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閑話1・令嬢と従者のバレンタイン

今回はバレンタインの番外編になります。

 唐突だけれど、私マーガレット・エインワースは料理が割と得意である。

 前世であるOL時代の趣味が実は料理だったのだ。友人を招いてのホームパーティーなんてものもよく開いていた。有名料理研究家春原ハルミ先生のお料理本はもちろん全て揃えていたし。というか信者だったわね、うん。

 この『氷雨降る中』の世界に転生してからも人のいない時間に厨房に忍び込み、お菓子を時々作ったりしている……フランにはすぐに見つかっちゃうんだけど。

 最初は怒って止めていた彼だけれど、近頃は止めても無駄だと思ったのか調理が終わるまで厨房で椅子に座って待っていてくれるようになった。フランはなんだかんだで、優しいのだ。だから好きなんだけど! 早く私と結婚して欲しいなぁ。


 ――さて。


 私は今日も厨房へと向かう。その気配を察したフランもいつの間にか背後からついてきている。……忍者みたいね、フラン。


「――今日はなにをしでかすつもりですか、お嬢様」

「ふふふ。今日は美味しいショコラを作るのよ!」


 この世界にはバレンタインというものがもちろん存在しない。けれどこの時期になると私は毎年ショコラを作る。まぁ、気分の問題よね。

 好きです! って言いながらフランに渡すところまでが毎年のパターンだ。……昨年は大きいハート型のチョコを目の前で叩き割られたけど。ま……負けないんだから!

 今年はガトーショコラにするつもりだ。割ると飛び散るからフランも叩き割り辛いだろうし。

 ……公式グッズ集めが発覚するまでは少し困ったように笑いながらも『ありがとうございます』って素直にチョコを受け取ってくれてたのになぁ……。

 どうしてバレてしまうような迂闊なことをしてしまったんだろう。部屋にはちゃんと鍵をかけて、フランに用事を作ってから公式グッズは堪能するべきだった。


「ああ、お嬢様の謎のショコラの日の時期でしたね」


 フランも得たりという顔で頷く。

 春からは学園に通うのでショコラ作りは今回で最後かもしれない。そう思うと少し寂しい。よし、今年は例年以上に気合いを入れよう。

 レインとキャロライナも毎年ショコラを楽しみにしてくれているし! ホルトも甘い物が好きだからきっと喜んでくれる。……あの子は私の渡す物ならその辺に落ちてる木の棒でも喜びそうな気もするけれど。


「腕によりをかけて作るわね、フラン!」

「……お嬢様のショコラはなぜか毎年美味しいですしね。そこは評価しております」


 ……フランが、珍しく褒めてくれた。嬉しい! どうしよう!


「褒めてくれるの? 嬉しい!」

「……あまり調子に乗ると厨房を使わせませんよ」


 冷たくぴしゃりと言われ、私は口を噤んだ。フランはやると言ったらやる男だ。こういう時には逆らわないのが一番なのは学習済みだ。

 厨房に着いた私は念入りに手を洗い、調理の準備を始める。厨房の長机の上には使用人に頼んでおいた製菓用チョコレートやバターが乗っている。うん、足りない材料はなさそうね。

 私は鼻歌を歌いながらコンロに火を点け水を入れた鍋を置く。この厨房の器具は魔法の力が込められた魔道具というもので、コンロの点火も魔法の合言葉一つで行える。前世の台所と似た感覚で使えるのが本当にありがたい。……庶民のお家にはこんな便利なものはないらしいけれど。

 お湯を適温まで温めて……さすがに温度計はないので温度は勘だ……刻んだチョコレートと、バター、砂糖をボウルに入れて湯煎で溶かす。それだけで厨房にはよい香りが漂い心が浮き立ってしまう。

 フランはいつも通り厨房の隅の椅子に腰かけて、どこか興味深げに私の手元を見つめていた。

 卵に薄力粉に……他の材料も適時合わせて混ぜていくとどんどん生地らしくなってくる。そして出来上がった生地を型に流し込み、熱したオーブンに放り込んだ。あとは焼けるのを待つだけ……!


「は~出来上がりが楽しみ!」


 厨房に漂い甘い香りを嗅ぎながらうっとりする。


「……粗忽者なのに、どうして料理だけできるんでしょうね」


 そんな私を不思議そうにしげしげ見ながらフランが呟いた。し、失礼ね! お勉強もそれなりにできるし、他には……えーっと……。特にできることはないわね。


「前世がきっと料理人だったのよ」

「はぁ……」


 私の言葉にフランは気のない返事を返した。

 ……本当は横浜に社屋があるIT系のOLなんですけどね。そういえば私、どうして死んだんだろう。事故にでも遭ったのかな。進行中だったプロジェクトの引継ぎは大丈夫だったのかな……。今さらすぎるけれどそんなことが心配になってしまう。

 現世では粗忽者かもしれないけれど、前世では割と仕事はできたのよ、私。


「えへへ……」


 椅子を用意してフランの隣に座る。するとフランはあからさまなくらいに不快そうな顔をした。これはあれね、照れ隠しってやつね。あっ、ちょっと。椅子を引きずって離れるのは止めてくれないかしら!!

 美少女が隣に座るんだからフランはもっと喜んでもいいんじゃないかなぁ! へ……変なことなんてしないから! 隣にちょーっと座るだけだから! ね!!

 厨房で椅子を引きずって追いかけっこをした結果、50cm程度離れた距離に座ることで位置は落ち着いたけれど……。こんなに嫌がられるなんて腑に落ちないわ。


「ねぇ、フラン」

「なんですか、お嬢様」

「私たち将来結婚するのだから、もっと近くにいた方がいいんじゃない?」

「なにを寝言を言ってるんですか。お嬢様はヒーニアス王子の婚約者でしょうに」


 フランは私の方を見ずに前を向いたままで素っ気なく言う。

 婚約者になったのは不可抗力というか……。近い未来に絶対に解消するからノーカウントってことにして欲しいんだけど。

 ちらりとフランの横顔を盗み見る。細い目がきゅっとつり上がり口元も真一文字に結ばれていて、あまり機嫌がいい様子ではない。……それにしても好みのお顔だなぁ。毎日見ていてもまったく飽きない。好きだなぁ、顔だけじゃなくて性格も仕草も全部大好き。


「あのね、フラン」

「なんです?」

「好きよ、フラン。大好き」

「またバカなことを。……そろそろ焼けるんじゃないですか」


 今日も届くようにと囁いてみるけれどいつものように素っ気なくあしらわれてしまう。いつになったら彼と両想いになれるんだろう。

 フランの言う通りオーブンからはいい香りが漂っている。わくわくしながらガトーショコラを取り出すと濃厚な香りを漂わせながらふわりと美味しそうに焼けていた。


「よーし、あとは朝まで冷やすだけね」


 自作ソングを歌いながら散らかった厨房を片付けようとすると、フランに一瞬だけ肩に手を置かれ止められた。


「私が片付けますので」

「いいの! 片付けが終わるまでが料理なんです!」


 そう言いながら使った調理器具を洗っていると、ため息をついたフランが隣に並んで汚れたボウルを洗い出した。……シンクで横並び、だと……!

 まるで新婚さんみたいじゃないですかねぇ!!


「ふふふふふ、ふふふふふ」

「お嬢様、その虫唾が走る気持ち悪い笑いを引っ込めないと手伝いませんよ」

「ふぇっ。へぁい!」


 ……思わず妙な返事になってしまった。

 それからは並んで無言で使った木べらや包丁を洗う。……こんなのすぐに洗い終わっちゃうなぁ。せっかくフランがこんなに間近にいるのに……残念だ。


「これでお終いですね」


 ほら、もう終わってしまった。

 洗い物を終えたフランはあっという間に側を離れていく。それが寂しくてそっと手を伸ばし服の裾を掴むと……。

 ――鋭い手刀で振り払われた。

 めちゃくちゃ痛い。健気に服の裾をつんと掴んだ女の子を振りほどく行為としては行き過ぎだと思う。


「くっ、今日はこれで勘弁してやるが……覚えてなさいよ!」

「なんですかその三下みたいな台詞は。もういい時間なんですから……早く寝てください」

「フランも一緒に寝る?」

「――永遠の眠りにつきたいのか」


 怖い顔で舌打ちをするのは止めて欲しい。だけど今日は疲れたし大人しく寝るかな……。


「フラン、明日完成したのを渡すから楽しみにしていてね!」

「……期待しないで待ってます」


 私を部屋まで送り去って行くフランの背中を見送りながら私はふんす! と気合いを入れる。

 味はたぶん大丈夫だと思う。ガトーショコラは前世で散々作ったし。あとはフランが喜んでくれそうなラッピングを……。


 そして……翌日。


「おはようございます、お嬢様」

「フラン!」

「……起きているなんて珍しいですね」


 もう起きている私にフランは目を丸くする。普段は誰かに起こされるまで起きないものね。今日は楽しみで目が覚めちゃったのよ……!

 早起きしたのでガトーショコラも切り分けてちゃんとラッピングまでした。そしてフランへのものは……特別仕様なのだ。


「フラン、例年通りとなりますが」

「……はぁ」

「好きです! 付き合ってください!!」

「なぜこの行事が毎年のことになっているのか理解できませんが。謹んでお断り申し上げます。寝言は寝てから言え」


 ……これが悲しいことに例年通りの流れである。


「フランが照れているのはわかっているので、今回は勘弁しましょう」

「――舌を引っこ抜いて欲しいのですか、お嬢様」

「止めて!!」


 そんなブラッディバレンタインは勘弁して欲しい。


「昨日作ったガトーショコラをですね……」


 私は可愛くラッピングしたガトーショコラをサイドテーブルの上から取ると……自分の胸の谷間にきゅっと挟んだ。

 美少女のお胸がラッピングだなんて、男性的にはきっと嬉しいに違いない。むしろこの私という包装紙ごと食べて欲しい。


「はい、どう……いだぁっ!?」


 胸をきゅっと持ち上げて差し出そうとしたら、すごい勢いで手刀で頭を叩かれた。……ひ……酷い!!


「お嬢様、どういう悪ふざけですか」

「悪ふざけじゃないわよ! 私という包装紙ごと……い……いだぁっ!!!」


 今度は手刀が二回降ってくる。そ……そんなに叩かなくても!!


「……バカが……」


 憎々しげにフランは言い……胸元に顔を近づけてくる。


「え……」


 そして包装紙の端を噛むと胸元からガトーショコラを咥えて抜き取った。

 ……今、なにが起きたの。胸の結構近くにフランのお顔が……お顔が……。


 私が意識を保てたのはそこまでで。


「……これくらいで気絶するならやらなきゃいいんですよ」


 心底呆れたようなフランの声が最後に聞こえたような気がした。

お嬢様は前世では意外にできる子、現世ではまったくできない子なのです。

バレンタインの小話楽しんで頂けたでしょうか?


面白いと思って頂けましたら感想・評価などいただけると更新の励みになります(n*´ω`*n)

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