集え、紅き御旗の下に(1)
ラストスパート……。
あれから、何度も繰り返し同じ夢を見た。
そこは、どこまでも広がる白い砂の楽園。
緑の木々が生い茂り、美しく澄み切った水が純白に輝く水路を流れている。
太陽はまぶしく、広がる青空には雲ひとつ存在しない。 そんな中、巨大な木の下で木漏れ日を浴びながら私は座っていた。
とても、とても長い事そこにいたような気がする。 ただどこまでも広がる白い楽園。 手にした砂はさらさらと指の間をすり抜けていく。
そこは本当に地上なのか? この世に天国というものが実在するのであれば、おそらくはこのような世界なのだろう。
ただ果てしなく続く、悠久すぎる時の中、繰り返す毎日――――。
夢の終わりはいつも唐突で、とても穏やか。
気づけば私の世界は終わりを告げている――――。
「――――約束の時は来た」
「ルクレツィアのお陰で予定よりも早く動かねばならなくなったが、まあどちらにせよ些細な変化……。 計画に支障はあるまい」
薄暗いジェネシスの会議室の中、顔も見えないような闇に紛れ数人のスーツ姿の男が円卓を囲んでいた。
本来ならば社長が座っているべきもっとも大きな椅子は空席。 そこに座るべき少女は今、この会社のどこにもいなかった。
「ヴェクターの動きも早かった。 あの男が迅速に行動してくれたお陰で、事は円滑に次の段階へと進む事だろう」
「目障りな小娘が消えた今、我らが影でこそこそする必要は何一つなくなったからな」
「今こそ、レーヴァテインプロジェクトの……真なるオペレーション・メビウスを発動する時じゃ」
「では、計画を最終段階に進める。 今こそ収穫の時」
「長かった……。 途方もない時間をかけ、ようやく実行に漕ぎ着けた。 だが、これだけ偉大な計画……ソルトアのような若造に任せてよいものか?」
「案ずるな。 あの男も『サマエル・ルヴェール』の一人……。 忠誠心だけは信じられる」
「では、これにて計画を実行に移す。 異論は無いな」
薄暗闇を照らし出していた光が次々に消え去り、やがて何も見えなくなる。
暗闇に包まれる議会の中、社長が座るはずだった椅子だけが空しく照らし出されていた。
⇒集え、紅き御旗の下に(1)
「オリカ・スティングレイ。 特殊権限により、貴方を拘束します」
がちゃりと音を立ててオリカの両腕を拘束した手錠はぎらぎらと照明の光を受けて輝いていた。
アーティフェクタ運用本部、司令部。 突如押しかけてきた無数の武装兵は、ずかずかと本部に立ち入りオリカを即座に拘束した。
余りにも迅速な行動にその場にいた誰もが何も反応できず、どよめきの声が上がったのはオリカの両腕が拘束された直後だった。
兵士たちは皆仮面で顔を隠し、特殊な軍服を着用している。 それらは従来のジェネシスのものではないが、確かにジェネシスのエンブレムが刻み込まれていた。
「……説明とか、そういうのはないの?」
「我々はそのような権限を所持していません。 以後、アーティフェクタ運用本部は対神武器研究所の管轄下となります」
「……どういうこと?」
「どういうこともこうも、もうあなたにレーヴァテインを預けてはおけなくなったというだけの話ですよ」
かつり。 高らかに靴音を響かせ現れたのは白いスーツを着込んだソルトア・リヴォークだった。
前髪を掻き上げながらオリカの前に立ち、上着の内ポケットから指令書を取り出し、オリカに突きつける。
「正式なものではありませんが、ジェネシスの課長クラスの半数以上の同意書です。 我々はあなたを企業裁判にかける事にしたんですよ」
指令書をしまうと同時に指を鳴らすと、背後で控えていた兵士がオリカの両脇に立ち、腕を掴んで歩かせる。
「正式な指令が下されるまで、あなたを投獄します。 まあ、しばしの辛抱です。 少々肩身の狭い場所ですが、ガマンしてくださいね」
「待って。 これ、カグラちゃんの指示? 社長がこんな事するとは、私には思えないんだけど」
「ああ。 ご存知なかったんですか? まあ、上層部の一部のみが知らされている事ですからね……。 現場指揮のあなたが知らないのも無理はないか」
腕を組み、卑屈な笑いを浮かべてからソルトアはオリカの肩を叩き、耳元で囁く。
「カグラ社長はお亡くなりになりましたよ。 先の戦闘で、『社内に侵入したエルサイム王国の兵士』の手によってね」
「カグラちゃんが……死んだ?」
「おい、連れて行け。 くれぐれも丁重に扱って差し上げろ。 機嫌を損ねると、何をするかわからん化け物でいらっしゃるからな」
指示を受けた兵士たちは一斉にソルトアに頭を下げ、オリカを引きずるようにして司令部を立ち去っていく。
それを最期まで見届け、先ほどまでオリカの座っていた席に腰掛けると高らかに両手を鳴らして声を上げた。
「さあさあ、仕事に戻ってください! これからやる事が目白押しなんですからね! 手を抜いたりしたら給料下がっちゃいますよ!」
「カグラが……死んだ!?」
パイロットたちが集められた会議場で、エアリオは驚きの声を上げた。
殆どの顔ぶれがそろう中、今後の彼らの身の振り方を指示する薄っぺらい指示書だけが兵士から手渡され、少年少女はただ取り残される。
「ちょっと、どういうことよ!? あ、あたし……一機たりとも敵は通さなかったわよ!? 別働隊だって、なかったし……っ」
「本当、なんでしょうか……? カグラさんが、亡くなったというのは……」
「カグラもジェネシスの社長という大役だ。 僕が聞いた話では、先代の社長の死もしばらくは公表されなかったと聞いている。 市民の混乱を避けるため、今は情報漏洩を阻止しているとも考えられるが……」
エアリオ、エンリル、エリザベス、カロード。 四人は一枚の紙を囲んで途方にくれていた。
エクスカリバーとの戦いが終わり、数日。 エルサイム王国そのものの総意ではなく、国王ルクレツィアの乱心という事が記されたルクレツィアからのメッセージが遅れてジェネシスに到着した。
全面戦争になるだろうと思われた戦いはあっさりと収拾を見せ、市民は何もしらないまま、何事もなかったかのように平和な日々をすごしている。
その間にカグラが死んだという話を、彼らはそうやすやすと受け入れることが出来なかった。 カグラはジェネシスという巨大な企業の社長。 その警備も並のレベルではない。
襲撃があれば大騒ぎになるのはまず間違いないし、それが今まで知られないでいたという事自体がとても信じがたい出来事である。
彼らが動揺を隠せないのも無理はなかった。 カグラの死は、不可解な事が余りにも多すぎた。
それがきちんと調べられる事もなく、あっさりと処理されているという事。 それが余りにも納得がいかない。
「あたし、本当なのかオリカに聞いてくる! こんなの何かの間違いよ!」
「その必要はありませんよ」
自動ドアが開き、そこに立っていた男を見て一同は首をかしげた。
ソルトア・リヴォーク。 その男が運用本部にいる事そのものが既に珍しい事である。 さらに言えば彼らは殆どソルトアと面識はない。
何故ここにいるのか? そんな疑問をストレートに投げかけるような不思議そうな瞳を眺め、ソルトアは低い声で笑う。
「とりあえず、挨拶だけしておこうと思いましてね。 僕が新たにアーティフェクタ運用本部を統括する事になった、対神武器研究所の所長、ソルトア・リヴォークです。 どうぞよろしく」
「「「 …………はあっ!? 」」」
「皆さん仲が良くて結構。 まあ、とにかくそういうことです。 決定事項なので、伝えておかねばと思いましてね」
「ちょっと待ちなさいよあんた!! オリカはどうしたのよ、オリカは!?」
「ああ。 彼女なら投獄されましたよ? とりあえず、もう本部指令には戻らないでしょうね」
「はああああっ!? ちょっと、あんたじゃ話にならないわよ! カグラは……」
「だから、お亡くなりになったんですよ。 とにかく今は社長不在で社内がゴタゴタしているんです。 みなさんくれぐれも余計な事はせずおとなしく待機しているようにしてくださいね」
ウインクを残して去っていくソルトアを唖然としたまま見送り、わなわなと肩を震わせて閉じた扉にエリザベスは椅子を思い切り投げつけた。
「何あいつ! 腹立つうううっ!!」
「顔が良ければ良いというものではないですね……」
「ん……エンリル、その発言はなんかちょっと違うぞ」
「何はともあれ厄介な事になった。 事実上の謹慎命令か……。 こうなってくるとカグラの死の真相がどうこうということは完全に流されて次の段階へ進むことだろうな」
「お兄様はあの男知ってるの……? あたし、なんかあいつ見覚えないんだけど。 絶対脇役よ!」
「噂ではルドルフ・ダウナーに匹敵するとまで言われた天才だが……。 元々ジェネシスは内部でいくつかの部署のにらみ合いが続いていたからな。 社長の死をきっかけに、内部権力が一気に入れ替わると見て間違いないだろう」
「あ〜〜〜もうっ!! こんな時に副指令のヴェクターは何をやってんのよ!!」
不穏な空気が流れていた。 このままでは悪い方向に傾いていく……そんな予感を全員が感じ取っていたのかもしれない。
いらだった様子で部屋の中をうろつくエリザベス。 他の面々も頭をひねって状況を予想しようと考えていた。
「しかし、カグラは本当に死んだのか……?」
「……・どういう意味だ?」
「わたしが言うのもあれだが、あいつは相当不死身だぞ? ニンジャみたいなやつだ」
「ニンジャ……? 極東のアサシンか。 一介の企業の社長がそんな能力を持っているものか?」
「んや。 あいつはただの一介の企業の社長じゃないと思うぞ」
「……オリカさんと連絡が取れれば、もう少し対応も出来ると思うのですが」
八方塞だった。 司令官を抑えられるということがここまで不自由だとは誰も考えていない事だった。
それぞれ好き勝手やっているようにみえて、運用本部の面々はどこかオリカを介して管理されていたのだ。 故に迷う事もなく、一丸となって困難に挑む事が出来た。
その大元であるオリカを抑えられ、道を見失った兵士たちに妙案はなかなか浮かばなかった。
そんな途方にくれるしかない状況の中、扉をくぐって現れた人物は神妙な面持ちで一同を見渡した。
「……話はもう聞いているようだね。 ちょっといいかな?」
「ん……? アルバ?」
着崩れた白衣を調えながら苦笑を浮かべるアルバの姿はよほど急いでここまでやってきたように見えた。
事実、彼はここまで全速力で走ってきたのだが、普段のデスクワークによる運動不足が祟ってか、たどり着くのに随分と時間がかかってしまった。
「ちょっと、話があるんだ。 とりあえず医務室まで来てもらえるかい?」
「何故医務室なんだ?」
「医務室は僕の管轄で、まだ兵士が出張ってきてないからさ。 司令部はもう新しい兵隊が送り込まれてて、新しい運営体制に移行しようとしてる。 今あそこにいっても落ち着いて話も出来ないからね」
「そういえば、カイトさんも今は医務室ですか?」
「ああ。 彼も処置が終わってそろそろ何日か経つし……。 全快とはいかないだろうが、大分よくなったはずだよ」
「ほんと!? じゃあ、見舞いついでに医務室に行くわよ。 どうせここに居ても出来ることなんてなにもないし」
エリザベスの言葉に同意した一行は、アルバに続き会議室を後にした。
地下の牢獄。 かつてエリザベスも捕らえられた事のあるその場所で、オリカは両手両足を鎖でがんじがらめに拘束されて壁にぶら下がっていた。
天井から伸びた鎖はオリカに僅かな身動ぎさえ許さない。 音もない暗闇の中、さらに顔に視界を布で覆われ閉ざされている。
仲間を投獄する状態とこれが呼べるのだろうか。 まるで巨大な力を持つ怪物を恐れるかのごとき行いはどう考えても行き過ぎだったが、逆に言えばそれほどまでにソルトアはオリカを重視しているともいえた。
ふと、聞こえてきたのは何者かの足音だった。 それが誰であれ、こんなところまで来る人間にろくなものはいないだろう。
「これはこれは……大変な状態ですねえ。 オリカ司令」
「その声……ヴェクター?」
足元を照らすだけのかすかな照明に照らされ、ヴェクターは怪しげな微笑を浮かべてそこに立っていた。
二人を阻むものは格子の壁一枚。 しかし、その壁は余りにも遠く絶対に乗り越えられない境界線だった。
「まさかここまで厳重に束縛されているとは思いませんでしたよ。 わざわざ神の力を抑制する封印牢の奥にまでつれてきてこれでは……。 流石の貴方でも、もはや何も出来ないでしょうね」
「口を利く自由があるだけましかな? それで、ヴェクターはどうしてここに?」
「貴方を監視するように命じられましてね……。 まあ、『本業』というわけです」
ヴェクターが格子に触れると、鋭い痛みと共に紫電が大気を奔る。 高圧電流が常に流されている格子には、もはや触れる事すらかなわない。
焦げ付いて焼け落ちた白い手袋の下、ひどい火傷を負った手は、しかし見る見る治癒していく。
それだけではない。 全身が焼け付くような極端な電流が流れているというのに、ヴェクターの負った怪我は『たったそれだけ』だった。
「貴方はご存知だったのでしょう? 私がただのアーティフェクタ運用本部副指令ではないという事を」
「そりゃあね……。 でも結局、あなたのことは私にもよくわからなかった。 判った事といえば……あなたは、『サマエル・ルヴェール』と関わりのある人間だったってことくらい」
「……確かにその通りですね。 私はサマエル・ルヴェールと名乗っていた男と親しくはありました。 彼のバイオニクル研究を手伝った事もありますし、ラグナロクに情報を流していた事もあります。 ですが、それだけです」
「……それだけ?」
「はい。 つまり私は、サマエル・ルヴェールではないということです」
それはオリカの予想を超えた事実だった。 しかし、驚きはない。
もとより全ての事実を知る事が出来るとは思っていなかった。 予想も出来ない速度で進行した様々な出来事には驚いたが、それもルクレツィアが倒れたときから覚悟は出来ていた。
カグラが死んだという事も、その大きな流れのうちの一つであると考えれば涙は流れなかった。 ただ、逆にわからなくなる。
では、目の前の男はここに何をしにきたというのか。 そしてサマエル・ルヴェールでないのであれば、一体なんであるというのか。
ヴェクター。 その男の素性は何から何まで不確か、不明瞭極まりない。 オリカはその過去や人柄をかねてから何度も調べていた。
その調査にはもちろん、カグラも加わっていた。 二人が洗う事の出来たヴェクターのプロフィールは、余りにも多彩だった。
出生は謎に包まれている。 ただいつの間にかジェネシスに在籍していた。 現在の年齢は外見から察するに二十代後半程度の若さに見えるが、既に十年以上前から社員リストに名前は存在している。
科学者としての適正はもちろん、極秘にされているものの、レーヴァテインに搭乗する適合能力さえ優れたものがある。 あらゆる企業、国とコネクションを持ち、事実上その存在は上層部にさえ匹敵する。
「あなたはスヴィアとさえつながりがあった……。 あなたは、誰の味方なの? そして、何と戦っているの? 目的も、行動も、全て矛盾している……。 あなたは何をするためにここにいるの?」
「…………そうですね。 始まりは――――とても純粋な思いでした」
両手を広げる。 そこに思い描くのはかつての世界の姿。
「私は、この世界を平和にしたかった。 美しい緑の星、地球――安っぽいでしょう? それでもそこには命が溢れ、人の笑顔があった。 沢山の過ちと罪があり、業があり……裁きや罰があるこの世界を、私は愛していた」
ただ、眺めているだけで幸せだった。
それを守っていけたならばどんなに幸せだっただろうか。
しかし、手は届かない。 どれだけ伸ばしても、決して得る事は出来ない。
「何度も何度も、私は繰り返しました。 それでも世界は変わらない……。 何度努力したところで、結果は変わらない。 この世界も同じというだけの事です」
それはあきらめなのだろうか。
悲壮な思いが胸を貫き、何度も重ねた後悔が今の自分を苛んでいる。
「だからこれは、私のたった一人だけでの反逆です。 この世界を、全ての世界を敵に回しての……ね。 故に私は誰の味方でもなく、誰の敵でもない」
「じゃあ、あなたは何?」
オリカの唇の紡ぐ言葉にヴェクターは黙り込む。
「何色でもなく、何にも染まる事がないのなら。 あなたは一体、何? あなたは本当に、そこにいるの?」
「……痛いところを突かれてしまいましたねえ。 ウッフッフ……。 それに、それはかつてあなたに一度言われた言葉です」
かつて。 リフィル・レンブラムと呼ばれていた女性が、少女だった頃。
レーヴァテインを駆り、戦う少女は同じ言葉をヴェクターに問いかけた。
そのときは何も答えることが出来ず、その言葉は今でもずっと胸の中で響き渡っている。
今尚、同じ言葉を投げかけられ。 そして尚、答える事の出来ない男は。
「その答えを、もうすぐ見つけられるのかもしれませんね」
今も尚、偽りの笑顔を浮かべて。
とっくに押し殺したはずの感情を握りつぶすように、強く拳の作る。
鮮やかな動作で向けた背中にオリカは何も言わなかった。 ただ、無言で問いかける。
お前は何のために、そこにいるのかと。
色もなく、形もなく。 主義も主張もなく、敵でも味方でもなく。
それではまるで、生きていないかのよう。
それではまさに、幽鬼であるかのように――――。
――――どくん。
激しく脈打つ世界樹を前に、ソルトア・リヴォークは恍惚の表情でそれを見上げていた。
「さあ、始めますよ……。 あなたが望んだ夢物語を」
風が吹き、白い砂がゆっくりと舞う。
世界の終わりの足音が、ゆっくりと近づいていた。