罪、抱いて眠る(3)
「マサキちゃんとうちは、あの襲撃の後、東方連合の人に助けられてん。 それから、東方連合の集落を転々としながら生活しとるんよ」
はぐれてしまったマサキを探しつつ、二人はお互いの過去を話していた。 肩を並べて共に歩く事だけでもすでに懐かしく、ポケットに両手を突っ込みながら歩みを進めるカイトは、目を細め過去に浸っていた。
地獄のような景色の中、カイト・フラクトルという少年に出来る事など何もなかった。 ただ隠れ、逃げ、泣き喚き、世の中の全てを否定する事しか。
それはカイトが思い描く理想の姿とはあまりにもかけ離れている。 血溜まりの中、崩れ去っていく友から目を逸らし逃げ出してしまった過去。
マサキとキョウが生き残っていてくれた――――それは、カイトにとって救い以外の何者でもない。 自分の過去の罪が少しだけ軽くなったのだと、そう錯覚してしまうのは果たして悪だったのだろうか。
その想いは隣を歩くキョウも同様だった。 辛い過去を乗り越え、その時見殺しにしてしまったと思っていた親友を、取り戻す事が出来たのだから。
「東方連合……。 あの時にはもう、組織されていたんだな」
「東方連合はある意味ジェネシスより古い組織なんよ? あの頃はまだ、天使に対する有効な戦闘技術もなかったんやけど……。 それでも、難民を受け入れて、うちらみたいなどうしようもないのも、育ててくれたんや」
にっこりと微笑み、東方連合の事を語るキョウ。 その笑顔を見ていると、正義はジェネシスではなく東方連合にあったのではないかと思ってしまう。
ジェネシスがやった事は、有益となる存在をかくまっただけ……いや、手に入れようとしただけのこと。 あの時自分に価値が無かったならば。 あと少し運が悪かったならば。 カイトはここには立っていないだろう。
そう考えると、自分のやっている事がよくわからなくなってくる。 イリアが愛した世界を守る……その思いは確かなものだったが、それは本当に自分が望み描いた正義だったのか、と。
そんな様々な脳裏を過ぎる思いを振り払う為、カイトは勤めて明るく声を上げた。
「そんで、キョウはなんでヴァルハラに?」
「あ、う、そ、それはぁ……」
突然口ごもり、視線を泳がせるキョウ。 昔から嘘が絶対につけない性格だった彼女を知るカイトは、彼女が言い出しづらい理由を抱えている事を直ぐに見抜いた。
「ああ、無理に言わなくてもいいんだ。 東方連合にも、色々あるんだろ?」
「う、うん……。 ごめんなぁ、カイトちゃん……?」
足を止め、上目遣いに見上げてくる視線に笑顔を返す。 昔から変わらない、気弱だけれど正直で優しい、キョウの性格は変わっていないのだと身にしみたから。
「カイトちゃんの方はどうなん? 今は何しとる人なん?」
「ああ、俺か。 俺は――――ジェネシスの、ヘイムダル隊の隊長をやってる」
「へ――っ?」
目を丸くするキョウの姿を見て、カイトは苦笑する。 やっぱり信じないよな、何て事を呟くのだが、キョウの表情は青ざめたまま、元の笑顔に戻る事はなかった。
「……ヘイムダル隊の……隊長……?」
「あ、ああ。 それがどうかしたのか?」
「……カイトちゃん。 あのね……」
迷い揺れる瞳。 その小さな唇が言葉を刻もうとした瞬間、二人が持つ携帯電話が同時にメロディを奏でた。
単品ならばきちんとしたメロディを奏でるそれらも、同時に鳴り響けばけたたましい喧騒に過ぎない。 二人は同時に背を向け、電話に出た。
「カイトだ。 どうした?」
『オリカだけど。 カイト君、直ぐに本部に戻って。 事件なの』
「事件? どうしたんだ?」
『エアリオちゃんが誘拐されたの。 ついでにベルグくんが銃で撃たれて、今手術中』
「んだとっ!? わかった、直ぐに戻る!」
電話を切り、上着の内ポケットに突っ込みながら振り返った。
「キョウ、悪い……今すぐ行かなきゃいけない用事が……? キョウ?」
振り返る。 止まっていた時間が動き出したかのように、周囲には人々の姿が行きかうだけで、その人の波の中キョウの姿はどこにも見当たらなくなっていた。
消えてしまった幻。 確かにキョウはそこにいたはずなのに……しかし、その姿を探している暇はなかった。
「……ベルグ……死ぬなよな」
気持ちを切り替え、駆け出す。 その背中を、遠く人ごみに隠れた場所で見守っているキョウの姿があった。
耳に携帯電話を当てながら、戸惑いを隠せない表情で静かに息をつく。
『マサキは仕事を済ませたそうだ。 てめぇもちゃっちゃと働くんだな』
「……わかってます。 計画は……続行します」
『声が震えてるぜ? やっぱり落ちこぼれには無理な作戦だったか?』
「い、いえ……! うち、やれます……。 やれますから……」
電話の向こうから聞こえてくる冷たい笑い声。 心臓がゆっくりと冷え切っていくような恐怖の中、キョウは息を呑んだ。
『じゃあ、せいぜい上手くやってくれよな。 楽しみにしてるぜ……キョウ』
「はい……上手く……」
電話が切れる頃、キョウの姿はどこにも見当たらなくなっていた。
⇒罪、抱いて眠る(3)
「デジャヴュ、というものを知っているかな」
メルキオールの言葉に私はようやく意識を取り戻したような気がした。
静寂に包まれたリビング。 清潔感のあふれるフローリング。 夕暮れの燃えるような光りを浴びて、まぶしすぎるくらい輝いていた。
その光を背に、メルキオールは微笑んでいた。 肩口あたりで切りそろえられた髪がきらきらと輝いて、笑顔が苛立つくらいかっこよかった。
「過去にもこんなことがあったかな……なんて、思う事。 君も、経験した事があるだろう? 既視感、とも言うかな。 とにかく、初めて体験するはずの事を、過去にもあったのではないかと錯覚することだよ。 でもそれは果たして錯覚なのか、と言う部分が問題だ」
何やら目の前で語っているけれど、私はそんな事は全く頭に入ってこなかった。
なぜならば。 この部屋を、この光りを、彼女の笑顔を、私は知っているからだ。
勿論この部屋に入るのは初めてだ。 家に入るのも初めてだ。 だというのに、私は知っているのだ。
ソファにかけてあるエプロンの色を。 それをつけて料理をしていた人の姿を。 それはメルキオールだっただろうか? そこに、私はいただろうか?
わからない。 ただ私はここを知っている。 ここには何度か足を運び、私は――。
「話を変えよう。 夢と現実、と言うものの境界線はどこにあると思う? この二つは実は酷く曖昧なものなんだよ」
「……」
「夢を見ている間、君は『自分が夢を見ているのだ』と感じることが出来るかな? 多くの人は難しいだろうね。 本当の夢というものは、架空の世界に完全にとらわれてしまう一つの現象だとボクは思うんだ。 そして、後になって気づくのかもしれない……ああ、あれは夢だったのか、なんてね」
「何が言いたいんですか……?」
「君の今の状況を的確に表現してみたんだよ。 君が見ているこの景色は……本当に現実かな?」
「現実です。 これが夢のはずがない。 だって私は――」
「この世界の記憶がある? 夢ならばそれも可能だよ。 全く知らない設定に書き換えられていることなんてよくある話だ。 君が思う、君の為の、君による都合のいい物語の設定が、勝手に構築されるんだ。 それが夢と言うものだからね」
「やめてください……」
頭がおかしくなりそうだった。 ここ数日間、ずっとこんな気持ちを抱えている。
何かが変なのだ。 けれども、私はこの世界で確かに生きてきた過去を知っている。 悲しい事も楽しい事もちゃんと覚えている。
何が起きてこんな風に変わってしまったのだろうか。 自分自身が何よりも信じられないなんて、そんな気持ちになるなんて。
「けれども、強い思いは夢でも現実でも変わらない。 君の本質、魂が求める想いに、君の夢は逆らえない。 何度生まれ変わろうが、何度死んでしまおうが、何度異世界に行ってしまおうが、心の中に刻まれた大切な想いは、絶対に消せやしない。 だから君は涙を流し……」
すっと、頬に伸びる白い指。 綺麗な瞳が優しく私を見下ろしている。
「ボクの言葉に逆らえないのは何故だと思う?」
「……」
「君が、ボクを知っているからだよ。 君が、ボクを……愛しているからに他ならない」
「――ッ!!」
伸ばされた手を振り払い、一歩背後に下がる。 強い目つきで出来る限りメルキオールを睨みつけてやったつもりだけど、彼女に効果はないらしかった。
「君は、思い出さなくてはならない。 そんなにこの世界の居心地がいいと感じているのは、君がここではない場所を知っているからなんだよ。 そしてその悲しみと苦痛に向き合わなければ、君は自分の本当の居場所に帰ることが出来ない」
「私の……居場所?」
「ずっと夢を見ている事は出来ない。 いつかは覚めてしまう。 どんなに楽しい夢も……現実もね。 その二つに違いなんてないんだ。 終わりがいつくるのかも、自分自身が何者なのかも――――最後の最後まで、絶対に気づく事は出来ない」
「貴女は何者なんですか……!?」
すっと、目を細め、彼女は前髪を掻きあげて笑う。
その笑顔は恐ろしく魅力的で。 ああ、この人はこの世界の愛を一身に受けて生まれてきた、私たちとは違う何かなんだろうな、何て事を考えていた。
世界に愛された存在であると言う事の、苦痛や絶望を考えもせずに――。
「ボクは――――そうだな。 君の愛した人の……元になった存在、かな?」
「……で、わたしを誘拐してどうするつもりだ?」
「知らんわ。 お前をどうするか、決めるのはぼくやないし」
ヴァルハラにいくつも存在する、設計上の余剰スペース。 そこは先のヴァルハラに対するラグナロクの襲撃時、カグラが通って本部に潜入したように、ありとあらゆる場所につながっている可能性を持っている。
そして何より、その非常に入り組んだ構造から、よほどなれた人間でなければ立ち入ろうとさえ考えないと言う性質が強い。 そんな誰も立ち入る事の無い、彼ら自身にもそこがどこなのか良くわかっていない場所で、マサキとエアリオは座っていた。
エアリオの両手は手錠でつながれ、壁を無数に走る鉄パイプに固定されている。 内股に座り込んだまま、両手を上に窮屈そうな表情でマサキを睨みつけていた。
マサキはライフルと銃のチェックを終え、腕に包帯を巻いているところだった。 最後の最後、ベルグの反撃を受け、腕を負傷していたのである。
その後何とか目的を果たしたものの、マサキの機嫌は芳しくなかった。 本来ならば一人で片付けることが出来るような作戦でない事は、一目瞭然なのである。
指示を出した上官とはいまだに連絡が取れず、ひたすらに指示を待っている状態にある。 エアリオは特に派手に抵抗もせず、連れてこられるがままにここまでやってきた。
「逆に不気味やな、お前。 なんでぼくに黙って着いてきたんや」
「……聞きたいことがある」
「何や? 退屈凌ぎに、答えられる事なら答えたるわ」
「何故わたしを誘拐する? おまえらがどこの所属はしらないが、ジェネシスをよく思っていない連中だろう? わたしを誘拐する意味はなんだ?」
「人気アイドルで、ジェネシスのマスコットやから……ちゅう、理由だけじゃ不満なんかいな」
「見くびるなよ? そんな理由だけでわたしを捕縛したのならば、おまえらは馬鹿だ」
「……よう喋る口やなぁ」
ぽりぽりと頭を掻きながら振り返る。 静かに銃口をエアリオの額に押し付け、冷たい眼光で少女を射抜く。
「出来る事なら、お前みたいな化物は撃ち殺してやりたいとこやけどな……。 銃で撃ったくらいじゃあ、死なれへんのやろ」
「……銃で撃って死なない? わたしがか?」
「……あん? 何言っとんのや……? お前、イヴなんやろ?」
記憶を失っているエアリオにしてみれば、マサキの言う事はちんぷんかんぷんだった。 しかしそれでも、少女は微かに確信していた。
自分の知らない、自分自身の過去にかかわる大切な事をマサキは知っている。 そうなれば、ここでずっと知りたかった事を知ることが出来るかもしれない、と。
「とにかく、おとなしくせぇよ。 女子供撃ち殺すんは、寝覚めも悪ぅなる」
「あれだけ平然と人を撃ち殺しておいてよく言う」
「……人間には、他の命を奪わなどうしようもない言う状況もあんねん。 どうしようも、ない……そんな状況がな」
「それでも人殺しは人殺しだ。 一生、その罪を消す事は出来ない。 裏切り者は、一生裏切り者――汚れた手は、決して洗い流すことなんて、出来ない」
気づけば口から飛び出していたそんなフレーズに違和感を覚える。 その薄暗い、悲痛な感情にエアリオは覚えがある。
そう、そんな冷たい絶望を常に胸に宿していた。 そんな過去を一瞬だけ、思い出した。 思い出したのは厳密にはその想いだけで、何に対してそう思っていたのかまではわからなかった。
けれどその絶望が糸口になるような気がする。 そしてそれは正解だったと言えるだろう。 静かにうずく胸の渇きは、音を立てて強くなっているような気がした。
「ベルグッ!!! あいつは無事なのか!?」
医務室の前にはオリカが待っていた。 肩で息をしていたカイトは汗を拭うこともせず、オリカの肩を掴みあげる。
「いたたっ……。 ベルグくん、一応無事みたい。 でも、エアリオが拉致されたまま完全に行方不明。 犯人からの要求とかもいまのところなし」
「目下捜索中、か……。 くそ、なんでエアリオが」
「警備を甘くしたつもりはないんだけどね。 正直、私の権限だけじゃジェネシス全ては動かせないから。 あれだけ警備は厳重にって言い聞かせたのに、上層部の人がちゃんとしなかったんだろうね」
腕を組んでため息をつくオリカ。 しかも、そのしわ寄せはどうせオリカに降りかかることだろう。 結局のところ、責任を取らされるのはオリカなのだ。
現在の司令官であるオリカを良く思わないジェネシス旧体制の人間はいまだに少なくなったとはいえない状況にある。 社内でも様々な派閥が存在し、現在の社長であるカグラや、そのお抱えであるアーティフェクタ運用本部の事を良く思わない者も多い。
オリカの言う事を聞かず、きちんと対応しなかったのだろう。 そんなくだらない大人のプライドのせいで大事な歌姫がさらわれては笑い話にもならない。
「今はみんな総出で探してるところ。 カイトくんも捜索に参加してくれるかな? ――彼女と一緒に」
オリカが指差す先、カイトの背後には銀髪の少女の姿があった。
エアリオとほぼ同じ外見をした少女――エンリル。 思いつめた表情でカイトを見つめ、それから小さく一礼した。
「無事だったのか、エンリル……!」
「わたしは、何とか……。 ですが、エアリオの方が今は大切です」
「それは、命の価値がとか、そういう意味じゃねえだろうな」
「違います。 あなたが……そういうものの測り方を嫌う人だということは、わかっていますから」
苦笑を浮かべるエンリル。 かつての彼女に比べれば、今は随分と表情も丸くなったものだと感心する。
それもこれも、全ては時間と努力――――そして何より、同じ苦悩を抱えるエアリオの存在があったからこそである。
エンリルはエアリオと対になる、彼女のコピーと呼べる存在だ。 それ故に自分自身の存在を重く受け止めることが出来なかった過去を、エンリルは自分なりに乗り越えようと努力していた。
スヴィア亡き今、彼女は既に自由の身。 記憶を失ったエアリオの世話をする事は、家族のフリをすることは、エンリルにとっても大切な日常だった。
「わたし、エアリオがどこにいるのか……なんとなく、わかります」
「何!? な、何でだ!?」
「……少しだけ、特別な力があるんです。 エアリオに比べたら、とても小さいものですが」
それは、エアリオの因果を読む力と同じものだと言えた。
ただし、極端な言い方をすればエアリオの劣化コピーであるエンリルに、その能力は完全に使いこなす事が出来ない。 あくまで真似事程度……それも、エアリオのように自分と深い関わりのある人間に対してだけ、という非常に限定的なものであった。
エアリオが誘拐されるのを目の前で目撃していたのだから、いくら不完全とはいえ力でその後の居場所を探る事は難しいことではなかった。
しかし、エンリルの表情は芳しくない。 眉を潜め、それから悲しそうにカイトを見上げる。
「しかし、今はエアリオを助けに行くべきではないと思います」
「なんでだ? 場所がわかるなら今すぐ助けに行ったほうが……」
「ご存知の通り、エアリオは銃で撃たれた程度では死にません。 それに、人質にした以上彼らの目的はエアリオ本人に在るはずです。 そして私が感じる未来は、エアリオを奪うため、迎えに来る敵の増援、という光景です」
「……機動兵器か。 だったら、俺たちは……」
「彼らの逃走ルートに事前に回りこみ、迎撃するべきです」
「数とかはわからないのか?」
「……わかりません。 ですが、大規模な部隊です」
「それは参ったな」
三人して頭を捻る。 相手の行動が予想できていると言う圧倒的有利な状況下において、エンリルの表情が曇ったままというのも気にかかるところだった。
「とにかく、俺も出撃して――」
「カイトくん忘れたの? 君のヘイムダルは大破して修理中でしょ?」
「あっ」
「……レーヴァテインを、使えないでしょうか?」
エンリルの大胆な発言に二人は目を丸くした。
「カイトさんは、レーヴァテインを操る事が出来たはずです。 干渉者は……及ばずながら、わたしがいますから」
「そりゃ、確かに……」
カイトは先代のレーヴァテイン適合者であり、エアリオはティアマトの干渉者。 長年スヴィアと組んできたのだから、その実力は折り紙つきである。
しかし、代償は少なくない。 それに始めての組み合わせで、いきなり戦闘が出来るかも怪しい。
「……あなたの不安はご尤もです。 でも、それ以上の強い力が……。 レーヴァでなければ止められない力が迫っています」
「……オリカ。 行けるか?」
「正気かな? 君は自分の身体がどういう状態にあるのか忘れちゃったの?」
「一度くらいならいけるさ」
自分自身の胸に手をあて、強く頷く。
本人が無事だと言うのだから、それを強く拒む理由は何も無かった。
「コックピットの換装、殆ど終わってるはず。 調整を急がせるよ」
オリカが仕方なくそう呟くと、二人は見つめあい、それから頷きあった。
「よろしくな」
カイトが伸ばす大きな手を、少女は握り返して微笑んでいた。
れーばてっ!
第六話
『ラブコメディには何らかご都合主義な設定が必須である』
「エアリオ、あのさ、今日のお弁当だけど……」
「……いらない」
差し出した弁当箱は、彼女の好きな蒼い色。
けれどもエアリオはボクから視線を逸らし、すれ違う。 走り去っていく足音を聞き届け、ボクは盛大にため息を漏らした。
例の事件から数日。 あんな事があったせいでボクとエアリオの関係はギクシャクしっぱなしだった。
そのくせ毎日顔を合わせるのだからたちが悪いと思う。 アレだけ毎日楽しみにしてくれていたお弁当も、二つ作っても何時も一つ無駄になってしまう。
エアリオとボクの教室は別々だ。 クラスが違うのだから当然である。 教室までわざわざ顔を出した理由は、そうしなければ彼女はボクを避けているせいで会うことが出来ないからだ。
「何でこうなっちゃうんだろうな」
壁を背に体重を預け、自分の唇に指を這わせてみる。
あの時確かに、強引だけれど触れ合った唇の感触。 思い返すだけで顔が熱くなるような気がした。
頭を振り、そんな妄念を振り払う。 すると、誰かがボクの髪をくしゃくしゃに撫で回してきた。
「ボサっとしてどうしちゃったの?」
「……イリア」
纏わりついてくる腕を振り払い、ボクは距離を置いてため息を漏らした。
何故だかわからないけれど、イリアはスキンシップがとても近い。 自分が女の子……それもちょっとした美少女だっていう自覚がないのだろうか。
鼓動の高まりを悟られないようにボクはあえてつれない表情を浮かべた。 イリアは特にそれに何のリアクションもせず、胸を張って腕を組んでボクを見つめている。
「エアリオに会いに来てたの?」
「……別になんだっていいだろ? イリアには関係ないんだし」
「関係ない、ってこともないんじゃないの?」
原因となる事件はイリアも知っている。 その場に居たのだから当然だ。
そう、ボクの頭を悩ませているもう一つの事件。 それはそう――――あのレーヴァテインという力についてだ。
しかしそれをボクらは語ることはなかった。 イリアもむやみにそれを口外しなかったし、ボクにそれを問い詰めることもしなかった。
ただそんな彼女の上手な距離の取り方と、気の使い方が少しだけ嫌で、ボクは結局イリアとも上手く喋れなくなってしまっていた。
「お弁当、食べる?」
「いいの?」
「うん。 どうせボク一人じゃ、食べきらないから」
イリアに弁当箱を押し付けて背を向ける。 イリアが何か言っていた気がするけれど、ボクは振り返ることもしなかった。
ポケットに手を突っ込んだまま歩く廊下。 どこをどう歩いたのかわからないけれど、ボクの頭の中はあの時の記憶が何度も繰り返し再生されていた。
エアリオと心を重ねた瞬間の快感、と呼ぶにふさわしい感情。 そして重ねてしまった唇。
「ああ……。 きまずいなあ……」
額を押さえて今日何度目かわからないため息を漏らした。
すると、誰も居ないはずの後方から笑い声が聞こえてきた。 うんざりした気分で振り返ると、そこには空に浮いている女性の姿があった。
「何だよ……?」
『いや。 そんなに気まずくなる必要もないだろう? 健全な男女ならば、もう行くところまで行っていてもおかしくない年齢だろう』
「行くとこまで行っちゃったら掲載的にも拙いんだよ」
『そういうものなのか?』
「そういうものなのっ!!」
近くを通りかかった上級生が笑いながらボクのそばを通り過ぎていく。
あわててその場を走り去るが、結局女はボクについてくる。
そう、彼女の姿はボク以外には見る事が出来ないらしい。 ついでに声も聞こえないそうだ。 とにかく今のボクは一人で廊下で叫んでいる変な男の子なのだ。
彼女の名前は『レーヴァ』というらしい。 それ以外の事は何もわかってない。 今まで数日間、彼女はボクをただ傍観していた。 最初はおっかなかったけれども、害の在る存在と言うわけでもないとわかったので、今は別に恐ろしくはない。
ただこんなものが日常の一部になってしまっている時点で少々おかしな状況なんだろうけど。
『今まで数日間お前を観察してきたが……何故だ? お前はエアリオのことが好きなのだろう? 何故行動しない』
「……」
好き勝手言ってくれる。 それにべつに、エアリオの事がすきってわけでもないし……。
『お前がエアリオとの接触を絶っている状態は私としても不服だ。 エアリオが居なければお前はレーヴァテインに変身出来ないのだから』
「……」
『変身の条件はパートナーとの口付けだ。 レーヴァテインはパートナーの性格によって能力も左右される。 これからお前には出来るだけ多くのパートナーを見つけてもらわねばならない。 エアリオはその手始めだ』
「うるさいなっ!!!!」
何が口付けだ! 何がパートナーだ! 何がレーヴァテインだ!
ボクはそんなの知ったことじゃない……! ただ、毎日みんなで仲良く楽しく暮らしていけたなら、それだけでよかったのに……。
レーヴァは目を丸くしていた。 それからクスクス笑って見せて、触れる事も出来ないはずなのにボクの頬に手を伸ばした。
『愛らしい生き物だな、人間とは』
「……ちっ」
『ところでリイド。 あそこにいるのはエアリオではないか?』
「え?」
反射的にボクは身を隠していた。 教室の中にエアリオの姿が確かに見て取れる。
そこは調理室だった。 調理室でエアリオはお昼を食べている。 しかし、それは一人ではなかった。
『男と一緒ではないか』
言われなくてもわかっていた。 エアリオは、上級生の男子と肩を並べて昼食を取っていたのである。
何故だか頭の中がぐるぐるして、その場に居たくなくて駆け出した。 だって仕方ないじゃないか。
二人は楽しそうに話していた。 ボクはその姿をこれ以上見ていたくなかったのだ。
『他に男がいたのか。 では、絶望的かもしれんな』
「……」
そういうことなのか?
ボクのお弁当がいらなくなったのは、そのせいなのか?
ボクとはもうお昼を一緒にしたくないってことなのか?
ぐるぐるまわる。 頭の中を不安が駆け巡る。 壁を背に、途切れかけた呼吸を何とか取り戻そうと努力した。
そんな時だった。 声が、聞こえてきたのは。
「あの……大丈夫ですか?」
視線だけそちらに向けると、そこには――――イリアに良く似た少女が立っていた。
たった一つ大きく違う点があるとすれば、彼女はイリアとは違いめがねをかけていたということ。
よほどボクの顔色が悪かったのだろう。 彼女は心配そうにボクの顔を覗き込み、優しく微笑んでくれた。
次回! ハートフル学園ラブコメディー『れーばてっ!』
すれ違う人々の想い、そして新たな登場人物の参加により、物語はさらにカオス方向へ!
そして、謎の力レーヴァテインとは!?
次回! 『きみの笑顔』を、お楽しみに!