未来世界のクローン戦士物語 ☆第八話 クローン先輩☆
☆その①☆
タブレットをド演歌上着のポケットにしまって、部屋の照明をオフにすると、悠は自室を後にする。
マンションを出て、同じ番地の裏側にある六階建てのビルまで、軽く小走り。
法律に則って緑色の太陽光発電塗料で包まれたそのビルは、五階フロアが丸ごと、一般人も利用できるトレーニングルームとして作られていた。
実は組織が一般企業として運営していて、内部のアパレルはほとんど、国や組織の関係企業が入っていたりする。
「ここだよね…」
初めて、大人のビルに入るような緊張感。
玄関の階段を上がって、防衝ガラスの扉を潜り、入り口脇のチェックボックスに、緊張しながらタブレットを提示した。
ピ、と小さな受付け音がすると、少し奥の扉から数秒と待たず、女性の係員さんが現れる。
女性は、地味な制服に地味な化粧で目立たなく、しかし目の光には油断がなかった。
「お待ちしておりました。こちらです」
「あ、はい…」
制服姿の年上女性に連れられて、悠はエレベーターで五階フロアへ。
最奥の扉には「用具室」と表示されたボードが輝いていて、係員さんがデジタルロックを解除すると、室内はトイレットペーパーや小型バッテリーだけでなく、ミネラルウォーターや非常食などの備蓄が押し込められていた。
「こちらです」
言われて狭い室内を通ると、奥にまた扉があって、鍵を開けると隠すように階段が存在している。
短い階段を下った先の扉を開けると、そこは、外から見てもその存在を感じさせない、中五階という隠しフロアだった。
どういう造りなのか、極めて普通の高さの天井と、プレスやランニングマシンやサンドバッグなどが設置された、一フロア丸ごとな運動と訓練のスペース。
運動器具は壁際に配置されていて、スペースの殆どに障害物はなく、まさに運動をする為に設計された隠しフロアだ。
壁の一面、表通り側にだけ窓があり、殊ガラスで出来ている。
外から見ると広告表示の看板スペースだけど、中からは表通りの景色がよく見えた。
「それでは、こちらに着替えてお待ちください」
言いながら、女性の係員さんが壁の一角の収納から、ジャージを取り出して手渡す。
悠がここに呼ばれたのは、クローン戦士としての訓練を受ける為だった。
☆その②☆
青系のジャージは、昔からの素材と作りの、現在でも活用されている普通のジャージだ。
私服のように柄や色を変更する機能が搭載されていないのは、ジャージの目的と合致しないからであるものの、勿論そういう機能が搭載されたファッションジャージも、当たり前に流通している。
「まあ、運動に使うジャージの柄とか、気にならないし」
悠が着替えて待っていると、女性のトレーナーが入室してきた。
女性は、スラっと綺麗なスレンダーシルエットで、悠よりも年上。
長い頭髪をアップに纏め、全身は赤いハイレグのレオタードで飾っていた。
脚部はストッキングで艶々していて、肌の露出よりデザインが気に入っている感じがする。
立ったまま待っていた悠は、緊張しながら挨拶をした。
名前は、すでに聞いている。
「こんにちは…えっと、宮坂さん…。み、水鏡 悠です…」
初対面の相手へ失礼のないように、丁寧に礼をする。
対して宮坂氏は、悠の当たり前な心遣いを、笑顔で受け止めていた。
「ごきげんよう、悠さん。それでは、始めましょう」
落ち着いて上品な雰囲気と、静かな物腰と挨拶の、女性トレーナー宮坂氏。
身長は悠よりも高く、正面で向かい合うと、悠の視線が胸の高さに合ってしまう。
なので少年は、目のやり場に困り、少しキョロキョロしてしまった。
そんな少年の反応を特に気にする事もなく、宮坂氏は少年戦士の訓練を開始する。
「それではまず、室内ランニングから始めましょう。ここを三百周、無理をなさらず、とりあえず走ってみましょう」
「は、はい…!」
(さ、三百周って聞こえたけど…)
運動全般が苦手な少年からすれば、途中でヘバる事が間違いのない、恥ずかしい周回であった。
一周が三百メートルくらいだろうか。先日までごく平凡な高校生だった少年に、正確な目測なんて出来ない。
それでもランニングを始めると、トレーナーの宮坂氏も隣で走り出した。
「は、は、は、は、は、は…」
短い吐息で走りながら、悠と一緒に走る女性トレーナーをチラと見る。
(…宮さんさんって、今は引退しているけど、たしか第一世代のクローン戦士だって…。で、僕の世代は改良が進んだ第三世代…)
と、ハチさんが言っていた事を、なんとなく考える。
「…はい、OKです」
静かに三百周のランニングが終えられると、腕立て五百回や腹筋を六百回や背筋を六百回などの、基礎運動が続いた。
一通りの運動を終えると、全身が程よい熱を持って、身体も柔らかくなった気がする。
そして何より。
「基礎体力作りのメニューは 以上です。如何ですか? この程度の運動では、息切れ一つ しないでしょう?」
「はい、自分でも驚きです」
以前なら、二周もすると脇腹が痛くなって、四週もするとフラフラになって、六週もすると四つん這いになっていただろう、室内ランニング。
しかしクローン戦士として基礎強化された身体は、体力も柔軟性も、以前の少年の比ではないらしい。
少年の、自分への驚きに、宮坂氏は優しい笑みを浮かべた。




