接触
無機質な部屋にアラームの音が響く。
「ん……うるさい……」
そう呟いて頭から布団を被るが、単調で不快な音は止まず優は寝るのを諦めて体を起こした。
するとアラームが鳴り止んだ。
そしてベッドから出ると、洗面台で顔を洗い、目を覚まさせた。
「髪が伸びてきたな……」
そう独り言を言うと引き出しからハサミを取り出し雑に切った。
その後歯を磨いていると、天井のスピーカーから男の声が聞こえてきた。
『おはよう、優くん。調子はどうだい?』
口を濯いでから答える。
「最悪ですよ。なんでこんな早く起こす必要があるんですか」
『しかし、君の周りに変化は無さそうだね』
「当たり前じゃないですか、この程度で出してたらもっと多くの人が死んでいましたよ」
優はさらっと言う。
男は何も言わなかった。
沈黙の時間が流れる。
『…………ところで、決心はついたのかな?』
男が沈黙を破り話しかける。
「…………正直、まだついていません」
『そうか、まあなるべく早く結論を出しておいてくれ』
「他に用はありますか?無いんなら寝たいんですけど」
壁に付けられた時計は恐らく朝の方の5時を指していた。
いつもは8時に起こされていたので、3時間も早く起きるのはなかなかにキツかった。
『ああすまない、もう寝てても大丈夫だよ。けど血液の採取は忘れないようにね』
「分かってますよ」
『じゃあ、頼むね』
そう言うと、スピーカーからブツッと切れる音が聞こえた。
「…………なにが頼むだよ……」
優は呟く。
『すまない、ひとつ伝え忘れていた』
また男が話しかけてきたため、優はビクッとなる。
「な、なんですか?」
優はさっきのを聞かれていないか心配になった。
『この後やってもらいたいことがあるんだ、けど今すぐじゃなく8時ごろになったらまた起こすね』
「はあ、分かりました」
『よろしくね』
話は終わったと思ったが、スピーカーは繋がったままだった。
『君の選択によって周りの人だけじゃない、君自身も救われるんだ、逆に言えば周りの人を傷つけ、君自身も傷つくことになるということを改めて肝に銘じといてね』
そう言うと一方的に切れた。
どうやら聞かれてたみたいだ。
「そんなの、分かってる……」
そして優は注射器を持ってくると、腕に刺して血を抜く。
最初は上手くいかず何度も刺して腕を傷つけてしまったが、今は医者のように痛みなく刺すことが出来るようになった。
その注射器を小荷物用のエレベーターに入れて送ると、優はベッドに入り再び眠る準備をした。
ふと、壁に掛けられたカレンダーを見る。
(あれから、もう3年か……)
そして静かに、眠りの中へ落ちていった。
声が聞こえる。
あの男じゃない、女性の声。
やがて声が止むと、今度は体を揺すられた。
薄らと目を開ける。
「あ、起きた?」
目の前に見知らぬ女性の顔があった。
「え…………」
優は固まってしまった。
単調なアラームではなく、人に起こされる、久しぶりの感覚だ。
違う、そうじゃない。
やがて我に帰るとベッドから飛び起き、その女性から距離を取った。
「えー!?なんでそんな嫌がるの?そんな露骨に出されるとショックなんですけど!」
その女性はむっとして口を尖らせる。
「あんた、正気なのか……?」
俺のことを知っている人なら絶対に取らない行動。
混乱した頭で必死に考えた結果、1つの理由が頭に浮かんだ。
「もしかして、アイツらに無理矢理やらされて──」
言い切る前に女性が口を挟んだ。
「違う、これは私の意思でやってるの」
その真剣な眼差しに気圧された優は、何も言えなくなってしまった。
女性は続けて喋る。
「少し、話をしよっか」
その声は、その目とは違い、とても優しかった。
「私は藤波美月、優くんはこれから週に1回私とお話をしてもらいます」
美月は優と向かい合って話す。
「…………」
「どうしたの?大丈夫?」
美月は心配そうに見つめる。
「……俺のこと、怖くないんですか?」
小さな声で言う。
美月は少し悩んだ後、口を開いた。
「怖くなかったって言ったら嘘になるね、うん、怖かったよ、やっぱり」
その言葉を聞いて、優は距離を取ろうとした。
「けど今は違う」
顔を上げる。
「だって君、普通の子供じゃん」
そういって美月は笑う。
誰かの笑う顔。
この3年間、笑う顔を見ることも、することも無かった。
普通のことだけど、懐かしい感覚。
「今まで、辛かったよね」
そう言って美月は優しく手を握ってくる。
優は拒まなかった。
これが、学校で38人を毒殺した松浦優と研究員の藤波美月の最初の接触記録である。