従者から見た入学式1(フラン視点)
頭の中が真っ白になり、気がつけば私はお嬢様の綺麗な形の額に。
――力任せに手刀を放っていた。
……時間は少し遡る。
朝目を覚まして自室の窓を開けると。爽やかな春の風が吹き、空は見事な快晴だった。
自室といっても引っ越してきたばかりの学園の使用人寮の部屋だ。自室であるという感覚は当然薄い。そのうち身に馴染んでくるのだろうが……。
寝間着を脱ぎ去り使用人用のお仕着せに身を包みながら、クローゼットに入っている服の枚数を確認する。……シャツが三枚ほど足りないな。私は思わず軽く舌打ちをしてしまう。
一緒に学園へ来ているメイドを問い詰めようかとも思ったのだが、いつも通り素知らぬ顔をされてしまうだろう。
部屋の扉は厳重に四つの鍵をかけていたのだが……エインワース公爵家の使用人たちの鍵開け技術は年々上がる一方でなかなか対応が難しい。
それもこれも私の私物を高額で買い取るお嬢様のせいだ。
さすがに下着は盗まれていないので、精神的な均衡を私もギリギリで保つことができるが。
お嬢様が私の下着を嗅ぐ光景を想像しぞっと身を震わせる。そんなものまで盗まれ始めたら王命に背いてでも、荷物をまとめて田舎へ帰ることを検討しなければ。
無意味だと思いながらもクローゼットに鍵をかけ、汚れ物入れにしている箱に寝間着を放り込んで二重に鍵をかける。
そして鏡の前で身だしなみを確認すると、いつも通り凡庸な容姿の男が鏡に映っていた。知り合いでもなければ目にも留めず気にもしない、正にそんな容姿である。
……お嬢様はこの見た目が好きだと言うが物好きにもほどがある。
部屋の扉に今日は五つの鍵をかけて私は学生寮のお嬢様の部屋へと向かった。
学生寮の警備兵に軽く挨拶をしながら階段で最上階まで上り、長い廊下を抜けるとお嬢様の部屋へと辿り着く。すると部屋に前にはホルトが所在なさげな様子で立っていた。
「どうしました、ホルト」
「ノックをしてもマーガレット様からお返事が無くて……お部屋に入れないんです」
ホルトは眉を下げて悲しそうな顔でそう言った。相変わらず律儀なヤツだ。お嬢様の寝起きはすこぶる悪いのだから、勝手に入ってしまえばいいのに。
「ホルト、朝食の準備をしてもらえませんか? その間に私がお嬢様を起こしますので」
「わ……わかりました!」
ホルトはぱっと明るい笑顔を浮かべて階下へと去っていく。
学生寮の一階には調理場がありシェフたちが待機している。そこで朝食を調達し各自の部屋で食べるのが生徒たちの食事のスタイルだ。
私はノックもせずに部屋の扉を開けると閉め切られているカーテンを思い切りよく開けた。部屋に眩しい朝の光が降り注ぐが寝台の上の塊は微動だにしない。
「お嬢様、朝ですよ」
声をかけながら上掛けを容赦なく奪うと美しい少女の姿がその下から現れた。
お嬢様は枕を抱きしめ頬をすり寄せながら眠っている。……というかそれはエインワースのお屋敷に置いてきたはずの私の枕なのでは。まったく油断も隙もあったものではない。
お嬢様のナイトドレスは太腿の辺りまで捲れ真っ白で美しい足が大胆に露出している。下着まで見えそうじゃないか……! お嬢様は相変わらず寝相が悪すぎる!
私は目を逸らしながらお嬢様の衣服を整え、ついでに足の怪我の具合を確認した。
「……さすがレイン様だな」
そっと足に触れると昨日はあれだけ腫れていた足は、怪我をしていた事実の片鱗も見えない綺麗なものとなっていた。これならば歩行に支障はないだろう。
「――さて」
私は呟きながらお嬢様の頬に手を当て……。思いきりその柔らかな頬を引っ張った。
「い……いひゃい!!!」
かなりの力を込めた甲斐もありお嬢様は涙目になりながら目を開ける。
「お嬢様、起きないと入学式に遅刻しますよ」
「も……もっとマシな起こし方があるでしょう?!」
お嬢様はつねられて真っ赤になった頬をさすりながら涙目で言う。
……つねって起きなければ引っぱたくつもりだったのだが。最初からそちらの方がよかったのだろうか。
「ほら、フランのキスとか、ね!」
頬を染めて戯言を言うお嬢様を放置して、隣室に備え付けてある簡易キッチンで私は紅茶の準備を始める。お嬢様は寝覚めに濃い紅茶を飲むのが好きなのだ。
「ありがとう! フラン」
ソファーにちょこんと腰かけているお嬢様に紅茶を差し出すと嬉しそうにへらりと微笑み、礼を言ってくる。
「……仕事ですから」
私が素っ気なく言っても彼女は嬉しそうにまた笑う。……この人は、本当にどうかしている。
紅茶を飲み終えたお嬢様は部屋をうろうろとしながら足の具合を確認しているようだった。
「すごい! 歩けるわ、フラン!」
彼女は嬉々としているが見ている方は気が気ではない。この人は粗忽者なのだ。調子に乗って転んだりしたら、昨日の治療が元の木阿弥となってしまうかもしれない。
「調子に乗るとまた足を挫きますよ。大人しくしていてください」
私がそう言うとお嬢様は少し驚いた顔をした後にこちらへとちょこちょこと歩み寄ってきた。そしてその大きな紅玉の瞳を瞬かせながら私をじっと見つめてくる。
「……フラン、心配してくれているの?」
頬を染め、期待に満ちた顔で言うお嬢様が……――しくて、反面とても憎らしい。
「王立学園の入学式に王子の婚約者かつ筆頭公爵家のご令嬢が欠席なんて問題でしょう。それを案じているだけです」
なんだか腹が立って私は彼女の額に勢いよくデコピンを飛ばした。
すると彼女は拗ねたように口を尖らせながら痛そうに赤くなった額を撫でる。その姿を見ながら少しスッキリしたな、なんて考えていたら……。
「あのね、好きよ。フランも私のこと早く好きになってね?」
お嬢様が私の袖を引いてそんなことを言い出すものだから。その手を思いきり振り払い、私は苦い顔をしてしまった。
フランさんの割と日常的な不憫な朝です。
フラン視点があと1~2話続く予定です。
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