令嬢は遠足のような冒険をする5
フランが操る馬車に乗り、王都の喧騒を抜けて街道に出る。街道には商家のものらしい馬車が何台か走っており、重そうな荷台のそれらを追い抜く際に、ちらちらと御者からこちらへ目を向けられた。レンタルした馬車は普段使いのものよりも格が落ちるとはいえ、明らかに高価なものだ。あちらが興味を惹かれても仕方がないだろう。
皆は馬車の中で思い思いにくつろいでいる。
キャロライナは小柄なアベル様をお膝の上に乗せて上機嫌だった。……キャロ、普通男女が逆なんじゃないかな。アベル様は泣きそうな顔で救いを求めるようにホルトを見るけれど、口を出すと二次被害を受けかねないホルトは涙目で首を横に振るばかりだ。
レインは私の肩にもたれかかって図書館で借りた本を読んでいる。酔わないのか少し心配になるけれど、様子を見るに平気そうだ。三半規管が強いのね。水色の髪をさらさらと撫でると、嬉しそうに笑うのが愛らしくて。私はレインの髪をずっと撫でていた。
窓の外に目を向けるとぽつりぽつりと民家がある農村地帯を通る最中だった。王都から少し離れただけなのに、すぐに緑が多くなるんだ。そんなことを思いながら農村の景色を眺め、目が合った農家の子供にこっそりと手を振る。そんな風に過ごしながら、馬車での短い旅の時間は過ぎていった。
「もうすぐ着きますよ、お嬢様」
御者台の小窓を開けてフランがそう知らせてくれた。それを聞いて窓から少し顔を出し、前方を見ると優しい色の緑に覆われた低山が視界に入った。
「あれが、ゾーリン山なのね……」
目的の万能薬になる草……リンゲル草、という名前だとアベル様が教えてくれた……の生える泉があるところ。私とフランとの結婚への、希望の第一歩。ちゃんと見つかるといいな、そして見つかったらあの腹黒王子が功績として認めてくれるといいんだけど!
「リンゲル草、生えているといいですね」
アベル様がにこにこしながら声をかけてくる。……キャロのお膝の上で。馬車に乗っている間抱えられっぱなしで、彼も慣れてしまったらしい。キャロはしっかりとアベル様の腰に手を回して背中にぐりぐりと頬を寄せていた。足とか、痺れないのかな……。
「きっと、見つかるわ!」
そう言ってにっこりと笑った瞬間、馬車が少し揺れて停車した。どうやらゾーリン山に着いたみたいね。
「じゃあ、行きますか」
ナップザックを背負い馬車から降りると、ゾーリン山は目の前だった。低山とはいえ高尾山のように道が整備されているわけじゃないし。気を引き締めないとね。
私に続いて皆も馬車を降りる。するとフランが馬車から馬を外し、立木に繋いだ。
「お嬢様。貴女は皆様より粗忽なのですから、手間をかけさせないでくださいよ」
馬を繋いだ後、フランが発した第一声はそれだった。し、失礼ね! 低山の登山には慣れてるのよ!……前世で、だけど。
「足元がいいとは言えませんけど、山菜取りの方々が使う山道もありますし。泉があるのは山の中腹なので、ご令嬢でも登れると思いますよ」
アベル様がそう言いながら地図を広げる。それをレインとキャロが興味津々に覗き込んだ。
「傾斜も少ないようだし。このお山で中腹だったら、本当にピクニックって感じよねぇ~」
キャロがのんびりと地図と山を見比べながら言う。レインも横で余裕綽々という表情をしている。
「レイン様もキャロライナ様も足元には気をつけてくださいね。それと日差しが今日は強いので、こまめに水分は取ってください」
フランが二人に、なんだかお母さんみたいなことを言っている。いいなぁ、私には世話を焼いてくれないのかな。また手を繋いでくれたり、しないかな。
そんなことを考えながら視線を周囲に彷徨わせた時。私は、ホルトが皆の輪から離れたところにいることに気づいた。
彼はぼんやりとゾーリン山を見上げている。その表情は昏く沈んだもので……。それを見つめていると心に、不安が走った。
「……ホルト?」
そっと近づき彼の腕に触れる。するとホルトは一瞬びくりと身を震わせた後に、私に怯えるような目を向けた。
「大丈夫? 気分でも悪いの?」
私の問いに、ホルトは曖昧な笑みを返す。心配になりそっとその額に手を当てると、熱はないようだけれど……じっとりと額は冷や汗で濡れていた。
「だ、大丈夫です、マーガレット様」
ホルトは青い顔で力ない笑みを浮かべる。私はホルトの手を握り、彼の緑色の綺麗な瞳をじっと見つめた。
「……本当に、大丈夫?」
「大丈夫です。ただ……」
「ただ?」
ホルトは胸のあたりを握られていない手でぎゅっと押さえる。そこは看病した時に見た胸の……大きな傷がある場所だった。彼はその傷が痛むかのように苦しげな顔をした。
「……この場所を、俺は知っているような気がして」
ホルトの言葉に私は目を丸くした。それってこの山が……ホルトの過去の記憶に繋がる場所ってこと?
「すごいじゃない! 昔、ここに来たことがあるかもしれないのね!」
そう言って喜んではみたけれど。どう見てもホルトの様子は記憶が思い出せそうでおめでたいという表情ではない。
そうよね、過去って……。思い出して幸せなものと、辛いものがあるものね。
ホルトの思い出せない記憶が、彼にとって辛いものだったら……私はどうすればいいのだろう。
「ねぇ、ホルト」
「なんですか、マーガレット様」
ホルトの手をぎゅっと握り直すと、私はホルトの額に自分の額をつけた。
「……貴方がどんな記憶を思い出しても。私は貴方の味方よ。ずーっと貴方と一緒にいるわ」
拾ったものには責任を。フランにも言われましたものね。
私には、ホルトに対する責任がある。一緒にいて培ってきた主人としての愛情もある。
彼が過去を思い出し、それに苛まれるようなことがあれば。側で支えてあげなきゃ。それが責任ってものよね。
「マーガレット、様」
ホルトは泣きそうな顔をして。そのまま泣き笑いのような顔で笑った。
「……なにを、しているんです」
突然体が後ろに引っ張られ、ホルトと引き剥がされた。振り返るとなんだか不機嫌なフランがそこにいる。そうだ、ホルトのことをフランにも……。
「フラン! あのね……」
「マ、マーガレット様。その、内緒で……っ」
ホルトは私の服の裾を掴むと涙目で言う。その言葉に私は慌ててこくこくと頷いた。
「うん、内緒ね!」
私とホルトの様子に、フランはなんだか納得できないという顔をして大きくため息をついた。
ホルトちゃんの記憶の扉がじわりと。