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絆、道標に(2)

新章突入。


まだそれは、カグラ・シンリュウジが何も知らない少女だった頃の話。

孤高という言葉が似合う、一人の男性に恋をしていた頃の話。

この世界のどの人種にも属さない、不思議な顔立ちをした青年。 常に黒衣を身に纏い、その片手には本が握られていた。

あらゆる組織に根深く関わり、その男の影響力はジェネシスも例外ではなく、父親たちが男と何やら難しい話をしているということをカグラは子供心に知っていた。

カグラは片親である。 母親の事は知らない。 父親の愛人の子であるカグラは、母親が病死するのと同時に父に引き取られた。

父、ゴウゾウ・シンリュウジは生涯結婚する事もなく、誰かに心を開く事もない男だった。 あるのは野心だけであり、カグラに対する愛情など皆無である。

広すぎる部屋と溢れかえるようなおもちゃの山の中、カグラは一人きり、学校に通うこともなく暮らしていた。

そんな時、男はその部屋を訪れた。 小さな遊園地のような、あるいは牢獄のようなその場所で、男は冷たい瞳を浮かべていた。

初めて抱いた感情は恐怖だった。 鋭利な刃物を目の前にした時、人が感じる思いに良く似ている。 モノは心を持たず、ただ傷つける存在であるという意義だけを持つ。 まるでその男は生きているものではなく、モノであるかのようだった。

スヴィア・レンブラム。 そう名乗った青年は、カグラの頭を撫でて言った。


「一人は寂しいだろう」


その言葉の意味がよくわからなかった。

わからなかったけれど、次の瞬間には強くうなずいていた。

スヴィアは何をするでもなく、暇があるとカグラの傍にいた。 カグラも何をするでもなく、その隣で膝を抱えていた。

だから二人の間にある絆はその程度のものであり、しかしカグラにとっては大事な大事な始めての『友達』だった。


「ねえ、スヴィア?」


「何だ?」


「スヴィアはどうしていつも本を読んでいるの?」


ベンチに腰掛けるスヴィアの傍らには大量の本が積まれていた。

中には以前読んだものも混じっている。 カグラはそれを知っていたからこそ、スヴィアに訊ねたのだった。

男は笑うこともしなければ怒ることもなく、まるで自分にもそれがよくわからないかのように首をかしげた。 それがスヴィアなりの思考のポーズなのだと、幼いながらにカグラは理解していた。


「そうだな……」


しばらくするとスヴィアは本を閉じ、青空を見上げながら呟いた。


「理解したいのかもしれないな。 人の、心というものを」


「人のこころ?」


「カグラ。 私はね、人間ではない。 心を持たない、冷たい人形なんだ」


自らの胸に指先をトンと当てて、静かに語る。


「今まで私は人間らしく生きてきたことなどなかった。 いや、沢山の出会いがなければそんな生き方が……『人間らしく』なんてものがあることさえ知らないままだったろう」


「……アタシにはよくわかんないけど」


「だろうな。 ともかく、私は知りたいんだ。 人の心、人の考え……。 そういうものを知る事が出来たら、私も……誰かに大切な心を遺してあげることが出来るんじゃないかなんて、そんな夢を見ている」


そう呟く青年の姿はとても寂しげで、膝を抱えたままのカグラは思わずその顔をじっと見つめてしまった。


「アタシも……。 アタシも、人形みたいなものだから」


広すぎる部屋。

溢れかえるおもちゃ。

誰も見てくれない自分。

お飾りの娘。

天井を見上げると、自分につながる糸が見える気がした。

哀れなマリオネットを操る、誰かの手が。


「……実はな、カグラ。 私には、弟が出来た」


「弟?」


「ああ、弟だ。 自分で言うのもあれだが、私とは違ってとてもいい子だ。 人間くさくて、未熟で。 しかし、暖かい」


ふと、スヴィアが始めて微笑んだ。

きっとその弟の事を思っている間だけは、彼は冷たいモノではなく、血の通ったヒトになれるのだろうと、そんな事を何となく考える。


「だがこのままでは私はいい兄になれる気がしない。 だから、心が知りたいのだ。 人間の記す物語は素晴らしい。 架空とはいえ、誰かの一生そのすべてがそこにある。 だから私は、本が好きなんだよ」


「スヴィアはいいお兄さんになれるよ」


驚くスヴィアを見上げ、カグラはにっこりと笑った。


「アタシの頭を撫でてくれた。 アタシを笑わせてくれた。 だからきっと、弟ともうまくいくよ」


「…………そうか」


大きな手がカグラの頭を撫でる。

それはとても不器用で、それでも思いやりのこもった手だった。


「だと、いいのだがな」


にこやかな微笑を浮かべる青年。

カグラ・シンリュウジはその青年に恋をした。

所謂初恋というもので、それは当たり前のように実る事はなかった。


それでも彼女は、今も彼の守ろうとしたものを守ろうと歩み続けていた。




⇒絆、道標に(2)




「これが、先日確認された正体不明のフォゾン反応原です」


それは、巨大な棺桶だった。

銀色の棺桶。 表面には不思議な装飾が施され、それは天使の翼のようにも見えるし、巨大な手のようにも見える。

とにかくそれは巨大な棺桶だった。 地球に落下し、大地に突き刺さった巨大な棺桶。 それが、この会議の議題だった。

羅業事件から四日。 先日の事件により、世界は人間同士だけではなくそれ以外の存在たちにも変化を促していく。


「これらは間違いなく、月面から射出されたものです」


ジェネシス会議室。 それぞれの手元にあるモニターの写真が次々と切り替わる。


「こちらは同盟軍からの報告にあった、アフリカに落下した棺の画像になります。 落下してくるのが何枚か収められていますが、落下直後からのものは存在しません」


「同盟軍の監視機械か……。 その後カメラはどうなったんだ?」


「棺の落下地点から周囲5km程は一瞬で焦土と化したようです。 既に土地の変化が始まっており、数時間後に新たに確認した映像では砂に侵食されていました」


切り替わった画像には棺桶を中心に発生したクレーターと、その周囲に広がる白い砂漠が映し出されている。


「同盟軍はこの棺を『パンドラ』と名づけたようです。 彼らに習い我らもパンドラと呼称します」


「それで、そのパンドラの中身はどうしたのかね?」


「確認された情報では、既に中身は空だったと……。 それと、パンドラは合計三機確認されており、一つはアフリカに落下したP-1、それからP-2は現在地球の周回軌道を移動中、落下してくる様子はありません。 問題は最後のP-3なのですが……」


映し出されたのは巨大な人工衛星だった。 その画像を見て、会議室はどよめきに支配された。


「これは……『フロンティア』かね」


「皆さん既にご存知だと思いますが、この月内部調査のための中継基地として前世紀から開発が進められ、実際に月の内部調査に使用された宇宙ステーション『フロンティア』……こちらに、P-3が突入したようで……」


月調査中継宇宙ステーション、フロンティア。

天使の出現の原因になったとされている月の内部調査時、調査団の中継地点として長い時間をかけて作り出された宇宙ステーションである。

全長25kmの巨大な宇宙ステーションだが、実際に宇宙ステーションとして機能するのは中心部のごく僅かなスペースのみである。

調査隊派遣当時は沢山の人の行き来があったものの、神の出現後は完全に無人化され、放置された状態にある。

フロンティアが放置されている理由はいくつかあるが、何より宇宙空間……しかも月との中継のための施設であり、神の攻撃に晒される可能性が高いことが主な理由とされている。 それ以外にも放置していたところで特に害がない事、そのための労力を集められないこと、何より長い間の沈黙により人々の記憶から忘れ去られているという事もある。

とにかくそんな宇宙ステーションフロンティアに棺が向かったのである。 それは、考えようによっては大問題である。


「ご存知の通り、フロンティアはまだ未熟なフォゾンエネルギーの運用によって作成された、前時代の技術の産物です。 棺の着弾が凄まじい衝撃を伴うとすれば、そのまま地球に落下してくる可能性も十分考えられます」


「よりによってフロンティアかね……。 しかし何故だ? やつらは今までの戦いで、フロンティアに近づいた事は無かったではないか」


フロンティアは長い間放置されてきた。

しかし、天使たちはその場所を襲撃の対象とすることはなかった。

元々天使は生命体に対してのみ攻撃をすると言われているが、その行動にはまだ謎が多く、判っていることのほうが少ない。

何はともあれ、フロンティアに棺が向かった以上、何かが起こる……今までの天使の行動とは違う何かが起ころうとしているのは確かなことだった。

それが人類にとって巨大な被害となるのかどうかはわからない。 ただ、出来る限りこれ以上の不安要素はご遠慮願いたいというのが本音。


「仕方ないか……。 フロンティアに調査隊を派遣……それしかないでしょ?」


カグラの一声に議会は黙り込んだ。 そうするしかない。 不安要素は多々あるものの、他に手段が無いのも確かだった。

しかしただ一人、ソルトアだけは小さく笑いながらカグラを見つめていた。


「ああ、それと……これはまだ未確認の情報なのですが」


「何?」


パンドラの他にも、月面から何かが来たかもしれないそうです」


「……『かもしれない』? それ、同盟軍が言ってたの?」


「はあ……。 彼らもわからなかったそうです。 何か一瞬、ほんの一瞬だけレーダーに反応があったそうで……」


同盟軍はいくつか宇宙に監視用の人工衛星を打ち上げている。 それらの情報は隔てなく各国に送信されている。

その情報は信頼に足るものであり、ジェネシスとは違い監視施設を持たない国々はその予報を頼りにしているのである。

それはどんなに早い天使の移動速度でさえ捕らえる事の出来る超高性能レーダー。 故に『かもしれない』なんて事はありえないのである。


「レーダーの異常かもしれないと同盟軍からは報告がありましたが、一応お耳に入れておこうかと」


「なるほどね。 うん、いい判断だよ。 ありがと」


「ええ。 まぁ、異常だと思いますけどね。 なにせ、あのレーダーを吹っ切れるとしたら……『音速』どころか『光速』……そんな速さで動ける神は、今のところ確認されていませんからね」




「あぁ……。 退屈でしょうがねぇなあ」


紙コップのドリンクを飲み干しながらシドはそんな事を呟いた。

私たちはもてあました暇をごまかす為に社内を歩き回っていた。 シドが目を覚ましたのは昨日の夜の事だったらしく、エルサイムと連絡はまだ取れていない。

シドは随分と長い事眠っていた気がする。 とは言えまだ二週間程度なのか。 なんだかもう何ヶ月も経っているような気さえする。

包帯が巻かれた腕を気にしながら、シドはぼんやりと廊下の壁に背を預けていた。 容態が良くなったものの、フォゾン化の影響は確実に彼の身体を蝕んでいるようだった。


「昨日はみんなで遊んでたんだろ? いいなぁ、おいらも混ざりたかったよ……」


唇をとんがらせるシドの様子は何時もどおりに見える。 少しだけほっとした。

皆ばたばた倒れていくこんな戦いの中でも、やっぱり変わらないものがあると思えるのはいい事だと思う。


「でも、身体はいいんですか?」


「ああ。 心配しなくても結構頑丈なんだぜおいらは。 メシもたらふく食ったし……ま、ほんと暇なのだけは何とかして欲しいね」


他のみんなは昨日の宴会の影響でぐったりしているため、自室で休んでいる人が殆どだった。 カイトは強引に病室に戻らされてしまった為、一緒に出歩くわけにもいかないし。 エアリオたちにも仕事があり、結局今日はみんなばらばらである。


「とりあえず、今まであった事を簡単に説明しましょうか」


退屈しのぎにもなるだろう。

シドが眠っている間に起きた様々な事を私は思い返しながら説明していった。

始まりは式典。 私はその時エルサイムの人間としてこの場所に降り立った。

そして、先輩を助ける計画……オペレーション・メビウスの存在を知った。

レーヴァテインの出現や、異世界での経験。 ヴァルハラを襲ったキリデラたちとの戦いや、羅業の存在。 そしてエアリオの歌――――。

思えばこの短期間に色々とあったものだ。 これだけバタバタしていれば、そりゃ何人か倒れるのも出てくるだろう。 そう考えると少しだけおかしくなった。


「なんだかしらねーけど、すげえバタバタしてたんだな」


「そうですね。 まあ、これからも忙しいのは変わらないでしょうから……。 私たちも早いところ、エルサイムに戻らないとですね」


「だなぁ。 ほんと、ジェネシスの連中には迷惑かけっぱなしで申し訳ないぜ。 いつかちゃんと恩返ししないとな」


シドはそういう義理堅い一面がある。 ふざけた事ばかり言っているかと思えば、ちゃんと責任感の在る子なのだ。

まだ私たちより年下なのに頑張っているシド。 そんなシドを、ルクレツィアは置いて行ったのだ。

そんなことは、とてもじゃないがいえなかった。 でもきっとシドはそれを理解している。 ルクレツィアが自分を置いて行った事を、よしと考えているのだ。

私はなんとなくそんな二人の距離を寂しく感じた。 ルクレツィアもシドも私も、やっぱり時間の流れで変わってしまったのだと思う。


「何にせよエルサイムから連絡が来るはずですから、もうすこし辛抱してくださいね」


「んだな。 少しトレーニングルームで身体でも動かしてくる。 なまっちまっててどうしようもねぇや」


「はい。 付き合いましょうか?」


「疲れてんだろ? 少し休んでろよ、アイリスは」


「そうですか……。 ありがとう、シド」


明るく笑うとシドは廊下を駆けていった。 一人ぼっちになってしまったが、まあ仕方ない。


「あぁ……」


最近は、隣に誰かがいてくれないと不安な気持ちになる自分がいる。

なんだか弱くなっちゃったなあ……。

小さくため息をついたその瞬間だった。



「だーれだ?」



「っ!?」


突然視界が暗闇に覆われる。

それは背後から誰かに視界を覆われたからなのだと理解するのに数秒を要してしまった。

誰だ? つい先ほどまで周囲には誰もいなかったし人の気配も感じなかった。 みんなはまだ寝ているはずだし……職員はこんな親しげな事はしない。


「……誰?」


思わず緊張が走る。 声からして男だったとは思うが、それがどんな人物なのかは想像も出来ない。

敵、だろうか?

小さく深呼吸し、腰のホルスターに手を伸ばす。 拳銃をいつでも携帯するようになった自分の癖に少しだけ感謝する。

心臓が強く高鳴る。 しかし頭は冷静に……隙を見て、背後の誰かを取り押さえねばならない。

ならないのに、何故か身体は上手く動かなかった。 何か毒物でも使われたのかと考えたが、そうではない。

私の身体が、上手く動かないのは……そう。 ありえない思考が頭の中を駆け巡っているからだ。


「アイリスならすぐわかると思ったんだけどな」


少しだけ残念そうな声。 私は小さく息を呑んだ。


「……まさ、か?」


視界が明るくなると同時に私は振り返った。

そこには、ありえない人の姿が、拍子抜けするくらい当たり前にそこにあった。

黒い髪。 赤い瞳。 高くなった背と、変わらない少し惚けた声。


「……どうして?」


黒いスーツを身に纏い、彼は――リイド・レンブラムはごく普通に、まるで最初からそこに存在していたかのように微笑んでいた。


「ひどいな。 来ない方が良かったみたいな言い方だ」


少し困ったような笑顔。 私が何か言うと、いつもそうやって笑っていた。

先輩だ。 リイド・レンブラム先輩だ。

私は何度も目をこすった。 こすりすぎて眼球が取れちゃうんじゃないかってくらいそりゃもうこすった。

やりすぎたせいか、目からぼろぼろ涙がこぼれて、なにやら色々言いたかったこともすっかりふっとんでしまった。

何も言うことが出来ない私を先輩は優しく抱きしめてくれた。 そうして頭を撫でて、耳元で囁くのだ。


「久しぶりだね、アイリス」


「先輩……っ」


会いたかった人の姿が目の前にある。

顔を上げて、涙を拭いた。 直ぐ目の前にある先輩の笑顔――探していたものが、そこにある。




だからこそ。




「貴方は、誰ですか?」


拳銃を顎に押し当て、セーフティーを解除する。

強く睨みつける。 優しい先輩の表情は相変わらずで、それがさらにおかしく見える。


「……知らなかったみたいですね。 先輩は……女の子を優しく抱きとめて慰めるなんて、そんな事が出来るほど器用な人じゃありませんから」


突き飛ばし、改めて拳銃を構える。

しかしその銃はいつの間にか手の中からすり抜けていた。 直後、首筋に冷たい感触が押し付けられる。


「酷いなアイリス。 いきなり銃を人に向けるなんて……正気かい?」


「くっ……」


完全に背後に回られていた。 腕は押さえ込まれ、いつでも私を殺せる体勢。 先輩と全く同じ顔をした男――ユピテルは、静かに微笑んでいた。


「せっかく会いに来たのに、まさか拳銃向けられるとはね。 でも君も変わってる……。 そんなの、ボクに撃っても意味ないでしょ?」


「理解出来ていないようだから教えてあげるわ。 私はね……貴女のことが大嫌いなの。 無駄だと判っていても、頭に銃弾ぶち込みたくなるのは仕方のない事よ」


「ふう……。 人間ってのはつくづく無駄だらけの生き物だね」


拳銃を指先でくるりとまわし、ユピテルは壁に背をついてため息をついた。 そこにはもう先輩の優しい笑顔はなく、人を嘲笑う化物の顔があった。

逃げる事も立ち向かう事も出来ない私はただユピテルを睨みつける事しか出来ない。 しかしそんな事彼はお見通しなのだろう。 伝う冷や汗と強く握り締めた振るえるこぶしを見て、彼は満足そうに笑っていた。


「そんなに嫌わないでよ、アイリス。 一応リイドと全く同じ外見のはずなんだけど、おかしいね……ふふふ」


「外見と心、確かにその両方に人は恋をします。 でもね、性格があまりに最悪だと外見がどれだけ良くても意味がなくなるものです」


「なるほどね。 そういう君は外見も心も綺麗なつもりかな?」


気づいた時にはまた背後に立っている。 後ろから私の腕を取り、頬に指を伝わせる。


「せっかく『こっちの世界』に帰してやったのに、本当につれないね。 でもま、確かに君は面はいいし……ああ、そうそう。 確かリイドが惚れてた女にそっくりなんだっけな? だったら見所あるんじゃないかな……たとえ、心が醜くてもさ」


「…………」


「そんなに睨むなよ。 まさか今になって私は潔白ですとか言うつもりじゃないんだろ? 興ざめだからやめて欲しいな、偽善者気取りは」


「……何の用ですか?」


話しているだけで吐き気がしてくる。 どうしてこんなにこいつは腹が立つのか。 人を苛立たせることに関してだけは一級品だ。

沸騰しそうな思考を悟られないよう勤めて冷静にしてはいるものの、どうせそれも無意味なのだろう。 ユピテルは微笑みと共に私の耳元で囁く。


「手伝ってあげるよ。 アイリス、君をね……」


「……はっ?」


なんですって?


「だから、君をボクは手伝うって言ってるんだよ。 最強最高の神である、雷神ユピテルがね。 リイドを助けたいんだろ? ボクもそれを手伝うんだよ」


「な、何を言ってるんですか貴女は……!?」


背後から拘束された状態でなければこんなやつ張り倒してやるのに……。

それにしたってわけがわからない。 何故やってきた? 助けるのを手伝うといったのか? この私を? あの化物が?


「このままじゃ君たちは絶対にリイドを救えない……そしたら努力が水の泡でしょ? そういうのもまあ悪くないけど、ボクも一枚噛んでる以上失敗はしてほしくないしね……ああ、誤解の無い様にあらかじめ言っておくけど、僕は別にリイドの事はどうでもいいんだ。 ボクの目的は、君だからね」


「――――私?」


「そっ。 だってアイリス――――きみはとても面白いんだもの」


くるっと、まるで人形のように私は回転させられていた。 それはダンスのステップのようでもある。

とにかくそのせいで、私はただ何もする事が出来なかった。 ユピテルは私を抱きとめ、唇を奪っていたというのに。


「なっ……あっ!? あなっ……はあっ!?」


唇を押さえて後ずさりする。 ユピテルは不気味なくらいに綺麗な顔で、舌なめずりしながらウィンクした。


「その代わり、リイドを助け終わったら……君にはボクと結婚してもらおうかなぁ」


「…………」


言葉にならなかった。

言葉にならないくらい、私は思ったのだ。



ふざけるな、と。



だから、とにかくその思いを一刻も早く目の前の相手に思い知らせたくて、思い切り手を振り上げてそれをユピテルの頬にたたきつけた――――。


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