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wound × kiss  作者: 音穏
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07.コーヒー

 待ち合わせは、大抵、コーヒーの美味しい「おがみ」というカフェになる私とアミ。

 この日もアミのバイトがあと一時間で終わるというから、カフェで時間を潰すことになって、私はマスターが目の前にいるカウンターへと腰を落ち着けた。

 モダンなベージュのテーブルには、ピンクのリボンをあしらった可愛らしい小さな瓶に一輪だけ花が飾られている。数軒隣にある花屋で三日置きに花を買って、自分で飾っていると少し前に、マスターから聞いた。

 今日は白くて小さい花一輪。見たことはあるけど、名前までは知らなくて。

 ぼんやりその花を眺めていると、マスターに優しく問いかけられた。

「いつもので良いですか? さくらさん」

「あ、はい」

 マスターの優しい問いかけに、私は笑顔で頷く。

 この店の空間はとても優しい。空気を優しい、というのは何だか変かもしれないけど、そう思えてしまうのはきっと、マスターの人柄なんじゃないかと思う。

 外は、ぱらぱらと降る小雨。さすがに梅雨なんだし、雨が降りやすい気候といえばそれまでなんだけど。

 こぽこぽ、とコーヒーの淹れられる音が遠くから響く。

 今度はマスターの手馴れた動きをぼんやりと眺めながら、私は小さく息をついた。

「その花、何か分かりますか?」

「いえ…見たことはあるんですけど」

 さっき花を見つめていたことに気づいていたらしくて、マスターがそう尋ねてきたけれど、私は肩を竦めて頭を左右に振った。

「カスミソウ、というんですよ」

 でもその名を聞いて、ぴんとくる。

 大きな花束に入っていて、小さいこれは引き立て役になっている。鮮やかな花たちの。

「…」

 引き立て役。周りにある、花の。

 そう考えるだけで、泣きたくなって。私は俯き加減で目を強く閉じた。

 

 恋人のいる人を好きになったところで、何一つ希望なんてないと分かっているのに、どうして諦められないんだろう。

 振向いてもらえることさえ、ないのに。

 いつか諦められるんだろうか?

 友達として接し続けていれば。

 

「…………」

「どうしました?」

 それに気がついたマスターに、尋ねられて。

 どきりと心臓が大きく鳴った。

 考えていたのは、コウのことだったから。

 叶わないと分かっていても、好きな人の、こと。

「マスター…私ね……」

 そこまで言って、言葉を区切る。

 はい、と続きを促すような返事が耳に届いてきたけれど、私は俯いて。

 ベージュのテーブルを虚ろに見つめるだけ。

 切り出したいけど、…どう言えばいいのか、分からなかった。

「何か、悩みでも?」

「……はい」

 また小さく頷く。

 …胸が痛くて。

 ……一緒にいたいけど、…友達でしかなくて。

 好き、という言葉さえ言ってはいけない。

 

 彼には恋人が居る。

 私よりもずっと可愛くて小さくて、…コウにとても似合う。

 

 私が、…私の想いが、かなうワケもない。

 

 ぽん。

 不意に、頭の上に乗せられた手。

 手の持ち主は、マスター。顔を上げると、丸メガネの奥の柔らかい笑顔が私を見つめていた。

「悩みはね、人を成長させる階段なんですよ」

「…かいだん?」

 復唱する私に、マスターは笑顔のままで頭に乗せていた手を離してしまうと、ことんと目の前に淹れたてのコーヒーを置いてくれた。

 ホットコーヒーから、暖かな湯気が立ち上っている。

 鼻に届くほろ苦い匂いに、何故か、胸が苦しくなった。

「階段を登れば、たどり着く何かがあるでしょう? その結果がどんなものであれ、そこまでの努力は消えやしませんよ。…悩みは苦しいけれど、価値のあるものです」

 穏やかな声。

 非難めいたものでも、説教じみたものでもない、言葉。

 きっとマスターが経験してきて思ったことだろう、こと。

 だからこそ、胸に響く。

「ですが、悩みは心身共に疲れさせるもの。毎日、それでは疲れるでしょう? たまには好きなことで無心になって、頭を空にしてみると良いですよ」

 マスターの言葉に、私は一瞬であることを思いついた。

 私は、料理が好き。

 そういえば、料理のときだけは、ただ夢中になれて、楽しい。

 魚の照り焼きでも、ラザニアでも、シュウマイでも。時間がどれだけ掛かる料理でも、時間を忘れるほど楽しくて。

 泣きたくなるほどの気持ちで頭の中は溢れているのに、不思議とそのときだけは…心が弾んでいる。

 もちろん、何かを作るっていうこともだけど。それ以上に、美味しいと笑って食べてくれる親友がそばにいてくれる。

 それがきっととても、私にとって無くてはならないもので。

 例えこの想いが叶わなくたって。例え、…誰かの引き立て役だって。

 満足するべきなのだ。そういうものを持っている私は。

 

「そうですね…」

 苦笑して頷くと、マスターは「コーヒーをどうぞ」と一言薦めてから、続けた。

 相変わらず、穏やかな声で。

「大丈夫。悩みはいつか、望んだ形ではなくとも、解決しますよ」

 大丈夫。

 そう言われるだけで、何故か、安心する。

 解決したときが、この想いを諦めなければならないときなのだと、もうすでに今から分かっていることだけれど。

「ありがとう、マスター」

 笑いかけて、私はコーヒーカップを手にする。

 最初の頃はブラックも飲めなかった私が、マスターの淹れたコーヒーだとミルクや砂糖が無くても飲めるようになった。

 そうやって、解決していくものなのかもしれない。

 自分の中で小さなことが少しずつ変わっていって。

「やっぱり、マスターと話して、こうしてコーヒーを飲むと、落ち着きます」

「そうですか」

 笑顔を返されて、私がコーヒーのカップを置いたと同時。

 マスターがふと思い出したように、付け加えた。

「そういえば…コウさんも、さくらさんと同じことを仰ってましたよ。ここでコーヒーを飲むと、落ち着くと」

「……っ」

 

 ―――…同じ。

 

 ただそれだけ。そう、何でもないこと。

 他の人もそう思っているかもしれなくても……こんな些細なことが私を幸せにする。

 

「さくらさん…?」

「あはは、何だか、泣けてきました」

 無意識に零れた涙を、私は笑いながら指先でふき取る。

 うん。大丈夫。

 この空気を、コーヒーを、同じ気持ちで感じ取ることができる。それだけで満足。

 振向いてもらえなくても。

 友達として近くにいることは、きっと、できるから。

「はい、どうぞ」

「え、あの…頼んでないですよ。それに、花…せっかく生けてあったのに」

 どうぞ、と差し出されたのは、たった今まで生けてカスミソウの花。活けていた小瓶ごと、目の前に置かれた。

 もう一つは生クリームの乗った可愛らしい小さなイチゴのタルト。

 ここのタルトは甘さ控えめで、コーヒーと合わせて食べるととても美味しく作られている。でも…私は頼んでいないから、遠慮したのだけど。

「アミさんには、秘密、ですよ」

 驚く私にマスターはそう言いながら、ぱちりとウインクしてくるから。

 涙も忘れて、笑いながらこの些細で甘い幸せを受け入れることにした。

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