06.ため息
夕方のこと。
だんだんだん、と荒い足音を立ててアパートの廊下を駆け上がり、オレは家の玄関を思い切り力任せに開け放った。
と、同時に、部屋へ飛び込むなり、そこにいるだろう目当ての人間へ怒鳴る。
「じいさんっ!!」
「おお、コウかい。お帰り」
「お帰り、じゃねえ! 何、勝手にやって来て、迷子になった挙句、海斗に保護されてんだ!」
今日の昼過ぎ。
ダチの海斗からメールがあった。土木工事のバイト中に。
その内容は至ってシンプル。
おふくろの親父、…つまり、オレにとっては祖父にあたるじいさんが実家から出てきたはいいが、迷子になっていて、公園で見つけたってもので。
バイト中にも関わらず、一気に頭へ血が上ったのは言うまでもねえ。
海斗は、今日はたまたま仕事が休みで。
アミのバイト先であるファーストフードへ遊びに行こうとしてたところだったっつーから、本当に運が良いと思う。
もし、海斗に見つけてもらってなかったら、…まだこの浅葱町のどっかでウロついていたんかって思うと、背筋も凍る。
さすがにもう、八十過ぎのじいさんだ。まだ元気っつっても、車は多いし、ゆったりとした時間が流れる田舎の山ん中と町は全然勝手が違う。
それをよく分かってねえから、困ったもんだ。
「それがさ、聞けよ。コウ」
「あ?」
深いため息を吐き出していると、ここまでじいさんを連れてきた海斗が驚きの表情を浮かべて続けた。
人ん家でかなりくつろいだ上、置いてた車の雑誌を勝手に読みつつ。
「さっき聞いたんだけどよ、じっちゃん、公園も見つけられんで迷ってたらしいぜ」
「…じいさん…」
それを聞いて、ますます頭痛がしてきた。
公園一つ見つけられねえくせに、何してんだ…!
「ほっほっほ」
そして、何で笑ってやがんだ、こいつは!
むかむかする胸ん中の怒りを、そのままぶつけようとしたオレに、海斗から爆弾が投げられた。
「そんでよ。公園まで案内したのが、どうやら、さくららしい」
どきり。心臓がまるでパブロフの犬みてえに正直に反応した。
アイツの名前に。
「さくら…も、仕事中だろ。別人じゃねえのかよ」
大きく鳴り出した早い鼓動に気づかれねえよう、興味のない素振りで言い返すが。
じいさんは海斗の携帯を指差して、にこりと笑った。
「海斗の携帯にな、わしを送ってくれた女の子がおったよ。重いだろうに、荷物も持ってくれたし、こんなじいさんの話を、嫌な顔せず聞いてくれた良い子じゃったわ」
そういうじいさんの隣で、海斗が携帯で写したらしい写真を見せてくれた。
確かにそこには、アミとさくらの二人が明るい笑顔を浮かべて並んで写っている。たぶん、二月頃、海斗と出会ったばかりの頃のものだ。
青い海をバックに、二人が暖かげな日差しを浴びながら、ウェットスーツってのを着て楽しげにメシを食べている。
見るだけで楽しげな雰囲気を感じられるような。
「その案内してくれたやつの特徴ってのが、白衣と、栗毛なんだよ」
「…そんなやつ、大勢いるだろ…」
言葉では否定していた。
けど、頭の中では確信していた。アイツなら、やりかねねえから。
困ったヤツを見たら、できることはないかと自分で模索して、行動に移す。そんなやつだから。
そこが、オレには、…。
「年老いたとはいえ、記憶力はまだまだ負けんぞ! その子が公園まで案内してくれた気立ての良い娘さんじゃよ」
じいさんはよっぽど自分の記憶に自信があるようで、そう断言して。
勝手に海斗が淹れたらしい茶を飲んだ。
それはもうすっかり冷えてるようで、熱さを感じさせない。
「…それだったら、…今度礼言っとくけどよ」
「そのときはわしがまた会いたがっておったと伝えておいとくれ」
じいさんは楽しげにそう言ったあと、海斗へ携帯の写真をもらえないかと切り出す始末。何なんだよ、ったく。
「つーか…、何しに来たんだよ。じいさん」
他の人間にはどうか知らねえが、オレに対しては完璧に自分中心でコトを進めるじいさんに、床に座り込みながら尋ねると。
ふ、とじいさんの表情がそれまでの明るさを消し去り、悲しみに染まって。
小さく呟いた。
「………命日じゃからの」
「…」
無言になるオレを、海斗は一瞥したあと、重い息をつく。
コイツはこの言葉の意味を知ってるからだ。
…十六年前。
その頃のオレはまだ、五つで。この町で両親と住んでいて。
平和に暮らしてた。物心も大してついちゃいなかったから、何もかもを覚えてるわけじゃねえけど。
穏やかで静かに暮らしていたんだ。
けど、そんな中…突然。両親を、同時に失った。
この浅葱町には駅前に結構大きめな商店街があるんだが、十六年前のその日、商店街の通りを大型トラックが暴走した。
そのトラックは十五ほどの子供が運転して、警察に補導という形で逮捕されても、よく分からないことを言い続けてたらしい。
「いつかは死ぬんだ、今殺したって同じだろ」「おれが殺してなにが悪い」…と。
多くの人がそのトラックに撥ねられ、商店街の中で息絶えた。
オレの両親は…その中の二人っつーわけだ。
オレはたまたま、通りに出ていた露店の風船に気がとられて、少しだけ両親から離れていたことが幸いした。
その命日が、明日。
つまり、…事件が起きた日ということにもなって。
元々の墓はじいさんのいる田舎にあるんだが、こっちには、…事件で亡くなった大勢の人を一緒に追悼した石碑がある。
それに参るため出てきたんだと、じいさんは寂しげな顔で笑った。
「毎年、事故現場への献花は欠かさんでおるからの。わし一人でも、やるつもりじゃて」
「オレも…行くに決まってんだろ」
「ああ」
じいさんは、母さんの親父。だから、苗字がオレとは違う。
けど、高校を卒業するまでは随分と世話になった。じいさんの住む山奥じゃ高校はなくて、こっちで一人暮らしすることになったんだが、仕送りをしてくれたりとありがたい。
今はさすがに、大学の授業料くれえは自分で稼いでんだけどよ。
「じっちゃん、久々に出てきたんだし、美味い飯でも食いにいかねえか?」
「お、そうじゃな。オススメでもあるのかい?」
「さっき案内してくれた、さくらがすげえ料理上手なんだ、これが!」
「ほお! せっかくだし、お邪魔させてもらおうかの!」
「アホか!! 迷惑ばっかかけんな!!」
海斗の誘いに軽い調子で答えるじいさんに、オレは怒鳴って。
「海斗も誘うなよ!」
続けて、海斗にも怒鳴る。
コイツは悪気があって誘ったんじゃねえからか、顔を顰めていて。
「礼がてら、だよ。おまえだって、美味いメシ食えるんだったら、文句ねえだろが」
「そういうことじゃねえよ!」
苦情を言ってくるもんだから、すぐさま、言い返す。
…はっきり言って、こいつらが二人揃っていると、疲れる。
「仕方ねえ。じっちゃん、何食いてえ?」
「そうじゃな…やはり寿司かな。よし、わしの奢りで腹いっぱい食うとしようか!」
「そりゃいいな!」
美味いメシが好きな海斗が速攻で同意した挙句、声を弾ませ笑顔を浮かべるから。
何だかひどく疲れた気がして、オレはもう一度、二人に聞こえねえよう息を吐き出した。