令嬢と婚約者(仮)の決め事
「やぁ、婚約者殿。久しぶりだね」
季節は春になり、入学式の前日。
公爵家の仰々しい家紋が入った大きな馬車から使用人たちが私とレインの荷物を降ろし、寮へ運んでいるのを眺めていると婚約者(仮)から声をかけられた。
淡い色の金髪、緑の煌めく瞳、私以外の世のご令嬢なら喜んで黄色い悲鳴を上げそうなハイスペックフェイス。
私は思わずその美しいご尊顔を苦虫を嚙み潰したような顔で見つめてしまった。
「お会いしたかったわ、ヒーニアス王子。今日も素敵ですね」
口から棒読みで言葉が漏れる。仕方ないわよね、うん。
「はは、不快感を隠そうともしないんだね。僕のマーガレット」
ヒーニアス王子は対照的ににこやかな笑みを浮かべ、私の手を取りゆっくりと甲に口づけた。
というか『僕の』ってなんだ。私は爪の先から髪の一本までフランのものよ! いつの間にか呼び捨てになってるし!
「不快でもないですけど。興味もないですね」
私は興味が湧かないというだけで美形自体を嫌悪している訳ではない。綺麗なお顔を見たら素直に綺麗だなーとは思うし。ただ、ときめかないのよね。
「……ふーん……」
つん、と顔を反らして私が言うとヒーニアス王子の美しい瞳がすっと細くなる。
そして彼は突然私の腰を引き寄せると、その美しい顔を至近距離まで近づけた。私は眉を顰めながら間近に迫ったヒーニアス王子の顔をじっと見つめ返した。
「近いです。淑女にすることじゃありませんよ」
「本当に僕に興味がないんだ。……ショックだな」
そう言いながらも彼はショックを受けている様子はなく、その態度は落ち着いたものだ。
「そう言っているでしょう。放してください」
私が苛立ったように言ってもヒーニアス王子は解放してくれない。というか顔、近づいてきてませんかね……!?
「……なにをしているのです」
――ひやり、と周囲の温度が下がり空気が殺気で満ちたような気がした。
恐怖を感じながらそちらに視線を向けると、そこに立っていたのは――引っ越しの荷物を抱えた普段通りのフランだった。
その少し後ろには同じく両手に荷物を抱えたレインも頬を膨らませて立っている。レイン……姿を見ないと思ったら引っ越しのお手伝いをしていたのね。
さっきの空気は気のせい……なのかな。
ヒーニアス王子は柔らかな微笑みを浮かべて私から身を離した。だけどその頬には一筋の汗が伝っている。
「なにって……婚約者殿に挨拶だよ?」
「お姉様への距離が近すぎなんです! 腹黒の人!」
レインが荷物を下に置いてぷんすかと怒りながらこちらに駆け寄った。そして私とヒーニアス王子の間に割って入ると大きく手を広げて立ち塞がり、大きな瞳で彼を睨みつけた。
「腹黒の人って……。君たち姉妹は不敬罪っていう言葉を知らないのかなぁ」
王子は頭をかきながら少し困ったようにため息を漏らした。
「まぁ今回のは僕が悪かったよ。あまりにマーガレットの反応が悪いから、からかいたくなっただけだ」
そう言いながら彼は両手を上げて人好きのする笑みを浮かべた後に……私に真剣な目を向けた。
「でもね……婚約は家同士の決めごとで僕らにはどうしようもないことなんだ。だから、そこの従者が好きだなんて子供みたいに駄々をこねていないで僕と仲良くしよう?」
「――ッ」
「……別に婚姻後に世継ぎを産んでからなら、従者を愛人にしてもいいよ。だけど僕と君は結婚する。これは決定事項だ」
私は彼の言葉を聞いて唇を噛みしめた。
彼の言うことはあまりに正論だ。正論だからこそ私には逃げ場がない。
フランを愛人になんて嫌だ。私は彼だけがいい。
フランの方に目を向ける。彼は……無表情で王子を見つめていて、その感情はまったく読めなかった。
「わ、私が貴方の婚約者に……!」
レインがヒーニアス王子に食らいつく。けれど彼はレインの唇にそっと人差し指を置いてその言葉を止めた。
「『光の乙女』。先日は君でもかまわないと言ったけれど……あれは冗談だよ。君は王家にとってあくまで二の矢だ。君には一番大事な『血筋』が欠けている」
『血筋』……その言葉にレインは泣きそうに顔を歪めた。レインは『光の乙女』で公爵家の養子だけれどその血はあくまで平民のものだ。
エインワース公爵家の娘でさえあれば婚約者に据えられる、なんて単純な話ではなかったのね。私は自分の見通しの甘さに歯噛みした。
『ヒーローとヒロインが相思相愛の末に結ばれてくれれば全ては丸く解決する』と私は思っていた。だけど彼らが相思相愛になった場合……一番の障害は『エインワース公爵家の正当な血を引く』私になる。
婚約破棄は容易にできない。そうなると……。
ゲームで見た、塔から突き落とされる自分の姿が脳裏に浮かぶ。
王子ルートに関しては私の死亡フラグは回避できていないし、レインと王子がくっつかなかったとしてもこのままでは私は王妃になるしかないってことか。
背中を冷たい汗が伝う。フランに連れて逃げて欲しいけれど、それこそ相思相愛じゃないと無理だ。そうなったとしても王子の婚約者の逃亡なんて追手がきっとかかるだろう。抜け道、抜け道はどこなの……!
ぐるぐると考えている私を面白そうに見つめた後、ヒーニアス王子は口を開いた。
「僕も鬼じゃない。公爵家との婚約破棄に相当する対価を差し出せるなら、父上にとりなしてあげる」
「対価……」
私は彼の言葉を反芻する。
「国が買えるほどの金銭でもいい、大国の王女と僕の縁を取り持つという手もあるね。世紀の大発明なんてものもありだね。なんならこの国を未曾有の危機から救う、なんてことでもいいよ。ただし、それは君の力で成すこと……公爵家の力でなにかを成してもそれは公爵家の手柄だからね」
箱入り娘に無茶を言う。
……でも、状況を鑑みると私にはそれしか残されていないのだろう。
「……わかりました。功を立てて必ず、婚約破棄をしてみせます」
私がそう言うと、ヒーニアス王子はなんだか楽しそうに笑った。
「期限は君と僕が婚姻を結ぶ十八までだ。なにもできずに君が王妃になっても大事にするから安心して?」
そう言って彼は爽やかに微笑んでから、軽やかに踵を返し去っていった。
よ……よーし、やってやる! 十八までにどえらいことをやってみせるから、待ってなさいよ!
婚約破棄への道のりは遠い。
そんなこんなで学園生活が始まります。
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