異常
ふと気が付く。あの手紙を読んでから、泣き疲れて眠ってしまっていたようだ。今でも悲しい、という気持ちがなくなることはないが、少なくとも前に向けているとは思う。隣を見ればくかー、といった表現が正しいような寝顔をしているユート様がいた。ほんの少しだけ慰めを期待していたのだけど、この人がそれをできたら疑ってしまいそうだ。……そんなに器用な人ではないと思うから。それに、あのときそんなことをされていたら当たり散らしていたかもしれない。無礼だから、そんな気持ちもあるにはあるのだが……それよりはこの人にもうひどいことを言いたくない、という気持ちの方が大きい。
そんなことを考えていると、唐突にノックをする音がした。奇妙なことに、ドアからではなく窓から。警戒しつつも無視するわけにもいかないだろうと思い、窓を開けると………
「あれ?シドさん、ですか?」
「ああ、悪いな。こんな早い時間に」
外を見ればまだうっすらと明るくなっている程度。朝、というにはちょっと早いくらいの時間帯だ。
「少し話をしようかと思ってな。あまり時間もないし………!?」
そこで言葉を詰まらせる。何かおかしなところでもあったのだろうか?とは言っても、取り立てておかしいものは置いていないはずだし……あ。
(そういえば、ユート様と一緒に寝てたところだったんだ!?)
前に付き合ってはいないとは言ったものの、この状況を見ればそう思われても仕方がない。そうじゃなければかなり不健全な関係だ。誤魔化そうにも、窪んでいるベッドがさっきまで私がそこで寝ていたことを示しているし………!
「あ、あああ、あの、これはですね………!」
「なんでこいつがここに………!?絶対にありえないはずだ!」
「は、はい?」
どうやら考えていたことと違うようだ。誤解されていなかったようで胸を撫で下ろす。
「どうしたんですか?いったい何が………?」
「……いや。なんでここにいるのか不思議でな。こいつは俺よりあそこを遅く出たはずなのに………」
「ああ、そういうことでしたらクロさんの力だと思いますよ?一瞬で転移できるスキルを持っているので………」
「……なるほどな。納得できたよ。クロってのはあの魔物のことか?」
「あ、はい。狼の魔物です。ユート様が言うには犬だったそうですけど」
そう言って苦笑する。どう見たって狼にしか見えない。
「そうか。本題に入るんだが……俺たちと一緒に来ないか?」
「え?どういうことですか?」
「ここからかなり遠くになるんだが、獣人だけの国があるらしい。そこに行けばきっと差別もないはずだ」
「そう、なんですか……でも、奴隷だったはずでは?許されないはずなんじゃないかと思うんですが………」
「……ああ。死んだんだよ。俺らを所有していたやつがな」
いきなり告げられた事実に絶句する。復讐をするつもりはなかった。けれど、憎んでいないかと言われればそうは言いきれない。でも、死んだだなんて………
「死因は、なんだったんでしょう?病気か何かだったんですか?」
「いや、違う。殺されたんだ、その男に」
何を言われたのか、理解できなかった。殺した?誰が?誰を?
「それで、答えはどうなんだ?」
「あ……その、ユート様に聞いてみないと………」
「それはやめろ。そいつは普通じゃない」
その言葉を聞いて、むっとなる。何故そんなことを言うんだろう。
「……あなたには関係ないはずです。とりあえず話し合いますから………」
「だからやめろ!そいつはどこか狂ってるんだよ!」
「何も知らないくせにそんなことを言わないでください!」
「知ってるさ!そいつがやつを殺してたところに俺は遭遇したんだからな!」
「……っ!?」
「そいつは俺たち奴隷以外は皆殺しにしていた!何の躊躇なく!あまつさえ死体を好きにすればいいだの、屋敷に放火するだの言ってたんだぞ!そいつといても不幸になるだけだ!」
「……そんなの、嘘かもしれないじゃないですか」
「カトレア!」
「どうして私にそこまで構うんですか!もう放っておいてください!」
「お前が好きだからだ!」
再び呼吸が止まる。そんなことを言われるのは初めてだった。だから戸惑ってしまったのだ。彼は言葉を続ける。
「そいつといるよりも幸せにできる!それに、そいつは人間なんだ!俺たちと相いれることはない!」
本当にそうなのだろうか?と、そこで違和感を覚える。彼の言葉にも、気持ちにも。
「ツバキさんのこともある!俺はお前を守らなきゃいけないんだ!」
その言葉で気付く。ああ、そうか。
「出ていってください」
「カトレア!」
「……あなたが好きなのは私じゃないでしょう?私に来てほしいのは、母に似てるから。それだけのはずです」
「……!?」
「私とあなたはきっとわかり合えないんだと、そう思います。あなたは人を信じられない。私はこの人を信じたい。どこまで行っても平行線でしょうから」
「……後悔、することになるぞ」
「そのときはそのときです」
「……邪魔したな」
そう呟き、この部屋から出ていく。ほんの少し、見送った後に窓を閉めた。
「よかったのか?」
「起きてたんですか?盗み聞きはよくないと思いますよ?」
「あれだけ騒げば目も覚める。起きない主が不思議なくらいだな」
「そうですね」
影から出てきた魔物に返事をする。この魔物には聞かれても、そこまで恥ずかしいとは思わなかった。なぜならユート様第一で、他のことには興味を持ちすらしないから。それなら気にするだけ無駄だろう。
「……あのことは、本当なんですか?」
「あの男が言っていたことか?本当だ」
「嘘じゃ、ないんですね………」
「今からでも追うか?別に我はそれでも構わんが」
確かに、いずれユート様とは別れなければいけない。この世界の人じゃないから。シドさんといれば、いずれ来る別れは遠いものなのだろう。
「でも、いいんです。私がそう決めたから」
「そうか」
しばし無言の時間が流れる。沈黙を破ったのはクロさんだった。
「一つだけ、助言しておいてやる」
「……え?」
珍しい。滅多にそんなことをしないのに。
「主とともにいるならば。主にとって大切な存在となれ。それこそ、他の何を差し置いても構わないと思われるほどにな」
「それは、どういう………?」
「……いずれ来る不幸を回避するためだ。お前なら適任だろう」
それだけ言い残し、影へと潜っていく。
「いずれ来る、不幸………」
その言葉に不穏なものを感じ、黙り込む。いったい何のことなのだろう?考えるが、情報が少なすぎてわからなかった。ため息をつき、ベッドに潜る。あまり時間をかけないうちに眠ることができた。いい夢を見られればいいのだけれど。
――――後から考えると、あれはこのことだったのかとわかるのだ。それを知るのは当分先のことになるけれど。