上
「ねぇ、魔女さん、どうして名前を教えてくれないの?」
私がそう聞くと、魔女さんは真っ赤な唇の端を意地悪く持ち上げて美しく笑った。
「教える必要がないからよ。私のことなんてすぐ忘れるわ」
「忘れないよ!魔女さんは私の命の恩人だし!」
そう、この意地悪な魔女は私の恩人なのだ。私が西の森で迷子になって泣いているところに出くわした魔女さん。魔女さんは鬱陶しそうな顔をしつつ私に帰る道を示してくれたのだ。森を抜けだせた私が振り返るとそこには穏やかな笑顔を浮かべた魔女さんが立っていた。あの穏やかな笑みを忘れることができなくて、足繁く私はこの魔女の家に通っている。
「恩人なんて言葉よく知っているわね。最近はしっかり教育が行き届いているのかしら」
魔女さんはよく分からないことをブツブツ呟きながら奥に引っ込んでしまった。手持ち無沙汰な私はお店の中を見渡す。こぢんまりとしたこのお店は魔女さんが営む薬屋さん。近隣の村の人は気味悪がって近づかないがよく効く薬という噂を耳にする。カウンターの横には小さい丸テーブルとイスが向かい合わせに置かれていた。私はそこに腰かけつつ、カウンターの奥、さらに奥の部屋へ続くカーテンが引かれた部分へ目を向ける。さきほど魔女さんが消えた部屋に続く。奥の部屋へ入ることは憚れるが、おそらく様々な薬草や薬が並んでいることだろう。想像して楽しくなってきた頃、カーテンから魔女さんが顔をのぞかせた。
「あら、まだ帰っていなかったの?」
鬱陶しそうに言いつつ出てきた魔女さんの手にはマグカップとお菓子が入ったお皿。
「わぁ!魔女さんありがとう!」
「…あんたにあげるなんて言ってないわよ」
うんざりした顔をして魔女さんはそれらを私の目の前に置いた。私は気にせずクッキーに手を付ける。魔女さんは私の向かいに腰掛けつつ口を開いた。
「ねぇメアリー、あなたもうここに来ちゃだめよ」
その言葉にきょとんとした私は首を捻る。
「どうして?」
「呪いをかけられるわよ?もしかしたらそのクッキーだって何か入っているかもよ?」
「私になにかしたら村の人はきっと怒るわ。村の人を敵に回して魔女さんに何か得があるの?」
そう聞くと魔女さんの顔が明らかに固まった。
「子供らしくない子供って可愛くない…」
魔女さんの真っ赤な唇が歪む。私はまた首を傾げて新しいクッキーへ手を伸ばした。クッキーを頬張りながら魔女さんを見やる。
真っ黒なウェーブがかった髪。たわわな胸にかかる黒い絹は艶っぽい。目はぱっちりしていて、少し釣り上がるそれは意志の強さを表しているようだ。真っ赤な口紅が引かれた唇はぷっくりしていて、女の私から見てもセクシーだ。
「何?」
私の視線に気づいたのか、魔女さんは少し嫌そうな顔をした。
「私も魔女さんみたいに綺麗だったらよかったのに…」
そう言って自分を見る。茶色ワンピースに身を包む体はひたすら寸胴だ。顔だってそばかすばかりでパッとしない。そんな私に魔女さんが笑う。
「まだ6歳でしょ?これからよ」
「でも13歳になったらお嫁にいくの。村の幼馴染のところに」
「…そう」
「だから早く大人になって、子供が欲しい」
私の住む地方は13歳は成人として見られ、結婚も可能になる。また、村では子供を産んで一人前の女といった風潮がある。だからこそ私は早く大人の仲間入りをしたかった。
「…子供が子供を欲しいなんてね」
魔女さんは悲しそうに笑って、私の頭に手を置く。
「子供扱いしないで」
むっとした顔をすると魔女さんは可笑しそうに笑った。
「子供は子供扱いされるものよ」
撫でられる手にくすぐったさを覚えながら、自然と私も笑顔になった。
魔女さんと一緒にいる時間は楽しい。一日の大半を畑仕事と家事で終える私。親の目を盗んで魔女さんのお店へ来てクッキーをもらっている。大人になりたいなんて言っていながらだ。
「私はメアリーのこと気に入っているわ」
魔女さんが私の頭から手を離しつつ穏やかな表情を浮かべた。だけど、次の言葉に私の心臓は鷲掴みにされたようになった。
「でもね、相手が決まっているなら尚のこと、ここに来たらいけないわ」
真剣な表情だった。私は椅子から立ち上がって、声を張り上げる。
「嫌よ!私は魔女さんのこと大好きなの!?どうしてそれがいけないの?」
「メアリー、村の人は私を毛嫌いしているわ」
「魔女さんに助けられた村の人もたくさんいるわ!どうして私たちに歩み寄ってくれないの?私たちは魔女さんを受け入れられるわ!」
村の人たちの顔が思い出される。みんな笑顔の優しい人たちだ。どんな人にも手を差し伸べる。近づくのを怖がっているのは魔女さんのほうだとずっと思っていたのだ。
魔女さんは先ほどと同じ顔をしながら穏やかに口を開いた。
「メアリー、私は年をとらない。そろそろ100歳を迎えるわ。人は自分と違うものを恐れる生き物なのよ」
「嘘つき!嘘つき!」
年を取らない、妖怪、魔女、幽霊たくさんの噂が魔女さんにはあった。でも子供ながらにそんな噂が真実ではないとわかっていた。私は魔女さんが本当のことを言ってくれないと思い、悔しさに泣きながら大声を上げた。
「魔女さんのこと大好きだったのに!どうしてそんな嘘でごまかすの!嘘つき!」
私は魔女さんの家を勢いよく飛び出し、森を抜けて帰路についた。