覇軍の、序曲(2)
遠くから、争いの音が聞こえる。
『敵』の襲来。 それは、エアリオにとって救いとなるのか。 それとも……。
ぴりぴりと、肌を伝って感じる予感は間違いなくレーヴァテインのもの。 助けに来たのがレーヴァテインであるというのも驚きだったが、場所がわかったことも不思議だった。
付き添いの女性のさす傘に守られながら、砂利道を歩く。 廃墟となった町並みの先、辿り着いたのは軍施設だった。
周囲を警護していたスサノオが黒煙を巻き上げ炎上している。 そしてその向こう、超巨大な布に覆われた何かが横たわっていた。
「これは……」
『それでも、ボクはお前を信じてる』
誰かの言葉が頭痛と共に脳裏を過ぎった。
そう、エアリオはそれに見覚えがあった。 雨と熱と闇の中、それはゆっくりと姿を現した。
「巨大な……神なのか」
「『羅業』。 東方連合が回収した敵……日本に落ちたそれを、人間の手で操れるようにしたものだよ」
エアリオは知っている。
それは大空を舞い、凄まじい戦闘力でリイドたちを追い詰めたものだ。
第一神話級『ノア』。 二年前、リイドとエアリオが始めて心を通わせた日……『霹靂のレーヴァテイン』という存在が世界に知れ渡った日、この空を舞っていた物。
『ボクのパートナーである…エアリオ・ウィリオを―――は、信じてるよ』
「知ってる……。 わたしは、これを知っている……」
めまいがした。 誰かがそこで笑っていた。 不安そうに……しかし、その笑顔を見ていたら安心できる気がした。
そんな、優しい誰かが。 そこで、自分と一緒にいたのだ。 思い出したかった誰かの言葉が脳裏を過ぎり、少しずつその景色が瞼に浮かぶ。
不安で仕方が無かった。 表面上は何事もないようにつくろっていたが、本当は逃げ出したくて仕方が無かった。
それは何故か? 目の前の敵が怖かったからではない。 死を恐れたからではない。 ただ、目の前の少年に嫌われたくなかった。
自分自身の醜さも、業も、全てを知っていた。 だから、彼にそれを知られるのが恐ろしく、心を通わせる事が恐ろしかった。
「誰だ……」
そこにいるはずなのに、思い出せない。
まるでその人物の事を思い出してはいけないと、もう一人の自分が叫んでいるかのようだった。
頭を抱えて頭痛に表情をゆがませるエアリオに、隣に立つキョウは手を差し伸べた。
「エアリオちゃんを、ここまで連れてきた理由……もう、わかってもらえたかな?」
「……わたしを連れてきた理由?」
「――――エアリオちゃんは、『イヴ』やから。 だから、エアリオちゃんでなくちゃいけなかったんや」
「なんだそれは……? どういうことだ……? おまえは、わたしの何を知ってるんだ!?」
突然、周囲から照明の光が降り注いだ。
眩しさに目を細め、手を翳す。 眩すぎる光を背に、キョウは微笑んでいた。
⇒覇軍の、序曲(2)
「……第一神話級『ノア』の……兵器転用!?」
海上を飛行する真紅のヘイムダルのコックピットでアイリスは思わず呟いていた。
手渡されたメールには計画の全様が事細かに記されており、それだけで今から何がおきようとしているのか容易に想像する事が出来た。
今から二年前。 レーヴァテイン=マルドゥークによって撃墜されたノアは、日本近海に墜落した。
撃破することには成功したものの、木っ端微塵とは行かなかったそれは、ゆっくりと滑空しながら徐々に日本に移動し、それから墜落したのである。
二年間の間にノアを回収し、修復と同時に改修も施したのが、東方連合の切り札、巨大機動兵器、『羅業』なのである。
しかし、羅業の運用には様々な問題点があり、現状では羅業を動かす事すら出来ない有様だった。 しかし羅業を動かすシステムの大本は、ジェネシスクーデター事件で使用された、『人間を生体コンピュータとして扱い、天使、神を人工的に制御する』というものである。
その実験は、ジェネシスで進められていた時には失敗していた。 故にかつてイリア・アークライトを乗せたイカロスは暴走したのである。
結局その後も研究を進めてきた東方連合も、その実用化にはたどり着けなかった。 何人もの人間を同時に使用した起動システムでさえ、被験者の死亡と暴走という結果しか生み出さなかったのである。
プロジェクトそのものは一年以上前に凍結させられ、現在羅業はただ沖縄近海に封印されている状態にあった。
その羅業の封印を破ろうと画策するのは、東方連合独立遊撃隊の隊長、キリデラである。
独立遊撃隊には部隊名が存在せず、キリデラという男の素性も全く不明であり、その名称も偽名ではないかとされている。
キリデラが所属する独立遊撃隊は東方連合軍の管轄下になく、独自に世界中を廻り天使や神を掃討する暗殺者であり、能力的には優秀であるものの、精神的に問題ありと判断された厄介者が所属している部隊でもある。
役一年前からキリデラが進めてきた羅業の強奪計画は、何の問題もなく進行した。 そして今、羅業を動かす為に必要なピースも揃ったのである。
「エアリオ……!」
『そこのヘイムダル、止まれ! 貴様の行動は東方連合に報告されていない! 領土侵犯により、引き返さない場合は迎撃す……ぐおわっ!?』
赤い閃光が哨戒機を貫いていた。
続々と沸いてくるスサノオを正面に捕らえ、アイリスは小さく深呼吸した。
「邪魔です」
空中で狙撃砲を組み立て、トリガーを引く。
極太のフォゾン波が放たれ、アイリスは機体を旋回させた。
右から左へ。 水平線の彼方、海ごと焼き尽くす一閃。 同時に無数のスサノオを撃墜し、巻き上がった水しぶきにまぎれて防衛ラインを突破した。
「急がなくちゃ……間に合わなくなる」
「来たか……レーヴァテイン」
ゆっくりと着陸するティアマト。 その正面に、マサキを乗せたスサノオが立ちふさがっていた。
遥か後方では、ゆっくりとノアが動き出そうとしていた。 風を巻き上げ、木々はミニチュア模型のように靡いている。 サイズがあまりにも違いすぎて、距離感が上手くつかめなかった。
ティアマトは無言で両手に銃剣を構えた。 スサノオも同様に刀を構える。
「マサキ……お前に構っている時間はねぇ! 悪いが瞬殺させてもらうぜ……!」
「行かせると思っとるんか? ぼくはな……お前とは違うんや! カイトォッ!!」
二機の刃が激突し、火花が舞い散る。
何度も何度も繰り返しぶつかり合うそれは美しくリズムを奏で、二つの足音は踊っているかのようだった。
「ぼくはなあ! 今までずっと……ずっと、キョウを守ってきたんやっ!! お前がヴァルハラでのうのうと暮らしている間に、ぼくらがどれだけ必死で生きてきたか、お前に想像出来るかッ!?」
凄まじい気迫で迫るスサノオ。 カイトはそれに自然と気圧されていた。
無理もない事である。 カイトの中に、その言葉の通りだと感じている部分が存在するからだ。 マサキの言う事は一理あるのだ。 だから、力が出せない。
「カイトさん……!」
「どけっ! マサキ!! このままじゃ……このままじゃ、キョウまで死ぬかもしれないんだぞっ!?」
「そうさせんために、ぼくがここにいるんやろがあっ!!」
刃がぶつかり合う。
『東方連合という組織は、生き残る為ならばなんでもやる……そんな、とても生き汚い人間の集まりなんどすわ』
ジェネシス本社ビル内社長室。
薄暗い部屋の中、カグラはモニター越しにスオウをじっと見つめていた。
『そのためならば、なんでもやりましたわ。 無論、そうした汚い手段をとるように命令を下したのも帝……。 全ての責任はうちにある。 当然、羅業を作るように命じたのも、そのパイロット候補の少女に実験を加えたのも、うちの指示どす』
「羅業操舵披検体――キョウ・スメラギ。 彼女に何をしたんですか?」
『複数のユグドラ因子の投与と……肉体の一部の改造。 それにより、羅業を起動させることが可能になるやもしれんと、科学者は考えたんや』
「しかし、実験は失敗した」
『そしてお払い箱となった失敗作は、独立遊撃隊に配備された……。 うちが把握しとるのは、そこまでやなぁ』
パイプを加え、紫煙を吐き出すスオウ。 そしてそれから憂いを秘めた……しかし、強い決意を伴う眼差しでカグラを見据えた。
『連中の狙いは間違いなくジェネシスの壊滅やろうなぁ。 みんな、ジェネシスはんには恨みを持ってるやろうから』
「自業自得と言うものでしょうね」
『前任者が無能だと、後任は苦労が耐えないもんやねぇ』
「それはお互い様でしょう」
二人は小さく笑いあう。 それから『仕事』の目つきに戻ると、無言でにらみ合った。
「レーヴァテインの介入を許可していただきたい。 羅業はアーティフェクタでなければ撃退できない代物です」
『お断りやな。 身内の問題くらい身内で解決できますえ。 それに……あれは、時間の問題や』
「時間の問題?」
カグラの質問にスオウは少しだけ悲しげに微笑んだ。
『キョウ・スメラギの肉体は、無理な実験の影響で極端に寿命が短い。 羅業を動かすことができたとしても、数時間で絶命するんや』
「ここで、謳って欲しいの。 エアリオちゃんに」
羅業のコックピットは、白い空間だった。
前方の座席にキョウが腰掛け、エアリオが立たされたのはステージのような場所だった。
真っ白い、ステージ。 ただそこには機材とマイクだけが置かれていて、まるで何時もどおり舞台の上に立たされたかのような気分になった。
「エアリオちゃんを巻き込んじゃって、本当に申し訳ないんやけどね……。 でも、もう仕方ないねん。 誰にも止められないねん。 だから、うちは……」
「……どうしてそんなに簡単に諦めるんだ」
じっと、エアリオは力を込めた眼差しでキョウを射抜く。
戦場の音が遠く鳴り響くその白い空間の中、時間が止まったような景色の中、エアリオは息を吐いた。
「おまえにも、強い思いがあるんだろう……? どうしてそれを、表に出さないんだ。 表層だけつくろって諦めて……そんなの、間違ってる」
胸に手を当てる。 じくじくと、心臓からにじみ出てくるような辛い痛み。 何がどうなっているのかは全くわからなかったが、自然と言葉が口に出ていた。
思いは誰かに伝えなければ意味がない。 傷つく事を恐れていては繋がれない。 最初から無理だなんて諦めても、最後は後悔するだけだと。
強い、後悔が胸のうちに渦巻いていた。 取り返しのつかない事になってしまうのならば、せめてあがくべきだったのだ。
わかってほしいと願う前に、祈る前に、わかってほしいと叫ぶべきだったのだ。 エアリオは強く拳を握り締める。
「そんなの……ただ、悲しいだけだ」
「わかったようなこと、いわんといてっ!!」
そのキョウの叫び声があまりの唐突であったこと、そして大音量であった事に思わずエアリオは驚いてしまった。
キョウは泣き出しそうな顔で俯いていた。 エアリオは思っていた。
ああ、これは、わたしと同じだ――――と。
「大声出して、ごめんね? でも、うち……やらなくちゃ。 最後までやり遂げなきゃあかんねん」
キョウは徐に服を脱ぎ、全裸になった。 そのままコックピットに腰掛けると、ゆっくりと瞼を閉じた。
「謳って、エアリオちゃん。 エアリオちゃんの声がなければ、羅業は目覚めない」
「謳えって、何を――――」
疑問が形を成したのはそこまでだった。
何の言葉なのかもわからないような、意味不明のメロディが。 まるでコップに注がれた水が溢れるように、次々と零れ出てきたのである。
口が勝手に動き、喉が勝手に動く。 困惑する頭で必死にそれを止めようと努力してみたが、歌は全く止む事がなかった。
喋る事も出来ない。 ただただ驚愕し、救いを求めるように目を閉じた。
「……一緒に飛ぼう、羅業」
光が広がっていく。
システムが起動し、キョウの全身の感覚がノアと連帯していく。
それはアーティフェクタの適合者と干渉者がシンクロするのと似ているが、全く異なるものだった。
キョウの肉体も、精神も、ノアに取り込まれていく。 人間を生贄にする事で動く神――――それが、羅業なのである。
それは船に例えられた。 しかし実際は違う。 それは巨大な翼を持つ、『鳥』なのである。
眩しすぎるほどに発光し、羅業は翼を広げた。 純白の羽が大気に舞い散り、歌声が空に響いていく。
あまりの苦しさにエアリオは息切れしていた。 歌う事に逆らおうとすると呼吸とリズムが当然乱れるのだが、歌は絶対に止まることがない。 故にただただ苦しくなり、意識が朦朧とするばかり。
それでも一定の美しさを奏でようとする声は、エアリオ自身の消耗などお構いなしに謳い続ける。 仕方なく、エアリオは自らの意思をメロディにあわせ始めた。
何がおきているのか。 どうなっているのか。 何もわからないまま謳い続けるエアリオの脳裏、ゆっくりと何かが思い出されていく。
始まりの記憶は、風の音だった。
遠く、香る花の甘さ。 大きな腕に抱かれ、静かに眠り続けていた。
青年は、ただただ静かに少女を見つめ続けていた。 その距離は僅か、身体を揺らしただけで唇が重なってしまいそうな距離。
実際はそこまで近くはなかったのかもしれない。 けれども少女はそう感じていた。 ゆっくりと開く瞼の向こう、瞳に溢れる光の螺旋の中、そのシルエットを確かに捉えていた。
「おはよう」
彼は言った。 少女は静かに目を細める。
初めて目にした光は、少女の瞳にはまぶしすぎたのだ。 暗闇の中、静かに眠り続けてきた。 数え切れないほどの年月の果てに、ようやくその瞳に届いた光――。
だから、目を細める。 世界はかくも美しく、しかし溢れんばかりに世界を照らしあげる光は、少女の目には眩し過ぎた。
目のくらむような世界。 故に少女は目を閉じ、耳を済ませる。
五感を研ぎ澄ます。 身体に触れる青年の指先の温もりに。 静かに吹く、風の音に。
「……だれ?」
その言葉は無意識に飛び出したものだった。 少女が意識して言葉を話したわけではなかったのだ。
だが思えばそれは少女にとって致し方の無い事であり……そして同時に、それはきっと彼女の始まりの言葉だった。
「だれ?」
故に反芻する。 心の中で、そしてそれは再び唇を動かした。
ゆっくりと開く瞼。 淡く光りに照らされて、背にした眩さの中、青年は微笑んだ。
「――リイド。 リイド・レンブラム」
その姿は魂の奥底に刻まれ、忘れることは出来なかった。
何よりも印象的だったのはそう、きっとその光りや、温もりや、風の音などではなく。
きっと、そう。 光りに照らされ、くっきりと浮かび上がった、闇の姿――。
見開いた瞳の奥に、見えていたもの。
青年は、泣いていた。
ぼろぼろと涙を零し、本当に嬉しそうに、ぎゅうっと、少女の身体を抱きしめたのである。
少女はわけがわからなかった。 何をされているのかもわからなかった。 ただ目を丸くして、彼を見つめ続けた。
徐々に眩しさに目が慣れていき、そこが白い砂の上である事に少女は気づく。 目の前の少年は……スーツを着込み、凛とした表情で言った。
「君に、ずっと謝りたかったんだ」
「……あやまる?」
「ああ。 君を……ボクは、君を守る事が出来なかった。 守るって約束したのに、君を守ってあげることが出来なかった。 だから今度こそ……今度こそ、君を守る。 君には幸せになって欲しい。 そのためなら、ボクは……」
そう言って青年は……スヴィア・レンブラムは、エアリオをもう一度強く抱きしめた。
その暖かい温もりが、少女に……エアリオに、生きているという実感を与えてくれる唯一の存在だった。
――――ああ、そうか。 わたしは……。
「謳ってくれんかね? エアリオ。 君が謳ってくれれば……アーティフェクタは動き出す。 だから、謳ってくれんかね? 神々のイヴよ」
――――たくさんの手が、とても嫌いだった。 誰かの監視されて、毎日毎日実験に使われるのがとても嫌いだった。
――――誰もわたしを見ていなかった。 わたしの向こうにある、神様が残したたった一つの鍵を見つめていた。
――――だからわたしは誰も信じなかった。 全て消えてしまえばいいと思った。 だからわたしは、すべて消してしまえばいいと思った。
「レーヴァテインが……アーティフェクタが暴走!? 何故だエアリオ……! お前は、神が人間に授けた使徒ではないのかっ!?」
「わたしは、使徒なんかじゃない」
わたしは、神なんかじゃない。
「わたしは……」
わたしは――――。
純白の翼が、エアリオの背中から解き放たれた。
加速する旋律は誰も彼もをせかすように、ただただあわただしく奏でられた。
美しく、聞き入るもの全てを魅了するような白き翼の旋律。 刃をぶつけ合うカイトとマサキも、その歌声に気づいていた。
「この声……エアリオの!」
「起動したのか……羅業が」
「マサキぃいいいっ!!」
マサキのスサノオの剣を弾き飛ばし、大地に押し倒す。 ティアマトの銃剣が振り下ろされ、圧倒的に不利な状況だったが、マサキはそれを間一髪受け止めていた。
「このままでいいのか!? このままじゃ、キョウも死ぬんだぞ!? どうなるのかわかってるんじゃねえのかよ!?」
「仕方ないんだああああっ!!!!」
コックピット内部。 マサキは涙を流し、操縦桿を握り締めていた。
「自分の中の憎しみが……この世界の憎しみがどうしても消し去れないんだよっ!! だったら仕方ないやないか……っ!! キョウが……あいつが自分で望んだことなんや! 仕方ないやないか!!」
「な……んだと」
「あいつが自分で乗るって言うたんや! ぼくが止めてもやめへんかった!! だったらもう、仕方ないやないかあっ!!!!」
「言い訳してんじゃ……ねぇぇぇぇえええええええっ!!!!」
銃剣をスサノオの頭部ごと地面に突き刺し、両腕を一瞬でもぎ取る。
「理不尽を素直に受け止めてんじゃねぇぞ!? 何テメエの勝手で解釈して! 勝手に諦めてんだ!! テメエが何をしたよ!? 好きな女一人救うのに必死にもなれねぇでっ!! なぁにが仕方ないだ……っ!!」
「お、お前にいわれとうないわ!」
「ふざけるなッ! ジェネシスがなんだ!? 俺がなんだ!? 過去の事にいちいちいつまでも囚われやがって!! 人生全部投げ捨ててんじゃねえよッ!! 本当にジェネシスが憎いなら、その事にこだわってんじゃねえ!! 憎しみが消せないなら……ッ! 人を愛せばいいんだよォッ!!」
マサキは何もいえなくなっていた。 カイトは叫びすぎで酸欠になり、思い切り息を切らしていた。
その背後、目をまるくしてきょとんとしているエンリルの姿があった。 カイトは振り返り、優しく微笑む。
「エンリル」
「……はっ、はい」
「エアリオ、助けんぞ」
「…………はいっ!!」
二人が同時に目を瞑る。
そう。 過去のことにいつまでも囚われて人生を投げ出すなんてことは馬鹿馬鹿しいことだ。
そして、その全てを無視して信じる事の為に突っ走る『馬鹿さ』こそ、自分の在り方なのだと少年は思う。
そうして突き進んできた過去に、後悔などない。 あったとしてもしている暇はない。
信じているのだ。 仲間と共につくり歩んできた、この未来を――――!
「「 シンクロッ!! 」」
偽りの感情がある。
しかしそれは、心の中に誰もが抱えている物に過ぎない。
沢山の人が、ただでさえわからない自分の心というものに対し、答えを導き出す事は難しいのだ。
ならば何が真実で何が虚偽なのか。 そんなことは最早問題ではない。
心に燃え滾る熱き思いが自分を前に進ませる力になるのならば、それが虚偽……『空元気』だろうが、知った事ではないのだ。
そうやって、カイト・フラクトルは生きてきたのだから――!
灰色の境界線を掻き消して行く。
二人の間にある壁を、ゆっくりと薄めていく。
そうして二人の間の境界線が決壊した時、二人はお互いの苦悩を理解した。
エンリルはその時確かに見たのだ。 血と焼け焦げた肉の匂いがする絶望的な廃墟の中、一人で泣いている少年の姿を。
そこに赤い髪の少女が、光をもたらしてくれた事を。
一人きりでは乗り越えられない悲しみも、仲間が手を差し伸べてくれたから乗り越える事が出来たのだ。
その全てに後悔などない。 歩んだ道は一つ残らず友と歩んだ道。
愛と勇気を持って、今また進みだそう。
二人は光の中、確かに手を繋いだ。
漆黒の翼を広げ、ティアマトが動き出す。
その周囲に風が渦巻き、雷鳴が轟く。 雷が大地を焦がし、さながらそれは小さな嵐のようだった。
両手を広げ、ゆっくりと空へ舞い上がる。 レーヴァテインというアーティフェクタが持つ限界の力を解放した……オーバードライブ。
間接各所から黒い光が放たれ、雷を纏ったティアマトは引き絞られた矢のように、羅業へ向かって飛んでいく。
遠い夜明けが、しかし確実に近づいていた。