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いつか、その日が来る前に(5)

一気に書いてつかれた……。


「――――温い。 温いよ」


確かに胸を貫いた。

イザナギを貫通した鋭い激痛は確かに干渉者であるオリカにも伝わり、その心臓を傷つけたはずだった。

しかし、それでも尚イザナギはその手で刃を握り締め、どす黒いオーラを巻き上げ聖なる刃を握りつぶす。

何が起きているというのか? キリデラの本能的な直感んがエクスカリバーを後退させる。 そしてそれは、正解だった。

イザナギの胸から噴出す漆黒の血液。 確かに致命傷に間違いはない。 しかし、オリカは微笑みさえ湛えていた。

揺らめく漆黒の陽炎。 放たれた闇の炎は海を焦がし、空を燃やす。 禍々しい殺気を帯びたイザナギの瞳は生きているかのように煌く、静かに微笑む。


「きみたちは何も判っていない。 何も、何も。 自分たちが何と相対しているのかを理解していない。 瞬く事さえせず、奢らず刃を止めるべきではなかった」


イザナギの両肩からぶら下がった巨大な日本刀が稼動し、共に正面を向く。 イザナギは腕を正面で交差させ、月読と天照二つの大刀を握り締める。


「何……!? まさか、二本の長刀を同時に……!?」


「ルクレツィアにはまだ見せてなかったよね……? ううん、誰にも見せた事なかったし。 でも、お前たちは強いから本当のイザナギを見せてあげる」


白と黒の光を帯びた刃が同時に放たれた瞬間、イザナギのフレアユニットが開放され脚部から漆黒の翼が開かれる。

その姿は今までのどのレーヴァテインとも異なり、そしてどのアーティフェクタをも上回る威圧感を放っていた。

両手に携えた刃は一刀だけで既にレーヴァテインと同等の大きさを誇る。 そんな巨大すぎる刃を二刀構え、イザナギは哂う。


「――――一瞬、だよ?」


目前に迫っていたイザナギの姿にキリデラはおろか、ルクレツィアも反応する事が出来なかった。


「無双抜刀――――」


無数の閃光が瞬いた気がした。

それは誰の目にも留まることは無く、反応する事も出来ない。 咄嗟に後退したエクスカリバーの両腕が血しぶきを上げて海に落下するのを見て、ようやく斬られたという事実に気づく。

直後、エクスカリバーの全身が切り刻まれ、大量の血液を噴出す。 見ればイザナギの両の刃は血で汚れる事すらしていない。

超高速の刃。 しかも一撃一撃が致死の破壊力。 刀を交差させて構えるイザナギの背後、日輪のように輝くフォゾンの翼が羽ばたいていた。


「斬――ってね」


「くっ……!! 同じアーティフェクタで……ここまでっ!!!!」


空中に召喚される数え切れない刃。 その全てを光の速度で四方八方から一斉にイザナギに降り注がせる。

しかしオリカの唇は静かに動く。 『お』『そ』『い』――そう、言葉にもならず。

一瞬で粉みじんに切り刻まれる億千の刃たち。 粉々に砕け散り光に帰るそれを眺め、キリデラは目を丸くした。


「……ぉい、おいおい、おいおいおいっ!? なんだこいつあっ!? オーディンより強いんじゃねえかっ!?」


「戦ったことはないからわからないけど――私だったら誰にでも負ける気はしないな」


「…………すげえー。 本当にすげえよ、イザナギ……。 おいら、全部スローモーションに見えた……」


それを成し遂げたシド本人が一番驚いていた。 ルクレツィアも優秀な干渉者であることには違いないが、オリカと比べればとても及ぶものではない。

およそこの世界に存在する干渉者の中で絶対無敵を誇るのがオリカ・スティングレイ、その人である。

かつてのオリカであったリフィルの記憶。 そして人生全てを戦闘訓練に費やした錬度。 そして何よりも迷いのない強い心。

この動揺と混乱を招くのが当たり前の奇妙な戦場において、オリカの心に乱れは一切なかった。 静かにただ澄み渡る湖面のように、オリカの心は澄み切っている。

明鏡止水という言葉がもしも実在するのなら、彼女のような存在を謳うのだろう。 そしてそれは、最強の二文字を与えるにふさわしい。

今でもオリカ・スティングレイは思っている。 二年前のあの日、自分がレーヴァテインに乗っていれば、オーディーンに敗北する事はなかったと。

だからこそ今でも必死に取り返そうとしている。 自らの我侭のせいで、失ってしまった最愛の人を。

それまで立ち止まる事は愚か、迷う事も、振り返る事も許されない。

己に対する絶対的な厳しさが、何もかもを断ち切る刃になる――――それが、イザナギの持つ絶対的強さの秘密だった。


「ルクレツィア! まだやるのか!? 悪いけど、今のオイラは誰にも負ける気がしないぜっ!!」


「干渉者の力で勝って置いてなに言ってんだか……! とりあえずエクスカリバーはもうだめか……。 引き返すぞ、ルクレツィア」


「わかっている……」


「待てっ!!」


反転して飛び去るエクスカリバーを追いかけようとするイザナギをさえぎるように、無数のヨルムンガルドが立ちふさがる。

そのどれもが肩にエルサイムのエンブレムを刻み込んだ精鋭たち――が、次の瞬間には四肢をばらされ海中に沈んでいた。


「……我ながら容赦ねえさ」


「うふふ。 多分、私の情景反射がそっちにも流れ込んでるんだと思うよ」


「あー、そうなんか……。 とりあえずこの……エンドレスリピートされてるの何とかならんのか……?」






好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き!!





「ぐあうっ……」


思わずシドがくらくらしてしまうほど、オリカの心の中はリイドへの好意で満ちていた。

目の前にいるのがシドだというのに、心の中を見られているというのに何一つお構いなし。

それほどまでに純粋で真っ直ぐな感情だからこそ、何者にも折られる事のない究極の刃を生み出す。


「まあ……追うさ……」


「うん、急がないと。 何気にこいつらで時間くっちゃった」


「それにしても、本陣はいいんさ? 結構な数の敵が抜けてっちまったけど……」


「それは、大丈夫」



向こうには、やる気のある子がいるから。



「これで、十二機目!」


頭から一刀両断にされたヨルムンガルドが海中に沈んでいく。

無数の機体に取り囲まれながら、空に浮かぶリヴァイアサン。 たった一機の戦力で、無数の軍艦から放たれる攻撃と出撃してくるヨルムンガルドを撃墜していた。

生まれ変わった蒼い翼はその両腕に装着型のチェーンソーを輝かせ、爆音を鳴らして空母を叩き斬る。


「ザコ……ね! でも、変ねえ……。 こんな弱弱しい戦力で攻めてくるなんて。 勝ち目なんかないのに……」


背後から迫るヨルムンガルドを迎え撃ったのはリヴァイアサンの尻尾だった。 圧縮フォゾンの刃を纏う尻尾は一撃でコックピットを貫通する。


「まぁ、いいわ。 ここから先には、一歩たりとも通さないんだから!」


打ち合わせたチェーンソーが激しく火花を散らせ、リヴァイアサンを赤く照らし出した。



⇒いつか、その日が来る前に(5)



いつからだろうか? 沢山の視線が重みになったのは。

いつからだろうか? 終わりの見えない戦いに両腕が上がらなくなったのは。

いつからだろうか? 賞賛の声さえも、自分をあざ笑っているかのように感じるようになったのは。

一歩一歩足を進める度に、沢山の過去と数え切れない期待と願いが両足に絡みつく。

何故、生まれてきたのだろう? そんなことばかり考える日々。 それを紛らわせたくて、ずっとずっと理由を探していた。


守るための戦い……? 本当にそんなものが存在するのだろうか?


騎士の王はかつて身勝手な理屈を通しても、守るべきものがあるとリイドに言った。

その言葉は本当に、彼女の本心だったのか。 その刃の重さは、今も変わらないのか。

レーヴァテインとトライデントを退けたエクスカリバーの刃は、あっさりと折れてしまった。 それは弱くなったのだと言わざるを得ない。

絶対的な強度を誇る聖剣が打ち折れてしまったその理由は、干渉者であるルクレツィアの心に迷いが生じてしまったからに他ならない。

気づけば、雨が降り出していた。 冬の雨は果てしなく降り注ぎ、孤島に着陸したエクスカリバーの装甲を濡らしていた。


「くそ、これ以上飛べないか……。 ヒデェ横暴だぜ、あの黒いレーヴァ。 まさかの一撃必殺かましやがった」


エクスカリバーの操作を繰り返しながら、キリデラは愚痴を零していた。 ルクレツィアの全身は切り刻まれた激痛に襲われていたが、それは実際のダメージとは比較にならないほど軽いものだった。

それはルクレツィアがキリデラに心を開いていないから。 シンクロがしっかりとしていなかったのだ。 勝ち目などあるはずもない。

キリデラもルクレツィアも、それはわかりきって居る事のはずだった。 顔を上げたルクレツィアはキリデラの背中に問いかける。


「……一つ、貴殿に問いたい」


「あ? 何だ改まって」


「貴殿は見上げた男だ。 この状況においてもその楽観さ……呆れを通り越し尊敬の念すら覚える。 だが……何故そうまで自然体で居られるのだ?」


「そりゃあ、俺には自分の目標があり、そしてそれを達成するまで絶対に死ねないからだ」


エクスカリバーを再び動かす事をあきらめたのか、キリデラは湿気た煙草を咥える。


「てめえこそらしくねえ事しやがったな。 戦力の半分も引き連れずに玉砕覚悟の特攻か? 俺とエクスカリバーに乗ったって、アイリスにさえ勝てないぜ」


「……ふっ。 そこまで強くなっていたのか、彼女は……。 逆に私は随分と弱くなったものだな……」


諦めにも似た笑いが浮かぶ。 全身の力が抜け、自らの手のひらを見つめた。

しかし、それが自分のものであるという認識さえ今のルクレツィアには不確かだった。 もはや五感の殆どを失ったバイオニクルである彼女に、自己の間隔を問う事など意味のない事である。

ルクレツィアがバイオニクルとしてこの世に生を受け、既に十年近くが経過している。 いつの日かエクスカリバーを操るため、サマエルの手で生み出されたルクレツィアは、四年前の事件の日、エクスカリバーと共にヨーロッパへ渡った。

彼女は、元々ヨーロッパの生まれの人間だった。 そう、生前は。 かすかに残っていた過去の記憶、そしてずっと憧れていた故郷……。 古い資料で読み漁った鮮やかな景色はそこには存在しなかった。

荒れ果てた白い砂漠に一人、生き残ってしまった哀れな干渉者。 ただ事件のまき沿いを食い、一人エクスカリバーと共に流れてしまっただけだというのに。

それから長い日々、ルクレツィアは一人で過ごした。 そうしているうちにエクスカリバーを見つけた人々は、それを守り神としてその中に居たルクレツィアをあがめるようになった。

ただ、他人のせいで。 ルクレツィアは自分の意思で何かをなした事が一つもなかった。 周りが勝手に盛り上がり、周りが勝手に見放した。

それでもようやく手に入れた人の絆と輪は少女にとってとても魅力的だった。 それを守ることで周りから感謝され、喜ばれるのであればそれ以上のことなどなかった。

頭脳的にも体力的にも優れたルクレツィアは町を作り、そして人を集めた。 やがて眠ったままのエクスカリバーをも動かす日がやってくる。

ルクレツィアの目の前に現れたサマエル・ルヴェールが抱えていた少年。 その少年こそ、エクスカリバーを動かすための調整を受けたバイオニクルだった。


「これは出来損ないですが、エクスカリバーを動かす事は出来るでしょう。 来る日に備え、あなたはエクスカリバーを動かせるようになっておいてくださいね」


遠く離れた場所に居ても、サマエルの支配から逃れることは出来なかった。

本当の居場所はサマエルのいた研究所ではなく、人々の輪の中なのだと何度も自分に言い聞かせた。

それでも逃れられない。 エクスカリバーに乗って戦う限り、シドと共に居る限り。


「おいら、昔のこと全然覚えてないんだ」


少年はいつも笑っていた。


「でも、ルクレツィアが一緒にいてくれるから、これから先どんなことがあっても負けないと思う」


屈託のない笑顔を浮かべ、いつでもルクレツィアに力を分けてくれた。


「だから、おいらがルクレツィアをずうっと守ってやるよ!」



だからこそ。


その笑顔が、憎たらしくて仕方が無かった。



「おい、連中おいでなすったぞ」


「……すまん。 同期とは言え、お前を巻き込む義理はないというのに……」


「かまわねえさ。 で……一人で行くのか?」


「ああ」


コックピットが開かれ、雨に晒されながらルクレツィアは剣を強く握り締めた。


「自分の手で、ケリをつけたいんだ」


何も言わず見送るキリデラに小さく礼の言葉を放ち、騎士は雨の中大地に降り立った。

漆黒のレーヴァテインが虹色の光をはなちながら舞い降りてくるのを見上げ、その嵐のような風の中、髪とマントを靡かせて刃を抜く。


「ルクレツィア……!」


レーヴァテインもまたコックピットを開き、シドが大地に舞い降りる。 かつて同じ機体に乗り、戦地を駆け抜けた絆を持つ二人は雨の中、相対した。


「失礼は承知で決闘を申し込む……! シド、受けてくれるな?」


「何言ってんだよ……。 何でおいらとお前が戦わなきゃならないんだよ!? 勝負はとっくについてんだろ!?」


「……頼む! そうでなければ、私は……っ」


うつむきながら剣を手に取るルクレツィア。 悲痛なその姿にシドは言葉を失った。

その時頭上、レーヴァテインのコックピットから一振りの刀が舞い降り、シドの足元に突き刺さった。 持ち主であるオリカはコックピットの先端に立ち、二人を見下ろしていた。


「戦ってあげなよ、シド。 彼女、それしかもう分かり合う方法ないんじゃないかな」


「……オリカねーちゃんまで……」


漆黒の刀。 手にする事をためらわれるそれにゆっくりと手を伸ばし、指先が触れる。


「どうしてこんな事になっちまうんだ……。 おいら、ルクレツィアの事……」


刀を手に取り両手で構える。 二人の構えた銀色の輝きだけが妙にまぶしく、互いの視界をさえぎっている。


「……行くぞ」


「……っ」


「はああああああああっ!!」


刃と刃がぶつかりあう。 ぎりぎりと、押し合う二つの刃。 しかし、シドは動揺を隠せなかった。


「なんだよこれ……? ルクレツィア、お前……どうしちまったんだよおっ!?」


軽く、少年はいなしただけだった。 だというのにルクレツィアは派手に横転し、泥まみれになりながら肩で息をしている。

その様子は明らかに満身創痍だった。 剣を杖代わりにしてやっと立ち上がり、ふらふらの身体で再びなんとか剣を構えた。

そんなわけはないのだ。 ルクレツィアは剣術に精通しているし、訓練も毎日怠らなかった。 そもそもバイオニクルである彼女の戦闘能力は、並の人間とは比較にならない。

その一撃が、一回り以上小さな少年に軽くいなされてしまう。 それは客観的に見てもありえないことだった。 何よりルクレツィアを傍で見守ってきたシドにとって受け入れがたい事実だった。


「……お前は、いつでも私の希望だった」


その笑顔にどれだけ救われただろうか。

何度も何度も、死んでしまいたくなるような凄惨な世界の中でも笑顔を失わずに居られた希望の光。

傍にいてくれた。 一番大切な仲間。 パートナー。 そして……。


「今の私に……出来る事があるだろうか」


おぼつかない足取りで前進する。


そう、彼女の国はたいした軍も持ち合わせていない。

彼女の力も、短すぎるバイオニクルの寿命に苛まれ、今まさに消えようとしている。

そして世界は、ジェネシスの計画により間違った方向に進もうとしている。

ならば、この世界に一石を投じることこそ自分に残された最後の役目ではないか……。

エルサイムを守れるだけの戦力は、城に残してきた。 この後仮にジェネシスの反撃があったとしても、城にはアイリスもいる。

殆どの戦力を放置してきたのはそのためであった。 この最期の我侭とも言える作戦においてなお、彼女は祖国を守る事を優先した。

アイリスに真実を知らせ、そして彼女に後を任せるために。 しかし、シドが前線に出てくる事は完全に誤算だった。

出来ればシドにだけは、もう戦って欲しくはなかった。 これからずっと、シドには戦いとは程遠い場所で生きてほしいと願っていた。 ぼろぼろに傷つき、もう立ち上がれない身体であることはシドも変わりないのだから。

だが、運命は皮肉にもエクスカリバーを止めるためにシドをレーヴァテインに乗せてしまった。 結果として、行いは全て裏目に出てシドを傷つけるハメになってしまった。


「こんなはずでは……なかったんだがな」


思わずこぼれた笑みは、きっと神を呪う一言。

最期の力を失い、崩れ落ちる両足。 スローモーションのように、世界が閉じていくのを感じる。




「ルクレツィアアアアアアアッ!!!!」




「ルクレツィアが王様になっても、何もかわんねーよ」


脳裏に浮かぶのはある日の夜の事。 王の業務にいそしむ合間、シドと見上げた月夜の事だった。

それは、とても美しい月だった。 澄み渡る星空は人が汚したものであり、天使が浄化したもの。

その景色を見ていると、何が正しく何が悪いのかわからなくなる。 複雑な胸の中、ルクレツィアはため息を漏らした。

王として生きていく権利が自分にあるのかどうか、ずっとわからないままだった。 いずれはこの世界を滅ぼす力に加担してしまうかもしれない、自らの呪われた宿命が彼女の思考を鈍らせていた。

そうした事情を、シドは知らない。 シドは純粋に人として、ルクレツィアの傍にいるのだ。 だからこそ、それを裏切っている気がして常に罪悪感に苛まれていた。

純粋で、誰よりも真っ直ぐな少年。 それをだまして、自分は利用しているのだと。 そう思うと胸が張り裂けそうだった。

だというのに。 こっちの悩みは知らないで、少年はとても無邪気に笑うのだ。


自分自身も、リイド・レンブラムの出来損ないに過ぎないというのに。


少年の生き方を見ていると、自分もまたそうして自由に生きていけるように錯覚する。

だからこそ、キライだった。 何もかも、壁をすり抜けて心に響くようなその笑顔を見る度、なんともいえない胸の痛みに襲われるから。


「ルクレツィアのことは、おいらが一生守る。 これからもずっと、ずっと一緒さ」


ありもしない夢を、見せるから。


できもしない未来を、想像させるから。


だから、嫌いだった。 とても――――とても。



でも。



それは、間違いだった。


シドを傷つけたくなくて、遠くにおいやったはずなのに。


今度は自分がどうしたらいのかわからなくなって、わけのわからない行動に出てしまった。


意味なんてない。 意味は確かに考え付くけれど。



――――それは。 彼女の最初で最期の、無謀なワガママ。



「ルクレツィア……? なんで……どうしてっ!!」


長い長い一瞬が終わり、ルクレツィアは少年の腕の中にいた。 既に生気を殆ど残さない手で、ゆっくりと少年の頬に触れる。

感触などない。 ないはずなのに、暖かく……それはすっと染み渡るように胸に響いた。


「運命とは、残酷なものだな……」


自分がもし、イヴの宿命を模したものでなければ。


アダムの運命を模した彼を、愛する事もなかっただろうか。


「なんでこんなになるまで黙ってんだよ……!? ジェネシスにいけば、治療だってうけられんじゃねえかっ!!」


「それは、無理だ……。 それに私は……ふふ、裏切り者だしな」


「何いってんのか全然わかんねえよ……。 おいら……おいら、ルクレツィアがいなくなったらどうしたらいいのかわかんねえよっ!!」


「……そう、だな。 そう、だった。 私も、お前も……。 ずっと、そうだったんだな……」


すっと、目を閉じる。 瞼の下に浮かぶ幾千の光景が、とても暖かく感じる。

心残りがあるとすれば、二つ。 一つは、この後起こるであろうとても過酷な世界の最期の戦いを、生き残った人々に押し付けてしまうということ。

強制的に進められた世界のステージは必ずどこかでひずみを生じさせる。 故にきっと、次に起こるべき戦いは繰り上げられることだろう。

しかし、それは目覚め始めたユグドラシルや動き出した数々の組織に対する先手とするために、ルクレツィアが与えた一つの布石だった。

これで、世界は止むを得なく動き出す。 終焉の、戦いへと。

それでも信じている。 今の仲間たちならば、全ての苦難を乗り越えて真実を越えることが出来ると。


「お別れだ、シド……」


「いやだ、ルクレツィア……。 いやだよっ!!」


「すまんな、スティングレイ……。 手間を、かけさせた」


「…………うん」


軽く頷くオリカは、こうなる事を知っていたのだろうか。

特に驚く様子も無く、何を言うでもなく。 そうして二人は瞳で語り合った。 長い間ルクレツィアが抱えてきたバトンを、オリカは確かに受け取った。

思い残す事は、もう一つだけ。 ルクレツィアは穏やかな顔で空を見上げ、それからシドを見つめた。


「私……本当は、な……」


「え……?」


「スカート……が……。 好き、だったんだ……」


余りにも突然の事にシドの表情が固まる。 その驚いた表情を見て、ルクレツィアは楽しそうに笑った。


「驚かせて、やったぞ……。 ふふふ……。 いつも、驚かされてばかりだったからな……。 仕返し、だ……」


「ルクレ……ツィア?」


「本当はもっと……女の子らしい、生き方をしたかった、な。 もっと、素直に……誰かと、恋仲になったり、して……」


目を閉じれば、思い浮かべることが出来るだろうか?

いつか訪れる平和な世界で、シドと手をつないで歩く自分の姿を。

瞼に浮かぶ景色。 もったいなくて、もっと見ていたくなる。


「なればよかったじゃねえかよ……」


「…………?」


「おいら、知ってた……! おまえが本当はすごく女らしくて、強がって男みたいなフリしてるってこと、知ってた……! お前がかわいいってこと、知ってたのに……!!」


シドは笑いながら泣いていた。 しかしその姿も、ルクレツィアの目には届かない。

光を失った少女はゆっくりと微笑み、それからシドに触れた手が力なく大地に落ちて動かなくなった――――。





見ていたのは、とてもとても広い草原だった。

争いもなく、神もいない世界。 人は醜く、しかしそれでも温かかった。

ランチバスケットを片手に歩き出す。 草原の向こう側、シドは無邪気に手を振っていた。


さあ、追いつかなくては。


白いドレスのすそを持ち上げて、ルクレツィアは草原を駆けて行った――――。





「……戦いが終わったようデスね」


エルサイム城内に、鐘の値が鳴り響いていた。

それは、まるでもう主が戻る事がないと知っているかのように、ひたすらに鳴り響く。

一つの国の王が消え、そして生まれ変わらねばならないときを迎えたのだ。

それはあまりにもあっさりとした幕開けだった。 エルサイム王国に、大きな変化はない。

国民の多くは、王の死さえ知らないだろう。 これはルクレツィアの独断で行った事であり、国民に非はない。 そのため、誰にも何も知らせていなかった。

ただ、その王の死を知る兵士たちは、何も言わずに空を見上げて泣いていた。 マーガレットもまた、哀しげにうつむきながら、静かに銃を手からすべり落とす。


「あの方は、もう長くは持たない体でしタ。 いえ、もうとっくに死んでいてもおかしくなかッタ……。 なのに……この世界を変えるために出来る事がしたいと」


「……死んだ? ルクレツィア、が……?」


「……どうぞ、お通りくださイ。 そして、考えて。 アナタが、ワタクシが……やらねばならない事を」


道を譲ったマーガレット。 何か声をかけたいのに何も出てこないもどかしさを抱えながら、アイリスはユピテルに手を引かれ聖堂をあとにした。

ただ、いつもどおりに明るく上った太陽が宮殿を美しく照らし出している。 アイリスは静かに立ち止まり、ユピテルに抱きついた。


「どうして……? どうして、私たちのこの世界は……っ」


「…………うん」


二人はそうして光の差し込む場所で長い間抱き合っていた。






そして。





「なんだよ、お前……。 ばかみたいにボロボロになったのに……。 なんて、幸せそうな顔なんさ……っ」


切れた雨雲の合間から降り注ぐ光に照らされながら、冷たくなったルクレツィアを抱き寄せ、シドは泣いていた。

雨がゆっくりと止み、光が差し込む頃。 とても小さな、しかし後に大きな意味を齎す戦いが終わろうとしていた。



「始まるね」


SIC本社ビル最上階、社長室。

そこから世界の果てを眺めるアレキサンドリアは呟くと同時に哀しげに空を見上げた。


「さあ、約束の時間だ――――スヴィア」


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