04.鼓動
その格好を見て、やばい、と思った。
心臓が鷲づかみされて。頬がひどく熱い気がして。
視線を逸らさずにはいられなかった。
「どうしよ…」
ここは、さっきのショップから少し離れたレストラン。お昼を過ぎているためか、休日の昼にしては店内に人は少なくて、入るなりすぐに禁煙席へ案内された。
女二人がタバコを嫌ってるんじゃなく、海斗が嫌がっているからだ。
理由は、仕事。ダイビングってのはタバコを吸う人間がすると、かなり良くないらしい。オレは詳しく知らねえが。
で、周りにはタバコの匂いも置きたくねえと海斗は言う。まあ、インストラクターってのをしてんだし、潜る回数もそんだけ多いんだから仕方ないんかもしれねえ。
「決まったか?」
その海斗は涼しい顔つきでテーブルに肘をついて、端にあったオススメメニューを眺めながら、真正面にいる女二人へ問いかけた。
「うーん…」
目の前ではニューをじっと睨んでいる女が二人。まだ食べるもんが決まらねえらしく、アミが唸り声をあげる。
海斗の手の中にあるオススメのメニューにはパフェの写真があるから、…これに釣られたんだろうな、きっと。
ちなみにコイツの食べる量は半端なく多い。どの時間帯の食事でも、大抵、二人前は軽く完食してたりする。今も、チキンステーキのセットと大盛りカツカレーをごく当たり前のように注文すると言っていた。大きい体格ではあるが、あれだけの量がどこに消えるんだか未だに謎だ。
「コウは決まった?」
「…あぁ」
ふと目があった瞬間。さくらが、そう笑顔で尋ねてきた。
それにどうにか頷く。動揺してんのを知られるのはカッコ悪ぃ気がして極力声を押さえがちで。
「そっか~…アミは決まった?」
「うーん……ん! あたし、もう、これにする。パスタのセット」
さくらの隣にいるアミが、テーブルに広げられたメニューの一部を指差す。そこには、色んなパスタの名前が並んでいて、パスタとサラダ、そして自家製ロールパンのセットがオススメとして書かれていた。
値段も内容量を考えると、安めだしな。
「うーん。じゃあ、私はこっちにしようっと」
アミの話を聞いて、さくらはあれだけ悩んでたってのにすぐメニューを決めて。
すみませーん、と声を張り上げて、ウェイトレスを呼んだ。
それぞれで食べるもんを伝えて、ウェイトレスが下がったところで、アミが水を口に含んでからオレを見る。
「ねえ、コウってデートじゃないの? 良いの?」
「…あと一時間くれぇしたら、待ち合わせ時間」
「そっか」
納得したのか、それとも単にそれだけ聞くつもりだったのか。
アミはテーブルに肘をつき、さっきまで海斗が見ていたテーブル端のオススメメニューを手にしつつ、また別の話を思い出したように切り出した。
「そうそう。この前、海斗と話したんだけどね。七月に連休あるじゃない?」
「あるね」
水の入ったコップを両手で持ったさくらが、アミの隣で頷く。
「そのとき、時間合わせて海行こうよ四人で。海の近くにあるログハウス借りてさ」
「ええ…」
難色を示したのは、意外にも、仕事場が海の海斗じゃなくて。さくらだった。
明らかに嫌そうだ。…何でだ?
こいつも、海で遊ぶんは好きなんだと思ってたんだが。確か、海斗に教えてもらってシュノーケルはしたって聞いてるし。
「大丈夫だよ、さくら。どうしても嫌だったら、ウェットあるし」
「うーん…良いの? また借りても?」
「ああ、良いぜ。念のため、借りといてやるよ」
海斗がそう頷くから、また明らかにさくらがホっとした顔を浮かべた。
ウェットっていや、ダイビング用の水着みてえなもんだったな確か。全身をある程度、水温から守ってくれる。まあ、もう一つの…なんとかってスーツよりは濡れるし、中に絶対水着を着なきゃいけねえらしいが。
「一緒にシュノーケルしよ。海斗もいるから、任せとけば安心だしさ」
「つーわけでだ。コウも行くんだからな」
「勝手に決めんな」
「明日行くぜ~っつっているわけじゃねえし、良いじゃねえか」
「…」
人の予定を、なんだと思ってんだ、こいつら。
七月の連休…彼女がいるやつを、そうやって誘うか? 普通。
そうやって呆れてるオレへ畳み掛けるように、アミが海斗の言葉を引き継ぐ形で続ける。
「あたしたちに気を使って離れようとするだろうし、さくらと一緒にいてやってよ」
「えっ、わ、私のためなの? い、良いよ、コウだって、用事あるだろうし、一人でいるくらい…」
「駄目」
「駄目だ」
さくらが、大丈夫、と手を振り拒否をすると。
何故か、二人からも拒否の言葉が飛んだ。ほぼ同時に。
しかも、即。
…何か理由でもあんのか? まあ、夏の海っつーと…ナンパするのが多いから、かもしれねえ。
こいつら…海が関連すると完全に結託して時間を忘れる傾向があるみたいだしな。
それに、さくらがナンパされるかも。そう考えるだけで吐き気がしてきて。
しかも。
「もう…コウに迷惑かけられないよ。私なんかのために」
困った顔でそう言いながら頭を振るさくらを見てたら、ひどく悲しくなって。
それ以上に、心臓が痛くなった。
例えば、これがさくらなりの気遣いなんだとしても。
そんな気遣い、無用なんだよ。オレには。
「別に、…良いけどよ」
だから、気づけばそんな言葉が口から飛び出していた。
さくらと一緒にいるだけってんなら、まだ許せるしよ。
けど、こいつらが勝手に決めたんは腹立つから、アミと海斗へ言い返しておく。
「ただ海に入んのは断る。あと…次は無えよ」
「ありがと!」
アミからくる感謝の言葉に「おう」とだけ返して、ちらりと目だけでさくらを見た。
自分じゃ気づいてなかったが、水の入ったコップを握りつつ、僅かばかり下を向いてたようだ。
そこにいるさくらは、…戸惑うような顔をして、そっからオレを真っ直ぐ見つめている。
無理しないで。…そんな言葉が聞こえて気がした。
「オマエは気にすんな。勝手に決めたのはこいつらなんだからよ」
「…うん」
まだ困ったままの表情で、さくらは頷いて……視線が合うなり優しく目を細めた。
…なんだよ。……なんで、そんな風にオレへ笑いかけんだ。
オレは…見慣れない格好のオマエを見て、…直視できねえほどに動揺しちまって。
今もまだ、鼓動はずっと高いままなんだ。
友達にこんな感情を持ってる相手に、そんな顔すんな。
…心臓に悪ぃ、から。
「ご注文のメニューになりますー」
さっきとは違うウェイトレスが間延びした独特の口調と共に、チキンステーキを持ってきた。
あと、ハンバーグの上に野菜炒めみたいなもんがかけられた料理。どうやら、さくらが注文したメニューらしくて、前へ置きながらウェイトレスは「今からご飯をお持ちしますー」とやっぱり間延びした口調で告げた。
野菜炒めから、湯気と一緒にソースの匂いと、それからその下にあるハンバーグ。
チーズが掛かってるらしいチキンの匂いが鼻に届く。
「あとから、さっきの服、買いに行こーね!」
「だね!」
その会話で浮かんださくらの笑顔に、また心臓を鷲づかみにされた気がして。
オレはゆっくり目を伏せた。