戻った日常
長らく休止していてすみません。今日から更新していこうと思います。
ユート様が目覚めて、私に心を開いてくれてから、1ヶ月の月日が流れた。勇者様たちはレベルを上げることに忙しいらしく、このところあまり王城へと戻ってくることはない。シルヴィア様も勇者様について行っているので、やはり見ることは少ない。風に聞いた噂ではそろそろ魔王討伐に乗り出すのではないか、とのことだった。
そんな中、私はいつも通りに仕事をしていた。掃除をして、食事を運んで、たまにお風呂に入れる。その繰り返し。それは今日も同じ。変わったことと言えば、ユート様の態度ぐらいのものだろうか。
「ユート様、どうですか?」
もぐもぐと口を動かしている。今日の料理は気に入ったらしく、口の中のものが入ってる状態でまだ要求しようとしてくるほどだ。きちんと飲み込んでからです、と注意すると、シュンとなってしまった。罪悪感が湧いてくると共に、物凄く保護欲が刺激されたのはここだけの秘密。
今のユート様はすっかり私に懐いてくれて、私がいないと不安になっているらしい。なので、なるべく近くにいるようにしているのだ。寝るときも私の袖を掴んで来るので、あの頃と同じく同じベッドで寝ることになった。……欲求を抑えるのには苦労しているが。
(……なんだか少しだけ安心します)
毎日長い時間接しているので、ユート様の身体がどうなっているのかがわかってきた。まず、左腕は完全に動かないよう。だらんと力なくぶら下がっているのみなのだ。加えて、右腕も自由に動かす、とまでは言い難い。どこかぎこちない動きなのだ。なんとか動かしている、と言ってもいいだろう。
さらには、膝から下も動かないらしい。歩こうとしても、すぐに倒れ込むところを見ている。私が受け止めているからいいものの、これからは歩かせることはやめさせようと思った。また、声が出ない。だから、何を要求しているのかはなんとなくで察するしかないのだ。そして、記憶を失くしている。このことから当然ではあるのだが、超能力も使えない。
けれど、それは裏を返せば、もう無茶なことはできないということでもある。また自分一人ですべてを抱えて、何かに向かって行くことはない。それは安心できることだった。正直、もう傷ついた姿を見たくはなかったから。ユート様は頑張り過ぎなのだ、いつも。
勿論、今の状況がいいと思っているわけではない。ベッドに縛りつけておくのは退屈だろうし、何より体を動かさないのは健康に悪いはずだ。それに、記憶を失くしたままでは寂しいし、またユート様の声を聞きたいと思う。欲を言い出せばきりがない。あくまで、最悪の状況よりもいいと思っているだけ。
「はい、なんでしょう?」
クイクイと袖を引っ張られたことで、意識を目の前の人へと戻す。見れば、料理をすべて食べ終えてしまったらしい。それでももっと、と要求している。駄目ですよ、と言い聞かせながらも、今までと同じような生活に思わず笑みが漏れてしまう。
「………こんな生活がいつまでも続いてほしいですね…………」
心の底からそう思った。空は今日も澄み渡って、雲一つなかった。もうすぐ、勇者様たちが召喚されて一年が経つ頃だった。
※ ※ ※
不意にノックの音が響く。誰だろうと思いながら、扉を開く。目の前にいたのはよく知っている人だった。
「シルヴィア様!どうしてここに!?」
「いえ、最後の戦いになりそうでしたので。一目会いに来ようと思ったのです」
そう言って笑うシルヴィア様の目は、どこか陰りを帯びている。多くのものを失くしてしまったユート様に会うのが辛いのかもしれない。けれど、どうしようもなく会いたいという気持ちもある。それでふらふらとしているうちに、ここに着いていたのでは、と。自分が元々そうであったから。となると、ユート様に会うというより、私に愚痴を聞いてもらいにでも来たのかもな、とぼんやり考えた。
私は少しだけ開いていた扉を引いて、シルヴィア様が入れるようにした。
「どうぞ。話なら聞きますから」
「……ありがとうございます」
シルヴィア様は微笑んで、部屋の中へと入った。私は扉を閉めて、椅子を用意する。ちょうど二つあるので、私とシルヴィア様が向かい合うようにして置いた。シルヴィア様は失礼します、と椅子に腰掛け、私にも座るように促した。そういった細かい動作にさえ気品のようなものがあって、ああ、やはりお姫様なんだな、と実感させられた。
「ユート様は……寝ているのですね。かえってよかったでしょうか?今の私は知らない人、でしょうから」
知らない人、と呟いたときは本当に辛そうな顔だった。だから、私は思わず言葉が出ていた。この人はライバルでもあったけれど、それと同時に友達のようだとも感じていたから。
「きっと……このままなんてことはないと思います。いつかはシルヴィア様のことも見てくれます。知らない人じゃない、安心できる人として。諦めずに、一緒にいれば」
「ふふ、ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。そこまで気を遣わなくても」
「いえ、気を遣ったわけではないんですが………」
あくまで寂しそうな様子のシルヴィア様に、何か掛ける言葉はないかと探す。けれど、時間はただただ過ぎるのみだった。
状況が変わったのはたった少しのこと。だが、その少しのことで十分だったのかもしれない。この人の気持ちを変えるには。
「ユート様?」
寝ぼけ眼といった様子で上体を起こすユート様。すぐに駆け寄って、何をしたいのかを確認した。やりたいことを指差してもらっているから、今ならばなんとなくやりたいことはわかった。今彼が指で示したのは水差し。きっと喉が渇いてしまったのだろう。
「私は邪魔になりますので、ここで失礼します。あとはよろしくお願いしますね、カトレア」
シルヴィア様は軽く驚いた様子ではあったものの、すぐに部屋を出ていこうとした。それを遮ったのはやはりユート様。出ていこうとした彼女を、手で必死に止めようとするジェスチャーをしていた。私はもしかして、という思いから、シルヴィア様を呼び止めていた。
「あの、一言だけ話していきませんか?警戒を解いてもらうには、日々の積み重ねしかありませんし」
「ですが………」
「物は試しですよ、シルヴィア様」
彼の意思を尊重できるように、強引ではあったがシルヴィア様をユート様の前へと連れて行く。シルヴィア様は困った様子ではあったが、目の前にすると諦めもついたらしい。
「初めまして。シルヴィア=フォン……いえ、シルヴィアと申します。よろしくお願いしますね、ユート様」
シルヴィア様が手を差し出す。とはいえ、途中で警戒されると思ったのか、引っ込めようとしていたが。
「え?」
彼女が驚いた声を上げる。対して、私はやっぱり、と思っていた。段々とではあるが、警戒すべき人としなくてもいい人がわかってきているのかもしれない、と。
「なんで……どうして………?」
ユート様がシルヴィア様の手を取っていた。その目に映っているのは、私のときと同じく警戒の色ではない。
彼女の声が震えるまではすぐのことだった。




