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風の中の葛藤01

私の名前は山下道子。16歳の少女。女子高生である。

道子という名前。ありふれた普通の名前だ。なんかちょっと普通すぎる。可愛くもないし、かっこよくもない。

色んな場所で色んな理由で、自分の名前を書くことがある。そうして道子と書くたびに、時々、心の中でぼんやりとした煙のようなものが広がっていく。いつもではなく、時々。

中学生くらいになったころから自分の名前から「バッサリ」としたものを感じるようになった。

どういう意味でバッサリなのかはよく分からない。

なにかを切り捨てる感じ。ためらわずにスパッと切り捨てる感じだ。

でも昔は少し違う感じかたをしていた。

物心がついたころにお父さんに聞いたことがある

「なんで私を道子って名前なの?」

するとお父さんは申し訳なさそうな顔して

「とくに考えてつけたわけじゃないよ。父さんと母さんも大変だったから。二人で話し合って考える時間が無くて。ちょっと悪いことしちゃったかなと思う。」

それを聞いて私はすごくがっかりした。自分の名前がとりあえずつけられたことに。

父はそんながっかりしている私をしばらく眺めてから、真面目な顔してこう答えた。

「でも父さんも母さんも道子って名前にしてよかったと思う。」


その時、二人は本当に大変だったかもしれないけど、さすがに意味がないというのは、どうだろうと思った。深い意味でなくても名付けた理由があってほしかった。でも父も母も道子の名前にしてよかったと思っているなら、なにかあるのかもしない。

こどもの私はこどもなりに考えた。考えたうえで、意味がないなら、自分で自分の名前の意味を作ればいいじゃないかと。

それから少しずつ成長していって、成長するうちに色んな言葉や色んな考え方が体の中にすっと入ってくる。そうして私は何もすることがなくて暇なときに、自分の名前のことについてぼんやりと考えた。そうして自分なりに納得できる自分なりの意味ができあがった。

道子。それは「道」と「こども」。

例えばその道は一本道。

ポツンと立っているこどもの私は真っすぐ続く道を眺める。地平線の向こう側まで続いていて、その先になにがあるか分からない。その道をずっと歩き続けていれば、なにかが私を待っているかもしれない。

あるいは一本から数えきれないほどたくさん広がっていく道。

それは木の枝のようなもの。一本の枝が成長してやがて二つに分かれる。二つに別れた枝はさようならを言って離れ離れになる。その一本が成長してまた二つに別れる。一本の枝から四本の枝。それが繰り返されてどんどん枝が増えていく。

私はそういう枝みたいな道を歩いていくこどもだから自分の名前は道子なのだ。私はそう思った。

鼻歌でも歌いながらのんきに歩ければいいけど、それは多分、無理だと思う。ずっと歩いていくのだから、やっぱり足は疲れる。足の裏はマメとかでいっぱいになるだろう。そうして歩いていると道がふたつに別れる。どちらかの道に行ったものかと少し考える。どうしたものかと悩む。答えがわからないことを考え続けても答えは出なくて。道はどこまでも続いていて終わりが分からないから。でも自分なりに悩んでから右のほうがいいかなと右の道を選び、またトボトボと歩き出す。

そうして歩き続けていって、そこに広がる光景はどんなものか空想してみた。


それは木々に囲まれたちいさな池かもしれない。

私は池の方へゆっくり歩いていった。池の水は透き通っていて、歩き疲れた私はその水で喉の渇きをいやしたいと思った。膝をついて前かがみになって池の水を両手ですくい、こぼれてしまわないうちに口を近づけて水を飲む。

喉の渇きをいやした私は池の底まで見えることに気が付く。池の中の世界が覗けるくらいきれいな水。

色々な魚が泳いでいる。大きな魚たちは堂々としている。なにか考え事をしているようにも見えてゆっくりとした泳ぎだ。大きくもなければ小さくもない魚たちは、なにか探しものであるのか池の中を忙しく泳いでいる。小さな魚たちは群れになっている。仲間を信じているから一緒に泳いでいるのかもしれない。

水の底の方に目を向けるとよたよた歩く蟹がいた。その蟹は自分の家に帰ろうとしているかもしれない。お母さんやお父さんが待っている家に。水の底には蟹だけではなく水草も生えている。水の流れで右に左に揺れている。そうやって水の流れに身を任せている。

水の中の世界を覗くことをやめてふと顔をあげると、池のまんなかあたりでカモが水の上をゆっくりと進んでいた。どこかのんびりしている。僕はお日様の光を浴びながら透き通った水の上にいることが幸せだ、そんなのんびりとした様子。でもカモもお腹がすくから魚を食べる。のんびりしているように見えても魚の動きを注意深く観察しているのかもしれない。

私は池を囲む木々のほうに目を向ける。風が吹くたびに淡い緑がざわめくように揺れる。そういう揺れる淡い緑が池を囲んでいる。

私は近づいて行って一本の木の前に立つ。その一本の木を眺めていると不思議な気持ちになった。木の皮はなにかの模様のように見える。手で触れてみると、その皮の内側にあるもの守っていて、それはとても頑丈だけでも、やっぱり皮で覆わなければいけない弱さがあるのかもしれない。そうして少し上を見上げると、揺れる淡い緑と枝。その枝を私が通ってきた道のように太い枝から細い枝へとのびている。もっと近づけば葉っぱの一枚一枚を見ることができるかもしれない。でも木の上にのぼって、葉っぱ一枚一枚を見る必要はないのかもしれない。その葉っぱをちぎって自分のものにするより、そっとしておいたほうがいいかもしれない。ありのままだからいいのだと思う。そこで私がなにかするとよさが消えていってしまうような気がする。

私は木々に囲まれた小さな池の入口の方に戻った。そこで考える。木々に囲まれた小さな池がどのようにしてそうなったかを。

ここは大きな森の中にあって、そこで何かがおきて、小さいけれど底の深い穴できたのかもしれない。穴の周りを少し離れたところにいる木々たちずいぶん昔から森の人として生きていたのだと思う。その穴が池になるまではとても長い時間が必要で、穴の中に雨水がたまっていったので池になったわけで。お日様が森を照らす毎日の中で時々、雲が空を覆って雨が降る。雨水は少しずつ穴の底から上へ上と昇っていく。長い時間の後、穴だったものが池になった。カモは遠い場所から長い旅をしている時にどこか休む場所はないかと羽をはばたかせながら空の上から下の様子を眺めていた。そうして池があることに気付き、そこで少し休もうと思った。池より少し離れた上空からななめに下っていき、水しぶきをたてながら池の水面をなでるようにして降り立った。そうして水の中の世界をみて、ここにとどまる事も悪くないと思い、魚の様子を注意深く眺めながらゆっくり水の上を進みはじめる。


こんな光景を想像したのはいつ頃だったかはよく覚えていない。私はそこで小さな丸太小屋みたいな家を作って暮らせればいいなと思った。今はちょっと違う。この光景を想像したときから違うなとは思っていたともう。私がなにかするとよさが消えるなら、私はただぼんやりと眺めているだけだ。それは楽しくないと思う

中学生くらいからだんだんと自分のそういうところが引っかかるようになった。綺麗な世界ばかり夢見る自分。そこにだんだんと疑問に感じるようになった。今の自分を考えてみる。本当に樹形図のような道を歩いているのだろうか。なんだか丸い道をぐるぐる回っているだけでちっとも前に進んでいる感じがしない。同じ日々を同じようにこなし、そのサイクルに甘んじている自分。前に進みたい気持ちはある。でもどうすれば丸い道が樹形図のように広がっていくのかがサッパリ分からない。


自分は何を求めているのだろう。自分は何を探しているのだろう。自分はどんな人間になりたいのだろう。自分はどんな場所に辿り着きたいのだろう。

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