令嬢は遠足のような冒険をする9
「ふぇーい……」
私は妙な声を漏らしながら、目を開けた。目の前に広がるのは綺麗な青空。そして緑が眩しい美しい木々。体を包み込むのは木漏れ日の暖かさ。体の下は優しい芝生のような感触だ。
「大丈夫~? マギー」
「お姉様ぁ……お加減はいかがですか?」
水色の髪と、茶色の髪と。タイプの違う美少女二人が心配そうに私を覗き込む。そうか、ここは……。
「……ここは天国か……」
「いえ、リンゲル草の自生地ですよ、お嬢様」
私の言葉に間髪入れずにフランが言った。
そうか。私はフランに荷物のように担がれた後に、気絶してしまったのね。そうよ、担がれている間の記憶がまったくないんだけど! 推しの過剰供給ですぐに意識を飛ばしてしまう自分を呪いたい。フランの体温や匂いを堪能したかった……!
……二度あることは、三度ある。チャンスはまた訪れるか。
私は、基本的にとてもポジティブな人間なのだ。気を取り直して身を起こし周囲を見回す。するとそこは開けた場所になっていて、キラキラと光を反射する綺麗な泉が見えた。その透明度は信じられないくらいに高い。
「わぁ、綺麗……」
私はふらふらと泉に近づき、そしてその水を手に掬い取った。水はひんやりとして冷たい。この泉は数々の人や動物の喉を潤しているのだろう。
「お嬢様、腹を壊すかもしれないから飲んではダメですよ」
……口を付けようとしたらすぐさまフランに制止された。そうね、こんなところでお腹なんて壊したら悲劇である。『公爵家令嬢山中でお腹を壊す!』なんてフランにそんな無様な私を見られるのは嫌だわ!
「ええーっと、じゃあリンゲル草の絵を配りますね。似ている雑草があるので、それにご注意してお探しください。雑草の方に毒はないので、間違って採取しても問題はないのですが……」
アベル様が手書きのリンゲル草の絵を皆に配っていく。彼は相変わらず絵がお上手だ。
「わぁ、すごいわね! アベル様!」
その精密な絵に感嘆の声を上げると、アベル様は照れたような笑いを浮かべる。うん、メカクレモブ男子のテレ顔、めちゃくちゃ可愛いわ。
アベル様から渡された絵を改めて見る。……これは、前世で言うレンゲソウによく似ているわね。ふわりと先が広がった、赤みのある花がついている草だ。
「アベル先生。私お腹空いたわ~」
ではいざ探しに! と気合いを入れた私の気合いが抜けるようなことをキャロが言う。キャ、キャロ……。たしかに朝学園を出発し、そこからここまで3時間半。陽はてっぺんまで昇りお昼時であることを主張している。
くるる……。
意識をすると、こちらもお腹が減っているような気がしてくるわけで。私とレインのお腹も同時に鳴った。
「お姉様、お腹が空きました……」
レインが眉を下げて愛らしい顔で訴えてくる。うちの義妹は可愛いなぁ。私はレインの頭を二度三度と優しく撫でた。するとレインは猫のように目を細める。えへへ、このままずっと義妹を愛でていたいけどそんなわけにもいかないわね。
「えっと、どうしましょう? マーガレット様」
「お弁当を、私作ってきたんですよ」
困ったようにこちらを見るアベル様にそう言うと、私はフランに担いでもらっていたナップザックに手をかけた。そして中から大きなお弁当箱を二つ引っ張り出す。……食いしん坊のキャロもいるし、男の子も三人いるし……。足りるかなぁ。たくさん作ったつもりだったけれど不安になってきた。
「マーガレット様が作ったのですか?」
アベル様はきょとんとした顔をする。それもそうだ。ご飯を作ろうなんて酔狂な令嬢はこの世界にはあまりいないだろう。
「マーガレット様は料理がお上手なんです。まさに女神の手腕ですね」
ホルトが誇らしげな顔をするけれど、女神はお弁当を作らないと思うのよ、ホルト。
フランが広げてくれた布の上でお弁当を開くと、興味津々に覗き込んでいた皆から『お~』という感嘆の声が上がった。
一つ目のお弁当箱はサンドイッチ。
具材は卵を潰して味をつけたもの、きゅうりとハムを挟んだもの、ハンバーグと葉物野菜を挟んだもの、と割とオーソドックスである。ちなみにナップザックには魔法の保冷剤を入れていたので、お弁当が腐る心配はない。
このサンドイッチの肝はなんといっても、パンが私の手製であること。日曜日に趣味で食パンを焼いていたOL時代のスキルが遺憾なく発揮されている。
最初はおにぎりにしようと思ったのだけれど、お米を丸めるのよ! とフランに力説したら微妙な顔をされたのでこちらにした。この世界にもお米自体はあるんですけどね。前世で言うインディカ米に近い少しぱさついたものなので、冷静に考えるとおにぎりには向いていなかっただろう。……日本米、ないのかなぁ。
二つ目のお弁当箱はおかずの詰め合わせだ。
サンドイッチの具として作りあまったハンバーグ、きつね色にからりと揚がった唐揚げ、豚肉のアスパラ巻き、鶏肉と細かく刻んだ野菜を甘辛く味付けしたものを手製の春巻きの皮に包んで揚げた当世風春巻き、タコの形にした腸詰め、自家製ピクルス……。できる限り前世っぽく、を意識したラインナップになっている……はずだ。
それに加えて何枚か焼いたパンケーキが入った箱を取り出し、バターを乗せて蜂蜜をかける。えへへ、デザート、大事ですもんね。
私は前世で神と崇めていたお料理研究家春原ハルミ先生の顔を思い浮かべる。ハルミ先生、私、今の人生でも貴女の教えに従って頑張っています。
「マギー。貴女、女神ね……」
キャロライナの目はお弁当に釘付けになっている。キャロ、貴女ホルトみたいなこと言わないで。
「お嬢様は料理だけはお上手なので。安心して食べてくださいね、アベル様」
フラン、他は壊滅的みたいに言わないで。……そうかも、しれないけど。
「じゃあよければ。食べてね、皆」
そう声をかけると待ち侘びたように皆はお弁当に食らいついた。
……予想はしていたのだけど。
お弁当は儚い命で、二十分も経つ頃には綺麗に平らげられてしまった。
いや、二十分よく頑張った、と褒めるべきなのだろう。
こうして人心地ついたところで。私たちはリンゲル草の探索を開始したのだった。
遠足といえばお弁当ですよね。本当に遠足のような冒険なのです。




