馬鹿しいとばかりに鼻を鳴らす。
「私まだ15よ?それなのに、行き遅れだなんて、なる訳ないじゃない」
そう瑠璃が言葉を吐いた事で、行く末を見守るしかなかった茶屋の男たちが沸く。
「地主の嬢ちゃんかっこいいぞ!」
「男よりも男前だったぞ!
「これなら、大浦の家も安泰だな!」
やんややんやと、男たちが囃し立てるので、瑠璃は少し恥ずかしくなって頬が熱くなる。
「ちょっと、皆さん止めてくださいな……それよりも、ミドリさん大丈夫だった?!」
瑠璃が一茶をちょっと除けようと、少しだけ押したところ、一茶はそのままバターンと大きな音を立てて倒れた。
それに悲鳴を上げたのは、ミチだった。
「坊ちゃん?!」
「大豆田さん?!」
倒れた若旦那を風来がひっくり返して覗き込む。
「大丈夫、ちょっと気絶しているだけだ」
「気絶?」
「あんなしっかりした体躯の、それも地位が高い男に立ち向かうだなんて、この若様にしてみれば、いつも以上の胆力が必要だったんだろうよ。そんな、気を張り詰めていた場面が去ったんだ。安心して、気絶しちまったんだろうよ!ま、目の前に拳が迫った時には既に気絶していたかもしれんがな。なんせ、この若様だからな」
「全く。最後の最後に、締まらねぇ若旦那だなぁ」
店に居る男たちから笑い声が漏れる。
風来は軽々と若旦那を抱え上げると、ミチの案内で母屋まで運んで行った。
瑠璃は改めて、ミドリに向き直ってその様子を確認する。
「ミドリさん。本当に、ごめんなさい。私のせいで、あんな目に……あぁ、もうこんなに手首が赤くなってしまって、本当に、ごめんなさい」
瑠璃は男のせいで、赤くなって居る手首をさする。
ミドリは瑠璃のその手をそっと止める。
「瑠璃。大丈夫ヨ。瑠璃ガ助ケテクレタ。ダカラ、私、大丈夫。ソレニ……」
ミドリの滅多に変わらない顔色が、薄く紅色に染まっていた。
「一茶ガ、私、守ッテクレタ。チョット、惚レ直シタヨ」
茶屋が驚きの声で沸いたのは、言うまでもなかった。
瑠璃嬢じゃなくて、他のフラグが立ちました!
どうもレニィです。
別に瑠璃嬢が嫌いな訳じゃないですよ。
やだなーもー
史実として、実際にここまでの感情が、あったのか、
そこまでは、わかりません。
誰かの書いた手紙やメモなんかの文献があったら
きっと詳しくわかるでしょうが。
(新聞もありか)
それをさておいても、何かの物事に対しての怒りを、
直接的には関係ない人を責めてしまう事って
結構あると思うのです。
きっと知らぬ間に、誰もがしているでしょう。
わたしも何度もしてきたと思いますし。
それを立ち止まって振り返る事が出来れば、
いいのかな、などと思っております。
そんな感じです!!!
どうぞよしなにー!!!!!




