41.お守り
桜の木に、少し葉が目立つようになった頃。
宗近が再び、港町を立つ日がやって来た。
「今度は、また長く空ける予定だ。営業所からもらった分の干し芋を少しは返したいし、それに加えて茶屋用の干し芋も増やして、胡桃も手に入れたいからな。必然的に、周るところが増える」
「うむ。それだけたくさん用事があっては、仕方あるまい。しっかり、働いてこい。宗近。じゃが、必ず……」
「必ず、ここへ帰ってくる。それは約束するよ」
「うむ!」
宗近の答えに満足したアオは、行灯の明かりの中、笑顔を咲かせる。
その笑顔は夜桜よりも眩しい。
「そうだ。たぶん、桜の葉を取りに男たちが来ると思うから、来ても怒らず、見守ってやってくれ」
「ぬ?何故葉を?」
「桜餅に巻いてあったろ?桜の葉。あれを作るのに、葉がいるんだ」
結局、若旦那は宗近の予想通り、桜の葉の塩漬けは用意しておらず、急遽、花見で出す分だけはと、宗近から買ったのだ。
そして今、葉がない状態で桜餅を売っているが、やはり、葉がない状態だと、桜の香りがしないため、ただの薄紅色をした皮に餡子を巻いただけの物になってしまって、思ったほどの売れ行きではないようだ。
なので、来年のためにも若旦那は今年の葉を塩漬けにしておいて、保存しておくと、昨晩悔し涙を流しながら、宗近に語っていた。
「もしかしたら、手荒く毟るかも知れんが、なるだけ見守っててくれ」
「ふむ、わかった。なるだけ見守っておこう。まぁ、よほど酷ければ、桜が毛虫を落とすだろう」
アオがちょっと意地の悪そうな顔をしている。
あくまで、落とすのは桜だと言うが、本当のところを知れるモノは、港町では限られている。
今から港町へ戻るわけにもいかない宗近は、男たちが丁寧に桜の葉を採っていく事を祈るばかりである。
「では、さくらもちは、また来年にならなければ、わたしの元へはやって来ないのじゃな。そう思うと、あの時もっと食べておけばよかったの……」
「アオ様はあの時、カフェー・ヘカテーの洋菓子に夢中だったじゃないか。ビスケットやシュークリームを何個も食べて……」
「あ、あれは!物珍しい菓子だったから、つい多めに食べただけであってじゃな!べ、別にまた食べたいとは、さほど、思っておらんっ!狐共の店の菓子じゃしなっ!」
「そう言って、あの日食べられなかったチョコレイトなんか持って来られたら、またあっちの菓子ばかり食べるんじゃないのか?」
「それは、ないな。町の者が、狐の店の菓子を持ってきた事はないのじゃ。皆、だいたい蒸し饅頭か、落雁か……じゃから、わたしが再びあの狐の店の菓子を食べることがあるとしたら、宗近に持ってきてもらうか、あっちから持ってくるか、のどちらかじゃの。ま、あっちから持ってくる事は、なかろう」
「何でだい?」
「稲荷と龍神は仲があまり良くないのでな。あちらは、晴れ。こちらは雨。ソリが合わんのじゃ」
リュウグウの愛し子と言われるアオにとって、稲荷神を主人とする彼女たちとは、どうしても反発してしまうのだ。
それは彼女たちも同じこと。
あの女給の狐がわざわざアオに近づくなど、本来ならないはずの事だ。
「大方、主人からわたしの様子を見張って、告げる様に言われているのだろうよ。趣味の悪い」
「じゃあ、もしかしたら、また来るかも知れないんじゃないか?」
「やめてくれ。本当に来そうで恐ろしい」
アオの顔が珍しく歪む。
先ほどの笑顔が台無しだ。
「もし来たとしても、チョコレートだけは食べないでくれよ」
「……花見の時も言っておったが、何故ちょこれいとだけは駄目なのじゃ?滋養強壮に、疲労回復などの効果があるならば、良いもののはずじゃろ?」
「……それが効きすぎるのが問題なんだが」
「ぬ?何じゃ?何と言った?」
「とにかく!ダメな物はダメだ!代わりに金平糖とキャンディー置いていくから!」
「おぉ!もう持っておらぬのかと思っておったぞ!ささっ、早う出せ!」
アオは、両手をずいっと宗近の前に差し出す。
宗近はその小さな手に、金平糖とキャンディーの入った小瓶をそのまま渡す。
アオはガラスの小瓶も珍しいのか、小瓶ごと、行灯の灯に透かして眺める。
「入れ物の小瓶は割れ物だから、気をつけてくれよ」
「うむ。気をつけよう」
「あと、日持ちするとは言え、ほっとくと溶けたりするから、気をつけろよ」
「うむ。わかった」
アオは金平糖とキャンディーの入った小瓶をそっと、御神体の横に置いた。
「……そういえば今更だが、アオ様も、だな。神様って、人と違って、毎日食事を取らなくても大丈夫なのか?」
「ほんに、今更じゃの。そうじゃ、わたしも、他の神々も、人の様に毎日食べる必要はない。と、言うより、人の様に食べ物を食べているわけではない。と、言うことが正しいかの」
「でも、アオ様はお供物の菓子を口に入れて食べてないか?」
「口には入れておるが、人間の様に食べているわけではない。わたしが食べているのは、食べ物、と言うよりも、その食べ物が持つ人の思いじゃな」
「……口に入れたら消えるのに?」
「そりゃあ、思いとて、神が食べれば消えるじゃろ。わたしは、食べ物と一緒に思いを食べているのじゃから」
アオは、さっき置いたばかりの金平糖の小瓶を持ってくると、小瓶を開けようとクルクル回す。
宗近は、アオの手から小瓶を取ると、蓋を開ける。
アオは『ありがとう』と言うと、小瓶から数粒だけ金平糖を手のひらに出す。宗近は小瓶の蓋のコルクを少し緩めに締めておく。
「たとえば、この、こんぺいとう。これには、この形にするために丹精込めた職人の思いと、宗近がわたしを喜ばせようと思って取ってくれておいた思いなんかが、込められておる」
「ほー……そんなこと、わかるんだな」
「神じゃからな。人の思いには敏感なのじゃ。お供物も同じじゃよ。わたしに、神に、願いと信仰を込めて供えられる。だからわたしは、これを口にして食べることができる」
そういうと、アオは手にした金平糖を口に入れて、珍しく齧って飲み込んでしまう。
「こうして、込められた思いを食べ物と一緒に食べておる。人とは違う食べ方になるが、それでも口の中へ消える方法が取れる。……もちろん、わざわざ食べ物を口に入れずとも、思いだけを食べる神もおるがの」
「つまり、アオ様はわざわざ口に入れてるって事かい?」
「ぬ……?そう言われてみると……そうじゃの。……やはり人だった頃の癖が抜け切れぬのかも知れんの……」
アオは寂しそうに、金平糖の入った小瓶を握りしめる。
その表情に、宗近は思わず聞く。
「……人に戻りたいと、思うかい?」
アオは、静かに瞼を閉じて、首を横に振ると、寂しさを隠すように、笑う。
「今のわたしには、また守りたい者ができた。それに、せっかく宗近が頑張って、港町の民が、再びこの神社へ訪れる様にしてくれた。じゃから、まだ、神で居たい」
「……そうかい」
宗近は、アオの答えをしっかりと聞き届けて、胸に仕舞い込んだ。
゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。
朝日の昇る少し前、宗近はアカと共に山へ向かう準備を整えた。
アオは、アカに『宗近を頼んだぞ』と言いながら、鼻筋をうんと撫でてやっている。
いよいよ出発、という時に、アオは宗近に声をかける。
「宗近。手を出せ」
「ん?なんだい、急に」
宗近は右の手のひらをアオに差し出すと、アオはそこに、青い色をした錦の小袋から取り出した物を乗せた。
コロリと転がる青いトンボ玉と、それを飾る青と白の紐に、宗近は見覚えがあった。
「……これ」
「『わたしの好きにしていい』と、言ったのは宗近じゃろ?じゃから、お守りにした。こう見えても、わたしは神じゃからな!このくらい造作もないわい」
アオはふふんと、鼻を高く上げて、胸を張って、得意げな顔で宗近を見る。
「いいのかい?せっかく贈ったものを」
「うむ。わたしが、お守りにして、宗近に渡したいと思ったから、そうしたまでじゃ。宗近とアカの道中に穢れが無きようにと、玉に祈り。紐は、梅結びにした。無病息災に、魔除け。そして、人と人との良き縁を願う物じゃ。宗近の仕事は、人と人との繋がりが大切じゃろう?」
「あぁ……そうだな」
アオはお守りを握らせるように、宗近の手を包み込む。
「わたしは、宗近からいつも、もらってばかりじゃ。だから、せめてものお返しがしたかった。もらったものじゃがの。……それに」
「……それに?」
青い瞳が、宗近の目を捉えて、離さない。
「このとんぼだまは、わたしの瞳に一番近い色をしているのじゃろう?なら、宗近の手元にあれば、宗近はわたしを忘れない。いつでも、思い出せる。違うか?」
輝く青い瞳が、弧を描く。
捉えられた黒曜のような瞳も、釣られて弧を描く。
「……あぁ、違わない。違わないさ」
あぁ、本当に。
こういうところが、どうしようもなく。
けれど、その想いをお互いに口にはしない。
するわけにはいかない。
あくまで、神と人。
その境目は、今はまだ、神が神でありたいと思う限り、超えられない。
宗近は、アオからもらったお守りを、また懐へ仕舞う。
その想いも、落とさないように、無くさないように。
しっかりと仕舞い込む。
宗近がアカと山を超える頃、港町の辺りでは雨が降った。
桜の花を落とす、春の雨だった。
そんなこんなで、また旅にでる馬借さん。
だってそれが仕事だもの。
どうもレニィです。
稲荷と龍神の仲が悪いは、
あくまで俗説だと思います。
晴れも雨もないとお米は育たないしね!
飾り紐は、水引きとは一応別物として、
見ていただればと。
結び方調べたけど、絶対できない。
ドヤ神様、意外と器用なのでは……?
そんな感じです。
どうぞよしなにー!!!




