Report76: 微笑の国の子ら
「さて、ぼちぼち移動するか」
午後の授業は……選択科目か。
大学では必ず受けなきゃいけない必修科目っていう授業と、自分の好きな授業を選んで受けられる選択科目っていうのがある。
必修科目の単位を落とすと、浪人が決まったりするんだが……タイでもその仕組みは同様だった。午後イチで俺が受けるのは選択科目。
ドイツ語、フランス語などが学べる時間だったのだが、俺が選んだのは日本語――そう、俺が日本人なのに、だ。
百パーセント、これは興味本位で選んだ。どんな日本語を話しているのか。潜入調査だし、ぶっちゃけ出席しなくてもいい。だからこっそり後ろの方で授業を見学する事にしたのだ。
「あれ、もしかしてキャロル?」
「ラッシュさん!?」
教室へと移動する道中。何という偶然だろうか。廊下で、車椅子の少女キャロルに出くわした。
タイ王国連続テロ事件の主犯、リクセンの娘、キャロルだ。以前、何度か出会い、言葉を交わした。一番初めはゾフィとヤワラートで買い物していた時だっけ。
色々とあの後心配をしていたんだが……こんな偶然ってあるのか?
いや、そもそもここは大学なわけで。キャロルは確か小学生だった筈だが、何故……。
「親戚が通ってまして。お弁当を届けに」
「大変だね……。というか偉いね!」
驚き、固まっている俺の頭の中を察したのだろう。やや戸惑いながらもそう答えてくれた。
本当に賢い。頭の良い子だ。
それに、あんな事件があったからだろうか。小学生とは思えない程、大人びた印象を受けた。
俺の返答に謝辞を述べると、そのまま申し訳なさそうに帰っていった。
その背中を、手を振りながら眺める。万感の思いがそこには感じられるような、そんな気がした。
キャロルの父親であるリクセンと俺達は戦った。結果、こちらも相当の深手を負った。しかしそれ以上に、リクセンを死なせてしまった。
俺達が殺したのではない。リクセンがトラックへと自ら飛び込んだのだ。そうして亡くなった。
あの時、近くにキャロルが居た。娘の手前、父親なりに思う所があったのだろう。ケジメか。それとも自らの誇りか。
最期を、無様な姿を娘には見せまいと、自決したのかもしれない。
キャロルからしたら、父親を殺したのは俺達のようなものだ。戦い、リクセンを追い詰めたのはリセッターズとブラックドッグだから。
父の仇と思われても仕方がない。
しかし、キャロル自身、分別が付いているのではないか。父が罪人である事、リセッターズが人々の為に行動した事、裁かれた事。
そしてその結末を……。
「本当、立派な子だよ。俺なんかよりも、ずっと」
思わず、本音が零れた。
罪を犯した俺だからこそ、そう思う。第二の人生を与えられてから、俺は贖罪の毎日だ。
子供の人格形成と精神的成長が環境にあるとするならば……。
リクセン、あんたは最高の親だったんじゃないかな。
やがて、授業が始まった。俺は一番後ろの席で、伊達メガネをして、ひっそりと受けた。
教室は深々として、生徒が熱意をもって日本語を学んでいる事が知れた。講師はタイ人だけど、日本出身の俺が聞いても、綺麗な日本語の発音であった。
今日は平仮名の読み書きのようで。後半のカリキュラムでは漢字を書いたり、一人で喋らされたりするらしい。
漢字なんて書けなくてもいいだろ。
日本人も書き間違えたりするんだから。ケイン・○スギみたいに喋れれば十分だ。
ファイト、イッパーツ!
キミモ、パーフェクトボディ!
……しかし、日本語なんて世界で日本しか使っていないのに、よく講義を受ける気になったな。
ふとそんな疑問を抱いたので、隣の席に居た男子学生に聞いてみる。
話しかけると、ちょっと驚いた様子で彼は答えてくれた。
「あー、日本のアニメ、漫画に興味があるんだよね」
行く行くは日本に観光へ行き、現地のオタク・カルチャーに触れたいらしい。
なるほどなるほど……。やっぱジャパン・アニメーションか。
スシ、テンプラ、サムライの時代は終わりを迎えたのだ。今はきっとナルト、エヴァ、ドラゴンボールなのだろう。
彼の名前はティラシンというらしい。実は別の科目でも一緒で、顔を見た事があった。
明日の授業でも同じだった筈だ。だからこそ、勇気を出して話してみたのだが……普通に良い子だった。
タイには夢が溢れているな。素晴らしい事だ!
そう考え、何やら悟りを開いた俺は、授業を抜け出した。
サボりではない。これは……潜入調査なのだから。
「現場を見ておきたいんだよね……」
俺が向かったのは、インターネットの掲示板で書かれていた所在だ。犯行現場なのか、取引現場なのかは不明だ。
だが、先程まで受けていた語学の授業と、場所が近かったのだ。
「五〇五号室、ここだよな……?」
扉に手を掛けてみた所、施錠されている事が分かった。ドアは開かず、中の様子も暈しが入っていて見えない。
扉の隙間から見えないかな?
「君、何やってるの?」
「え、あ! すみません!」
突然、背後から話しかけられた。驚いて振り向くと、そこには白衣を着た男性が立っていた。
髪と髭が真っ白の年配の男性……サムチャイ教授だ!
「いや~、サボってランチを食べられる場所を探してまして……」
疑いの眼差しを向けられ、適当な嘘をついてみる。
すると、サムチャイ教授は怒るわけでもなく、深く溜息をついた。
「君みたいなのがこの大学に居ると思うと、恥ずかしいよ……」
「す、スミマセン」
どうやら本気で呆れている様子である。俺は苦笑いを浮かべ、逃げ帰るように立ち去った。
……今のがサムチャイ教授か。大学を貴ぶ良い先生に見えたけどな。




