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約束の、価値は(1)

長らくお待たせしました続き……。


「何ぃ? この時期に新型テスト機の搬入だと……?」


ジェネシス本部、アーティフェクタ格納庫。

二年の年月を経て、背も伸び以前よりは幾分相応の容姿となった整備班長、ルドルフ・ダウナーはユカリに手渡された資料を眺め、眉を潜めた。

サミットは直に終了するだろう。 開始からすでに五時間が経過し、そろそろ各国首脳陣にお帰りいただくこの大事な時期に、態々何故新型機を搬入するのか。


「そもそもなんだこの機体は? 俺様はこんなん、設計した覚えすらねーぞ……」


その外見もシステムもルドルフが設計した従来のヘイムダルタイプとは大きく異なる。 SICが独自開発に成功した最新鋭量産機、SFソードファルコンともあまりに違いすぎる意標のデザイン。 生物的であり、従来の量産機と言うよりはむしろアーティフェクタに近い印象を受ける。

端末に浮かび上がった立体映像を眺め、ルドルフはエレベータを眺める。 海中の搬入経路を使用し、その機体は今この瞬間も格納庫に向かって移動している。


「ハロルド・フラクトルが以前勤めていた対神話武器研究所の開発したテスト機のようですね。 現在は副社長に就任したハロルド・フラクトルに変わり、ソルトア・リヴォークという人物が所長に就任したようです。 今回のテスト機は、そのソルトアが手配したもののようですね」


「誰だそいつ? 頭いいのか?」


首を傾げるルドルフ。 彼はそういうが、ソルトアは世界的に有名な対神研究者であり、以前からきちんとジェネシスに勤務していた男である。

二十代の若さで素晴らしい研究成果を数々発表してきたのだが、その研究成果はあまり目立ってはいない。

理由はシンプルだった。 その上を行く無類の天才、ルドルフ・ダウナーがその研究成果を悉く上回ってしまうからである。

自分と同レベル、あるいは自分より上を行く人間にしか興味を持たないルドルフがソルトアの事を知らないのは無理も無い話であった。

事前にそれを予見していたユカリはため息混じりに笑い、それからルドルフの頭を撫でる。


「知らないのなら教えてあげるわ。 彼の方は、あなたを随分とライバル視しているそうよ。 まあ、同じ企業内だから正面衝突は今後もないでしょうけどね」


「はっ。 凡人が何かやったところで眼中にねえよ。 でもまあ、新型ってのは気になるねぇ……。 司令はこの搬入、了承済みなのか?」


「それが何もかも急な出来事で……。 事後承諾、という形だったようです。 ソルトアのほうがどんな目的でこうしたタイミングにしたのかはいまいちわかりかねますが」


「ジェネシスはオープンな企業であるべきだ、なんてのは他国の言い分だが……。 こんなえらい新兵器をコッソリ開発してました、なんてサミット中に露見してみろ。 えらい騒ぎになんぞ。 こいつのシステムは、あの――、」


と、そこまでルドルフが語ったところでエレベータが目当ての機体を搬入してきた。

漆黒のボディ。 ヘイムダルの全長の1.5倍はありそうな大きさ。 生物的な装甲デザイン。 何よりもその威圧的な外見が特徴だと言えるだろう、テスト機。

機体は直ぐにハンガーに搬入されると、胸部のコックピットが開きそこから一人の少年が降りてくる。

銀髪に金色の瞳の少年。 ユカリは目を丸くし、ルドルフは楽しげに嘲笑する。


「はっ。 見ろよあれ――――ガキじゃねえか」


パイロットは少年……それも幼い子供だった。 まだ十代前半だろう。 かつてのリイドたちよりも、さらに一回り年下に見える。

少女のような、少年のような。 そんな中性的な顔つきだった。 無表情に輝く金色の瞳でルドルフを捕らえると、規則正しいリズムで歩み寄ってくる。


「よう。 てめぇが新型のテストパイロットか?」


少年は頷き、静かに眼を閉じ、それから敬礼する。


「……本日付でジェネシスアーティフェクタ運用本部にゲストパイロットとして所属します、ゼクス=フェンネスです」


透き通るような、綺麗な声だった。 二人は同時に脳裏にエアリオの姿を思い浮かべたが、直ぐにその妄想はかき消した。

確かに似ている。 言われてみればどことなくリイドにも似ているような気がしたが、雰囲気は全く別物。 しかしそれでも天才特有の何かを感じさせる。

面白いテストパイロットの登場にルドルフがにやにやと笑っていると、ユカリが端末を操作し、搬入作業の完了を入力する。


「了解しました。 本部へようこそ、ゼクス君。 新型機体、『タナトス』の搬入を完了します。 お疲れ様」


少年は小さく頷き、それから目を丸くして周囲を眺めた。 そこにはエクスカリバーをはじめ、各国の機体がごちゃごちゃと並んでいる。

式典会場を守っているエース機以外の護衛は極力表に出さないという暗黙のルールがあり、そのためジェネシスのハンガーは新型機のオンパレードとなっていた。

余程興味があるのか、うずうずしているゼクスに笑いかけ、ユカリがエクスカリバーを指差す。


「アーティフェクタを見るのは初めて?」


「……いえ、二度目です。 ぼくが以前見たアーティフェクタは……霹靂のレーヴァテインだったから……」


「レーヴァテインを見たことがあんのか?」


「……祖国で」


「そうか。 ありゃすげえ機体だった。 エクスカリバーもなかなかだが、レーヴァテインには及ばないな。 ありゃ、それこそ『特別な機体』だった」


目を細め、二年前を思い返すルドルフ。 その傍らでゼクスも頷き、静かに呟いた。


「……レーヴァテインに憧れない人は居ませんから」


その呟きは、至極真っ当に思えた。

オーディンの存在はあまり知れ渡っていることではなく、一般市民にしてみれば疎い世情だったが、それでもレーヴァテインの戦いを目撃した人々は多い。

子供たちは特にそれに憧れ、近年ではジェネシスのパイロット候補に立候補する子供たちが後を絶えない。

それほど、リイド・レンブラムという一人の少年は人の心を打つ戦いをしたのである。

だからこそ、それに憧れゼクスがテストパイロットになったとしてもなんら疑問は抱かないだろう。

しかし彼の呟きの真意は、もっともっと、別のところにあった。


「……」


なんだ、この感じ?


振り返る。 誰かに見られているような、そんな気がした。

目には見えない、耳にも聞こえない。 それでも誰かの存在を感じる。

近くに居る。 それは、今も自分を見ている。 しかし、どこにいるのかまではわからない。

微かだが、確かな違和感。 神経をざらざらと何かに嘗め回されているような、嫌な気分。

だが、ゼクスは静かに意識を絶つ。 不確定要素に集中していても仕方が無いと判断した。 今はそれよりもやらねばならない事はいくらでもあるのだから。



しかし、その直ぐ近く。 司令室でオリカの膝の上に座っている少女が目を丸くしていた。


「どうかしたの? 急にビクってなったけど」


「え? あ、いえ、なんでしょう? なんか……懐かしいカンジがしました」


メアリーはまだ知らない。 無論、ゼクスもまだ知らない。

しかし二人はこうして、確かに同じ場所で感じあう事になった。


互いの、運命というものを。




⇒約束の、価値は(1)




「……はあ、はあ、はあ」


息を切らしてしまったのは、恐らく無我夢中で走っていたからだろう。

体力にはそこそこ自信がある。 私はちょっとやそっと走ったくらいでは、息切れなんかしないはずだ。

けれどもそれは、自分で自分の身体をコントロールし、ペース配分を行い、計算して走ればの話である。

どこをどう通ってきたのかはもうさっぱりわからなかった。 気づけ汗だくで本部に向かう直通エレベータの中に居た。 認識番号は以前のままで、一応彼らはまだ私を仲間として認めてくれているようだった。

しかしそれもどこまで続くか。 いまだに女々しくIDカードを持ち歩いている自分も笑えるけれど、状況はもっと馬鹿馬鹿しい。


「何で逃げてるんだ、私は……」


久々にあった仲間じゃないか。 友達じゃないか。

肩を抱き合い懐かしみ、過去を語り合うのが当然の状況で、何で逃げるの。

意味がわからない。 なんだかわけがわからないけれど、悲しくて悔しい。 もう自分が何なのかよくわからなかった。


「はあ……」


壁に背を預ける。 無我夢中で走ったのなんて、いつ以来だろう?

自分の胸に手を当てる。 心さえ、身体さえ、もう戸惑う事はないと思っていた。

成長し、冷静になり、衝動的な感情に流されないようになったと思っていた。 あの頃のように、どうしようもない自分の愚かしさで、誰かを傷つける事がないように。

でも実際はどうだ。 何も変わっちゃいない。 私は冷静になんかなれていない。 成長なんか出来ていない。 ただ真剣に物事に向き合ってこなかっただけだ。

心が乾いていく音が聞こえるようで空しい。 何故私はこんなにも、こんなにも変わってしまったのか。

まだあの頃の方がマシだった。 嫌いなものを嫌いと言えて、傷ついても傷つけても相手と向き合えたあの頃の方が――――。

エレベータに導かれ本部のエントランスにたどり着く。 そこで静かに立ち尽くしていると、まるで待っていたかのように目の前に一人の男性が颯爽と現れた。

二年たっても変わっていない怪しい笑いを浮かべた男性――ヴェクターは片手を振りながら、歩み寄ってくる。


「おや、どうしましたか? 護衛はいいのですか?」


「……ヴェクター」


呼吸はもう落ち着いていた。 かつての上司を前に、私の身体は勝手に冷静さを取り戻してくれたのかもしれない。

いや、欺瞞だ。 冷静などではない。 ただうわべだけ相手に合わせるのが上手くなっただけのこと。


「お美しくなられましたねえ。 お姉さんにそっくりです。 ウッフッフ」


「お世辞ですか? それより、あなたこそどうしてこんなところに?」


「ええ、まあ。 司令からお話があったと思いますが、私としてもあなたには戻ってきて頂きたいところでして。 少々口説いておこうかと思いましてね」


へらへらと笑うヴェクター。 この笑顔は昔から苦手だった。 いや、ヴェクターが苦手じゃない人は居ないと思う。 このつかみ所の無い態度のせいで、彼は逆に恐ろしく近寄り難い存在になっていると思う。

根っこの部分から完全に悪人か、と言われれば違う気もするが、正直わからない。 彼の言葉にはいつもほんのわずかな嘘を織り交ぜられている……そんな気がする。


「立ち話もなんですし、カフェでお茶でもどうですか? 一応私も大人ですからね、ご馳走しますよ」


「……」


誘いは断りたかったが、話には興味があった。

私は少々迷ったが彼についていく事にした。 エレベータに乗り、数分後には社内のお洒落なカフェに到着した。

以前、休日にリイド先輩と来た事もある店だ。 彼は何かとこの場所と因縁があるらしく、時々ここでお茶していたのを見たことがある。

何の因果か偶然か、私は彼が座っていた席に座り、正面に何故かヴェクターを据えてカフェオレを口にしていた。

奇妙な状況だ。 これではまるで、彼と私がでっ……でっ…でーと……いや、ありえない。 ヴェクターだけはありえない。


「何やら失礼な事を考えていませんか?」


「いえ。 それで、どう私を口説いてくれるんですか?」


肩を竦めるヴェクター。 彼は一瞬たりとも笑顔を絶やさない。


「あなたはリイド・レンブラムを助け出したい……そうお考えですね?」


「当たり前です。 そして、それが私にしか出来ないと言う事も……一応は、理解しているつもりです」


マグカップに映り込んだ自分の影を見つめ、その波紋の中に私はあの時の出来事を浮かべた。

オリカに連れられ、地下の世界樹の間で聞いた話――オペレーション・メビウス。

その中核となるのがこの私、アイリス・アークライトであるということ。 しかし、私はいまいちその理屈に実感をもてないで居る。

意味がわからない私は、彼女に理由を問うた。 すると、彼女はこう答える。


「アイリスちゃんだけなんだよ。 最後の最後、リイドくんと口を利けたのは」


確かにあの瞬間、あの場所には私以外にもオリカやカグラといった人物が存在していた。 しかし、彼と最後に口を利いたのは、他でもなくこの私だ。

しかしそれがどうしたというのか。 口を利いたからなんだというのか。 だが、それはユグドラシルとしては重要なポイントだったらしい。


「因果や確立なんて言葉をどう表現すればいいのか、正直私にはよくわかんない。 でもね、一つだけ言える事……それは、リイド君と『約束』をした、きみが一番彼にたどり着ける確率が高いって事」


世界樹にとって、約束というものは大きな意味を持つらしい。 それも、『再会』を誓う約束を交わした私たちのそれは、きちんと効果を持つ。


「とても簡単なお話。 例えば、私とアイリスちゃんが、本社ビルのカフェで明日顔を合わせる確立は何%でしょう?」


「……ゼロ、とは言い切れませんよね。 でも、今この瞬間ゼロに近づいたとも、ゼロから遠のいたともいえます」


事前にそうした話題があれば、そこに近づく可能性は上がるかもしれない。 逆にもし私がオリカの事を嫌っていれば、カフェに近づく可能性はゼロに極めて近くなるだろう。

それがどういう意図の質問なのかはわからなかったが、オリカは私の回答に満足したのか、人差し指を立ててウィンクする。


「じゃあ、もし。 明日、私とアイリスちゃんが、本部ビルのカフェで『待ち合わせする約束』をしていたら、確立は何%かな?」


「……」


腕を組み、口元に手を当てる。

その回答は、私とオリカの関係性を思えば、ほぼ100%だと言えるだろう。 両方約束をすっぽかすような性格ではない。 オリカは遅刻しそうな気もするが、邂逅する事は可能だろう――と、そこまで考えてようやく至る回答。


「そう、当て所なく彷徨ったところで二つの存在が出会う事の出来る確立は本当に低いの。 相手の行く場所を知っていれば、逢える確立はあがる。 でもそれでも一箇所に特定できないのであれば、なんらか約束事を取り付ければ、あえる確立は上がる……本当に単純にそれだけのことなんだよ」


「つまり、再会という因子を持つ私が、最もそれを実現する可能性がある、ということですね」


そう、確かにそれはそうだろう。 そんな口約束がどれだけの効果を持つのかは知らないが、確かに意味はあるのかもしれない。

ほんのわずか、何%でもいい。 微かに成功の確率が上がればそれで上々――。 元より藁に縋る様な計画なのだから。

しかし、それは先輩が私の事を忘れていなければの話。 私との約束を覚えていて、果たそうとしていてくれたらの話だ。

今の私は何故か、先輩が私の事を覚えてくれている気がしなかった。 二年も戦い続けていれば、そのほかの思考なんてあっさり消し飛んでしまうだろう。

私は銃を手に取り、引き金を絞りながら照準を合わせるとき、頭の中が真っ白になる。 何もなくなる。 目の前の的と、後は自分の鼓動だけ。

だから、きっと、戦いはすべてを奪い去る。 彼がどんなに立派だろうとも、その無限の闘争という言葉は口にするほど容易くは無い。


「私……私なんかは、ふさわしくないと思います。 たとえどんなに口上で約束を結んでも、彼が覚えているとは限らな、」


「――覚えてるよ」


遮るような、力強い声だった。

オリカの瞳は強い輝きを秘めている。 静かに微笑み、帽子を指先で上げながら繰り返す。


「リイド君は覚えてる。 きっと忘れたりしない。 彼は、やると言った事はやる人だよ」


「……」


やめて、ほしい。

余計に、自分が惨めになった。

どうしてなのだろう? どうしてそんなに信じられるのだろう?

あの時もそうだった。 リイド先輩がレーヴァテインにのっていなくなってしまった時も、みんなは彼を信じていた。

エアリオは、特に。 迷う事もなく、彼が戻ってくるのを当たり前のように信じていた。

私には出来ない。 信じられない。 信じることが、出来るわけがないのだ。

理由ははっきりしている。 でもそれを口にしてしまったら全てが台無しになってしまうようで、その言葉は喉から飛び出る事はなかった。

飲み干すのだ。 そうやって少しずつ悲しい事を飲み込んで、私の全てが染まってしまえばいい。

そうしたらきっと、この惨めな気持ちとも別れることが出来るはずだ――――。


「少し、考える時間をください……」


そんな曖昧な答えを最後に、私は部屋を後にした。

それからどうしてか私は姉さんの所に顔を出し、そうして今に至る。

ヴェクターをほったらかして考え込み、それからマグカップをテーブルに置く。

彼はまるで私を待っていたかのように、そのタイミングで口を開いた。


「あなたの持つ約束の確率が私たちには必要なのです。 それはお分かりですね?」


「まあ……」


「しかし、あなたの約束という要因だけでは、リイドくんまでたどり着ける可能性は極めて低いと言えるでしょう」


「えっと、どれくらいなんですか?」


「普通に、1%にも満たないでしょうね。 れーてん、れいれいれいれいなんたらかんたらと。 恐らくそんな感じの数字になるでしょう」


絶望的ではないか。 何万回に一回、逢えるかどうかの確立とかなんだろうか。 唖然とするしかない。 そんなのイコールで『無理』と言う言葉に直結させても問題ないじゃないか。


「そう落胆しないでください。 それでも、確立をあげる手段は他にもいくつかあります。 一つはエアリオです」


「エアリオ先輩……あ、いや」


もう、先輩という呼び名はふさわしくないのかもしれない。 しかし口癖のようなものだから仕方が無いのか。


「話を続けましょう。 もう改めて言うまでもありませんが、エアリオはスヴィア・レンブラムと密接なつながりがあった、所謂元スパイです。 それだけではなく、彼女には特殊な能力がいくつか存在します」


まず、彼女には死の概念が存在しない。 彼はそう語り始めた。

これは私も知っている。 二年前、そのスヴィア・レンブラム張本人がエアリオの頭を銃弾で撃ち抜いたというのに、数日後には傷がなくなってしまった。

その瞬間は確かに生物学的にも『死亡した』と判断できる状態であったというのに、数日後には蘇生。 それはちょっとした奇跡だ。

しかし、実現可能なのだろう。 彼女も恐らく、そうした特別な存在なのだ。 しかし、それ以外の能力というのは聞き覚えが無い。

気になるので早く聞きたくて待っていると、ヴェクターは困ったような表情でちょいちょいと私を指先で招く。 疑問に思いながら身を乗り出し耳を貸すと、彼はそこにあろうことか生暖かい吐息を吹きかけた。


「ひゃいっ!? 貴方は駄目です! 馬鹿ですッ!!!」


「冗談ですよ、冗談。 ウッフッフ」


何が冗談なのか。 ぜんぜん面白くない。

もう一度警戒しながら耳を貸すと、彼は静かにこう呟いた。


「……ここから先は私が独自に調べた結果であり、憶測に過ぎません。 それを承知した上で、聞き流してください」


「……え?」


彼は静かにコーヒーを飲み、それからいつに無く真面目な表情で口を開いた。


「リイド・レンブラムは――神と呼べる存在だったのではないか……少なくとも、私はそう思っています」


リイド・レンブラムの出生は謎に包まれている。

異世界からやってきたスヴィアが抱えていたと言う少年。 過去を持たず、記憶喪失と偽られ、人間と同じ生活をしていた。

しかし後に同じ顔をした最強の神であるオーディンに乗った少年、ユピテルが現れる。 この二つは同一の存在ではないか? という見解は私も肯定だ。

オーディンとレーヴァテインを間近でみた感想がそれに直結するからだ。 あれはもうアーティフェクタとかそんな括りで表現できないものがあった。

本能的に。 魂に語りかけてくる二つの波はきっと同じもので。 だから、あれらはきっと本当に同じものだった。


「同時に、リイド・レンブラムはどこからやってきたのかという疑問ですが……私は、月からではないかと考えます」


「月、ですか?」


もう本当に長い間、人類の手の届かない場所となった最果ての地、月。

地球の周回軌道をぐるぐると回る天国。 天使が住まい、神が闊歩する異世界と化した場所。


「五年前、スヴィア・レンブラムは月より落下してきました。 しかし、それは何故だと思いますか?」


「え?」


「月は敵の拠点――。 ガルヴァテイン一機で突っ込み、無事に帰ってこられる可能性がどれだけあったでしょう? 当時は最強の干渉者として成長したリフィルさんの力があったとは言え、ガルヴァテイン一機でまさか月を落とせるとも考えていなかったでしょうしね」


言われてみればそうだ。 いや、そもそもなぜ月から降りてきたのか? 理由はいくつか考えられるが、そう、おかしいのだ。

スヴィアが別世界からやってきた存在なのだとしたら、何故現れたのがユグドラシルではないのか?

思えばおかしなことは多い。 未来からやってきた、という彼らの宿敵であるユピテルがこの世界までやってくるのに数年を必要としたのは何故か? そして一体どうやって、『何を使って』、その別世界からこの世界に彼らがやってきたのか。

いや、答えはシンプルだ。 ユグドラシル以外に、世界と世界を結ぶ門は存在しない。 しかし、この地下に眠るあれを使ったのでないとしたのならば、


「……答えは簡単ですね。 月にも世界樹ユグドラシルがあり、彼らはそれを使って移動してきた。 だから、月に出現せざるを得なかった」


無謀にもわざわざ突っ込んだわけではない。 出口が最初から敵陣のど真ん中だったと言うだけの話だ。

そうして追っ手を払いながら逃げ回り、傷ついて墜落したガルヴァテイン。 その時リイド先輩が一緒に居たと言うのならば、一体どこから連れてきたというのか。


「私は、月にリイド君が居たのではないかと考えています。 恐らくは月のユグドラシルの近くに」


「どうしてそう思うんですか?」


「エアリオが、そうだったからです」


「え?」


ヴェクターの目は何時も笑っていて、朗らかに細くなっている。 その瞳が開き、鋭く力強い言葉で語りかけてくる。


「エアリオ・ウイリオは、地下のユグドラシルのそばに眠っていたんですよ。 だからリイドくんも同じように、月のユグドラシルで眠っていたのではないでしょうか? 無論、私のただの推測なのですがね。 ですが自分ではいい線行っているかと思います」


「え? ちょ、っと、待ってください……? 眠っていた……?」


「ええ。 エアリオとリイド君は、同い年だと思いますよ。 いえ、もしかしたら兄妹のような存在なのかもしれません。 少なくとも彼らは人間とは違う――もっと別の生き物でしょう。 世界樹に抱かれ眠る、神の子のような」


引き離され、しかし同じ樹の下で眠っていた二人。 それはまるで引き離された幻想的な神話を彷彿とさせるシチュエーションだ。

過去を持たず、記憶を持たず、想いを持たず。 きっと二人はよく似ていて、同じもので、だから心を通わせた。


「話を戻しましょう。 ユピテルも月から降りてきた事を考えると、月にもユグドラシルがあるのは間違いないでしょう。 そして、何故今になって『この世界のユピテル』が目覚めないのか……それが疑問です」


「あ、そうか……。 今リイド先輩が戦っているのは、別世界の…スヴィアさんがいた世界の、ユピテル。 それでええと、スヴィアさんがリイドさんだとしたら、対するユピテルもこの世界には存在するはずですよね」


こうなってくると何故ユピテルとオーディンにスヴィアさんの世界が壊されてしまったのか、そのいきさつが気になるところだ。

そこに全ての答えがあり、それこそこの世界を守るための答えなのではないか。

しかし今やそれを語ってくれる人は一人もいな――、


「いるじゃないですか。 リフィルさんに話を聞けば……」


「いえ、彼女は何も言いませんよ。 もう、この世界の出来事にはかかわらないそうです」


それが、スヴィアさんとの約束らしい。

よくわからないけれど、それもあって司令官の席をオリカさんに譲ったということだ。

しかし、本当によくわからない。 というか、無責任じゃないのか。 力があるのにそれを使わないなんて……。


「まあ、だからこそ憶測で話しているわけですが。 この世界のユピテルがいつ目覚めるのか……そしてリイド君が抑えているユピテルがいつ戻ってくるのか。 それが当面のこの世界の問題ですね。 サミットの議題としても、そのあたりは大きく取り上げられているようですよ」


流石にオーディンを知らない人はいないらしい。 まあアレだけ派手な神だったのだ。 世界の滅亡にかかわるのなら、知らないでは済まされない。


「思い切り話題が変わりますが、適合者には男性が。 干渉者には女性がよいと言われているのはご存知ですか?」


「ええ、まあ」


というより、それ以外は基本的に受け付けない、というはずだったが。


「この二つの関係は攻める者と受ける者、と言う言葉に置き換える事が出来ます。 性的な意味でもそうですが、男性が戦い、女性が支える……まあこんな力関係は良くあるお話です。 元々人間という生き物がそれに適したように出来ているものなので、これは殆どの場合該当するわけです。 リイドくんとエアリオはまさにこの『適合者』と『干渉者』という言葉の為に存在するような象徴的な存在です。 リイドくんは、天才的な戦いのセンスがあります。 まあそれは言うまでもありませんね。 それに頭もいい。 まさに完璧超人のような彼なわけですが、あらゆるアーティフェクタを従える能力を持つ……神の奏者としての究極を体現したものであるからして、それは彼の能力であり当然だったと言えるでしょう」


「ということは、エアリオも……?」


「そうですね。 彼女もまた、干渉者として抜群の能力を持ちます。 それはリイドくんと本質を同じとするものですが、より受動的なものです。 そうですねえ……因果の流動を見極める力、とでも申しましょうか」


だめだ。 だんだん着いていけなくなってきた。 頭が痛くなってくる。


「……わかりやすく言うと、未来予知みたいな能力です。 ただし、予知できるのは未来だけではなく、様々な現象も特定できる力ですね」


「……と、いうと?」


「物事の基点と終点を知る能力です。 例えばこのコーヒー」


コーヒーを掲げ、静かに微笑む。


「これを見て、エアリオがその気になればこのコーヒーになる前、原料となる豆がどこでどうやって作られ、どういった手段でこの店に運ばれ、誰がどうやってコーヒーが出来るのか……そうした現象を一瞬で理解する事が出来ます」


「……それ、本当ですか?」


そんなのは流石にちょっと人間じゃないと思う。

まあ、頭を銃で撃たれて復活しちゃう時点でもうだいぶ人間とは呼べないんだろうけど。


流転の弓矢ユウフラテスの異常な命中性能や追尾性能はその恩恵でしょう。 彼女は確実に当てるための方法を一瞬ではじき出す天才です。 そしてようやく、彼女の力が必要となるお話に戻ります」


そういえばそういう話だったが、もう私には判っていた。

エアリオは二年前、何もわからないままとはいえ、リイド先輩がユグドラシルに消えていくのを見ている。

つまり、そういうことだ。


「彼女は、リイド先輩がどこにいったのか、知っている」


頷くヴェクター。 つまり、どのあたりに居るのかさえ判っていれば、『約束』は果たしやすいものになるだろう。

二重の確率の底上げ、ということである。 しかしそれには大きな問題がある。


「エアリオ先輩、今でもそれが出来るんですか?」


「そこが悩みどころですねえ。 例の一件以来、彼女はまるで普通の人間のようになってしまっていますから」


つまり、その『予知』が使えない状態にある。


「ですが時間もありません。 もしかしたら今のチャンスを逃せば、二度とリイドくんは助けられないかもしれませんよ」


「え? どういうことですか?」


首を傾げる私に、彼は驚いたように目を細める。


「ご存知ないのですか? 各国首脳人が、ユグドラシルの破壊を求めている事を」


「え?」


ちょっとまってほしい。

ユグドラシルを壊す? 何故? どうして? いや、どうやって?

そんな事はどうでもいい。 そうしたらどうなる。 リイド先輩はどうやって帰ってくればいいの?


「そんなの駄目……ッ!!」


「でしょうね。 ですが、問題はそう単純ではないのです」


「どうして……?」


「ユグドラシル破壊を求めている国の中には……あなたの所属する、エルサイム王国も含まれているのですよ」


愕然として言葉が出なかった。

ルクレツィアが、それを求めている?

リイド先輩が戻ってこられなくなる……そんなの絶対に嫌だ。

どうすればいいのかわからない。 何も考えられない頭のまま、呆然とする。

しかしヴェクターは私の肩を叩いていった。


「ですが今なら間に合います。 ご協力、願えますね?」




その彼の言葉に、私が逆らう理由は何もなかった――――。


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