令嬢はモブの抜け殻を蒐集する
フランが屋敷に来てから一年後。私が十歳の時、ゲームの通りヒロインもこの屋敷へとやってきた。
初めて紹介された時のレイン……今ではレイン・エインワースね、は気弱な雰囲気の美少女でその青い瞳を不安で揺らしながら紹介された義姉を見つめていた。
そりゃあそうよね、先日まで平民だったのにこの世で唯一の光魔法の使い手だからといって、いきなり筆頭公爵家の養女にされてしまったのだ。怯えても仕方がないわ。
水色の髪の美少女はゲーム中の印象通り儚げで繊細な美貌だ。
ああー……可愛い。数ヵ月私が先に生まれただけなんだけど、この子が私の妹になるのか。
私はゲームのように彼女の頬を思いっきり叩かず。にっこり微笑んで彼女を抱きしめたのだった。
「よろしくね、レイン。私が姉のマーガレットよ」
その日から私は、レインを猫かわいがりした。ヒロインは素直でとても可愛くて。むしろこんな子をよくいじめられたなぁ、とゲームの自分に感心してしまう。
……猫かわいがりのせいでレインが多少おかしな方向へと行ってしまったのだけれど。
それは後述しよう。
フランとの運命の出会いから五年が経ち、私マーガレット・エインワースは十四歳になっていた。
今では胸もすっかり人並み以上に成長し、以前でも色香漂う美少女だったのがさらに色気が増している。
そして私とフランの関係がどうなったかといいますとね。
「お嬢様、私のシャツを知りませんか?」
フランはその細い目をさらに細め、伺うような視線で私を見つめる。
ああっ……フラン、フランから見つめられてる……! 目が細いからわかりづらいけど、これは見つめられているのよね。どうしよう、好き!
それにしてもシャツですって? そんなもの心当たりがあるわけないじゃない。
――ええ、決してないわ。
「知らないわよ、フラン。ベッドの下にでも落ちているんじゃないの?」
はーいい匂いだなぁ……。私は手元にある布をくんかくんかと嗅ぎ、至福に浸る。
「お嬢様。その手に持っている布は私のシャツに見えるのですが」
「気のせいよ! ああ……いい香り……」
フランの香りがする未洗濯のシャツは幸せの匂いがする。
これをどこから持ってきたかって? メイドに大量のチップを払って購入したに決まっているじゃない!
エインワース家ではフランの日用品は高レートで取り引きをされているのだ。取り引き先は私だけなんだけど。
以前は金目当てで偽造品を渡そうとする使用人もいたけれど私の嗅覚はごまかせない。そんな使用人は厳罰に処した上でクビにしているので、今では偽造品を掴ませようという愚か者なんて存在しないのだ。
彼のシャツを身にまとい彼シャツ気分を堪能する私を、フランは射抜くような視線で見つめる。
「お嬢様。貴女は本当にどうしようもない女ですね。恥を知りなさい」
「ひゃいっ!」
「嬉しそうに返事をするんじゃない。この変態が」
「しゅみません、ご主人様っ……」
「貴女のご主人様だなんてそんな気持ち悪いものになった覚えはありません。貴女と私は雇用主の娘と使用人の関係でしかない。それ以上の関係になることは死んでもありませんから、いいですね」
フランの目が冷たい。だけどそれが心地いい。ああ、私をもっと見て。
私がその視線を受け喜びの笑みを漏らすと、フランは虫けらでも見たかのような苦い顔をした。
……私とフランの関係が最初からこうだったわけではない。
最初の二、三年私は彼に普通にアプローチをしていたのだ。
好きだと言い将来は貴方のお嫁さんになりたいと言い、可愛らしく少女らしい接触を繰り返していた。
しかし彼は一向になびいてくれなかった。
その細い目の眦を困ったように下げ『身分が違いますので』と優しく言うばかり。
馬鹿野郎! 駆け落ちでもすればいいじゃねぇか! 無責任な私はそんなことを思ったものだ。
好きな人と一緒にいるのに、彼はちっとも振り向いてくれない。
……そしてそんなフラストレーションが溜まる毎日を過ごしていた私はとある日いけないことに気づいてしまった。
フランの身の回りのもの全てが前世でどう願っても手に入れられなかった『公式グッズ』であるということに。
そう気づいてしまうと、彼の身の回りの物を集めたいという気持ちは止められなかった。
最初はメイドに頼んで彼の使用済みのハンカチを売って……いや、もらった。ええ、いただいたの。
その時のメイドの奇怪なものを見る目は忘れられない『お嬢様も物好きですねぇ』なんて言われたっけ。フランのよさがわからないなんて、ダメなメイドね。
そしてそこからは坂を転がり落ちるように私は『公式グッズ』の収集に励んだ。
『最近物がよく無くなるんですよね……屋敷に盗人がいるなんて思いたくないですが』
『まぁ、なんて可哀想なの。お給金をお父様に増やして頂くから、どんどん買い足してちょうだい』
悲しげに言う彼のお給金を私はお父様にお願いして倍額にしてもらった。
お父様はすっかり可愛くなった私に夢中なのでなんでも言うことを聞いてくれるの。美少女になってよかったわ。
こうしてつつがなく『公式グッズ』蒐集に励んでいたのだけれど。
……下着や靴下などの人間としての一線を超えるものは集めていないわよ。ええ。私は理性的なお嬢様なのだ。
しかしとうとう、彼にそれがバレてしまった。
ベッドの上に『公式グッズ』を並べて抱きしめたりしてそれを堪能しているところを……フランに発見されてしまったのだ。
その時のフランのドブネズミを見るような目は一生忘れられない。
『お嬢様、貴女もしかして……。どうしようもない変態なのですか?』
それが彼から初めて受けた、罵倒だった。
その日からフランは私に完全なる素を見せてくれるようになったのだ。
ポジティブすぎるって? いいの、その方が毎日が楽しいから。
ああ……彼のお口が実はこんなに悪いだなんて、これも公式ファンブックには載っていなかったわ。
「フランがお嫁さんにしてくれたら、こんなことはもう止めるわ。本体があればそれが一番ですもの」
「私は変態と人生を共にする気はございませんので。盗まれたものを差し引いても……誰かの差し金でしょうが……お給金がよその二倍以上はあるので、仕方なく貴女にお仕えしているのです」
そう。私の所業のせいで彼のお給金はうなぎ登りだ。
だからといって彼のおかげでかなりの臨時収入が発生する他の使用人たちから不満が出ることはない。WIN-WINってやつね。
「マーガレットお姉様ぁ!」
可愛らしい声と共に、不躾なくらいの勢いで部屋の扉が開いた。
そして繊細で愛らしい容貌の義妹が部屋へと転がり込み、私の胸へとダイブした。
そうそう。猫かわいがりした義妹は……。
「お姉様、陰険腹黒糸目にいじめられているのですか? 可哀想、本当に可哀想。こんなにお綺麗なお姉様をいじめるなんて、クビにしましょう?」
レインはそう言いながらフランに剣呑な目を向ける。フランは睨まれても、ぷいっと横を向いて知らんぷりをした。……ああ、その仕草可愛い。
可愛がりすぎた義妹はお姉様絶対主義のシスコンへと、変化を遂げてしまった。
ゲームの中ではいつも悲壮感を漂わせていた儚げなヒロインの面影はもはや義妹にはない。
……おかしいわね。
予定では柔和な笑顔のフランと優しい恋を育み、レインはほどほどの距離感で私と仲良くしてくれる感じになるはずだったんだけど。
まぁ、これはシナリオに完全勝利したとみていいだろう。このレインが原因で犬に食われて死ぬシナリオが発生するとは、もはや思えない。
「お姉様、お姉様。今年初めての薔薇がお庭に咲いたの! 見に行きましょう!」
そう言って手を引っ張るレインは、とても可愛い。だから甘やかしてしまうのよね。
「フランも一緒に……」
「いえ、結構です」
そう言ってフランはこちらへ近づいてきて……その距離が、一気に縮まった。
「え……」
フランの白い面差しが近い。どうしよう、口づけでもされてしまうのかしら。心の準備はいつでもOKよ?
彼は私の肩に手をかけると……するりと肩にかかっていた自分のシャツを取り外した。
ああああ! 最新の『公式グッズ』が!!!
「私の『公式グッズ』!」
「お嬢様、これは私のシャツです」
没収される『公式グッズ』を涙目で見送りながら、私はレインに手を引かれ庭へと出たのだった。
お嬢様は、大変な変態に目覚めてしまいました。




