決戦、あの白き月で(2)
オーディンがレーヴァテインに敗北する事はありえなかった。
それは何故か? 性能が違いすぎるからである。 オーディンは厳密にはアーティフェクタでもなければ神でもない。
世界というある種のルールの中、アーティフェクタさえそのロジックからは逃れられない。 しかし、オーディンだけは違う。
それは、真なる神の力。 世界を滅ぼすために存在する規格外の存在。 故に絶対無敵であり、敗北する事はありえない。
レーヴァテインを倒すために存在するようなオーディン。 その頭部を引きちぎり、レーヴァテインは大地に捻じ伏せる。
膨大な量の白い砂が空へと舞い上がり、オーディンの全身を駆け巡る衝撃。 リイド・レンブラム対リイド・レンブラムの戦いは、あっけなく決着を迎えた。
「君は……何なんだ? ボクの知る『どの』レーヴァテインとも、『どの』リイド・レンブラムとも違う。 君は――何故神に逆らえる?」
「それは――答える意味のある質問か? オレにしてみれば、何の意義もない下らない問答にしか思えないんだけどな」
「どうして、レーヴァテイン如きにオーディンが敗北するんだ……? 理解できない……。 適合者としても、ボクのほうが圧倒的に優れているはずだ」
「自分の物差しで世界を計るなよ、ユピテル」
リイド・レンブラムは笑っていた。 あれからどれだけの時間戦い続けたのかわからない。 何度も『死』を乗り越え、血まみれの少年は今にも倒れそうな姿で、しかし笑って見せたのだ。
それはきっと、ユピテルが求めていた『新しい景色』だった。 リイドは、スヴィアとも違う。 ユピテルとも違う。 何かもっと、もっと強い力に守られている。
リイドを覆うその力に気づく事は出来なかった。 ユピテルは一対一の戦いだと考え、この決戦に臨んでいた。 しかし、リイドは違う。
帰る場所があり、共に戦ってきた仲間が居る。 その強い思いはレーヴァテインを限界以上に動かす。 それこそ、呼吸をするかのように。
理解出来なかった。 永遠の追撃を繰り返してきたユピテルと、ただ平凡と生き、つい最近まで争いとは無縁だったリイド。 この二人の間にある決定的な差がわからなかったのだ。
「お前の戦いはな、ユピテル。 ――――惰性なんだよ」
「――――だ、せい?」
「何度でも言ってやる。 惰性だ。 お前は戦う事しか出来ないから戦ってるだけだ。 それしかないからそれをしているだけで、お前自身本当はそれを望んだわけじゃない」
「お前にボクの何が――――」
「わかるさ。 お前も判るだろ? ボクたちは同一存在だ。 それがこれだけ長い間、同じ世界で戦っていたら――――わかるはずだよ」
スヴィアの思いと過去。 記憶をリイドが受け継いだように。
そしてリイドの気持ちを、スヴィアが感じていたように。
二人もまた同じステージに立つ事により、互いの理解を深めていた
レーヴァテインもオーディンも動くことは無い。 強い風の中、吹き荒れる砂と広がる青空の下、二機は見詰め合う。
「それにな、ユピテル。 判ってほしいなら、判ってほしいって叫べよ」
レーヴァのコックピットが開き、リイド・レンブラムはその身を晒した。
風に吹かれながら、手を差し伸べる。 オーディンにではなく、その中にいるユピテルへ。
「黙っていたら判らない。 どこに居るのかも判らない。 この広い世界の中、たった一人の誰かを理解する事はとても難しいんだ。 だから、お前も少しは自分で努力をしろ」
「…………」
「誰も受け入れてくれなかったわけじゃない。 お前が、その手を拒んだんだ」
「…………ボクは」
「つべこべ言わずにオレの手を取れよ、ボク。 やる前に考えるな。 『やってから考えろ』」
いいのだろうか、とも思う。
こんな風に誰かの手を取るなんてこと、考えた事もなかった。
躊躇と後悔、その感情の意味さえわからなくても。 でも確かにそう思うのならば、そこに心はあるのだから。
コックピットを開き、おずおずと手を伸ばす。 リイドは笑顔で、その手を取ろうと近づいてくる。
もし、手を取り合う事が出来たら。
ここにいるって、叫ぶことが出来たら。
誰かと分かり合う事が出来たら。
あんなことには、ならなかったのに。
「――――ユピテルッ!!」
リイドの怒号が、空白の世界に響き渡る。
ユピテルが振り返るより早く、動き出したレーヴァテインはオーディンを押しのける。
次の瞬間、レーヴァテインのコックピットを、巨大な漆黒の剣が刺し穿っていた。
⇒決戦、あの白き月で(2)
「具合、ひどそうだね。 エンリル」
「…………セト。 お久しぶりです」
SIC内にある病室のベッドの上、エンリルは横たわっていた。
多少の傷ならば死ぬ事はないイヴのバイオニクルの肉体とは言え、長い時間をかけてゆっくりと劣化を重ねてきた肉体は脆く、今も尚傷は癒えないまま。 呼吸器を白く曇らせながら少女は傍らに立つセトを見上げた。
「ひどい傷だ。 これだけ傷つけられたエンリルを見るのも随分と久しぶりだね。 スヴィアは、君の身体をよく気遣う人だったから」
「今の適合者も、そうですよ。 ただ……私の力が足りなかったんです」
「カイトの悪口を言うつもりじゃないんだ。 気に障ったなら謝るよ。 ……変わったね、エンリル。 随分と女の子らしくなったと思うよ。 恋でもしたかい?」
椅子に腰掛け微笑むセト。 エンリルは顔を紅くし、視線を逸らした。
「世界は終わるよ、エンリル。 僕は今とても迷ってる。 スヴィアが残したこの世界の中で、僕にはまだやるべき事があるはずだ」
「……彼女を、月に行かせないつもりですか?」
「君ならわかっているはずだ。 彼女を――アイリス・アークライトを月に行かせるという事がどういう事なのか。 そしてそれが世界の終わりを意味するという事も。 君はフロンティアからこっち、ずっとこの世界の事を見てきた。 事実上の不老不死である君は、それを知っている」
「けれど、アイリスさんが月へ行くと言うのなら、それはきっと世界の意思です。 この世界そのものが望んでいる事実を捻じ曲げたところで、世界はきっと変わらない」
「スヴィアも同じ事を言っていたよ。 世界を変えるならば、『世界が望む人』こそ思いを変えるべきなのだと。 けれどね、エンリル。 僕は未だにわからないんだ」
額に手を当て、視線を伏せる。
「僕はこの世界を見つめてきた。 ただ、見つめてきたんだ。 リイド・レンブラムのバイオニクルとして生まれ、そしてオリジナルと向き合っても、僕は何もしなかった。 何故だかわかるかい? 世界がこんなに成ってしまうまで、僕は何もしなかったんだ。 それはスヴィアの言いつけを守ったからに他ならない。 そして、僕は彼の言葉に疑問を覚え始めている」
「マスターを信じられなくなったのですか?」
「……元々信じてはいなかったのかもしれない。 ただ僕はもう、この世界が壊れていくのを黙って見ている事は出来ないんだ」
「ネフティスも同じ考えなのですか……?」
「ルクレツィアが死んだそうだね」
席を立ち、振り返るセト。 エンリルが黙って小さく頷くと、セトは哀しげに微笑んだ。
「年功序列、というのかな。 彼女ももう、長くない。 だから、ルクレツィアのような……後悔しない最期をあげたいんだ」
「アイリスを止める事で世界が変わるとでも?」
「判らない。 ただ、『小利口に構えて』人の話を聞き続けるのには飽き飽きなんだ。 僕は自分の力を行使する――決定的な己の意思で」
「それが過ちの一つだとしても?」
「歪みなら受け入れるさ。 僕の命で償う――それで、世界には納得してもらう」
「――――出来なかったとしても?」
ぴたりと止まったセトの足。 少年は拳を強く握り締め、それから笑った。
「この世界に納得の行く人なんて、誰一人いないよ」
空一面を埋め尽くすような星の海。 それは、暗い夜の世界を鮮やかに照らし出し、幻想的にライトアップする。
世界の穢れは殆どない。 この世界から人間が減り、そして神が世界を浄化するにつれ、世界は格段に美しさを取り戻していった。
かつては見る影もなくなるほど穢れた海さえ、今は月明かりを吸い込んで淡く青色に輝いている。 それはとても美しく、波打ち際に立つ少女は素足を濡らして寄せては返す波をぼんやりと見つめていた。
「エリザベス! なんだ、こんなところで……。 休まなくていいのか?」
「……カイト」
少女は泣いているわけではなかった。 確かに哀しくはある。 しかしそれ以上に、漠然と広がる世界という途方もない存在に目を奪われていた。
「これから、生きていくとして。 あたしたちは、沢山沢山繰り返される悲しい事と、うれしい事……両方を経験していかなくちゃいけないんだよね」
「急な話だな。 でも、そうだ。 いいことと、わるいこと。 出会いがあれば別れがあって……不思議だな。 そういう不思議なバランスの上に世界は成り立ってる」
エリザベスの背後に立ち、ポケットに手を突っ込んだままカイトは深く息を吸い込んだ。
潮風の香りがとても心地よく、冷たく暗い海を目にしても、それは恐ろしいものには見えなかった。
ただ、漠然と広がるこの世の全てを示唆するかのような暗く深く果てしなく続く海を眺め、二人は時間を共有する。
「オリカが、死んでさ。 ジェネシスに裏切られて、お兄様も死んじゃった。 楽しい事、嬉しい事、沢山沢山あったよね。 でもその分、哀しいことも起こるんだよね」
「……ああ。 それは、永遠だ。 多分、永遠なんだよ、エリザベス」
上着をエリザベスの肩にかけ、それから両手で少女の肩を背後から抱く。 髪に頬を寄せ、少年は目を閉じた。
「この戦いが終わっても。 この次に戦いが起こるかもしれない。 人間の歴史は殺し合いと汚しあい、そして罪の擦り付け合いで出来てる。 その合間にある沢山の幸福を、自分たちの手で繰り返し踏みつけてきたんだ」
「……それじゃあ、あたしたちの戦いって無意味なのかな? 皆一生懸命生きて、死んでいくのに……。 いつか、なくなってしまうのかな」
「かもしれないな。 でも、俺はさ――――それでいいと思う」
振り返るエリザベス。 カイトは月明かりに照らされ、微笑んでいた。
「刹那に消えていく輝きが俺たちの命だとしても、俺はそれで構わない。 たった一瞬だけでも誰かを守り、生きて――愛することが出来たのなら、それはたった一つだけ与えられた俺たちの権利なんだ」
「…………権利?」
「この世界は沢山のものを奪う。 でも世界を作るのは人だ。 奪うのも人。 奪われるのも人、だ。 奪い合い殺し合い潰し合い……そんなものが全てこの世界からなくなればいいと思ってた。 でも、わかるか? 俺たちの命は既に、数え切れない命の死の上に成り立っているんだ。 だから永遠なんて求める権利は、俺たちにはない」
「だから、恋をするのかな?」
「……そうだな。 だからきっと、恋をして。 罪を重ねていくんだ。 それでも生きていたいから。 それでもずっと、この世界に忘れて欲しくないから。 この世界を嫌いになれないから。 だから、恋をする」
背後からエリザベスの小さな身体を抱きしめる。 少女は少年の腕にそっと触れ、月を見上げる。
「カロードに頼まれたんだ。 お前のこと、守ってやってくれって」
「……だから、抱きしめてくれるの?」
「それもある。 でも――――そうじゃない」
振り返らせたエリザベスの肩を掴み、真剣な表情で言葉を紡ぐ。
「俺、お前の中にイリアの面影を見ていたのかもしれない」
それはエリザベスにとっては辛辣な言葉だった。 唇をかみ締め、視線を逸らす。
「お前と一緒に居ると、あいつを失った悲しみを忘れられた。 でも、今はそれだけじゃない。 傍に居て欲しいんだ、エリザベス」
「…………なんで? イリアが好きだったんでしょ? どうしてあたしのこと、好きになるわけがあるのよ。 理由がないじゃない」
「誰かを好きになるのに理由なんて要らない」
それは本当に心の底からそう思っている人間の顔だった。
余りにもストレート。 愚直、と呼んで然るべきだろう。 しかしそれは、少女にとって最も心に響く言葉だった。
エリザベスに対する口説き文句としてそれ以上のものは恐らく存在しなかった。 そういえるほど、少女の心は打ち震えていた。
「好きなんだ、エリザベス。 この戦いが終わっても、ずっと一緒に居てほしい」
「…………ちょ、ちょっと待ってよ! 待った、待って……顔、あつっ……。 そんな、急に言われても……」
「急じゃないだろ。 前から思ってた」
「おま……っ! 待って、無理! だって、あたし……あたし、バイオニクルだしっ!! 子供とか、産めないし……」
「関係ない」
「それに……それにね、カイト。 バイオニクルは……すごく、短命なんだよ? すぐ、死んじゃう。 大人になるまで生きられないんだよ」
「知ってる」
「知ってる、って……」
「ユグドラ因子を大量に埋め込んでいるから、侵食が早いんだろ?」
そう言ってカイトは袖を捲くり、腕を見せる。
そこには無数の亀裂が走り、今にも崩れ去ってしまいそうな危うさがあった。
「カイト……それ……?」
「確かにしばらくフォゾン化はしない。 ただし……寿命は大幅に削られる。 もう、長くないんだ、俺」
フォゾン化を防ぐために行った手術の代償。 そしてそれは、その手術が今まで成されなかった理由でもあった。
カイトの全身に埋め込まれた因子は今も尚激しい速度でカイトを蝕んでいる。 元々そうした体として生まれたエリザベスよりも、何倍も早いスピードで。
「ちょっと……? 聞いて、ないわよ……」
「……時間がない、っていうのは……少し卑怯か?」
「卑怯……卑怯だよっ!! ずるいよおっ!! 勝手に期待させて、勝手に死ぬなぼけえっ!!」
「……悪い」
「それじゃ、意味なんかないじゃん!! もう何も残らないじゃない!! あたし、あたし……カイトまで居なくなったら何をどうすればいいのか、なにもわか……っ!?」
言葉を遮るように強引に唇を奪い、カイトは少女を抱きしめた。
始めは抵抗の色を見せたエリザベスだったが、その指先がゆっくりカイトと絡み合い、二人はそのまま波打ち際に倒れた。
水しぶきがあがり、ずぶぬれになった前髪を上げながらけらけらと笑うカイト。 エリザベスは口元をドレスの袖で押さえながら、顔を真っ赤にしていた。
「いい夜だな」
星空を見上げるカイト。 少年は今、心底後悔のないすっきりとした表情を浮かべていた。
その横顔がたまらなくかっこよくて。 ああ、だからきっと恋をしたのは間違いでもないし、仕方のないことだった。
「カイト……」
「んっ?」
「…………すき」
「――ああ」
思い切りカイトの胸に飛び込むと、少年は少女を受け止め抱きしめる。
そうしてもう一度倒れ込み、水しぶきが上がる。
静かな世界の中、ゆっくりと時が過ぎていく。
そんな当たり前のことさえ、今は忘れていた――。
そんな、穏やかの夜の中。
月面より、数え切れない数の神と天使が地球に向けて飛び立っていた。
それらは地球を覆うようにぐるぐると軌跡を描き、星を包む白い光のように数多輝く。
終焉を告げる凱歌が鳴り響く夜。
それぞれの想いを乗せ、星は巡る。