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令嬢はこれからに思いを馳せる

 温かい。なんだか体が蕩けそう。これは誰の体温なんだろう。

 ゆらゆら。ゆらゆら。揺り籠みたいに揺られて……。


 泣きすぎて重い瞼をゆっくり開けるとフランの顔と眩しい緑の木々が目に入った。


「……お嬢様。寮までまだ時間がかかりますので。寝ていてください」

「……ん……」


 そっか、塔で泣き疲れて……私。眠ってしまったんだ。

 うとりとしながら目を瞑ると睡魔にあっという間に飲み込まれる。意識が落ちる寸前に、瞼に柔らかいなにかが落ちてきたような……そんな気がした。



 次に目を開けると寮の部屋のベッドの上だった。

 服装は制服からナイトドレスになっていた……寝てる間にメイドが着替えさせてくれたのだろう。

 夜の帳は下りていて、部屋には誰もいない。ずいぶん長い間眠ってしまったんだ。

 窓の外を見ると綺麗な月が雲一つない濃紺の空に浮かんでいた。

 部屋に帰って来るまでの記憶がうすらぼんやりとしている。またフランが部屋まで運んでくれたのだろうか。そんなことを考えながら水差しからコップに水を注いで喉を潤すと、ほっと人心地ついた気持ちになる。


「ふぅ……」


 一息ついた私はクローゼットに向かった。クローゼット、といってもさすが貴族の寮。広さは小さな一部屋分くらいのウォークインクローゼットだ。

 扉を開けホルトが作ってくれた目隠しがしてあるフランの『公式グッズ』置き場に行くと、私は数点のグッズを手にベッドへと戻った。

 シャツ五枚とタオルとハンカチを丁寧に並べてその上にぽふりとダイブする。


「す~……はあぁ……!」


 ごろごろと回転しながらそれらを嗅ぐとフランの香りが、仄かに香った。

 けれど……私は知ってしまったのだ。


「……ああ……足りない……」


 フランから直接嗅ぐ匂いの、濃厚さを!!

 すはすはとシャツの首筋を嗅いでみるけれど、ほんのりと柑橘系の香りが漂うだけで。塔でおんぶをされた時に嗅いだ、あの綺麗な首筋から香った生々しい香りはしない。


「フラン、フラン、フラン……! もっとフランの濃厚な匂いが嗅ぎたい……!」


 推しの過剰摂取をすると気絶してしまうのは私の悪い癖だ。それがなければもっともっとフランを堪能できたのに!

 ……堪能しすぎて激怒したフランに螺旋階段から落とされてしまった可能性もあるけど。

 うん、それは嫌だなぁ。……でも彼の手で殺されて彼の記憶に一生残るのも悪くないかも。

 フラン、いい香りがしたなぁ……。

 体温が温かかった。そして、とても優しかった。


「フランのばかぁあ~! あんなすごいのを知っちゃうと、元の体に戻れなくなるじゃない!」


 悪態をつきながらぎゅうぎゅうとシャツを抱きしめて、今日……もう昨日になってしまったんだろうか。起きたことを私は思い返す。


 ――また、手を繋いでくれた。

 ――おんぶ、してくれた。沢山いい匂いがした。

 ――泣いたら抱きしめて背中を撫でてくれた。


 そして。


「……命に代えても、守るって。言ってくれた……」


 そのことを思い出すとぎゅっと胸の奥が締めつけられる。

 フランが私に抱いているのは私が欲しい形の愛情ではないのかもしれない。

 けれど『守ってもいい』と言ってくれる程度には……私に情をかけてくれている。その事実がとても嬉しかった。


 塔では、ゲームの『マーガレット』が死んだ時の記憶となぜか繋がってしまった。


 その時に彼女の感情も、まるで自分のことのように伝わってきたけれど……。

 全てを奪われた悲しみと、諦めと、妬ましさと。『マーガレット』は様々なごく普通の感情たちに突き動かされた『悪役令嬢』……ううん『普通の子』だった。


「……殺されるほどのことなんて……彼女はしていないわよね」


 レインへのいじめは、苛烈で。それ自体は当然非難されるべきことだ。

 けれど殺されるほど罪深いかというと……甚だ疑問が残る。

 身分が高く誰も裁けない。だから私刑を受けてしまった……それはただの悲劇じゃないの。

 ゲーム中のシナリオのことを思い返す。確かに彼女は義妹を罵り、時には手をあげた。

 けれど……『ヒロイン』は己の不幸に酔いはしても。

 『マーガレット』の持っていたものを全て奪ってしまったことを、一度でも謝罪したのだろうか。


「……こんなことを考えるなんて。彼女の感情に影響されてしまったのかしら」


 ため息をつきながらフランのシャツを抱きしめる。

 すると傷んだ心が癒される……彼の香りがした。


 (私は、殺されない)


 心の中でそっと呟く。

 現実のレインはいい子で、私に懐いてくれている。そしてなにより私と彼女の仲は良好だ。

 ヒーニアス王子がレインと想い合い、私が邪魔になった時……くらいしかこの世界での私の死はないはず。

 以前フラッシュバックした、原因が思い出せない死の原因があるのも……気になるけれど。

 思い出せないことを気にしても仕方ない。


「明日から、頑張ろう」


 明日からは本格的な学園生活が始まる。

 私はその三年間で功績を作り、ヒーニアス王子に婚約を解消してもらわないといけないのだ。


 明日は図書室にでも行ってみようかな……。

 この世界のことを知らないと。自分ができることの方向もわからない。


 そんなことを考えているうちに、うつらうつらとしてしまい。

 『公式グッズ』を片付け忘れ、それに埋もれて寝ているところをフランに発見された私は、朝からフランに大目玉を食らったのだった。

そんなこんなで次回からようやく本格的な学園生活の開始です。

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