従者から見た令嬢と塔1(フラン視点)
今日も私はお嬢様に付き従い、彼女が『行きたい場所』とやらへの供をすることとなった。
お嬢様が行きたいと言い出したのは校舎を通り抜けたところにある高く聳える白い尖塔である。
塔は王立学園の創設より前からここにあり『非常時用』の魔力が貯め込んであると、王子が言っていた気がする。けれど少なくとも百年ほどは大きな戦争も、我がハドルストーン家の先祖が倒したと言われている魔王の襲来……なんてものもない。
続く安穏とした平和を、学園のどこからでも見える大仰な姿の塔はどう思っているのだろうか。
――なにはともあれ、平和が一番だ。
大きな戦争があった場合最初に動かなければならないのは、辺境を守る我がハドルストーン家の可能性が大きいのだから。
校舎を抜けるとすぐに塔がある……と思いきや。校舎と塔の間には小さな森があり、それを見たお嬢様はあからさまにげんなりとした。
彼女の様子を窺うと少し息が上がっている……無理もない。お嬢様はこんな変態ではあるが、蝶よ花よと大事に育てられた筆頭公爵家のご令嬢なのだ。長時間歩くことにその体は慣れていない。
「……お嬢様。手を」
仕方がないので私は彼女に手を差し出した。彼女が少しでも楽に歩けるのなら、それに越したことはない。
……転んだりしてまた足を挫かれても困るしな。
だらしなく笑み崩れながら私の手を取るお嬢様を見て、こんな凡庸な男と手を繋いでなにがそんなに嬉しいのだ、と。いつもながらのことだが私は不可解な気持ちになってしまった。
お嬢様が楽しそうに喋る戯言を聞き流しながら、暖かな木漏れ日が差す森を歩く。戯言……そう思わないとやっていられない。
「フラン、大好き。将来私と結婚してね」
そう、これも戯言だ。私は胸の内でぞわりと蠢くなにかを誤魔化すように、足元にあった大きめの石を強い力で遠くへ蹴飛ばした。
森を抜けると……そこには天高くそそり立つ塔の姿があった。その威風堂々たる姿に思わず感嘆の息を漏らしてしまう。さすがは王家ご謹製の魔力貯蔵装置である。
「では、行きましょうか」
歩きづらい森は抜けたのでもういいだろうと、私は繋いでいたその小さな手を離した。
手の中にあった華奢な感触と温もりが離れていく――それが名残惜しい、なんて。
そんな思いを振り払い前を向こうとした時。お嬢様が服の袖を指先で掴み……離れる私を引き止めた。
「か……階段、歩くの辛いから。引っ張って欲しいなぁ……なんて」
彼女はその美しいかんばせの頬を染めて、すがるような甘い声音で言う。
――確かに、この塔は高いからな。私が引っ張って歩いた方が楽だろう。
だからこれは……仕方がないことなんだ。
私は『仕方なく』お嬢様の手と自分の手を、繋ぎなおした。
……彼女の温もりがこの手の中に戻ってきたことに、少しの安堵を覚えながら。
お嬢様の歩調に合わせながらゆっくりと階段を上る。
塔は高く、螺旋階段は長い。お嬢様はどれだけの高さを上るつもりなのだろう。体力は持つのか? 心配になり彼女へ目を向けると……。
お嬢様はハンカチを胸の谷間に突っ込んで、一生懸命に玉のように吹き出した汗を拭っていた。一段上から彼女の様子を見ている私には、汗に濡れた豪奢とも言える谷間が……とてもよく見えた。
――本当にこの人は、どれだけ無防備なのだ。
こんな人気のない場所に男女で二人きりなんだぞ!? もっと己の美しさをわきまえた立ち居ふるまいをして欲しい。私が獣のような男だったらどうするつもりなんだ。
「……なに?」
私の視線に気づいたお嬢様がきょとんとした無垢そのものの顔でこちらを見る。それが憎らしくてたまらない。
「いいえ。なんでも」
私は素っ気なく言ってお嬢様から目を逸らした。
お嬢様の手を引きながら無言で階段を上る。そうしていると繋いだお嬢様の手が、少し震えた気がした。
どうしたのかと後ろを振り返る。すると……。
彼女の紅玉の瞳からは、ぽろぽろと美しい涙が零れていた。
それを目にして私は激しく動揺してしまう。
昨日痛めた足がまた痛むのだろうか。表面的には治っているように見えたのだが、その実まだ痛みが残っていたのかもしれない。
それとも歩くペースが速かったのだろうか。お嬢様の歩調に合わせたつもりではあったが、しょせんは男の歩幅だ。気遣いが足りなかったのかもしれないな。
「……泣くほど階段が辛いんですか」
そんな内心の動揺とは裏腹に。私はいつものように彼女に呆れたような声を投げつけることしかできなかった。
お嬢様の頬を涙が伝い、顎を落ちる。それはそのまま胸の谷間に落ちて白い肌を流れていった。彼女はそれをまたハンカチでごしごしと拭う。ああもう、なんて目の毒なんだ!
「そんな前が開いてる服を着ているから胸の間に涙や汗が入るんですよ。ケープはどうして置いて来たんですか」
彼女がケープを着ていないことに早く気づけばよかったな。うっかりしていた……。
お嬢様はいつも胸元が開いた服装をしているので違和感なく、それを受け入れてしまっていたのだ。
「……歩く邪魔になるなと思って……」
そう言うとお嬢様はしょんぼりと眉を下げる。その瞳からはまた涙が溢れ、頬を転がり落ちた。
「泣くほどお辛いのなら……」
……これは従者として度が過ぎている。理性ではそう思うのだが。
「……仕方ないので、背負いましょうか。本来ならその太くて立派な二本の足で歩いていただきたいところですが」
私はつい……そんな言葉を口にしていた。
フランちゃん視点の塔の話でございます。お年頃なのでお胸が気になる様子。