Report94: 孤城落日
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ヤワラートで起きた火災の前日、ラッシュがサムヨット駅で喧嘩の仲裁に当たっていた日の夜。
脚の長い、洒落た椅子に腰掛けながら、ゾフィは酒を楽しんだ。
このバーは別段、酒が美味いわけではない。だが、ここのメニューには故郷を匂わせるジャンクフードがあった。自宅の近辺に純粋なアメリカン料理の店は少ない。バッファローウィング、分厚いピザ、クリスピーフライとポテト、ナチョス。それらがお気に入りで、週に一度は必ず訪れていた。
中でも、トマトバジルサルサの酸味は、彼の最も好みの味付けである。スッキリとした味わいのビールと組み合わせるのが、彼の常套だった。
「ゾフィ。警察から逮捕状が出ている。一緒に来てもらおうか」
彼の背後から声がした。立っていたのは、タイ警察の人間だ。二人組みで黒のユニフォームを着ている。彼らは警察手帳を取り出し、目の前に掲げた。金の刺繍の入ったそれらは紛い物ではなく、冗談ではない事を証明している。
来店した瞬間からゾフィは感じ取っていた。普段と違う、従業員の態度。纏わり付くような人々の視線。何かが、胡散臭かった。
「……酒の余興にしちゃあ、つまらねぇな」
ゾフィは溜息を吐き、フォークを置いた。彼らを一瞥する事もなく、喉の渇きを潤そうとジョッキに手を伸ばす。しかしそれを警官に取り上げられた。
「よぉ、後にしてくれるか?」
「それは出来ない。数々の暴行事件の犯人……おたくらを捕まえる時が来たんだ」
「今、かよ?」
チラリと後ろを見やった。そのゾフィの眼光は、薄暗い店内において、レンズ越しでも分かる程鋭かった。警察官は二人とも、そのプレッシャーに慄いてしまう。
ゾフィは酒の席を台無しにされて怒っているのではないだろう。歪さ、不可解さ。険悪とはいえ、今まで協力関係にあったリセッターズとタイ警察が何故、このタイミングで対峙するのか。解せない事情があると思われた。
そのいけ好かない事情を作り出した人間が居る。その人物に対しての怒りが含まれているように見えた。
(この事をメガミは知ってんのか。連絡してぇ所だが……)
ポケットに入った携帯電話を気にするが、取り出す余裕がなかった。逃げ場はないと判断したゾフィは、強行手段に出る。
ナイフとフォークを掴み取ると、フォークを逆手に持ち替えた。そして振り向きもせず、警官の脇腹に突き立てる。
「クッ、大人しくしていればいいものを……!」
「無駄だ、外は既に包囲してある!」
もう一人の警官がゾフィに銃口を向けた。引き金を引こうとするのだが、銃身を絡め取られた。明後日の方向を向いた銃口から弾丸が発射され、店内に発砲音が響く。客の悲鳴。照明が割れ、視界が明滅した。その一瞬の隙を突いて、警官一人の背中に回りこみ、首にナイフを付き付ける。
「動くな、ゾフィ、出来れば戦いたくない!」
「何言ってやがる、俺だってそうさ!」
「ナイフを捨てろ!」
「そいつは出来ねぇ相談だ」
脇腹に刺さったフォークを引き抜くと、もう片方の警官が叫んだ。だが、ゾフィが聞く耳を持つ様子はない。
銃を向けられたまま、ゾフィは壁際へとにじり寄った。近くに居た一般客が、這うようにして逃げていく。
窓ガラスの向こう、店外では警官が複数待機していた。銃声を聞きつけ、店頭からも数名、警官がやって来る。それを視認すると、ゾフィは舌打ちした。
「ケガ人を増やすのはお前も本意ではない筈だ!」
「……ハハッ、捕まるのも本意じゃねぇよ」
警官の一人がバーカウンターの陰に隠れながら、店内の奥に回りこむ。他の人間が説得するようにして、見事注意を逸らしていた。
ガラス張りの地形をうまく利用した作戦だった。窓ガラスの外から指示を送り、死角を無くしていた。
「五秒数える。ナイフを捨てなければ、撃つ」
「クソが……最後の晩餐がチップスかよ。笑えねぇ」
「五、四、三……」
カウントダウンが始まったと同時、前方の警官に気を取られているゾフィの後頭部にハンマーナックルが振り下ろされる。鈍い音が響き、ゾフィが床に倒れた。持っていたナイフが落下し、耳障りな音を奏でる。
まだ意識があるようで、震える手でナイフを掴もうとするゾフィ。だが、一際大きな音が鳴り響いたかと思うと、ナイフが弾き飛んだ。
ナイフに銃弾が命中したのだ。撃ったのは……タックラー所長であった。
静まり返る店内。だが、すぐさま「確保!」の一声で警官が動いた。筋肉質の大男を警官三人掛かりで運び出していく。
悔しげな表情を浮かべるゾフィだったが、間もなく気を失った。それをタックラーは眉一つ動かさず、眺めていた。
「お前ら~、もうちょっと本気出せ! ワシが居なかったらどうしてた!?」
「はっ、申し訳ありません」
「さっさと運び出せよ~。明日も朝から大変だからな!」
部下を激励すると、タックラーは軽い足取りで店を後にしていく。ゾフィがパトカーに放り込まれるのを確認すると、自身もパトカーに乗り込むのだった。




