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1章

 私には二つ違いの兄がいる。

 仲は悪くないと思う。

 自信はないけど、それでも信じていた。

 ううん、信じたかった……


 その日は朝から冷たい雨が降っていた。

「どうしよう、間に合わないよぉ」

 今日は出発の日。

 大学三年生になった兄は、海外留学で半年間、アメリカに行ってしまう。

 羽田空港の出発ロビーで17時。それは当日どうしても抜けられない用事があった私が、兄とお別れの食事をしようと約束をした、最後の時間。それなのに……

「もう! もう!! なんでこんな時に電車が止まるのよぉ!!!」

 雨の勢いはとどまることを知らず、羽田空港へとつながる京急電鉄の掲示板は「遅延」の表示から、「運転見合わせ」へと変わっていた。

 私は止まったままの京急電鉄の空港線特急電車の中で、兄にメッセージを送る。

「ごめん! 電車が止まっていて遅れそう!! m(_ _)m)」

 もう、なんでこんな時に、こんなことが起こるの!

 そう思った瞬間に、私のスマホがプルルルと震え、メッセージの着信を知らせる。

「了解。先に食事をしているから、着いたら連絡するように」

 いつもの兄の口調がそこにあった。

 その言葉に含まれている色んな意味に、私の瞳から景色が滲みだしていた。

 力なく垂れさがった右手が、知らず知らずのうちに、トートバッグの中にある紙袋を「ギュッ」と握りしめていた。

(お願い、神様! 早く動いて!!)

 左手は無意識の内に左胸をさすっていた。

 ブラとは少し離れた場所、薄いタンクトップ越しにそれでもはっきりとわかる一筋の傷痕……

 いつだってそうだ。私は大好きな人に迷惑をかけることしか出来ない……

「……おにいちゃん」

 胸が痛い。手に触れる傷よりもずっと奥、心の大切な部分が痛くてたまらない。なんで、なんで……

(なんで私は妹なんかになっちゃったんだろう……)

 その時、微かな駆動音と共に、電車が動き出す。

 でもそれはとってもゆっくりした動き。

 まるで人の歩く速度と変わらないような電車の進みは、今にも止まりそうなほどのスピードを保ったまま、羽田空港まであと数駅という場所で、再び動きを止めてしまった。

「えっ?! なんで!?」

 いったいどんな顔を、その時私はしていたのだろう?

 よほど見かねかねたのか目の前にいる白髪のおじさんが私に声をかけてきた。

「お嬢ちゃん、運が悪かったねェ。ここはちょうど品川から来る電車と横浜から来る電車が交差する駅で、いっつも電車が渋滞しちゃうんだよねぇ」

「そ、そうなんですね…… ありがとうございます……」


 完全に動きを止めた電車。

 雨粒の勢いは増し、風が激しく窓を打ち付ける。

 何も出来ない。何もすることが出来ない。

 奇妙な静寂に包まれた車内。

 遠くで赤ん坊の泣き叫ぶ声が聞こえた……


 その泣き声が、どこか、遥か遠くにあった記憶を思い出させる

 あの時も、そうだった……


 プルルと再び私のスマホが震える。

Ti(ティ Amo(アーモで18時までいる」

 反射的に腕時計を見る。針は17時半を示していた。

 あと30分。あとたった4駅。でもその4駅が果てしなく遠い。

 

 ……遠い


 「まだ、間に合う? 間に合う! おねがい間に合って!!」

 私が羽田空港駅を降りた時、時間は17時58分を指していた。

 エスカレーターを駆け上がり、辺りを見渡し、必死になって走る。

 もう、なんでこんなに広いの!

 右も、左も、どこまでも遠くまで繋がっていく、そのあまりの広さに呆然となりながら、迷って、迷って、あった!

 案内所にいるきれいな女性のもとへ、私は一直線に走り寄る。

「あのっ、ティアモってお店、どこですか?!」

「えっ? ああ、はい『ティ・アーモ(Ti Amo)』でございますか? それでしたら、この建物の4階のひが……」

「4階ですね! ありがとうございます!!」


 4階、4階…… うそ? なんでこんなに広いのよぉ!!

 息が切れる。

 心臓が早鐘のように鳴り響いて、痛い。


 迷い、迷ってようやくたどり着いたTi Amoは、東の一番奥にポツンと隠れるようにして存在していた。

 窓際から、出立の飛行機が良く見える場所。


 そして……

 たどり着いた時、その席には誰もいなかった。

 二人用の席に、手付かずのワイングラスが二つ。中には一口分だけ、ビロードのような赤ワインが残っていた。

 私はフラフラと脱力したまま、おにいちゃんの座っていたと思われるイスの前で呆然と立ち尽くす。

 今更ながら気付いた腕時計の針は、18時30分を指していた。

「……ごめん、ごめんね。ほんと、ごめんなさい……」

 涙に霞む瞳。

 ふとテーブルに視線を這わすと、ワイングラスの置かれたコースターに、青いペンで文字が書かれていた。

 たった一言、

「バカ」

 と。


 力なく沈む私の瞳に、大きな窓越しに差し込む夕映えの空港が映り込む。

 それを映しこむグラスも、また血のように紅い。

 真っ赤に燃える空に向かって旅立つ飛行機が、そのままワイングラスの海へ沈み、そして、飛び立った。


「……ごめん、ね」

 

短い章を数話だけ、それで完結させます。

次は明日(8/12)に更新しますので、数日だけお付き合いください。

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