凛花の心境
ドボン!という音が聞こえた。見れば、ジリアンさんが川に飛び込んでいた。一瞬の間はあったとはいえ、こんなにすぐ対応するとは思ってもいなかった。流石ジリアンさんと言えるかもしれない。
(まあ、すぐに助けるけどね)
ジリアンさん、視界の端に捉えたあの子に狙いを定め、指を鳴らす。その瞬間、二人は川原へと転移していた。口の中に入った水は、丁寧に《物質転換》で水蒸気に変えといたし。まだ違和感があるのか、しばらくは咳き込んではいたけど、命に別状はないみたい。そのことにみんなホッとしていた。
「……ああ、そういや、ユートがいるんだったな………わりい、助かった」
「ううん、別にいいよ。すぐに気付けなかったのもあるし」
それはちょっと申し訳ないかな、って思ったんだよね。ジリアンさんも凛花さんも喧嘩ばっかりはしてるけど、あの子のことを可愛がっているし。昨日なんて、名前をどうするのかで揉めてたぐらいだしね。それだけ真剣に思ってるんだと思う。
先生が僕にしていてくれたみたいに。カトレアやシルヴィが僕を思ってくれてるみたいに。
「いいや、俺もすぐには気付けなかったんだ。同罪さ」
ジリアンさんは肩を竦めていた。あの子には凛花さんがついてて、溺れかけたこともあるし、休むみたい。ちょうどいいところに果物もあるからね。
「ま、反省会は後にしようぜ。しんみりした空気だと楽しめんだろ?」
「そうだけど………」
「それに、暗いムードだとあいつも気を使っちまうだろうからな。そういうのはあいつがいないところでにしてやりてえのさ」
そっか。そんなことも考えてたんだ。僕は頷いて、カトレアたちのところに戻った。
ジリアンさんがじっとりと汗を流し続けていたことには、まるで気が付かないで。
※ ※ ※
川で休んだ日の夜。みんなと別れたけど、あんまり寝付けなかったので、気晴らしに散歩をしてみることにした。カトレアに咎めるような視線を向けられたけど、クロが一緒にいるという条件で許してもらえた。……もうちょっと信用してくれてもいいと思うんだけどなあ、僕のこと。
別に行くあてもなかったので、適当にぶらぶらとしていた。そうしていると、シルヴィに会った。何かから隠れてるみたいだけど。何かあったのかな?
「……、………?」
声を掛けようとしたら、その前に口元に手を当てられた。驚いたけど、指を一本立てられたことで、静かにしていてほしいことがわかった。だから、会話じゃなくて《思考共有》を使うことにした。
『どうしたの?』
『今、凛花様とジリアン様が話し合っているので。どうも真剣な話をしているようで、聞いておいた方がいいのかと思いまして………』
『そっか。じゃあ、僕もここにいるよ。そうすれば、通り掛かっただけだって言えるでしょ?』
『それは……すみません。お願いできるでしょうか?』
『うん、任せて』
二人には見つからないような位置に立って、耳を澄ませる。遠くからはこんな会話が聞こえてきた。
「……ごめん」
「ああ?どうしたんだ、おめえ。自分から謝るなんざ今まで一回も……悪いもんでも食ったのか?」
「そんなわけ!ない、でしょ……ただ、あの子が溺れたときのこと………私は何もできなかったから…………」
凛花さんの声のトーンが落ちていく。どうやら、あの子が溺れたとき、何もできなかったのを悔やんでるみたい。はっ、とジリアンさんが鼻で笑った。
「別に気にすんな。助かったんだからいいじゃねえか」
「そうかもしれないけど……それでも、謝っておきたかった」
「そうかい」
しばらく、無言の時が流れる。再び口を開いたのは、凛花さんの方だった。
「……私はさ。結構いいとこに生まれたんだよね」
「なんだ?いきなり自慢か?」
「そうじゃないけど。食事に困ることがなければ、住むとこにも困らない。仕事だって結婚するなら困りはしないし……そうじゃなくても、十分に暮らしてけるお金があったんだ」
最初は茶化していたけど、そんな空気じゃないことに気付いたらしく。ジリアンさんは静かに耳を傾けてた。
「でも、自由はなかった。好きに恋愛はできないし、結婚する相手だって親が決めた相手の中から選ばなきゃいけない。勉強もむこうが望んだ点数以上を出さなきゃいけないし、友達だって決められてた。だから……少しぐらい、自由に生きたかった。そうすれば、箱入りなんて言われてる自分が変われるんじゃないか、って」
「なら、こっちの世界はまだマシだった、ってことか?」
「むこうよりはね。自由はある程度縛られてるけど、それでもずっと良かったし。変われると思ったんだ、ここなら」
凛花さんが少し笑ったように感じた。その笑いはどこか寂しさを含んでいたように思える。
「……変わってなかったよ、本当は。あの子が溺れてるとこを見て、足がすくんだんだ。あんたを見て、羨ましいって思った。迷わず助けに入ったから、さ」
「……そういうことか」
「そう。あんまり偉そうに言えないな、私」
また、少し笑っていた。でも、次の言葉で息を呑んでいた。
「お前の過去がどんなかは知らねえが。無理して変わらないでもいいだろうよ。自分のペースで変わってきゃあいい。慌てると道を踏み外すぞ?」
「……意外だね。あんたが励ましてくるなんて」
「少し放っておけなくてな。……今のお前、俺の弟に似てるもんだからよ」
「そうなの?」
「ああ。だから放っておけねえのさ」
ジリアンさんは一度言葉を切った。何かを思い出しているように。
「あいつは、死んじまったからな」




