従僕による幕間1(フラン視点)
図書館の隅へと行き、アベル様のお話を伺う。それは聞く限りお嬢様にとって『安全』な話だった。
『ゾーリン山』は一時魔王が居していた頃はともかく、今は魔物が出るような場所ではない。出たとしても野生のイノシシくらいだろう。しかも薬草は山頂に生えているわけではなく、中腹までの登山で済むようだ。お嬢様の少ない体力を考えるとこれは非常にありがたい。
「……よい話だと思います」
「本当ですか! フランさん!」
私の反応にアベル様はぱっと顔を輝かせた。お嬢様は知らないがアベル様からこの手の話を聞くのは数度目である。しかし今回以前に聞いた話すべてに、私はお嬢様の力では無理だという判断を下した。
というかアベル様。孤児院で流行り病が、なんて話を持ってこられてもお嬢様にどうできるというのだ。確かに王都内での話だったので距離は近いのだが。光魔法を使えるレイン様ではないのだから、お嬢様にはどうすることもできないだろう。
平原にスライムの大群が発生した、というのも。竜からはかなりランクは下がったが、お嬢様にどうこうできるものではない。
うちのお嬢様は見目のいいポンコツなのだ。そこをきちんと理解して欲しい。
今回の話はそれらと比べると非常に現実的な話である。万能薬とやらが本物なら、孤児院での件も同時に片づくかもしれないしな。
しかし……お嬢様が細かい功績を積み重ね、万が一婚約破棄ができたとしても。
私とお嬢様の身分が釣り合わないことには変わりなく、お嬢様が望むような結末になることはないだろう。
お嬢様には幸せになって欲しい。それは私の心からの願いだ。けれどそれは、私とでは……。
アベル様と話をすり合わせ席に戻った私が見たのは。
――私の席に置かれた、先ほどとは違う柄のティーカップに入り湯気を立てている紅茶だった。
お嬢様は素知らぬ顔をしているがその口の端は笑いをこらえるかのようにぴくぴくと引き攣っている。もしかしなくても、この人は飲んだのか。私の飲みかけを。そしてカップを……盗んだのか。
訂正しよう。
――うちのお嬢様は見目のいいポンコツで、救いようのない変態だ。
「この変態が……油断したな」
思わず漏れた私の呟きが聞こえているだろうにお嬢様は知らぬ顔をする。……私の触れた物を集めて嬉しがるなど、この人は本当にどうかしている。
☆★☆
アベル様からの説明を聞いた後、私とお嬢様は寮へ戻った。ホルトはレイン様のお部屋の片づけに行っている。公爵家の養女であるレイン様には、お付きの者はメイド一人しかついていない。だからホルトが力仕事などは手伝いに行っているのだ。
レイン様は元が平民だけあって、大抵のことは一人でできてしまうのだが。お嬢様と違って実にしっかりしていらっしゃる。
『ゾーリン山』登山には図書館にいた皆様と行くこととなった。
お嬢様は『ゾーリン山』行きが決まってから非常にご機嫌だ。彼女はいかにも貴族です、という社交にはあまり興味を示さないが、こういう身内でのお遊びにはかなり積極的だからな……。
アベル様とホルトは男性なので体力面での心配はないだろう。問題はレイン様とキャロライナ様だな。お嬢様の補助をしながら彼女たちにも気を遣い、その身を守りながら……となると結構な精神的疲労が伴いそうだ。
お嬢様の方を見ると、
「わーい! 久しぶりの登山だ!」
そんな奇声を上げながら寝台にダイブしていた。……実に呑気なものである。
というか今まで登山なんかしたことはないだろう。深窓のご令嬢であるお嬢様は、公爵家にいた頃は、屋敷に居るか舞踏会やお茶会などの社交に出るかの二択だった。そして今は校舎に居るか寮の部屋に居るかのほぼ二択である。
「なにが久しぶりの登山、ですか。山になんて登ったことはないでしょうに」
お嬢様の呑気すぎる様子に思わず口調が刺々しくなってしまう。しかしイライラしても仕方がないなと、私は図書館で借りた本を手に長椅子に座った。
私はホルトの魔力の件も調べないといけないのだ。彼のように大きな魔力を持った人間は過去にも存在していたらしいことまでは、調べているうちにわかった。けれどその人生は非常に数奇なものばかりだ。神と祀り上げられるか、異端視されて滅ぼされるか……。どちらにしてもホルトにとってよいことではないな。
「夢の中で登ったことがあるのよ、フラン」
ページを捲る私の耳にお嬢様の声が入る。……またよくわからないことを言って。
「……バカバカしい」
私はぞんざいな口調でお嬢様にそう返した。いつも通りの軽口だ。それで終わるはずだった。
「フランにはバカバカしいかもしれないけど……私には大切な夢だったの」
けれど、お嬢様の口から漏れた言葉はどこか弱々しいものだった。
こっそりと彼女に目を向ける。お嬢様の表情は遠い昔に失ったなにかを見つめているような悲しげな表情で。ああ『また』だ、と私は思った。
森や塔でも見た、普段の能天気な彼女のものではない表情。それは私の焦燥感をひどくかき立てる。
お嬢様は明らかになんらかの苦悩を抱えているのに。私にはそれをどうすることもできない。いや……訊いてしまえばお嬢様はきっと打ち明けてくれるだろう。しかし私は怖いのだ。お嬢様にこれ以上、深く関わってしまうことが。
踏み込まなければ……私はこのまま彼女の『従僕』であり続けることができる。
「……ほんと、バカみたいよね」
お嬢様はまた小さく呟くとうつぶせになり枕に顔を埋めた。泣き声は聞こえない。なのに彼女が泣いているような、そんな気がした。
「お嬢様、その。傷つけるつもりでは……」
「……わかっているわ」
お嬢様はそう言ったきり沈黙してしまう。けれど私に怒っているわけではないらしい。そのことに深い安堵を覚える。
本を閉じて、お嬢様の元へ向かい。私は……ゆっくりと手を伸ばした。
そして震えそうになる手でお嬢様の頭をできるだけ優しく撫でる。少しでもお嬢様の心の重荷が取れますようにと、そう願いながら。
彼女は驚いたようにしばしこちらを見つめた後に、目元を和らげて他愛ない会話を始めた。
それに相槌を打ちながら美しく柔らかなお嬢様の髪を撫で続ける。この時間が終わらなければいい。そんなバカなことを思う自分に、私は内心苦笑した。
「フランあのね」
「なんですか、お嬢様」
「……幸せだわ……」
お嬢様がふわりと笑う。その笑顔に胸が締めつけられ、私はそっと目を逸らした。
……私も幸せです、お嬢様。
貴女と先の未来をご一緒することは叶わないでしょうが。
今貴女とともにあることは、確かに私の幸せなのです。
リクエストを頂きましたのでフラン視点です。
フランの内心は様々な苦渋としがらみに満ちています。