不幸は唐突に
相変わらず部屋から出る気力は出ない。どころか、ここ1週間自分から動こうとしたことはなかった。せめて水くらいは飲まなければ死んでしまうのだろうけど、別に死んでしまうのならそれでも構わないとさえ思っていた。僕が死ななかったのは単にカトレアがいたからだった。
あの話を聞いたはずなのに、カトレアは僕の傍から離れようとしなかった。いつも通りに食事を持ってきたり、体を拭くための布を持ってきたリ。一向に動こうとはしない僕に、ものを食べさせたり飲ませたりしたのも、全部カトレアだった。最初はどこかへ行くように言っていたものの、カトレアが折れないことがわかってからは諦めた。好きにやらせることにしたのだ。どうせそのうち愛想を尽かすだろうから。
本当は持ってきた水や食事も食べない気でいた。それでも、無理矢理に口の中に入れられてはどうしようもない。ただでさえ、カトレアと僕では力に差があるのだ。本気で取り押さえられたら、抵抗の仕様がなかった。抵抗する気力もなかった、というのも正しいけれど。そして、今……
「今日はいい天気ですね。雨だったら、また別のことを考えなきゃいけないところでした」
カトレアにおぶられて、外へと連れ出されていた。何も知らない人が見れば、女の子に自分を背負わせて楽している男に見えるだろう。実際に、ひそひそと話している声が耳に入ってくる。今の僕としては気にすることでもなかったし、興味もないから目を向けることはなかったけど。
「あ、見てください。あれが桜ですよ。綺麗ですね」
そう言われたものの、顔を上げる気はなかった。それにしても、ここまで反応がないのにカトレアは虚しくならないものなんだろうか。早く諦めればいいのに。
(……そうねえ。いつか、本当にいつかだけれど。平和になれば、元々いた国に帰ってお墓参りをしたいわね………そのときはあなたも一緒に来てくれるかしら?見せたいものがあるの)
(見せたいもの?)
(そう。とっても綺麗なものよ。それを見せてあげたいの)
(それって何?)
(それはね………)
桜っていうの。そんな声が聞こえた気がした。のろのろとだけど、顔を上げてみる。すると、驚くような景色がそこにはあった。
とても大きな木があった。幹を囲むだけでも、大の大人が10人以上は必要だと思う。そんな巨大な木に薄紅色の花がこれでもか、とばかりについている。時折吹き寄せる風に揺れ、花びらがひらひらと舞い落ちてくる。そんな花びらを掴もうと、子供たちは必死に手を伸ばし、大人たちはそれを見て苦笑していた。
(ああ、なるほど……これは確かに見せたくもなるだろうな………)
戦うことしか考えられなかった、それしか知らなかった自分。それを少しでも変えたいと思っていたのだろう。先生はこれを見せることで、何か変化があればいいと考えたのだと思う。そして、カトレアもまたこの景色を見せることで、何かが変わればいいなと考えたのだろう。
顔つきだけならシルヴィアさんの方がよっぽど似ているけれど、こういうところはカトレアの方が先生に似ているかもしれない。いや、似ているのはあの人の方かもしれない。
「どうですか、ユート様?それとも、次に移りますか?」
返事をすることはなかった。でも、この景色を見てわかったことがある。
(……やっぱり僕は、一人になるべきだ)
※ ※ ※
部屋に戻ってくると、そこにはシルヴィアさんがいた。
「あ……シルヴィア様」
「お邪魔しています。勝手に入るのは非常識なのかもしれませんが……やはり、気になってしまって」
ちらりとこちらを見てくる。カトレアもそれに気付いたようで、首を横に振った。
「そう、ですか………」
「こればかりは時間を掛けるしかないんだと思います……思っていたよりもずっと強く自分を責めているようで………」
「育ての親のような方を、暴走という形で殺してしまった……でしたか。何と言えばいいのか………」
「はい………」
別に放っておけばいいのに。そうすれば、もっと楽になると思う。
そんなときだった。急にどたどたという音が聞こえてくる。誰かがここに走ってきているようだ。シルヴィアさんとカトレアもすぐに気付いたようで、何の音だろうと部屋の外に出る。ちょうど扉を開けた先には、兵士のような人がいた。顔には隠し切れない焦りが浮かんでいる。
「し、シルヴィア姫殿下!ちょうどよかった、至急のお話があるのです!」
「至急、ですか?いったい、どんな………?」
「ここで問答を続けている時間はないのです!急いで勇者様方とともに、王城へと足を運んでいただきたい!」
もどかしそうに言葉を発する兵士の人。シルヴィアさんもおかしいと気付いたのか、一つ頷いた。
「わかりました、すぐに勇者様たちを呼んできましょう」
「あ、ありがとうございます!」
「その前になのですが。どうしてそこまで急いでいるのかお聞きしても?それほどの危機が訪れているのですか?」
兵士の人は神妙に頷き、それを話した。
「この国に……魔族が攻めてきたのです」