絆、道標に(1)
なんか間があきましたね。
「いいんだな……? 本当に」
夜明けを前にした無人の戦場跡。 海を見渡せるその場所からは、聳え立った巨大な氷の塊も一望する事が出来た。
何とか不時着し、ぼろぼろになったスサノオのコックピットから降りたマサキとキョウは、二人で海を眺めていた。
「うん。 大丈夫や。 最後は二人で……」
「……そっか。 それじゃあな」
風に吹かれ、前髪を靡かせながらカイトは笑った。
背中を向ける親友の姿を見送りながら、しかし二人は何も言う事が出来なかった。
遠くでレーヴァテインが飛び立ち、ヴァルハラへと戻っていく。 それを見届け、二人は凍てついた羅業に視線を戻した。
「……見事なまでに凍っちゃってるね。 なんだかきれい」
「そやなぁ……」
自分たちがあれだけ固執していたレーヴァテインもヴァルハラもカイトも羅業も、既にどうでもよくなっていた。
恐らくは元々大して固執もしていなかったのだろう。 ただ、逃げる矛先が欲しかっただけのことだ。
目の前で自分たちの信じていたものが凍りつき、二度と動く事はなくなったとき、二人はむしろすがすがしい想いでそれを眺めていた。
落ちていく羅業の姿を、そして天を舞う霹靂の魔剣を。
「……あと、どれくらいなんや?」
キョウは困ったように微笑み、それから指先で少しだけ隙間を作って見せた。
ほんのちょっと。 そんな言葉が聞こえてきた気がして、マサキはキョウを強く抱きしめた。
「何の為に戦ったんやろうなぁ。 ぼくらも、あいつらも……」
「みんな……上手に生きていくのは、むずかしいね」
「ああ……難しい。 難しいなぁ……」
二人は抱き合いながら思い返していた。 それは、今までにないようなことだった。
過去の事はどれも辛い事ばかりだと考えていた。 東方連合に助けられたところで、生き残ることが苦しい事に何の代わりもなかった。
銃を手に取り、生き残る為の訓練をして、それでも仲間たちは殺されていく。 理不尽な世界という現実を前に、子供に出来ることなど何も無かった。
始めはきっと、純粋な気持ちだったのだろう。 誰かを助けたい。 世界を守りたい。 そんな暖かな気持ちも、いつしかゆっくりと薄れていく。
今をやり過ごす事だけに精一杯になり、与えられた居場所を守る事だけに精一杯になり、他の事を見つめている余裕なんて今までずっと無かったのだ。
それでも思い返す事が出来た。 その記憶は、まだ彼らが死の恐怖に怯えながらも幸せに生きていた日々の記憶。
希望を胸に、三人で一緒に白い砂漠を駆け回った記憶……。
あの頃に戻れるものならば戻りたい。 悲しみも痛みも消し去ってしまいたい。 けれども、それは叶わぬ夢だから。
目の前にあるぬくもりを忘れないでいたい。 マサキの願いはたった一つだけだった。
「ぼく、頑張るから……。 キョウの代わりに、この世界を守るから……。 だから……」
「うん。 だって、マサキちゃんは……いつでもうちのヒーローやもんね」
会話は途切れた。
海から吹き込む風は、なんだかとても冷たかった。
凍えるようなその風も、しかしどこかすがすがしい。
神の羽であらされた大地。 白い砂が舞い上がり、きらきらと空を彩っていた。
夜明けが訪れる。 紅の光を見つめながら、キョウは涙を流した。
「……カイトちゃんを……人間を、信じても……いいよね?」
しっかりとマサキはキョウの手を握り締める。
そうしてキョウは、まるで眠るように息を引き取った。
⇒絆、道標に(1)
羅業事件から、三日が過ぎた。
羅業事件は、独立遊撃隊隊長であるキリデラが起こした謀反であり、東方連合政府は無関係であったと正式な発表があり、ひとまずジェネシスとヴァルハラの全面抗争に発展する事はなかった。
でも私に言わせればそれはただ全面抗争にならなかっただけで、世界はこれでまた大きく動いた事になる。
勿論、東方連合が羅業を作っていた事は誰も知らないことだった。 それは立派な条約違反であり、ジェネシスは東方連合に対して非常に大きな手札を手に入れたと言えるだろう。
政治的な問題だけではなく、礼節を重んじる東方連合の性質からしても、今回の一件は大きな『借り』であると捉えており、パワーバランス的にこちらにアドバンテージが生まれたのは言うまでもない。
が、それだけでは片付かなかった。 ヴァルハラ市民からのジェネシスへの反発は非常に強まり、同時に東方連合との全面対決を望む声もちらほらと見え始めた。 ジェネシスはそれら暴動を何とか鎮圧しようと努力はしているものの、連日のデモ抗議に加え本社ビルへの簡易なテロ行為など、頭を悩ませる種は増え続けている。
国際サミットと条約についても早くも見直しの声が出されており、意見をまとめるのに苦労しているのですぐすぐどうにかなるわけではないものの、もしかしたら一つになろうと動き始めた人類の手と手がまた離れていってしまう可能性も少なくはない。
この事件を受け、ジェネシス側は警備をより厳重にし、東方連合に対する姿勢を慎重に変えたらしい。 尤も、トップであるカグラ社長に関してはそのような意思はなく、なるようになるだろう、といった様子である。 無論これも反発あり。
東方連合とジェネシスのパワーバランスの傾きは世界に影響する。 よって、同盟軍も動きを見せている。 東方連合とジェネシス両方に軍事力を派遣し、警護に当たらせるとのこと。 武力介入の言い訳を作ってしまったとの捉えもあるが、私に言わせれば今のジェネシスを放置しておくよりはだいぶ安全だと思う。
そしてその動きにあわせ、SIC,東方連合両方からレーヴァテインについての説明を求められており、結局のところジェネシスが追い詰められた立場にある事は間違いない。
ゴタゴタですっかり忘れていたが、ユグドラシルの危険性は尚指摘されており、羅業事件をレーヴァテインの力で収めたので風当たりは多少弱くなったものの、依然としてオペレーション・メビウス実行は夢のまた夢である状況に変わりはない。
さて、とにかく羅業事件から三日が過ぎたのである。 世界情勢のほかにも、変わった事はいくつかある。
「カイト、具合はどうですか?」
「おっ、アイリスじゃねえか。 毎日ご苦労なこったな」
「他にする事もないんですよ」
そう呟いてパイプ椅子に腰掛けた。
ちなみにここはジェネシスの適合者用病室。 ベッドの上でカイトは寝転がり、退屈そうにあくびをしていた。
そう。 この間の事件でレーヴァテインを使い、しかもエンリルとオーバードライブを発現した彼の体のフォゾン化は急速に悪化。
戻ってくるなり緊急手術が開始され、それから三日間当たり前のように彼はベッドの上に貼り付けになっている。
「ったく、このベッドと俺は運命か何かで結ばれてるのか?」
と、本人が言っているが、それは彼の無理が祟っているだけの事なのでなんともいえない。
なんにせよつくづくベッドに縁のある人だと思う。
「顔、治ってきたんですか?」
「ああ、まぁな。 でもヒビが残るかもしれないってアルバさんが言ってたなぁ……。 ったく、カロードの野郎」
戻ってくるなり色々あった。
まず、勝手に出撃したカイトには様々なお怒りの声があびせられた。 オリカさんやカロードさん、エリザベスとか。
中でもカロードさんはカイトを見るなり殴りかかり、思い切り顔面を打ってしまったのだが、フォゾン化が進み硬質化していたカイトの皮膚はあっさりと剥がれ落ち、大量出血して大変なことになってしまったのだ。
一時はどうなる事かと思ったが、見た限りヒビのような傷跡しか残っていない。 かなりグロテスクな状況だっただけによくここまで治ったものだと感心する。
当たり前のようにカイトはしばらく出撃不能。 それどころか日常生活にも困っている有様である。 まあ自業自得なのだが。
「あれ? アイリスさん、いらしてたんですね」
自動ドアが開き、エアリオとエンリルが肩を並べて入ってきた。
「二人もお見舞いですか?」
「ん。 まぁ、わたしのせいでこうなってるわけだしな。 ほうっておくのもかわいそうかと思って」
それもそうである。
大きな変化といえば、エアリオが記憶を取り戻したらしいということだ。
本人の口からはっきりと聞いたわけではないのでまだ正直判断には困っている。 というのも、戻る前と記憶喪失の状態との区別がつかないのである。
全くの自然体。 エアリオという少女は、何も変わってはいなかった。
「あーっ!? そのリンゴはたった今アイリスがくれたんだぞ!? 普通食うか!?」
「もぐもぐ」
そんな馬鹿騒ぎを横目に私は色々と考えていた。
いや、考えない事のほうが少なすぎる。 考えることが多すぎて一体何から考えればいいのかも良くわからない有様だった。
両腕を組んで頭を悩ませていると、ふと、エアリオの顔が視界に入り疑問が浮かんだ。
「そういえばここ数日見ていませんでしたが、何をしていたんですか?」
「ん? ああ……色々と調べ物をしていたんだ」
「何についてですか?」
エアリオは少しだけ真剣な表情で腕を組み、一拍置く。 言うのをためらっているかのようなその態度に手を引こうかとも考えたが、その前にエアリオは決断を下したようだった。
「サマエル・ルヴェールについてだ」
考え事が増えてそれらの整理に集中したい私だったが、手が空いているのをいいことに雑務を押し付けられまくっていた。
書類作業やらなにやら。 カイトの面倒はどうやらエアリオたちが見ているようなので私の出る幕はない。
そうして一仕事終え、コーヒーを飲みながら一息ついて考え込もうとしていると、オリカさんに肩を叩かれた。
「アイリスちゃん、ちょっとお願いされてくれないかなぁ?」
「……」
露骨に嫌そうな顔をしてしまったかもしれない。
このちょっとお願いというのがまた一度始まると長いのである。 それくらいのことはもうとっくに学んでいた。
「まぁ、断っても意味はないんでしょうし……用件を聞きましょう」
「そんなに難しいことじゃないよ、信用ないなぁ。 これね、みんなに配ってきてほしいの」
手渡されたのは手作りのメッセージカードだった。 カラフルな彩りで、一つ一つに宛先が記されている。
「メッセンジャーガールですか」
「まぁそういうこと。 あ、これがアイリスちゃんの分だからちゃんと中身を確認しておいてね。 それじゃあばいばーい」
オリカさんは強引に手紙の束を私に押し付けると能天気に笑いながら走り去っていった。
あの馬鹿っぽさは見習いたいものがある。 あんなふうに時々頭を弱くしておけば、いざというときシャキっと出来るのかもしれない。
相変わらずあの人の考える事は理解に苦しむが、まあそれがいいところでもある。 ここは気分を切り替え、与えられた役目をきちんとこなそう。
「えーと、なになに……」
ひとまずは内容の把握から始める。 自分宛の赤い手紙を開き、内容に目を通した。
そこには大きくて丸っこい文字で『本日19:00より、オリカ宅にてエアリオちゃんおかえり&ゼクスくんよろしくねパーティーを催します!』と記されていた。
「尚、全員強制参加であり、不参加者は厳罰……」
最後は自分で読み上げてしまった。
目を丸くする。 とりあえずため息はあとにとっておこう。
頭をわしわし掻いてみる。 この緊急時にこんなのんきな事をしている暇があるのだろうか。
だがしかしこれも何か考えがあってのことかもしれない。 重要な任務として私はこれをやり遂げよう。
Uターンし着た道を歩きながら、私は手紙を渡す順序を正確に組み立てていた……。
そうして約束の時間、私たちはぞろぞろと町を歩いていた。 アーティフェクタ運用本部のメンバーが殆ど揃い踏みである。
全員を呼び込むのには苦労したのだが、結局みんな一緒に来てしまったので、手紙の意味はあったのか疑わしい。
「それにしてもカイトは大丈夫なんですか?」
「おう。 俺だけ一人で除け者とか、むしろ寂しくて死ぬぜ?」
親指をぐっとたてながら爽やかに笑っているカイト。 松葉杖をつきながらよく言ったものである。
「何はともあれ、そろそろオリカさんの家に着くはずなんですが……」
人里は慣れたプレートの隅っこをうろついていると、その場所は私たちの眼前に現れた。
巨大な和風建築の屋敷である。 そのあまりの巨大さに一同言葉を失い、お互いに顔を見合わせあう。
「ここがオリカさんのご自宅なんですかね……」
「でかいな……」
「あ! 皆さんようこそいらっしゃいませ! 準備はできてますよ!」
屋敷の中から顔を出したのはメアリーだった。
豪勢な屋敷の門をくぐると、絵に描いたような和風庭園が広がっていた。 それぞれが別々のリアクションを返している間にメアリーはどんどん先へ進んでしまうので、私たちもそれに続いて屋敷の中に入る事になった。
「みんな〜、おつかれさま〜!」
屋敷の中の広間に案内された。 広間、というよりは客間なのか。 いや、それにしても凄まじい広さである。 まるで宴会場だ。
実際に宴会目的だったのかもしれない。 そこには所狭しと料理が並んでおり、一斉に歓声が沸きあがった。
「まあどうぞどうぞ、みんな座って勝手に騒いじゃってね!」
と、案内するオリカさんは何故か和装である。 皆が席に着くころあいを見計らって私はオリカさんに声をかけた。
「それにしても、急にどうしたんですか?」
「うん。 まあ、ちょっとね。 とにかくアイリスちゃんもゆっくりしていってよ。 どうせ貸切だし」
まるで旅館か何かのようだ。 どたばたと料理を運んでいるメアリーが相当危なっかしいのだが、それさえ気にしなければくつろげそうかな。
座布団の上に正座して一息つく。 ずらりと並んだ料理の中から比較的珍しい魚の刺身をいただく事にする。 それにしても、なんで全員箸が使えるのだろう?
元々ジェネシス、しいてはヴァルハラの創立者が日系だったせいか、日本系の文化も色濃く受け継いでいるヴァルハラ市民とはいえ、全員が全員箸使用可能というのはどうなのだろう? と、思っていたところ、エリザベスとカロードだけはその使い方に困っているのか、さかさまに持ったりグーで握り締めたりして魚に刺していた。
「なによこの道具……? どう使うのよ」
「さっぱりわからん」
むしろそれが自然なんじゃないだろうか。
「エアリオ、少し食べすぎじゃないですか?」
「こういうのは限界まで食べておかないと後で後悔するんだぞ。 経験論だが」
「そ、そうでしょうか……」
「どうせいくら食べても太らないしな、わたしは」
なんともうらやましい話だ。 大量の皿をからっぽにしながらエアリオは満足そうに笑っている。
それにしてもいつの間にかあの二人の間にあったわだかまりのようなものがなくなっているような気がするんですが、何かあったんでしょうか。
「お姉様! どうですか、お料理のお味は?」
「あ、うん。 とっても美味しいけど……こんなに沢山誰が作ったの?」
「えへへ〜。 司令とメアリーで作ったです。 一生懸命作ったんですよ? ほめてください!」
「えらい、えらい」
なでこなでこ。
満面の笑みを浮かべているメアリーを見ていると何となくこっちまで癒されてくる気がするから不思議だ。
「でも、何でまた急に歓迎会なんて?」
「んー、メアリーはそのへん詳しくないんですよー? なんか司令がやるっていうから、メアリーもがんばるぞーって、だから何も知らないデス!」
つまり騒げればなんでもよかったのね。
イベント事は少々面倒だな、と思いながら緑茶を飲んでいる私は少し枯れているんでしょうか。
でもまあ、みんな楽しそうだし……たまにはこういうのもいいかもしれませんね。
などと話していると、ようやく今回の主賓の一人が顔を出した。 遅れてやってきたゼクスは既に始まっている宴会の様子を眺め、ひたすらに目を丸くしていた。
そのままUターンしようとするのをメアリーとオリカが引きとめ、首根っこを掴んでずるずると席に引き摺っていく。
「……あの、司令……? これはなんですか?」
「見ての通りだよ?」
「見ての通り……? ぼくの目に映ってる景色は、ちょっと皆さんのそれとは違うんでしょうか……?」
本気で不安そうな表情を浮かべながら目をごしごしこするゼクス。
違わないけど。 とっても馬鹿騒ぎだけど。 これは一応あなたの歓迎会なんですよ。
「じゃあ、みんな揃ったことだし〜、『エアリオちゃんおかえり&ゼクスくんよろしくねパーティー』を開催しま〜す!」
ぱらぱらと、揃わない拍手が響き渡った。 中には呆れている人もいるようだったが、私も悪ノリしてみることにした。
たまにはこういうのも悪くない。 悪くない、ですよね?
「ではでは、まずはゼクスくんとエアリオちゃんからお言葉を頂きたいと思います〜。 はい、マイク」
「え? ぼくからですか?」
「うん。 ほら、はやくはやく」
マイクを渡され、困ったような表情を浮かべながら一同を見渡すゼクス。
全員の視線がゼクスに集中し、緊張しているのか妙に背筋を伸ばしながら視線をきょろきょろさせ、ゼクスは口を開いた。
「あの……。 ゼクス=フェンネスです。 もうご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、改めて紹介の場を頂いたということで、ええと……とりあえず、皆さんこれからよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるゼクス。 顔が赤くなっていて可愛かった。 何ていうか、人見知りするタイプなのだろうか。
「ということで、質問コーナーです!」
「え? そんなのあるんですか?」
「あるよ〜! 質問がある人は手をあげてねー!」
と、同時にまるで小学校の授業を受ける生徒たちのように、我先にと手を上げまくるみんな。
流石に私とカロードさんは手をあげなかったものの、質問数多のようだった。
「ゼクスは何歳なんだ?」
「えっと、今年で十一歳になります」
「「「 じゅういちぃっ!? 」」」
全員が声をあげた。
きょとーん、と言った様子のゼクスくんを他所に、私たちは眉を潜める。
十一歳。 今年で十一歳……。 確かに小さい子だなあとは思っていたけれど、実際にそういわれると流石に驚愕するものがある。
十一歳にしてタナトスのテストパイロットであり、レーヴァテインを両断した腕前を持つわけである。 それは言うまでもなく驚異的なことだ。
みんなの視線を受けるのは居心地が悪いのか、なんともいえない表情で後ずさりする。 今にも逃げ出しそうな様子だったが、背後でオリカさんが刀を携えて笑っているので身動きが取れないようだった。 とりあえず先輩として忠告することは、あの司令には絶対に逆らわないほうがいい、ということくらいだろうか。
「あの……他に質問は?」
ゼクスがおずおずと質問を促すが、誰も手を上げる事はなかった。 どうやら全員歳のことが気になっていたようである。
お茶を啜りながら私も同じ事を考えていたのだから、これは苦笑を浮かべる他ないが。
「そんなわけで、いじらしい十一歳の少年、ゼクス=フェンネス君だけど、みんな仲良くしてあげてね」
「「「 はーい 」」」
またもや小学校の教室のような声が響き渡った。
ようやく席に着く事が出来たゼクスくんはお茶を一気に飲み干し、深く息をついていた。 本当におつかれさま。
「次はわたしだな」
マイクをオリカから受け取ると立ち上がり、なれた様子で人前に立ってみせるエアリオ。 まあ実際になれたものなのだろう、その態度は堂々としていた。
「皆も知っていると思うけど、わたしはこの間の事件で記憶を取り戻した。 いや……それは少しちがうな。 わたしは、記憶を失ったわけじゃなかった」
エアリオの言葉に誰もが驚いていた。 しかし口は挟まないし、誰もが驚きの声さえ飲み込んでいた。
エアリオは真剣な顔で私たちを見ていた。 だからそれに私たちも真摯に応えなければならないのだと、誰もが理解していたのである。
「みんな知っての通り、わたしはラグナロクの……いや、スヴィア・レンブラムの連絡役……一口に言えばスパイだった。 ジェネシスの動向などをスヴィアに伝え、スヴィアの計画の進行をサポートしてきた。 無論、そのことは誰にも話していなかった」
私は少しだけ寂しい気持ちになった。 だがそれも納得せざるを得ない。
そんなことは言わなくても、わざわざ掘り返さなくても、全員が知っていることだ。 全員それを知った上でここにいるのだから。 それでもきちんと過去は清算せねばならないというエアリオの思いがひしひしと伝わり、きっとそれを避けて通らない事が彼女なりの罪滅ぼしなのだろうと思った。
「わたしは、お前たちと出会うずっと前からスヴィアの計画の為に生きてきた。 そのために色々とやってきたわけだ。 スヴィアの計画の為だったとはいえ、わたしがみんなを裏切っていたのは避け様のない事実だ。 だからまずは……みんなに謝りたいと思う」
そこに後悔の色はなかった。
ただ、懺悔だけがある。 過去を無かったものにするのでも、正当化するのでもない。 ただ、スヴィアのために生きてきた時間を悔いることなく、ただ裏切りという行為のみに対して頭を下げたのである。
それは彼女の誇りとしてまだスヴィアとの時間が生きていることを物語っていた。 無論、だれも彼女を責め立てる事はなかった。
あの日、スヴィア自らの手で銃弾を撃ち込まれたエアリオは、もうその時点で十分に傷つき、裏切られ、そして後悔したのだと私は思っている。 記憶を失ってからも姉さんやみんなを裏切った罪悪感だけは残り、彼女の日常を蝕んでいた。 記憶をなくした状態でも何度も姉さんの墓に通い、そして取り戻せない霞のような記憶を掴もうと必死で苦悩していた。 エアリオもまた、ある意味被害者だったのだ。
少なくとも私はもう彼女の罪を許している。 もとより怒りはなかったのかもしれない。 それに彼女は……恐らく、一番謝りたい相手に、まだ謝れていないのだ。
「記憶は、自ら封じていたのかもしれない。 今となってはもうわからないが……わたしは、嘘をつく自分が嫌で、すべてを投げ出してしまいたかったのかもしれないな。 何をやっても過去は消し去れないしいいわけも出来ない……それくらいのことは、わかっているつもりだったんだがな」
目を伏せ、一息に呟いたエアリオ。 話は続く。
「だが、これからはわたしも嘘をつかないで生きていく。 わたしの力と知識は、きっとみんなの役に立つ。 だから、もう一度やらせてほしい。 私を――――レーヴァテインに、乗せて欲しい」
無論、異論はない。 オペレーション・メビウス実現の為にも。 レーヴァテインの為にも。 彼女の力は確実に私たちの為になる。
それに、そう……問題はエアリオが持つ知識だ。 私たちとは程遠い、雲の上を歩いていたような男、スヴィア・レンブラムの知識を彼女は受け継いでいる。 目的も生き方も不器用で誰かの理解を求めるようなものではなかったスヴィアの成そうとしたことを、彼女だけは知っているのだ。
「一先ず、サマエル・ルヴェールのことについて話したいと思う」
瞬間、少しだけ緊張感が強まったような気がした。
サマエル・ルヴェール。 その名前を知らない人間はこの場にはいないだろう。
第壱レーヴァテインプロジェクトに名を連ね、計画が頓挫した後もラグナロクの研究員としてバイオニクルの生産を進め、ヨルムンガルドとウロボロスを作った稀代の天才。 しかし、その人格はきわめて異常であり、スヴィアとも対立の姿勢を示し始めていた男。
スヴィア・レンブラムが生み出したはずのラグナロクという組織の本質をはずれ、暴走行為に走らせた、二年前の様々な争いの発端とも言える人物である。
様々な地点でサマエル・ルヴェールの関与が疑われている今、その男が今どこで何をしているのかということはとても重要な問題だった。 ラグナロクが解体された今でも、どこかでサマエルは暗躍を続けているのかもしれない。
「羅業を実際に見て直ぐに気づいたが、あれは二年前にイリアを使ってイカロスを動かしたのと全く同じシステムだ。 が、あれは見よう見まねで模造できるようなものではない。 間違いなく、羅業を開発したのもサマエル・ルヴェールのはずだ」
それは既に東方連合にも確認が取れている事だった。
サマエル・ルヴェール自身であるという確認はまだだったが、開発スタッフの中に一人東方連合に所属していない外部研究者が関与していた可能性が指摘されている。 羅業起動のデータや羅業の管理場所、運用方法などをキリデラ率いる独立遊撃隊に流したのもその男とされており、目下東方連合も捜索を続けている。
この人物がサマエル・ルヴェールであるという証拠は全くないが、人柱で神を操るというスタイルは、サマエルのやり方に非常に近いものがある。
仮にサマエルが何らかの方法でまたこの世界に関与し始めたとすると、それは由々しき事態だ。 稀代の天才であり奇人でもあるサマエルが何を企んでいるのかはわからないが、とにかくまともなことでないのは嫌でも想像がつく。
「ですが、それはありえない事なんです」
口を開いたのはエンリルだった。 座布団の上に正座したまま、彼女は顔を上げる。
その表情に示されている感情は戸惑いだった。 エアリオも同様に、眉を潜めている。
「マスターは、とっくにサマエルの暴走に気づいていました。 ラグナロクの内部で彼が私的に実験を繰り返している事も、様々な組織に関与していたことも。 故にマスターは……サマエル・ルヴェールを裁いたのです」
「……どういうことだ?」
声を上げたのはカロードだった。 いかにも納得がいかないと言った様子である。
「サマエルはラグナロクの拠点が崩壊した時に逃亡したんじゃないのか?」
「それは……違います。 あの時、襲撃してきたオーディンを止める為に皆さんは出撃しました。 その無人になったスキを狙い、サマエルは逃亡した……。 カロードさんは、そう考えているんですよね?」
「ああ。 そのために奴の痕跡を探して拠点まで戻った事もある。 収穫は確かにあったが……奴については何もわからなかった」
ちらりと、メアリーを視線に捕らえ、それからエンリルを見つめる。
「どういうことだ? サマエルが今何をしているのか、お前は知っているのか?」
「……サマエルは、恐らくまだあの施設の中に居ると思います」
「何だと……!?」
「ちょっと、それは本当なの!?」
「でも、俺たちが行ったときは無人だったぞ!? 人が生きていけるような状態でもなかったしよ!」
「それは……」
「殺されてるんだよ、サマエル・ルヴェールは。 二年前、スヴィアの手によって」
腕を組み、エアリオは告げた。
「無人のラグナロクで、スヴィアはサマエルを問い詰めた。 そして、サマエルを撃ち殺したんだ」
「……それは、本当なのか?」
「はい。 わたしが、その時マスターと一緒にいましたから」
生き証人であるエンリルがそう言っている以上、間違いはなかった。
彼女が嘘をついているようには見えなかった。 である以上、サマエルは本当に死んでいるのだろう。
死んだサマエルは今でもあの施設のどこか、沈んだ海に残されている……。 しかし、それでは色々と説明の着かないことが多すぎる。
「……とにかく、サマエルはもう死んだんです。 彼の暴走を放置するようマスターでは、ありませんから」
「…………」
重苦しい空気が場を包んでいた。
サマエル・ルヴェール。 狂気の研究者であり、私たちがすれ違ってきた原因の一つである男の影響は、今も世界に残っている。
それでも、その人物がもう死んでいるというのならば、羅業を作ったのは? そして、キリデラに情報を流したのは……誰なのか?
サマエルの亡霊。 不気味なその脅威の見えざる手は、まだゆっくりと世界に伸ばされている。
「――――誰かがいる。 あの男の意志を受け継いだ、何者かが」
カロードの呟きが響き渡った。
それは全員同意だった。
わかったことと、わからなくなったこと。
まるで目には見えない悪意と戦っているかのようだった。
「――――難しい話はそこまでにしよう」
顔を上げると、オリカさんが微笑んでいた。
そう、私たちはここに落ち込む為に集まったんじゃない。 ぱーっと騒ぐ為に集まったのだ。
「みんな、今はそういうことは忘れようよ。 確かに、よくわかんないことは沢山在るけど」
立ち上がり、エアリオの背後に回るとその小さな身体を抱き留め、にっこりと笑う。
「私たちはまたこうやって一つになれたんだよ。 皆ここにいる。 負けたわけじゃないし、これまでもみんなで乗り越えてきたんだもん。 きっと大丈夫だよ」
「オリカ……」
「エアリオちゃんも、難しい事は考えなくていいんだよ。 最近みーんな、暗い顔してるでしょ? ヴァルハラを、世界を守る私たちが暗い顔してたらみんな笑顔になれないと思うんだ。 だから、私たちは毅然として歩かなければならないんだと思うから」
強い笑顔だった。
確かにそうだ。 ややこしく考えていれば、守りたいものも守れなくなる。 心も力も一つにあわせなければ、勝利する事は難しい戦だ。
「そうですね」
私も頷いた。 そう、難しいことではない。
「みんなで勝ちましょう。 敵は、全て薙ぎ払って。 立ちふさがるものは、亡霊だろうがなんだろうがねじ伏せて。 皆で、進みましょう」
周囲を眺めると、みんなも頷いてくれた。 緊張感に包まれていた空気が少しだけ和らいで、ふんわりした笑顔が皆に戻ってきた。
「それじゃあ、乾杯! みんな、今日は楽しんでいってね!」
「「「 おーっ!! 」」」
オリカの掛け声と共に、掲げられたグラスが気持ちのいい音を立てた。
そうだ、私たちは戦っていける。 まだまだ大丈夫。 絶望したりしない。
どんな不安も乗り越えてみせる。 それがこの世界を守るものとしての、義務だと思うから。
進もう、これからも。
私たちのこの絆を、道標にして――――。
そうして夜遅くまで明かりは消えることが無く、
朝まで騒ぎまくった翌日、私たちは揃って仕事をサボった。