いつか、その日が来る前に(3)
「エルサイムの軍隊が攻め込んできたのね」
乱雑に散らかったデスクの上に両足を投げ出したカグラは深くため息をついた。
エルサイムの騎士王率いる精鋭部隊がジェネシスに向け進軍を始めたのはつい先ほどの事だ。 ゆっくりすぎるほど穏やかな速度で迫る敵を不気味に感じながらも、カグラは不思議と納得できる部分があった。
「不意打ちはしない、ってことでしょ? 準備時間を与えてるんじゃない? 彼女、正々堂々勝負するタイプの人間みたいだったし」
「戦争になりますよ、これは」
傍らで腕を組んで押し黙っていたハロルドの一言に冷静を装っていたカグラの眉がぴくりと動く。
そう、それは出来れば考えたくない事態だった。 そうなる理由も、いまいち検討がつかない。 むしろエルサイムはもっとも友好的な国家だったはず。
それが突然交渉も出来ず問答無用で襲い掛かってくるなど、あってはならない事態。
「さーて、どうしたもんかねぇ……」
「そういえば、同盟軍の機体が何機か警告に向かったそうですが」
「バカだねー……。 殺されちゃうよ?」
カグラが飽きれて苦笑を浮かべる頃。
遥か水平線の彼方、燃える海が広がっていた。
いくつもの軍艦が海を行き、その上には無数の機体がずらりと並んでいる。
その先頭には朝日を受けまぶしく輝く蒼き機体が剣を携え佇んでいた。
海が燃えている――それは、海に燃える何かが浮かんでいるという事に他ならない。
「止まる必要はない。 このままヴァルハラに進軍する」
動き続ける軍艦の中、エクスカリバーがなぎ払った無数のヨルムンガルドが海中へと沈んでいく。
その姿を横目に眺め、静かにルクレツィアは呟いた。
「……すまない」
戦争が始まろうとしていた。
⇒いつか、その日が来る前に(3)
「えいっ!!」
と、声を上げて扉に体当たりしてみても、鋼鉄製のそれはびくともしない。
一応、肉体も鍛えていたつもりなのだが、鋼鉄をぶち破れというのは流石に無理があっただろうか。
格子付の窓から見渡す海を軍隊が進軍するのが見えた。 私はただそれを指を咥えてみている事しか出来なかった。
情報を引き出そうと思ってつかまってみたものの、これじゃあ意味がない……いや、どちらにせよキリデラとルクレツィア相手に切り抜けられるとは思えないが。
二人とも、どう考えても格闘能力は私よりも上だ。 組み手でもルクレツィアには勝てたことがない。
彼女は本当に強い。 そして、本当に優しい。 どんな時でも誰かの為に振るうその刃は、常に誰よりも強かった。
それが、何故こんな事になってしまったのか。 ルクレツィアは何をするつもりなのか。 ただ、このままでは良くない事になってしまうという悪い予感だけがひしひしと感じられていた。
もう、何時間この部屋に閉じ込められているのだろう。 夜はとっくに明けて、太陽も高く上ろうとしている。 よほどあわてていたのか今まで全く感じなかったが、全身が疲労と眠気でとても重かった。
「でも、どうして私をここに閉じ込めたんだろう……」
私と彼女の考えが、どこかですれ違ってしまっているのはわかる。
けれど、何故閉じ込めておくのだろう。
殺す事は、たやすいはずなのに。
「ルクレツィア……」
ポツリと呟く。
何も無くなってしまった空虚な私を受け入れ、隣で励ましてくれた王様。
本当に辛いのは自分で、大変なのも自分で。 それでも私の為に笑いかけてくれた。
焦って前に進まなくて良いと、少し先を歩いて、何度も心配そうに振り返ってくれた。
かけがえの無い、友人だ――。
「果たして本当に、向こうはそう思っているのかな?」
振り返る。 格子付の窓辺に、見覚えのある少女が腰掛けていた。
その容姿はリイド・レンブラムにも、エアリオ・ウイリオにも似ている。 艶やかな黒髪の間から覗く真紅の瞳が細く私を捕らえていた。
「どうしてここに……」
いや、どうやって? 出入り口は鋼鉄の扉しかないのに、どうやって格子付の窓辺に座ったのか。
少女は私の質問を意に介す事もなく降り立つと腕を組んで微笑んでいた。 その顔つきは何度見ても畏怖を覚えずには居られない。
「メルキオール……レンブラム?」
「覚えていてくれたんだね、アイリス。 光栄だよ」
忘れるわけがない。 異世界で遭遇した、不気味な存在。
リイドとも、エアリオとも、ユピテルとも違う何か。 それも、別世界にいたはずなのに……何故ここにいるというのか。
「アイリス」
突然、目前にメルキオールの姿が迫っていた。
一体いつ、どうやって移動したのかわからない。 理解不能な自体が目前に迫った時、私は何の反応も示す事が出来なかった。
「ボクのこの顔を忘れないように心に刻みつけておくんだ。 そして、いつか必ず思い出して。 君が――――憎むべき相手の顔をね」
耳元でそう囁くと、彼女の姿は消え去っていた。
ただ力だけが抜け、どっとその場に崩れ落ちる。 何が起きたのか、何をされたのか……何一つ理解できる事なんてなかった。
「は……あ……」
漏れた呼吸はまるでずっと止まっていたかのように苦しく、何故か動悸が激しくなっていた。
波打つ心臓の音は何故か? それはおそらく、恐怖のような感情のせいなのだろう。
「恐れている……私が?」
誰も居なくなった薄暗い部屋の中、肩を抱いて思う。
あの瞳、あの声。 きっと忘れられない。
なんとなく思うのだ。 彼女とはもう一度、どこかで会うことになるのだろうと。
そしてそのときこそ……彼女が知る真実を知らされる時なのだと。
だからだろうか?
私はきっと、真実を知るのが怖いのだろう。
だからこそ――。
「おいらを、レーヴァテインに乗せてくれ」
シドの一言は司令部をざわめかせた。
強い視線の先には腕を組んだオリカが立っている。 無論表情は厳しい。 帽子の影から覗く鋭い視線は、今にもシドを切り捨てかねない勢いだった。
エルサイムの進軍を知ったシドは、迷うことなく司令部に駆け込んだ。 そしてオリカに直接、頭を下げたのである。
少年にはもう他に出来ることも、なすべき事も思いつかなかった。 だから心の赴くままに、出来る事をしにきたのである。
「それは、ジェネシス最強の兵器を敵軍である君に明け渡せって事?」
「それは違う! おいらはジェネシスの敵じゃない……っ! リイドや、みんながいるここは、オイラにとっても大事な場所だ!」
「でも、君の干渉者はそうじゃなかったみたいだよ?」
司令部があわただしいのはシドの突然の発言のせいだけではない。 民間人の避難誘導や防衛戦力の配置などでとてもいそがしいのである。
バタバタと人が行き来する中、取り残されるように二人の姿だけが停止している。 頭を上げたシドは、それでも真っ直ぐな目でオリカを見つめていた。
「ルクレツィアには、きっと何かワケがあるんさ! あいつは……意味もなく誰かを傷つけるような事をするやつじゃない」
「でももう、人が死んでる」
先遣部隊は全滅。 連絡はもう二度と取れない。
「ルクレツィアは交渉にも応じないし、寄らば斬るの勢いでどうにも止まらない。 だから私たちもそれを止めるために尽力しなきゃいけない。 わかるでしょ」
「だから! レーヴァテインを貸してくれれば、おいらがアイツを止めてみせる! なあ、頼むよ……! おいらが……おいらが止めなきゃいけないんだよ!」
「……そんなこと言われてもね」
「頼む! 一生の御願いだ! ほんと、このとおりっ!!」
床に頭をこすり付けるように何度も土下座するシドを眺めていると、なんだかオリカのほうが悪いような気がしてくる。
「まあ、いいんじゃねえか? 今他にレーヴァテインに乗れるやつはいないんだし」
「カイト? もういいの、体?」
「いや、ダメだ。 ご覧のとおり」
松葉杖を軽く持ち上げながら苦笑するカイト。 そう、カイトの言う事は確かにその通りだった。
シドの元に歩み寄ると、ゆっくりと膝をつき、シドの手をとる。
「いいじゃねえか。 やらせてやれよ、オリカ」
「……カイト? あのねえ、そんなカンタンな問題じゃないんだよ?」
「わかってる。 でも結局、シドを行かせるのが一番効率的じゃねえのか?」
「……んむう」
それを言われるとオリカも弱い。 交渉をするにせよ、戦闘になるにせよ、どちらにせよ筋が通っているのだ。
それでもオリカがシドを行かせたくない理由があるとすれば、それは一つだけ。
「君はもう、アーティフェクタに乗れるような体じゃないんだよ? それでもいいの?」
シドはまだ、なんの治療も受けていない。
いつフォゾン化でその命を失ってもおかしくはないのだ。 だというのに、少年は立ち上がると強く頷く。
「かまわない……!」
ぎゅっと握り締める拳。 この戦いに一番納得がいかないのは他でもない、シドだった。
ルクレツィアの行動が何一つ解せない。 だからその理由を確かめ、そしてそれを止めてやらねばならないのはこの少年の義務であると言えるだろう。
「おいらは、ルクレツィアを止める。 そこに何の迷いもねえさ……」
「……はあ。 しょうがないなあ〜」
盛大にため息を漏らし、空を仰ぐオリカ。 それからコンソールの通信ボタンを押し、マイクに語りかける。
「やっぱりシドくんがレーヴァテインで出るそうだから、シンクロシステムの書き換えそのままよろしくね」
「お、オリカ姉ちゃん……! 最初からそのつもりだったんだな!」
「だって、絶対そう言い出すと思ってたし……ぶっちゃけカイトくんを行かせるわけにもいかないしね」
「サンキュウウウ!! やっぱり姉ちゃんたち最高だぜっ!!」
「ぎにゃあああ! 胸に顔を押し当てるなー!!」
「しっかし、肝心のユピテ……リイドはどこいっちまったんだか」
そう、現在ジェネシスに存在するレーヴァテイン適合者はカイトのほかにもう一人存在する。
そのもう一人は……何時間も前から行方不明になっていた。
「まあ、彼の行く先なら大体検討つくんじゃない?」
シドをひっぺがしながらオリカが呟く。
カイトもそれに同意する。 小さく息をつき、しかしだからこそ信じられる。
「あいつもあいつで……ホント、真っ直ぐバカっつーかよ」
「よいしょっと」
鋼鉄の扉がいともたやすく開き、中で膝を抱えていたアイリスは目を丸くして驚いた。
扉を開くのは簡単だった。 外側にあった衝立を開放するだけだったのだ。 扉を開いてすぐに目に付いたアイリスは部屋の隅で膝を抱え、目を涙でうるませていた。 助けに来た少年……ユピテルにとって驚きだったのは、むしろそちらのほうだったと言えるだろう。
「ユピテル……!?」
「うん、ユピテル。 まったく、だからボクも一緒にくればよかったのに……きみ、空港で拒否るんだもんなあ」
「ユピテル! 大変なんです!!」
「判ってる。 それよりまずはここから出よう。 ほら、急ぐよ!」
「え? あっ……」
アイリスの手を取り、先を行くユピテル。
その後姿に見とれながら、一瞬だけ全ての事を忘れた少女は悔しそうに歯を食いしばった。
ぼろぼろ涙がこぼれてしまうのは、きっとこれから仲間だった人と戦わねばならないから。
そしてきっと、迎えに来た少年の姿を見て、自分でも嫌に成る程心底安心してしまったから。
赤い絨毯にぽつりぽつりと、涙は染みて跡を残していく――――。
「賽は投げられたのです」
薄暗い部屋の中、モニターの光がヴェクターの顔を照らしている。
「私も、私の仕事をしなくては」
引き出しの中から取り出した拳銃と、とても古びた一枚のディスク。
それを慈愛にあふれた動作で手に取り、静かに上着の中に仕舞い込む。
長い、とても長い時間、それはずっと封じられてきた想い。 男は席を立ち、薄ら笑いを浮かべながら拳銃のセーフティーを外した。
「全く。 どうにも、嫌なお仕事ですねえ――――」
主が去った部屋の中、暗闇に浮かび上がるパソコンのウィンドウにはファウンデーションの計画書が静かに並べられていた。