令嬢は遠足のような冒険をする2
「皆さん、二百五十年前に第一次魔王襲来があったことは授業などで習いご存知だと思いますが……」
そう言いながらアベル様は紺色の眼鏡ケースから銀縁の眼鏡を取り出すと、カチャリと小さな音を立てながらかけた。彼は授業中だけは眼鏡をかけているのだそうだ。普段からかけるほどには悪くないけれど黒板は少し見えづらい、というくらいの視力なのだろう。
メカクレモブ男子様が分厚いレンズの眼鏡をかけると、さらにモブ度が上がって思わずスタンディングオベーションをしたくなる。……いや、実は最初に見た時にやってフランには怒られたし、アベル様には怖がられてしまった。
ふと前髪をかき上げた時に見えたアベル様の素顔はとても整っていて、彼は素材はよいタイプなのだと思う。本人の見た目への頓着しなさがこの素敵モブ加減を生み出しているのね。いいぞ、もっとやれ。
――で、第一次魔王襲来だっけ。たしかに授業で習ったわね。
二百五十年前というと日本で言えば江戸時代だろうか。そう考えると遥か遠い時代の物語だ。
魔王は突然前触れもなく現れたそうだけれど……元は人間だったらしい。なんの変哲もない村人だったという説もあれば、異常なくらいの魔力を持つ異端者だったという説もある。昔のことすぎてこのあたりは情報が曖昧になっているのだろう。
そして彼は、このノースケレン王国の前身である聖王国とその近隣の国に牙を向けた。
各国は連合軍を編成し魔王を北の山に退けた。しかしとどめは刺せず、魔王は北の山に強固な結界を張り休眠状態に入ってしまったのだ。
魔王は傷ついた体を癒しながら魔力を蓄え、そしてさらに百年後。
目覚めた魔王による第二次魔王襲来が起きた。
長い間が空いてしまったため準備が不足していた王国と周辺諸国は魔王に苦戦を強いられる。しかし魔王と同じくなんの前触れもなく現れた『勇者』が魔王を討伐し……世界には平和が訪れた。そんな歴史だったと思う。
第一次魔王襲来は二百五十年前、第二次魔王襲来は百五十年前。おとぎ話というには生々しく、現在と地続きとして考えるととても遠い過去のように感じる程度の昔だ。
――そしてこの話が。心のどこかに引っかかりを残すのはなぜだろう。
乙女ゲームの『光の乙女』関係のイベントに魔王関連のものがあったのかしら。ゲームでもフランが出てくるイベントばかりを追い回していた私だ。色々な記憶の抜けがあるのかもしれない。
「アベルちゃん、そんな古い話がどうしたのかしらぁ?」
キャロが軽く手を挙げてアベル様に問いかけた。彼女はなぜかホルトに膝枕をして、その頭を優しく撫でている。……キャロはホルトのことをペットかなにかだと思っていないだろうか。彼はうちの大事なモブ男子なのだけど! ホルトは真っ赤な顔をして涙目になっている。レインまでさりげなく撫でるのは止めなさい。……後で助けてあげよう。
「えっと、その古い話が『功績』に繋がるのです。第一次魔王襲来の際に魔王を退けた北の山というのが、王都の近くにある『ゾーリン山』だというのは有名な話だと思うのですが……」
『ゾーリン山』は標高六百mくらいの低山だ。前世で言う高尾山程度、と例えるとわかりやすいかもしれない。OL時代よく登りに行ったものだ。
『ゾーリン山』は魔王が休眠している間にその瘴気で汚され、一時は草木も生えない有り様だったらしい。現在はその景観も回復し、普通の山々と同じような姿を見せているけれど。
私がすっと手を挙げるとアベル様は『マーガレット様、どうぞ』と優しく微笑みながら促した。まるで教師のようである。アベル様には向いていそうね。
「つまり『ゾーリン山』にて魔王復活の兆候があるから私に倒しに行けという話でしょうか?」
「違います!!」
アベル様は叫んで頭をぶんぶんと振った。なんだ、違うのか。それだったらリーチ一発、国士無双のような大逆転で婚約破棄ができると思ったのにな。
「……お嬢様は馬鹿なのですか。そんなネタだったらお嬢様には言わず騎士団に報告しますよ」
フランが三角コーナーに溜まった生ごみを見るような目を私にくれた。ああ……もっと、もっと見て。そんな期待を込めて彼を見つめる。私を見つめ返すフランの白皙の眉間には深い皺が刻まれ、その青い目はつれなく私から逸らされてしまった。
「……えっと。『ゾーリン山』には魔王がそこで休眠するまでは泉があったんです。魔王の力の影響で枯れてしまったのですけど」
そう言いながらアベル様は机の上に手書きらしい地図を広げた。皆は興味津々という顔でそれを覗き見る。彼は『ゾーリン山』の中腹あたりに鉛筆で印を書き込んだ。
「実家の近所に住む野菜売りのディランさんからの情報ですが。山菜取りで山に入った際に、その泉らしきものを見たそうなんです。魔王襲来前の地図とディランさんからの情報を照らし合わせた結果、泉の位置は同じなようでして。長い時を経て再び湧き出したのだと思われます」
……情報提供者の情報が微妙に細かい。アベル様はご家族と大変仲がいいようで、王都にあるご実家にたびたび帰っている。その時に入手した情報なのだろう。
「枯れる以前は泉の周辺には五十年に一度の周期で生える薬草が茂っていたとの記録があります。そしてその薬草はとても貴重な万能薬なのだそうです」
話がようやく見えてきた。つまり……。
「その貴重な薬草が生える周期が、近いのね!」
「その通りです! マーガレット様!」
アベル様は『よくできました!』と言わんばかりに嬉しそうに手を叩いた。
五十年に一度しか手に入らない万能薬。それを入手することはたしかに功績となりそうだ。
流行り病などがあった際にはさらなる功績にも繋がるだろう。
「とはいえ百五十年以上前の話ですし。あれば僥倖、なくても楽しいピクニックというくらいの気持ちで『ゾーリン山』に行くのはいかがでしょうか?」
にこりと微笑んで、アベル様は話を結んだ。
そんなこんなでピクニックの予定が生えました。