流星、輪舞曲(1)
なんかただのデートだった気がする。
「お前はそれで、満足なのか?」
ユピテルの人生は己との戦いだけで埋め尽くされていた。
その殆どを占めた、宿敵スヴィア・レンブラムは戦いの最中、時折そんな事をユピテルに尋ねた。
勿論その時は疑問にさえ思わなかった。 それは致し方のない事だと言える。 彼は『満足』という言葉の意味さえ知らなかったのだから。
ただ気づいた時には目の前に倒すべき敵が存在し、自分が何の為に存在するのかがわからなくなっていた。
だから強い力を誇示し、目の前の何かを倒し続けていれば――そう、いつかはきっと、違う景色も見えるのではないかと思っていたのだ。
降り注ぐレーヴァテインの瓦礫の中、リフィルとスヴィアが操る最高錬度にまで達した戦闘力のレーヴァテインと刃をぶつけている間だけは、少しだけ心が満たされている気がしていた。
まるで一つのことしか出来ない、出来の悪い人形。 それでもスヴィアはいつでもユピテルに付き合ってくれていた。
スヴィア・レンブラムは人を憎むという事を知らない男だった。 世界を滅ぼしたユピテルに対し、彼は怒りではなく常に哀れみと疑問をぶつけていた。
そのスヴィアの態度が何故かいつも気に入らなくて、ユピテルはただ強引に力でぶつかって行った。
目を覚ましたら、そこにあったのは自分の顔だった。
目を覚ましたら、そこにあったのはオーディンだった。
目を覚ましたら……同じものがたくさん、同じ顔がたくさん、同じロボットがたくさん、たくさん、並んでいたのだ。
それが憎かった。
だから全て壊した。
創造主の意図にも反して。
「満足……? 何が満足だ。 おかしな事を言うじゃないか、スヴィア」
けらけらと、明るく笑いながらも、心の中は常に真っ暗だった。
何もない。 何もない。 ただただ、何もない――――。
「ボクもお前も化物じゃないか。 ああそうさ、化物さ。 人間じゃあない。 まるで人間の心を持っているかのように振舞うなんてさ」
それは馬鹿馬鹿しいことだ。
数え切れない命を奪い、世界を壊し、あらゆるものを殺し尽くした殺戮の神が。
さも人間と同じ心を持っているかのように話し、そして同じ心を持っているかのように相手に語りかける。
きっと彼はまだ理解出来ない。
スヴィアに対して強く固執するその理由を。
「お前はさ……。 寂しかったんじゃないのか」
その言葉を聴いた時、ユピテルの手は止まっていた。
無限に続く闘争。 スヴィアからリイドにと引き継がれたその争いの最中、リイド・レンブラムはぼろぼろのレーヴァテインの中でそう呟いたのだ。
血まみれで、意識も朦朧とし、死んでしまったほうが楽なような地獄の戦場の中、彼が口にしたのは呪いの言葉などではなかった。
「お前は、スヴィアに甘えてたんだよ――ユピテル。 スヴィアにわかってもらいたかったんだよ。 お前は……スヴィアを、兄貴みたいに思ってたんだよ」
常に戦いの相手になってくれた、スヴィアの背中を追って、世界を駆け巡ったのは何故か。
消えてしまったスヴィアがどこにいってしまったのかわからなくて、世界を転々としたのは何故か。
スヴィアが幸せに暮らしていたあの世界を、滅ぼしてしまいたいと思ったのは何故か。
「終わりだよ、ユピテル」
レーヴァテインの拳がオーディンの頭を引きちぎる。
争いの決着は、あっけないほど一瞬でついた。
ユピテルは何も抵抗できず、ただ呆然としたまま広がる青空を見上げていた――――。
⇒流星、輪舞曲(1)
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「んんーっ! おいしい! ねえアイリス、これすごくおいしいよ!」
「……そうですか。 それはよかったですね」
話をしようにも、ジェネシス本社内ではまずい。 従って、私たちがプレートシティの普段は立ち寄らないカフェテラスで顔をつき合わせているのは別に不思議な事ではなかった。
序に言えば私は少々おなかもすいていたので、何か食べようということになったのも、まあおかしなことではなかった。 問題はここからだ。
『人間はいちいち食べ物を外部から摂取しなきゃ生きていけないなんて、非効率的だね』
なんてことを目の前の男が言い出したのである。
むろん、私はカチンときた。 とにかくこの男の言うとおりにだけは絶対にさせたくないのである。
『人間が食事を取るという事はただのエネルギーの補給ではありません。 味覚を楽しませ、食事という行為そのものを共通し人と触れ合うための……』
と、私は真面目に十分くらい彼に抗議した。 すると、それを最後まで聞いたユピテルは目を丸くしたまま、
『すいません。 この、一番上のここから、ここまでのメニュー全部持ってきてください』
と、徐に店員に頼んだのである。
勿論凄まじい量だ。 店員も目を丸くしていたが、『かしこまりました』というしかないだろう。
だから当然数十分後にはカフェテラスの小さなテーブルには乗り切らないような凄まじい量の料理が届いたのである。
そしてそれを口にした途端、ユピテルの態度は一変した。
「人間はいつもこんなに美味しいものを食べてるの?」
「そうですよ……」
「へぇええ! 感心したなぁ! アイリス、君の言う事は正しかったよ」
余程料理が美味しかったのか……いや、恐らく『食事』という経験そのものがなかったのだろう。 ユピテルはにこにこ笑いながら食事を取っていた。
私はもうとっくに注文していたサンドウィッチを平らげてコーヒーを飲んでいるのだが、ユピテルの食べっぷりはエアリオに近いものがある。 いい勝負だ。
それにしても、最初素手で食べようとした時はあせったものだ。 フォークくらいは使えないと、本当にこれから先困るだろう。
これから先……? 何を考えているんだ私は。 これから先なんてないだろう。
「ユピテル……」
「なに?」
「口元がケチャップだらけです……! 見ていて不愉快なので、もう少しマナーよく食べてください!」
身を乗り出し、ナプキンでぐりぐり口を拭うとユピテルは目を丸くしていた。
それから私の顔をじっと見つめ、にこやかに微笑むのだ。
「これが食事における人の触れ合いってやつかな?」
「……あんまり調子に乗らないでください」
「あははっ! アイリスはおっかないなァ……」
なんなのだろう、この人は。
世界最強の神。 レーヴァテインさえ破壊する魔神。 天使を従える地獄の使者。
最悪の敵だった。 こいつさえいなければリイド先輩だっていなくなることはなかった。 それなのに……どうしてだ。
なんでこんなに悪意がない? どうしてこうまで先輩に似ている? まるで、まるで……。
「これすごく美味しいよ! アイリスも食べなよ!」
「え? あ、え?」
「ほら、口あけて」
所謂、「あーんして♪」というやつである。
拒否したいのだが、冷や汗がだらだら流れているのだが、顔が真っ赤になっているのだが、ユピテルは本当に楽しそうで……その誘いを無下に断れなかった。
「おいしい? ねえねえ、おいしい?」
「……はい」
「ふふふふふ」
額を押さえる。 ああ、何でこんなことになってしまったんだ。
本当に、どうしてかなぁ……。
味、わかんないし……。
支払いを終えて私たちはカフェを後にした。 舌なめずりしながらユピテルは楽しそうに笑っている。
「あ〜あ。 あんなに楽しいんなら、もっと早く教えて欲しかったなあ」
「貴方、食事が初めてだったんですか?」
「うん。 ボクら『神』と呼ばれているものはね、何も食べずとも外部からフォゾンを吸収して活動出来る……それくらいは君たちだって知ってるんでしょ?」
「そりゃ、まあ」
しかし、ユピテルがあの化物と同じようにフォゾンを吸収して食事をしているような姿はいまいち想像出来なかった。
いやいや、おちつけアイリス。 こいつも化物だぞ。
「オーディンにも教えてやりたいなあ……。 スパゲッティの食べにくさとか。 コーヒーの苦さとかさ」
「それはよかったことなんですか?」
「新鮮だよ。 少なくとも、ボクらにとってはね」
私の一歩前を歩きながら、彼はそう呟いた。 その時の表情を私は見ていなかった。
なんだか少しイライラする。 私は頭を掻きながら深くため息をついた。
しばらくそうして無言で歩いている時だった。 公園の傍を歩いていると、草むらから飛んできたサッカーボールがユピテルの頭部に直撃したのである。
突然の出来事に私は思わず口をあんぐりとしたまま立ち尽くしてしまったが、これは由々しき事態では……。
「ごめんなさーい! サッカーボールとってくれませんか〜!」
「……まずい」
子供たちが手を振っている。 それは、ボールをあてたのが彼らであることを示していた。
ユピテルにボールを蹴り当てる? そんな事をしたら大変なことになる。 私は思わずユピテルの前に立ち、子供たちを遮っていた。
「ユピテル、彼らは……っ」
「ボールって、これのこと?」
私は言葉を失った。
ユピテルはまったく怒っている様子はなかった。 むしろ、ボールを手に取り首を傾げていたのである。
「あ〜! お兄ちゃんルール違反だよ! サッカーボールは手で持っちゃいけないんだ〜っ!!」
「そうなの?」
「蹴って! 蹴って戻してよ!」
「わかった」
地面にボールを置くと、ユピテルは思い切り助走をつけて足を振り上げた。
恐らく凄まじい運動神経……そして人間離れしたパワーだ。 子供たちが危ないんじゃないかと、またも止めに入ろうかと思った直後。
「あらっ?」
ユピテルの長い足は思い切りボールからはずれ、空を待ってユピテルの身体ごと地面に倒れた。
盛大に転んだユピテルに私はもう何を言えばいいのかわからなくなっていた。
子供たちの笑い声が聞こえ、ユピテルは苦笑しながら立ち上がる。
「お兄ちゃん、へったくそー!!」
それから何度かボールを蹴ろうとするのだが、そのたびに盛大に転び、高級そうなスーツがぼろぼろになる頃。
子供たちはユピテルの手を引いて公園に入っていった。 そこで、ユピテルにボールのけり方を教え始めたのである。
私はベンチに座ってそれを眺めていた。 汗だくになりながら、懸命にユピテルはボールを追っていた。
真っ直ぐにそれが蹴れるようになったとき、ユピテルは満面の笑みを浮かべて子供たちとはしゃいでいた。 それからしばらくサッカーをして、無我夢中で遊んでいた。
その間きっと私の存在は頭の片隅にもなかったのだろう。 泥だらけのユピテルに近づくと、彼は目を丸くした。
「アイリス……ごめん、すっかりわすれてた」
「ユピテル、もういっちゃうの?」
「うん。 ボクも忙しいからね。 人間の子供と遊んでる暇はそんなにないんだよ」
「へたくそユピテルの癖になにいってんだ!」
「あはははは!」
子供たちに別れを告げ、ユピテルは戻ってくる。
綺麗な顔を泥だらけにして。
私はため息をつき、上着を脱がせると自販機で購入した缶ジュースを手渡した。
「あけ方、わかりますか?」
「……ありがとう、アイリス」
私は彼が、空前絶後の悪であるかのように考えていた。
実際彼はこの世界を沢山破壊して、この世界ではない世界も沢山破壊して、先輩を連れ去った。
でも、それだけだ。 そして私にとって最も許せなかったのは、きっと世界のことじゃない。
先輩を連れ去ってしまったという事……それが何よりも許せなかったのだと思う。
だからきっと、個人的な怒りや憎しみに囚われ、私は彼を正面から見たことがなかったのだと思う。
ユピテル。 彼はただ、何も知らなかっただけなのではないか。
戦う事しか知らなかったラグナロクの人々と今は分かり合えたように、心を伝えることが出来れば分かり合えるのではないか。
そんな、淡い希望を抱いてしまった。
私たちは公園のベンチに腰掛け、長い時間を過ごした。 その間、お互いに沈黙を守っていた。
「あの時……」
その沈黙を破ったのは、私の一声だった。
「あの世界で私が会った『リイド・レンブラム』は……貴方だったんでしょう? ユピテル」
「ばれちゃったか」
悪戯っぽく笑い、それから空を仰ぐ。
考えてみればとても自然な流れだ。 私はユピテルと共に一度次元を移動し……そこでユピテルではなく先輩と出会った。
おかしな話だ。 ユピテルと一緒に移動したのに、そこにいたのがリイド・レンブラムだなんて。 私はただ、それがうれしくて盲目になっていた。
でもだとすると、少しだけおかしな事がある。 なぜなら、
「貴方は先輩でなければ知らないような事を知っていた――――それは、何故ですか?」
「……きみは、知らないかもしれないけどね」
別世界に存在するはずの同一存在二つが同じ次元にある時、記憶の混濁が発生するらしい。
実際リイド先輩も何度かそれがあり、スヴィアさんの記憶経験などが流れ込んできていたと、ユピテルは話してくれた。
長い戦いの間にリイドとユピテルは何度か記憶を共有し、経験を共有し、感情を共有した……ということなのである。
そしてそれが、ユピテルのおかしな行動の原因でもあった。
「リイドの心を知った時、スヴィアのそれとも違う何かを感じた。 その感情の意味が知りたくて、ボクはここに来たのかもしれないね」
「貴方は……リイド先輩の事が嫌いなんじゃないんですか?」
「嫌いさ。 でもね、アイリス」
それは別に難しい理屈ではない。
「どんなに嫌いでも、あれはボク自身さ」
だから、認めざるを得ないという事。
「ただ、それだけだよ」
ユピテルの表情はどこか物悲しく見えた。
あの時彼は、私の告白を……こっ、告白ぅ!? を、うけ……あああああああああ、間違えて告白してるぅうううっ!!!
とっ、とにかく、ああ……とにかく、それでっ! だから、そういうことでっ!!
彼は……私が先輩をどれだけ思っていたのかも……。 リイドがどんな思いでユピテルと戦ったのかも、全部わかっているんだ……。
風に吹かれ、ユピテルの髪はさらさら靡いていた。 その横顔は、本当に孤独に見える。
誰にも愛されない人形――。 そして、彼は何故私に協力しようというのか。
「……罪滅ぼし、のつもりですか?」
私の言葉にユピテルは顔を背ける。
「リイド先輩を奪ってしまったから、自分が代わりに……なんて、そういうことですか?」
「違うさ」
立ち上がり、彼はにっこりと微笑む。
あの綺麗過ぎる、作り物みたいな不気味な笑顔で。
「ただ君が面白いから、君の事をもう少し知りたくなった……ただ、それだけの事だよ」
「貴方は、」
「ボクはユピテル。 世界最強の雷神にして、絶望の象徴。 君の大切なものを破壊した悪魔――。 それ以上でも以下でもないさ。 ボクはね」
物静かな公園から見える町の雑踏を眺め、ユピテルは黙り込んでいた。
彼は何時も私たちのことを『人間』と呼んでいた。
まるで自分は『そうではない』と言い聞かせているかのように。
何かが変わったのだろうか。 この二年間という時間の流れで、彼も例外ではなく。
誰も彼もが変わる事が出来る――。 少なくとも、私はそう思う。 たとえ、憎しみの対象だとしても。
「手を――」
差し出す。
「握ってくれませんか」
ユピテルは無言で手を差し出す。 それは先輩と変わらない、あたたかい手。
やわらかく、不器用で、でもあったかい。
繊細な心を持っていたリイド・レンブラム。 それと同じ存在であるはずの彼が、戦いの中で傷つかなかったと言い切れるのか。
私はまだ判断できない。 この男を信じていいのか信じてはいけないのか。
だから、釘をさしておこうと思う。
「これは、約束です」
「――約束?」
「はい。 貴方と私が交わす約束」
その言葉が、きっと何かを変える力になると私は信じている。
彼が、私にそうしたように。
今度は私が誰かに、そうしてあげたいと思った。
「貴方は、私を守る。 どんな時も、颯爽と助けに来る。 そう、約束出来ますか?」
ユピテルは驚いていた。 当然彼だって私にそんな事を言われるとは思っても見なかったのだろうから。
自分の顔が赤くなるのを感じる。 そりゃ照れくさい。 先輩と同じ顔をした人に、こんな風に言うなんて。
でもまあ、仕方ない。 ほっとけないのだ。 おせっかいなのだ。 それはきっと、先輩でも同じ事をしたと思うから。
「了解」
ユピテルは微笑み、私の手を取って跪く。
まるで、西洋の騎士のように。
「了解 我が主よ」
目を閉じ、私の手の甲に口付けをした。
つくづく大げさな人だと思う。 何をするにも。 いつだって。
そう、彼は舞台の上で踊り続ける役者なのだ。 人形劇の人形なのだ。
誰にも見られることもなく、追い立てられるかのように踊り続ける人形なのだ。
だから私はそんな彼の観客になってあげることにする。 そうすればきっと、人形は勝手には出来ないと思うから。
「きみは、ボクが守る」
いつか聞いた言葉を、いつか聞いた声で。
いつかのあの人と同じ顔で、彼は微笑んでいた。
風が吹いて、顔が余計に赤くなる。
ああ、やっぱり。
……かっこいいなあ、なんて。
そんな事を、考えている自分が、とてもばかばかしかった――――。