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公爵家子息と公爵家養女(レイン視点)

「……レイン嬢。背後のアレは放っておいていいのか?」


 隣を歩いているハミーちゃん様が、小声でそう言いながら頬に冷や汗を浮かべた。


 ――背後のアレ。


 世界で最も美しく麗しく尊い、その存在は花の香りのように繊細さと華やかさを両立させており、体は言わずもがな心の中の隅々までお美しく汚れなき、私の大事なお姉様と。

 ……腹黒地味糸目のことね。


 お姉様ったらどうしてあの糸目が好きなのかな。どこからどう見ても地味の権化みたいなあの男を!

 というか腹黒糸目は贅沢すぎない?! お姉様になんの不満があるのよ!

 あの糸目は明らかにお姉様に気があるくせに、口先ではお姉様の気持ちを拒むのだ。

 今も気のないふりをして、お姉様とイチャイチャイチャイチャと……バレていないと思っているのかしら! ピンク色の空気がだだ漏れなのよ!


 お姉様と糸目が結ばれようとすれば、そりゃあ困難はたくさんあるだろう。

 あの腹黒王子が本当に婚約解消してくれるとは思えないし。お姉様はあんなに素敵なんだもの。私だって、婚約者なら絶対に解消しない。

 まぁ、駆け落ちくらいしか選択肢はないわよね。そうなるとあの糸目のご実家はお取り潰し……悩む気持ちもわかりますよ。家族って大事よね。

 だけどさ、私なんて性別が女だからお姉様とはどうやっても結ばれることがないのよ! 贅沢なのよ、あの腹黒糸目は!

 ああ、私が男だったらなぁ……性転換薬、本当にどこかにないかな。

 男になって、腹黒糸目にお姉様がフラれたら颯爽と私が攫ってしまえば……


「レイン嬢?」


 ハミーちゃん様から怪訝そうに声をかけられ、私は我に返った。


「お姉様と腹黒糸目のことなら、いつものことなので」

「……あの従者にマーガレット嬢がご執心なのは普段の様子から感じていたが。あれは、その」


 彼は背後に軽い視線を投げながら、言いづらそうに言葉を濁らせた。

 ……本人たちはどう考えていても、腹立たしいことに両想いに見えますよね。親しい人で気づいていないのは、ちょっとにぶ……いや、純粋なアベル様くらいよ。

 ハミーちゃん様は王子の婚約者なのに従者とそんな関係なんて、とか。そういうことが言いたいのかしら。それとも、王子に告げ口でもするつもり?


「……ヒーニアス王子も、お姉様の執心を知っているので。言いつけても無駄ですよ」

「そんな卑劣なことはしない!」


 私の言葉にハミーちゃん様が少し声を荒げた。

 そっか。考えてみたら、ハミーちゃん様はそういう卑怯なことをするタイプじゃないよね。悪いことを言っちゃったな。


「ごめんなさい。ハミーちゃん様はそういうことをする人じゃないって、わかっていたのに。お姉様が心配で口が過ぎました」


 私はそう言ってぺこりと小さく頭を下げる。するとハミーちゃん様は、複雑そうな顔をした。


「マーガレット嬢は、あの従者を愛人にでもする気か?」

「内緒です」


 お姉様が婚約破棄に向けて頑張っていることは、トップシークレットだ。

 私はきっぱりとハミーちゃん様に言った。


「なんですか? ハミーちゃん様はお姉様のことが好きなんですか? だからお姉様の色恋の話が気になるんですか?」

「なっ!」


 これ以上お姉様に関するライバルが増えるのは困るのだけど!

 矢継早に発せられた私の言葉を聞いたハミーちゃん様は、真っ赤になって言葉に詰まる。そして小さく、咳払いをした。


「私は、他人の婚約者を不埒な目で見るような男ではない。マーガレット嬢にそのような気持ちは持っていない」


 ハミーちゃん様はキリリとかっこよく言ってみせたけど、本当かな? 少なくともお姉様のお胸はよく見てるよね。思春期男子の生理現象なのかな……ツッコミを入れるのは止めておこう。


「じゃあ、なにが気になるんです?」

「……不幸な夫婦は増えない方がいい、というのが私の持論だ」


 その言葉を聞いて私はクラスの噂話を思い出した。ハミーちゃん様のお父様には愛人がいて、本妻……つまりはハミーちゃん様のお母様を蔑ろにしている、という噂を。

 お父様と愛人は恋仲だったけれど身分の違いで結ばれることができず、仕方なくハミーちゃん様のお母様と結婚した、とか。女の子が好きそうな噂話だなーと思いながらも聞き流してたんだけど、彼のこの雰囲気だと本当のことなんだろうなぁ。

 ……そりゃあ、お姉様と腹黒糸目がイチャイチャしてると複雑な気持ちになるだろう。彼が潔癖気味なのも、そのあたりの家庭環境が影響しているのだろうか。


「お姉様は幼い頃から腹黒糸目に恋をしてるんです。その恋を叶えようと、頑張ってたんです。……だから私は、腹黒糸目とお姉様には、どういう形であれ幸せになって欲しいです」


 複雑な思いを抱いているだろうハミーちゃん様に申し訳ないな、と思いながらも私は言葉を紡いだ。

 お姉様の幸せのためには腹黒糸目が一番重要なピースであることは、お姉様を長年見てきたからわかっている。お姉様の笑顔を曇らせないためにも、腹黒糸目にはお姉様を幸せにしてもらわないと。

 お姉様を不幸にするようなら、本当に私が攫って逃げるんだから。そして長い時間をかけてでも、お姉様を幸せにするの。


「レイン嬢は本当に、マーガレット嬢のことが好きなのだな」


 ふっとハミーちゃん様の表情が緩み、繊細な美貌に笑みが浮かんだ。


「ええ、私。お姉様が大好きです!」


 私の言葉を聞いたハミーちゃん様の表情がさらに綻ぶ。


「……マーガレット嬢も、レイン嬢も。幸せになるといいな」


 そして優しく、言葉をかけられた。

 ――『レイン嬢』も。


 お姉様の幸せが私の幸せ。それは間違いないのだけれど。

 お姉様と腹黒糸目の恋が成就した後……私は、どうすればいいのかな。

 ……私の幸せって、なんなのだろう。


 深く考え込んでしまう私を見て、ハミーちゃん様が小さく首を傾げた。

はじめてのレイン視点でございます。

いつもわちゃわちゃ騒がしいレインさんですが、お姉様のことは割とよく見ています。

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