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風の中の葛藤04(投稿初日の自問自答part2)

私は風が好きだ。風はいつだって世界から無くなることはない。そうして花や、木の枝に生い茂った葉っぱにたいして、風は彼らを包むように、その姿を美しく揺れうごかしていく。私のことも、風は包むように美しく揺れうごかしてくれる。髪やスカートをなびかせてくれる。私は毎日映画を見る。風を美しく描いている映画を探し回っている。でも風を美しく描くが映画はたいてい芸術映画が多く、頭の悪い私には物語を理解することができない。ただ風が生む美しきワンシーンを味わうことができればそれで満足だ。タルコフスキーの「鏡」という映画がある。何を訴えたいのかさっぱりわからない。でもその映画の中のワンシーンがいつまでも心の中にわだかまっている。斜め上からカメラで広い草原を映している。その草原の中を一人の男性が歩いている。そうして男性が歩く中を、画面の手前から奥まで草原がコウベを垂れる用に一束の風が吹いていく。どうやってこのシーンを撮ることができたのか不思議でしょうがない。草原の広さを考えれば、撮影用の扇風機で起こせる風じゃない。タルコフスキーは偉い映画監督らしいからきっと神様が奇跡を起こしてくれたのだと思う。もう一つ好きな風の映画がある。宮崎駿さんの「風立ちぬ」だ。この映画は風表現の極みだと私は思っている。夢の中の飛行機と現実の飛行機は風の抵抗によって羽や金属を痛め続ける。それでも空を飛ぶという人間の意志が風に抵抗しようと、そんな思いで空を飛ぼうとする。ヒロインがキャンバスの前でパラソル立てて黙々と絵を描いて いる。そのパラソルが風にあおられて遠くへ飛ばされる。堀越二郎は風と格闘しながら彼女のために風からパラソルを奪おうとする。「風立ちぬ」の中でいちばん好きなシーン。宮崎駿さんはずっと風の人だったのだと思う。ナウシカも紅の豚も、ラピュタも魔女の宅急便も風の映画だと私は思っている。彼は純粋に風を愛しているからみんなから愛されているのかもしれない。私も風の人になってみんなに愛された。でも私は絵が描けない、映画の脚本を書けるような物語を生む心もない。美しくないから役者になることもできない。私は風の人になることはできない。中学時代の恩師に手紙で自分の思いを語ったことがある。自分がどのように生きて、自分自身とどう向き合って、どのような希望を信じればいいのか分からなくなって、たまらない気持ちに なって手紙を書いた。そうしてこんな返事が返ってきた。

「そうですね、向き合うというのはどの場面でも必要なのかも知れません。自分を知ってもらうというのも相手のある事ですから対峙すると言うことですよね。実はこの対峙すると言うのが一番辛いことです。できるならば向かい合ずに自分を理解して欲しいと思うのです。何故なら対峙する事で自分を誤解されたり、論争になったりと、ややもすると関係がこじれてしまう事を想定してしまうからです。できれば純粋な自分の感情を純なままでそっと保存しておきたい。

しかし、そんなことは不可能なのです。何故なら、自らの存在が他との関係で成り立っているからです。対峙したり受け入れたりというのは心の余裕を必要とします。歳をとると自らの経験をベースに頑固にもなりますが、同じように経験から受け入れることも容易になります。つまり、他の人の考えは自らの生き様にはあまり影響を及ぼさないと言うことが分かってくるからです。では、自分の生き様に影響を与えるのは何なのでしょうか?それは今、自分の周りで起きている小さなことの積み重ねなのです。親や兄弟かも知れません。あるいは草むらに棲む小さな生き物かも知れないし、美術館にある絵画かも知れません。そのような多様でたくさんの小さなことの積み重ねが自分を育てていくのだと思います。だからこそ、嫌で億劫なことかも知れませんが、たくさんのものと向かい合い理解することが必要なのだと思います。

こう言うと私がそうして来たと思われるかも知れませんが、意識してそうしたのではないのです。若い時に死とは何かということを考え続け関係ある本を乱読し、結局は何も答えを見つけることは出来なかったのですが、実は、若い時から本が好きで、絵が好きでそのような感情を育ててきて、今やっと死とは何かということが分かったような気がします。

歳を取るということは分かるということに繋がるのだと実感しています。早く歳を取りなさいと言っているのではありません。たくさんのことを知るということが実りに繋がるのだと思います。無駄だと思っていてもそれは決して無駄なことはありません。時間の浪費などというものもありません。回り道もありません。人生の中の10年や20年は僅かな時間です。難しいかも知れませんが今は勉強の時間なのだと思えば良いのかも知れませんね。頑張る必要もなければ、努力する必要もありません。ただたくさんのことを知ろうとする気持ちは必要かも知れませんが。それは努力とは別のものです。ああ、生きてさえいればたくさんのものを知ることにはなりますね。それは必ず自分のためになります。私が保証します、何の役にも立たないかもしれませんが。」

私がほしい言葉ではなかった。今の自分には受け入れることができないから。

でもいつか受け入れることができる日が来るかもしれない。

その手紙は勉強机の引き出しの中に大事にしまっている。

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