37.営業所
港町から、山を一つ越え、そこからしばらく山道を進み、しばらく進んだ先に、その町はある。
山を要に、扇子のように広がり、開けた場所に宿場町であった大きな町がある。
宗近とアカは、港町から五日ほどかけて、その大きな扇型の町に来た。
目的は宗近が所属する、馬借を束ねる組織の地方営業所へ向かうことだ。
営業所にたどり着いた宗近達をまず出迎えたのは、仲間の馬借達だ。
皆、年の頃が20~35ほどの体躯のいい男たちで、日に焼けた顔が健康的、と言うよりも、少しやかましい男たちだ。
「ほらな、やっぱり宗近のだったろ?」
「綺麗な赤い栗毛の馬が見えたら、間違いなく宗近だからな」
わらわらと、男たちが宗近たちの周りに集まって来る。
アカはちょっと迷惑そうに、鼻を鳴らす。
「ほらほら、お兄さんたち。アカから離れてくれよ。迷惑がってるだろ」
宗近が荷台から降りて、集まる若い男たちを散らしていく。
宗近に虫を払う様に散らされる男たちは、不平を口々に言う。
「出たな、馬バカめ」
「そうやって、アカどころか、営業所の馬たちも甘やかすから、皆、宗近の言うことばっかり聞くんだぜ」
「そうだ、宗近。俺の馬を見てくれよ。最近、ちょっと調子が悪いんだ」
「俺んとこも頼むよ。言うこと聞いてくれなくて、困ってんだ」
「あ、そうだ。宗近、お前、港町に行ってたんだろ?魚を売ってくれよ」
「俺も魚欲しい!馬飼さん、お願いします!」
女、三人集まれば姦しい。
男は、一人でもやかましいのがいれば、皆やかましい。
「お前ら、わかったから。わかったから!まず親方に挨拶させてくれよ!」
宗近は、とにかくやかましい男たちを抑えて、営業所の厩舎へアカを繋いで、営業所の建物の中へ向かう。
゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。
馬借の男たちが寝泊まりする建物の横に、それよりも小さな建物がある。
その小さな建物の方が、営業所の要。営業所長である親方が詰めている、事務所である。
“所長室”と書かれた木札を上に掛けている扉の横には、“在室”の札が掛かっている。
宗近は、木の扉の前で部屋の主に声を掛ける。
「親方!馬飼宗近。入室してもよろしいでしょうか?」
部屋の主は、大きな声で答える。
「おう!入ってくれ!」
「失礼します」
扉の向こうでは、大きな机の両端にうず高く積まれた紙の間に、身を隠す様に、収まる大男が一人。
この扇型の町を束ねる営業所の所長。宗近たち馬借は、親方と呼んでいる。
「久しぶりだな、宗近」
「はい。お久しぶりです、親方。遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「おう。こちらこそ、今年もよろしく頼むぞ。営業も、それに馬の世話もな」
「親方まで、馬の世話を頼まんでくださいよ……」
「仕方ないだろう。この営業所で、一番馬の扱いが上手いのは、お前なんだからよ」
親方はくつくつと笑う。
この営業所に、宗近を所属させることを決めたのは、親方だ。
山奥の田舎からやって来た少年は、その時、所属しているどの男たちよりも、馬の扱いが上手かった。気性が荒い馬も、宗近の手に掛かればたちまち、おとなしくなる。
そんなところも見込んで、親方は宗近を所属させることを許可したのだ。
「しかし、思ったより早く戻って来たな。もっと花が咲く頃まで、戻ってこないかと思ったんだが、何かあったのか?」
「あぁ……世話になっている茶屋が出している蒸し饅頭が、予想以上に売れてしまって、原料がもう足りなくなりそうでして」
「ほぉ……あれだけ仕入れていったのに、足りなくなるとは、相当売れているらしいな。俺も食ってみたいもんだ」
「さすがに、ここまでは持ってこられませんからね。本当に、食べたれば、親方が直接行くしかないと思いますけど……」
「見ての通り、書類の山が減らなくてな。この部屋から出ることも難しいぐらいだ」
馬借たちの中には、読み書きが覚束ない者も多い。覚える気がない者は辞めさせるが、覚えたところで、拙い字や、誤字などが多く、彼らが売った商品を書いた書類一枚の判読をするだけで随分と時間が取られる。
親方とて、読み書きが特別得意というわけでもないので、より一層時間が掛かるのだ。
「いっそのこと、読み書きの得意な人を雇って、書類は全部その人にしてもらえばいいんじゃないですか?あとは、品名を最初から書いておいた紙を渡して、数と値だけを書かせるとか。数字だけなら、皆書けるでしょうし、教えるのも、楽でしょう?」
「……お前、本当、頭良いよな。外に出すのがもったいないくらいだ」
宗近は、その辺の馬借たちよりも頭の回転が早い。
仕入れる品、販路、それにちょっとした工夫。
誰かしらが、ちょっと困っていると、そう言ったことをさらりと解決してしまうのだ。
「別に、俺の頭の出来は、その辺の人と変わらないと思いますけどね。誰でも、思いつくことだと思いますよ。ただ、言ったのが俺ってだけでしょう」
「謙遜するこたないと、思うがね。ま、それはいいとして、原料がないと言うことは、すぐにでも荷を持って出るのか?」
「はい。アカを休ませてやったらすぐにでも出たいと思っています。でも、今の時期は、やっぱりまだ余剰分の食材がないので、取引が難しいです。正直、いつもの販路を行くだけでは、必要な数は確保できないと思います。なので、できればこちらで保管している物を俺に売ってくれませんか。取り急ぎ、胡桃と干し芋……甘藷の干したものが必要なのですが、ありますか?」
「そうさな……胡桃はわからんが、干し芋ならあったと思う。後で倉庫に見に行ってくれ」
「わかりました」
どうにか、芋の方は確保できそうで宗近はほっとする。
胡桃の方は、港町へ戻る道の中で、村や知り合いの猟師たちが見つかれば、魚と交換で少しは分けてもらえるかもしれない。
なんにしても、今回は早めにあの港町へ戻らなければならない。茶屋の蒸し饅頭の原料が底を付くというのもあるが、待っている人がたくさんいる。
アオは、あぁ言ったが、それでもなかなか戻って来なければ、またむくれるだろうし、若旦那も桜餅を準備して待っているかもしれない。
今回は、数を揃えようと深追いせずに、戻ろう。
「そうだ。お前がいない間の電報を預かっていたんだった。ちょっと、待ってくれ。確かこの辺りに……」
親方が積まれた山の中から、預かった電報を探そうとする。
今にも崩れそうなその山を、思わず宗近が支えると、全く違うところから紙の束が取り出される。
「ほれ、これだ」
「……随分、ありますね」
電報だけでなく、山の様な書類もだ。
「それだけお前がここを空けていたって事だ。ちゃんと返事しておけよ」
「はい。ありがとうございます。……今、ここで読んでいってもいいですか?」
「構わんが、何だってここで?」
「外で読むと、お兄さん方に足止めされて、中身を読んでいろいろとうるさいもんで」
「なるほど、あいつららしい」
宗近は、受け取った電報の紙を一枚、一枚、読んでいく。
全て、一番上の兄から来た電報で、ほとんどが他愛もない内容だった。
気になる紙は、最後の一枚だけだった。
宗近が少し、険しい顔をしたのに気が付いた親方は、声をかける。
「何か、あったのか?」
宗近は、笑顔で首を横に振る。
「いいえ。俺が育てていた馬のうち、四頭が今年母馬になるそうです。それから、俺にもう一人、甥っ子か姪っ子ができるみたいです」
その答えに、親方もほっとして笑う。
「そりゃあ、めでたい。よかったな」
「えぇ、なので、祝いついでに、卸値をおまけしてくださいよ」
「全く。調子のいいやつだな」
そう言いつつも、親方は宗近に売る分の干し芋の値を二割ほど、引いてやった。
゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。
営業所には、親方の詰めている事務所と、馬借たちの寝泊まりする宿舎、馬を置いておく厩舎の他に、一応倉庫もある。
それほど大きい建物ではないが、中には日持ちするような食料品や、大物の日用品なども置いてある。
その一角、乾物をまとめて置いてある所へ、宗近と宗近にマントをくれた馬借仲間はやって来ていた。
木箱に入って、倉庫に保管されていた干し芋は、量、質、共に問題ない物だった。
「どのくらい、持って行ってもいいんだい?」
「一応、営業所にも少しは残しておきたいから、そうだな……三箱、四箱ぐらいなら大丈夫だ」
「じゃあ四箱頼む。これだけあれば、初夏くらいまでは持つだろう」
春先頃には、いつもの販路からも干し芋や胡桃が手に入るようになるはずだ。
春に持って行って、また初夏までにいつもの販路を周っていれば、茶屋の原料が底を付く事はないだろう。
「お前、本当にあの港町が好きだなぁ」
「……まぁ、世話になっている人が多いからな」
「いっそのこと、そこに住んで、骨を埋めればいいんじゃないか?」
馬借仲間は軽く言ってくる。
今までも、何度かそう声を掛けられたことはある。営業所でも、港町でも。
確かに、それがいいのかもしれないと、宗近も思う時もある。
だが、
「……それは、無理な話だ」
゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。
一番上の兄が送って来たたくさんの電報の中の一枚を、宗近は誰もいない厩舎の中、愛馬の隣でもう一度読む。
電報には、こう記されていた。
『ジナン、デテイク。リクグンヘ、イク』
「……何してんだよ、宗兄さん」
宗近の二番目の兄は、宗二と言った。
宗近より二つ上の兄は、宗近が故郷を出る時には、宗近が育てていた馬たちを引き継いでくれた。
営業所では、誰よりも馬の扱いが上手いと言われる宗近だが、その二つ上の兄には負けると思っていた。
どんな馬でも乗りこなし、不安がっている馬を上手く宥め、仔馬を取り上げる腕もよかった。
宗近が故郷を去っても、宗二がいるから大丈夫だと思っていた。
その宗二が、故郷を出て行き、陸軍へ行ったという。
宗近には、寝耳に水の話だった。
宗近の様子に気が付いたアカが心配して、鼻を宗近の顔に寄せる。
「すまんな、アカ。大丈夫。……大丈夫だ」
まだ、帰ってこいと言われた訳でもない。
電報にも書かれていない。
宗近は、まだ馬借を続けていて、いいはずだ。
宗近はその不安をアカに伝えまいと、鼻筋を撫で続ける。
゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。
営業所の宿舎で寝泊まりする男たちは、皆一緒に食事を取る。
食事を取りながら、お互いの持っている情報を交換し合い、時には持っている商品を売り買いする。
そうやって、持ちつ持たれつの様な環境で、彼らは仕事をしている。
ただし、それは酒が入るまでの話だ。
酒が入った後の話は、正式な取引としない。という、規則も設けられている。
その日の夜は、久しぶりに宗近が戻ったので、明日は一日、宗近に馬を見てもらう。つまり、仕事にでないつもりで、皆、酒を飲んでいた。
宗近でさえ、少しばかり貰っている。
酒が入ったせいか、宗近はぽろっと、集まっていた仲間に聞いてしまった。
「なぁ、女の子が喜びそうな菓子とか、持っているやついないか?」
宗近は、アオへのお土産を考えていたのだ。
金平糖、キャンディーが喜ばれたので、また甘い物を持って行こうと思ったはいいが、宗近はどちらかと言えば、辛党で、甘い物に詳しくない。
酒が入った後の取引は、仕事に含めない。だから、聞いてみたのだが、宗近の発言は、酒の入っていた男たちをシンとさせるには十分だった。
「宗近が、女?」
「え、宗近に、女?!」
「あの馬バカに?!」
その場にいる、誰も彼もが驚いている。
なんせ営業所の馬借たちにとって、宗近と言えば、馬を愛し、馬と共に生き、浮いた話には自ら近寄らず、女から想いを告げられても気が付かないか、断るかの姿しか見たことがない存在だ。
そんな宗近の口から、“女の子”だなんて単語が聞こえて来れば、驚くのも無理はないだろう。
「やっぱり、港町に良い娘がいるんだな?!そうなんだな?!」
「違う、違う!誤解せんでくれ!」
「じゃあ、やっぱり故郷の方か?!」
「電報、いっぱい来てたもんなぁ……」
「あれは、全部一番上の兄貴からだ!そんなんじゃないから!その、えーと……なんて言えばいいんだ?」
アオは神である。
だが、神様に贈り物をしたいだなんて言って、信じるやつはここにはいない。
だからあえて、女の子と言ったが、それがよくなかったようだ。
せめて、茶屋の若旦那が気になっているからとか、言って置けばこんなに騒ぎにならなかったものを、言ってしまった言葉は返ってこない。
宗近は苦し紛れに、その場をどうにか抑えるための言葉を捻りだす。
「世話になっている家に、娘さんが居て……金平糖やキャンディーを喜んでいてだな。だから、次に戻る時も何か持って行ってやりたいと思っただけだ」
嘘は言っていない。
アオにも渡すが、その後、茶屋へ行ったときには、女中のミドリにも渡している。
ミドリは『子ドモ扱イシナイデ』と言うが、貰うには貰うし、何だかんだで喜んでいるので、世話になっている家に居る娘が喜んでいると言っても、問題ない。
「ふーん……まぁ、宗近がそう思っているなら、そういうことにして置いてやるけどな」
「だから、本当に女とかじゃないから……で、何かないか?」
「落雁とかじゃダメなのか?」
「あー……。もっと珍しいやつがいいな」
恐らく、落雁は見慣れているかもしれない。
なので、もっと珍しい菓子が欲しい。
そうなってくると、出てくる菓子は限られてくる。
外の国から入って来た物だ。
「チョコレイトはどうだ?」
「バカ、そんな高いもん無茶だ。だいたいありゃ苦いし、媚薬だって聞くぞ」
「そりゃあいい。宗近が使えば一発だ」
「俺は、そんな事望んでないぞ。あと、チョコレイトって茶色の塊だろ?見た目が地味なんだよな。どっちかっていうと、金平糖やキャンディーみたいにキラキラしてるやつが好みみたいだし……」
「じゃあ、ビスケットもダメじゃねぇか」
「ビスケットは下手すると割れるからなぁ……馬に乗せるのに向かねぇよ」
「じゃあ、これはどうだい?珍しいと思うぞ」
そう言って、一人の男が取り出したのは、白玉の様な丸い物だった。
「何だいこりゃ。団子なら珍しくもないぞ」
「第一、真っ白じゃねぇか。キラキラしてねぇぞ」
「団子じゃねぇって、こりゃマシュマロって菓子だ。ただ白いだけに見えるだろ、でも触ってみな。びっくりするから」
そう言われて、宗近は目の前白い菓子を掴むと、何とも言えない感触が返って来た。
「何だこれ!変な触り心地してるぞ!」
「え、どんなだ」
「俺にも、触らせろ」
男たちが次々に、マシュマロなる菓子を触っては、驚嘆の声をあげる。中には、大きく悲鳴をあげる者もいた。
「な、面白いだろ?でも口に入れると、スッと溶けていくんだぜ?」
「へぇ……変な菓子だが、確かに、面白い。これ、どこで買える?」
「そこは、俺から買ってくれよ」
「酒が入った後の取引はしない。規則にもあるだろ?」
「じゃあ、明日素面の時に買ってくれよ。俺は、お前から魚の干物が買いたいんだ」
「じゃあ明日だ。忘れんなよ?」
「おうよ!」
ともかく、これでアオへの土産が出来た。
と、ほっとしたのも束の間、宗近はまた別の男に肩を組まれる。
「キラキラしたのが好きなら、やっぱこういうのが一番だろ」
そう言って男が取り出したのは、先日アオにも渡した大玉のキャンディーの様な丸いガラス玉だった。
ガラス玉は、真ん中に穴が貫通していて、そこへ紐を通せるようになっていた。
「今じゃこっそりとしか作られていない。トンボ玉だ。まぁ、こっそりだから、質はまちまちだけど、キラキラしている事には、違いねぇだろ?」
「……これ、青いやつないか?」
「あるぜ、いっぱい。ほら」
そう言って男は、卓に白い手拭いを置くと、そこへ様々な濃淡の青いトンボ玉を並べていく。
中には、他の色で模様が付けられている物もあったが、宗近は、その中で、最もアオの瞳の色に近いものを選ぶ。
「これがいい……これが一番近い」
「何に?」
もちろん、アオの瞳にだが、そんな事を言うものなら、今度は宗近の相手は外の国の女だと言われて、さらに騒ぎが大きくなる。
「……何でもない。これ、いくらで?」
「金のやり取りは明日にしろよ。じゃないと、規則に違反する」
「そうだな。じゃあ、これだけ避けといてくれないか?」
「おう、この小袋に……」
「ちょっと待ちな!せっかくの綺麗なガラス玉をそんなズタ袋に入れて持って行く気か?良い人への贈り物なら、ちゃんとした小袋に入れないと。……ってことで、この小袋どうだ?匂い袋にもなるぞ」
「待て、待て、ガラス玉だけじゃ寂しいだろ。それ紐が通せるんだよな?なら、飾り糸もいるだろう。何、宗近のいい人の為だ。安くしておくぜ?」
「だから、そういうんじゃないって、言ってるだろう!!」
そうして、あぁでもない、こうでもないという話し合いの末、翌朝宗近は、彼らの馬をきっちり見てやることで、割引してもらいつつも、マシュマロだけでなく、青いトンボ玉に、飾りの糸、そして小袋もしっかりと買わされた。
それから、五日後。
宗近は、荷車に干し芋を積んで、懐には、稼いだ金ではなくアオへの土産を持って、再びアカと共に、港町を目指す。
春は、もう目の前だった。
ブクマ増えてる……?!
本当、ありがとうございます。
嬉しいです。
さて、それはさておき。
トースターで焼くと燃えるよね、マシュマロって。
どうもレニィです。
洋菓子は、古くは室町時代から入って来たものもありますが、
チョコレートやビスケットなんかは、やはり明治からです。
その中で、マシュマロも明治から売っていたというのが、
今回、作者自身も一番驚きました。
営業所のお兄さん方は、馬借さんに
良い人が出来たと思っています。
間違ってないけどね!!
そんな感じです。
どうぞよしなにー!!!




