従者は死に場所を辿る令嬢を見る2(フラン視点)
お嬢様はカフェテリアの次は学園にある小さな森へ行きたいと言い出した。
学園内のものとはいえ森は広いし足元も悪い。
だから本当はお嬢様を連れて行きたくはなかったのだけれど、彼女がなにか明確な『目的』を持って動いていることには気づいていたので私はそれを尊重することにした。
思いつきのみで言っている様子なら多少手荒なことをしてでも連れ帰っていただろう。
『西の森』の入り口から中を覗くとやはり足元は悪そうだ。落ち葉が降り積もっているから転んでも怪我はしないだろうが……。
「お嬢様、ほら」
私は仕方なしにお嬢様に手を差し出した。
彼女は甘やかすとすぐ調子に乗るので、躾という面で考えると甘やかしたくはないのだが。足元が悪いからこれは仕方ないだろう、うん。
お嬢様は差し出された手を見て、私の顔を見る。それを何度か繰り返した後に、なぜか懐から財布を取り出した。
お嬢様の懐……それはつまりドレスの生地と胸の、隙間である。
……そんなところに財布を入れるなと、いつも言っているのにこの人はまた……!
どれだけ無頓着で無防備なんだと本当に腹が立つ。
そして彼女はその財布を私の差し出した手の上に恭しく置いた。
「お嬢様、なにをしているのですか」
「いえ……課金しろって意味かなと……」
お嬢様はそう言いながら手を合わせて私を拝む。
この人の考えていることが本当にわからない。これでは主人から私が常に金をせびっているようじゃないか。
私の給金は確かに上がり続けているが、この人が私の物を盗むせいなので不可抗力である。
腹が立ったのでその財布で軽く数度お嬢様の頭をはたくと、彼女は痛そうな……けれどなんだか嬉しそうな顔になった。なぜ喜ぶ、この変態!
「森は足元が悪いから手を貸すと言っているんだ! 馬鹿なのかお嬢様は!」
「えっ、手を! 手を! 繋いでくださるんですか!?」
私が唸るように言うと彼女は真っ赤になって目に見えて動揺した。
人の洗濯してないシャツを嗅いでうっとりしたり、朝起こしに行き上掛けをめくったら私の靴を抱いて寝ていたり、変態行為には躊躇が無いくせに手を繋ぐくらいでなぜこの反応なのだ。
お嬢様はもじもじとしながら私の手に自分の手を重ねようとしては引っ込めたりしている。
……くそっ、こうしてると普通に可愛く見えるから困るんだ。この見た目詐欺!
「繋がないなら、別にいいですけど」
「繋がせてください! お願いします!!」
引っ込めようとした私の手を、彼女は慌てて握った。その手は微かに震えている。
お嬢様は私の手の感触を確かめるように何度か握りなおすと……嬉しそうに笑った。
「……なにだらしない顔をしてるんですか」
「だってフランが好きだから。手を繋げて嬉しいの」
……気持ちに応えることができない私を好きだなんて。本当に貴女は馬鹿なのか。
私はため息をついて彼女の手を引く。その手は小さくて、とても頼りない。
お嬢様は私の顔をこっそりと伺いながら幸せそうに微笑んだ。
こんな中庸な顔を見て、この人はなにが楽しいのだろうか。お嬢様くらい顔がよければ、鏡で自分の顔を見ていた方が楽しいと思うのだが。
「フラン、好きよ」
お嬢様が握る手に力を少しこめて、囁くように言う。
「黙ってください」
私は疼きそうになる心の奥のなにかには見ないふりをして、少し乱暴にお嬢様に返した。
「フランは私のこと、嫌い?」
お嬢様が少し不安そうに訊いてくる。
その言葉を口にすればここで彼女の想いを断ち切れるのだろうか。
「……黙れと言っているでしょう」
……そう思ったのに。
私の口は『嫌い』という言葉を紡ぐことができなかった。
……遠くからなにかが近づいてくる気配がした。
一、二、三……これは獣の足音か。だけどその気配には敵意は感じられず、好意と好奇心の色が強い。
これは無害な飼い犬だな。そう思った私は気配が近づくままに任せた。
しばらくするとガサガサと茂みが揺れ、好奇心で目をキラキラさせた犬たちがお嬢様へと向かっていく。
お嬢様の反応が見たいという悪戯心が湧き……私は犬たちを止めることをしなかった。
「ひ……ひぇええええ!?」
お嬢様の悲鳴が上がる。犬たちは尻尾を振りながらお嬢様を押し倒し、その顔をべろべろと舐め回した。
今は驚いた顔をしているお嬢様だが、そのうち笑いながら立ち上がるだろう。
そう思いながら……お嬢様の顔を見ると。
――彼女の顔は、心からの恐怖で歪んでいた。
「や……やだぁ!! 食べられる!!」
お嬢様は叫び、涙し、体を激しく震わせる。
こんな心からの恐怖を表すお嬢様を見たのは初めてで私は狼狽した。
田舎育ちの私と違ってお嬢様は箱入りなのだ。こんなに大きな犬と接したのは、今までの人生でなかったのかもしれない。
自分の迂闊さに私は心底の後悔を覚えた。
「――引け」
威圧をこめて犬たちに声をかけると、彼らは恭順を示すように尻尾を丸めその場に座り大人しくなる。
けれど犬たちが離れてもお嬢様は地面に横たわり両手で体を抱きしめ、大きくその身を震わせながら泣いていた。
「フラン! フラン! やだ、怖い……! 怖い!!」
助けを求めるように彼女が叫ぶ。
「お嬢様、もう大丈夫ですから!」
お嬢様の体を揺さぶり声をかけるが彼女は涙を流しながら頭を振るばかりだ。
こんなにも、怯えさせてしまうとは。悪戯心を起こしてしまった自分に本当に嫌気がさす。
「……お嬢様!」
私は彼女の体を無理やり起こし、無我夢中で抱きしめた。
背中をゆっくりと撫で落ち着かせようとするが、彼女の混乱は収まらず腕の中から逃げようともがく。
そんな彼女の体を私は……さらに強く抱きこんだ。
「お嬢様、落ち着いて。深呼吸をしてください」
声をかけ、背中を撫でる。
初めて抱きしめた彼女の体は思っていた以上に華奢で小さくとても柔らかだ。その感触にお嬢様が一人の女性なのだと意識せざるを得なくて、私は内心動揺した。
彼女が使っている香水の花のような香りが鼻先を掠め胸がひどく締めつけられる。
――ああ、この人を、離したくない。
それは決して望んではいけないこと。
けれど私は……そう願わずにはいられなかった。
立場などが絡みままならない彼の心境。次回もフラン視点になります。