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令嬢は遠足のような冒険をする3

「わーい! 久しぶりの登山だ!」


 寮の自室に戻った私はテンション高く寝台にダイブした。前世のOL時代。週末にはよく友人たちと低山に山登りに行っていた。……イベントがある週や、乙女ゲームの発売後すぐは丁重にお断りしていたけれど。その頃の楽しい思い出が脳裏に蘇り、自然とテンションが高くなってしまう。

 トレッキングシューズとトレッキングポールが欲しいなぁ。日差しを遮るための鍔のある帽子も欲しい。低山とはいえスカートで登るのは無理だろうから、トラウザーズも欲しいわね。多めに水を入れられる水筒も……。どれも登山の必需品だ。前世と同じものは無理にしても、代用になるものはきちんと揃えたい。

 お弁当も、もちろん欲しい。自分で作っちゃおうかな。料理には割と自信があるもの!

 『ゾーリン山』に行くのは過去の薬草が生える周期と重なる、一週間後に決まった。あの場に居たメンバーすべてが参加することになり、友人たちと大所帯で楽しく登山だと思うとさらに嬉しくなってしまう。

 ……功績のこともちゃんと忘れてはいないわよ。

 万能薬を手に入れて、ヒーニアス王子に目にものを言わせてやるのだ。見てなさいよ、メインヒーロー!


「えへぇ、楽しみ」


 にこにこしながら寝台でゴロゴロしていると、フランにあからさまに不機嫌な顔を向けられた。

 『ゾーリン山』への登山の際には貴族のお嬢様とお坊ちゃん(そしてホルト)の護衛を、フラン一人がするような状況になるのだ。彼が不機嫌になっても仕方がない。


「なにが久しぶりの登山、ですか。山になんて登ったことはないでしょうに」


 彼は長椅子に座り図書館から借りてきた本を捲った。その手の動きを私は視線で追う。……指が長くて形が整っていてとても白くて。本当に綺麗な手だなぁ。


「夢の中で登ったことがあるのよ、フラン」


 もう二度と戻れない前世は、今となっては遠い昔に見た夢に近い。けれど大切な私の一部だ。


「……バカバカしい」


 フランは苦々しい口調で言うと、小さくため息をつく。『お嬢様がまた妙なことを』という彼の気持ちが透けて見えるようだ。


「フランにはバカバカしいかもしれないけど……私には大切な夢だったの」


 家族、友人、やりがいのある仕事。大切なものが前世にはたくさんあった。理由もわからぬまま、私はそれを置いて『ここ』に来てしまった。今の人生には不満はない。大好きなフランがいるのだから、不満なんてあるはずがない。友達だってたくさんいる。皆のことが私は大好きだ。

 けれど時々。前世のことを思い出して、胸がぎゅうっと締めつけられる瞬間があるのも事実で。


「……ほんと、バカみたいよね」


 ぎゅっと胸を押さえ、ころりと寝台にうつ伏せになる。そうしないと想いが胸から溢れてしまいそうだったから。戻れないものに心を傾けても不毛なだけなのに……本当に私はバカなのだ。

 気まずい沈黙が訪れ、フランの動揺が伝わってくる。


「お嬢様、その。傷つけるつもりでは……」

「……わかっているわ」


 彼はなにも悪くない。

 バカな私がふと前世に後ろ髪を引かれてしまった。それだけの話だ。

 本を閉じる音と寝台へと近づいてくる気配がした。続けて、ふわりと髪を撫でられる感触がする。状況的には心霊現象じゃなければフランしかありえない。

 恐る恐る視線を上げると困ったなという表情のフランと視線が絡み、すぐに逸らされる。その白皙の頬は少しだけ紅に染まっていた。

 ……なんということでしょう。

 よかった、心霊現象じゃない。空中に浮いた手が髪を撫でているとかじゃなくて本当によかった。ちゃんとフランだ。しかもこれは少し照れているのかな。おお、神よ! 今日も推しが素晴らしいです!

 髪を撫でる手の動きは少しぎこちない。だけどその不器用さが愛おしいと思った。彼は視線を逸らしたまま私の髪を撫で続けた。心臓が大きな鼓動を刻み始める。頬が、火で熱されたように熱い。


 ――ああ、フランが好きだ。大好きだ。


 何千回、何万回と感じた想いがじわりと胸を満たす。それが口から零れそうになるけれど、口にするとフランの手は離れてしまうだろう。だから私は必死に告白を押しとどめ別の言葉を口にした。


「……あのねフラン。皆と山に行くの、楽しみだわ」

「そうですね、お嬢様」


 フランはこちらに顔を向けると細い目をさらに細めて、今度は優しい口調で返事を返す。


「皆の分のお弁当を作りたいのだけど。台所は借りられるかしら」

「私が申請を出しておきましょう。誰も使わない時間帯なら借りられると思いますよ」

「ありがとう、フラン。あのね、それと揃えて欲しい道具があって……」


 それからは山登りに必要なものの話をフランとした。それに相槌を打ったり意見を挟んだりしながらも、フランはずっと頭を撫でてくれる。フランがいて……私は本当に幸せだ。


 私は前世で得た大事なものをすべて失ってしまった。

 けれど今の人生で得たものはそれを凌駕するくらいに、とても大きいのだ。


「フランあのね」

「なんですか、お嬢様」

「……幸せだわ……」


 彼と一緒に幸せになれたら、もっともっといいのだけど。

 へらりと笑ってみせると、眉をひそめたフランにまた視線を逸らされてしまった。


 『ゾーリン山』へのピクニック……いや、冒険、冒険よ! は彼と一緒になるための第一歩だ。万能薬、見つかるといいなぁ。

今回はそんな閑話的なお話でした。マーガレットさんも時には前世を思い出してメランコリックな気持ちになる時があるのです。

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