下
それから私は魔女さんのお店へ二度と行くことはなかった。
月日は流れ、10年が経過した。そのころには魔女さんとのことはすっかり忘れてしまっていた。寸胴だった体は女性らしいものになり、お腹の中に子供を授かった時だ。
「大変だ!」
家の扉を乱暴に開けた父の大声に身を固くした。その後ろから木でできた質素な担架に夫が横たわっていた。外は大雨、落雷なんかも轟いている。
「崩落が起きて、そのそばに…」
いろいろ説明されたが耳に入ってこない。目の前の愛しい人は苦しそうに呻いて。所々に血が付き、泥だらけだ。足が巻き込まれてしまったのか、赤く腫れ上がっている。男たちがベッドになんとか寝かせ、私に耳打ちをしてくる。
「この天気だ、医者なんて呼べない…おそらく高熱がでるだろうから看病をしてやってくれ」
医者なんて気軽に呼べるお金もないが、どんなことをしてでも看てほしかった。だが崩落という話、天気などを考えて馬車などを出すのも難しいことは想像に容易い。
「ど、どうすれば…」
うろたえると男たちは心底済まなそうな顔をして私の肩をたたいた。
「…何か手伝えることがあれば言ってくれ」
そういって、私と夫を残して去っていってしまった。夫の体についた泥などを濡らした布で拭い、額にも濡らし布を当てる。意識はない。話すこともできない。時々苦しそうな呻き声が聞こえるだけ。涙が零れる。
「どうして…神様…」
膝を床について手を組む。夫も私も正直に生きてきた。幼馴染ということもあり、結婚当初は気恥ずかしかった。だけど、夫も私も努力して歩み寄り、愛情を育んだ。それがお腹の証なのに…。
夫を失ってしまうかもしれない。その恐怖に体が震える。子供2人で生きていけるだろうか。そんなことを考えていると、ふとある人の顔が浮かんだ。
「…魔女さん…」
言葉にして、頼っていいのか分からない気持ちになったが、夫の呻き声を聞いて私は立ち上がった。
「待っていて!いいお薬もらってくるわ!」
そういって、簡素なローブを羽織って、大荒れの天気の中へ足を踏み出した。
―ザァァァァァ、ゴロゴロ、バキバキッ
外はバケツをこぼしたような大雨。雷は轟き、真っ暗な空に時々一筋の光を落とす。そしてすぐに轟音が轟く。視野が悪い中、慎重に私は西の森へ足を踏み入れた。小さいときに何度も訪れた道だったが、森は数か月で表情を変えるものだ。生えていた木は切られることだってある。その逆で生えていなかった木が生えたり草が生い茂ったりする。まったく知らない顔をした暗い森に私はどんどん足を踏み入れた。
「魔女さん!お願い!魔女さん!」
雷にかき消されながら大声を上げる。
どうか気づいて。夫は手遅れかもしれない。だけど、でも何もしないよりは何かしたい。してほしい。
水が頬を打ち付ける。口の中にも入りこむが構うものか。
「魔女さん!お願い!お願い!」
涙があふれる。魔女さんにひどい言葉をかけた記憶が思い出される。あの優しい魔女は私を恨んでいるかもしれない。魔女さんが私を遠ざけた理由はきっと私に悪い噂がつかないようにしてくれたのだろう。大人になった今は理解できる。魔女さんの優しさ。
「魔女さん!魔女さん!お願い、助けて!」
「また迷子にでもなった?」
その言葉を聞いて、私は固まる。声のしたほうに顔を向ける。真っ黒なローブに身を包んだ、おそらく魔女さんだろう。深く被られたローブのせいで表情は伺えない。
「魔女さん、お願い!夫を助けてほしいの!」
「店で話を聞くわ」
魔女さんは静かな声でそういうと私に白くて華奢な手を差し出してくれた。私のお腹を気遣ってくれたのだろうか、手を私の体を支えながら店まで案内してくれた。華奢な手を見つめつつ、私は違和感を感じた。
この人の手はこんなに小さかっただろうか。
森を抜け、見慣れたお店が現れると少しだけ安心した。魔女さんにお店の中に促される。中に入って、懐かしさで胸がいっぱいになった。そこは10年前と何ら変わっていなかった。水をたっぷり含んだローブを脱ぐと丸テーブルの椅子へ案内された。魔女さんもローブを脱ぐ。
「…噂でも、真実ってあるのね…」
思わずつ私は呟いた。そこには10年前にあった時と同じ魔女さんが立っていた。魔女さんは困ったように笑いながら私の反対側の椅子に腰かけた。
「助けてって言っていたけど、どうしたの?」
その言葉にハッとなり、私は慌てて魔女さんの肩を掴む。
「夫が!崩落に巻き込まれて足を怪我したの!それがすごく酷いみたいで熱が…」
状況を説明しようと思ったが全身が震える。夫を亡くすかもしれないという恐怖で涙が眼尻にたまる。そんな私をあやすように、魔女さんが私のそばへ駆け寄ってくれた。
「大丈夫よメアリー、あんまり不安になるとお腹にも悪いわ」
「でもっ、でも…」
「すぐ薬を作るわ、待っていて」
そういうと魔女さんは奥へ行ってしまった。
どうしよう、どうしよう
不安な気持ちに押しつぶされかけていると、魔女さんが戻ってきた。その手にはマグカップと清潔そうなタオル。
「まず体を温めて、着替えもあるからこれを着て」
そう言われ、それらを受け取る。なんだか昔に戻ったようで私は思わず顔を綻ばせる。それをみた魔女さんが満足そうに笑った。
「そう!メアリーはそうやって笑ってなきゃ」
そういって今度こそ置くに引っ込み、しばらく出てこなかった。
その間に私は受け取ったものに着替えて、髪の毛をタオルで拭った。マグカップに入っているものを飲み干す頃には体が温まり、気持ちも少し楽になった。
「できたよ!」
そういうと魔女さんは勢いよく奥から飛び出してきた。手には小ぶりの紙袋。
「何日熱が続くかわからないけど、このくらいあれば足りるでしょう」
その言葉に私は身を固くする。それに気づいた魔女が慌てたように弁解した
「私の薬は万能だから大丈夫だと思うけど、念には念を入れてよ」
そういって、私に紙袋を持たせる。ずしりと腕に重みがかかる。それにまた不安な気持ちがぶり返してきた。
「わ、私一人なんて…」
「…私はいけないわ。あなたと、あなたの家族のために」
どこに村の人の目があるか分からない。魔女さんの言葉はそういっていた。魔女さんを家に招いた場合、懇意にしている、贔屓してもらっていると悪口を言われるだろう。それが村にとっての『嫌悪の対象』だったら尚更だ。
「魔女さん…私頑張る」
「えぇ、メアリーは偉いわ。使い方はすべて紙袋の中に入っているから確認してみて」
「色々ありがとう魔女さん」
魔女さんと向かいあって、先ほどの違和感の正体を理解した。成長した私は魔女さんと同じ目線になってしまった。華奢だと思っていた手は私が成長したからこそ感じた引っかかりだった。
この人はこんなに小さかっただろうか。
そんなことを思いつつ、私は魔女さんを見据える。あの時の記憶が思い出され、私の胸を締め付けた。口を開きかけた時、魔女さんが私の体を扉に押しやった。
「早く!旦那さんが待っているわよ!」
「えっ、私言いたいことが…」
「そんなの後でもいいから!早く!早く!」
魔女さんがさらに私を押した。私は観念して、お店のドアノブに手をかけた。
「次会ったら、話聞いてください」
そういうと魔女さんが穏やかに笑った。そしてまた私の背中を追いやった。慌ててドアノブを開ける。その瞬間、後ろから魔女さんの声がした。
「メアリー、私、あなたのこと大好きだったわよ」
「え?」
その言葉に後ろを振り返る。でもそこには見慣れたお店はなかった。お店というか外でもなかった。見慣れた木製の扉。見慣れた木造の家。まさしく私の家だった。
本当に魔法使いだったの?噂もバカにできないのかもしれない…
一瞬、訳が分からなかったが、夫の呻き声でハッとさせられた。慌てて紙袋の中を確認する。そこには丁寧な字で処置の仕方、薬の飲ませる間隔が書かれていた。私はその通りに三日三晩看病に費やした。村の人は私を憐れんで食事などを分けてくれた。
看病の末、夫は足を引きずりながらも動くことができるまで回復することができた。ベッドで呻いていた数日前が嘘のようだ。夫はよく寝て、よく食べた。そんな夫に喜びの涙を浮かべる。その報告へ行こうと天気のいい日に西の森へ足を踏み入れた時だ。
「あら?」
何度進もうとしても同じところをループしていると気づいたのは3度目に当たりをつけた木を見つけた時だ。どうやら魔女さんの力が働いているようだ。
「魔女さん!私、魔女さんに謝りにきたの!」
そう大声で言っても、ループは続く。日が暮れてきたときに、やっと魔女さんが本気で私に会いたくないことに気が付いた。
「…魔女さんは…謝られるのも困るってこと?」
そんなことを呟いて私は口を歪ませる。なんて人だろう。確かにひどい言葉を投げかけたのは私だ。でも、謝らせて、弁解させてくれないとは一体どういうことなのだろうか。自分は私に気持ちを伝えてすっきりしているのかもしれないが、私も言わせてほしい。
森に背を向けて、自宅の帰路を歩みつつ、私は考える。
謝ったらいつもみたいに嫌味を言ってくれればいいのに。なんて不器用な魔女さんなのだろうか。きっとどう答えていいかもわからなくて逃げ出したのだろう。そう考えて私は溜息をつく。
「私の子供ができたらアップルパイでも持たせて伝えてもらおうかな」
私は少し大きくなったお腹を擦る。魔女さんは暗い森の中で一人。私が迷い込んで、構ってくれたのはきっと寂しさを和らげるためもあったのだろう。
どうか、魔女さんが独りで寂しく泣いていませんように
どうか、あの優しい魔女さんに良いご縁がありますように
私はオレンジ色に染まった空を見つめ、神様に祈った。