第四章 解放
ジリリリリリリリリッ!
翌日、五時丁度に目覚まし時計の激しい音に起こされた。
暫くは心臓が高鳴っていたので、落ち着くのを待ってベッドの毛布から出た。
部屋を見渡すと、昨日のうちに返って来ていた銀色の装備一式を、ジェットが鏡の前で身につけているところだった。
「ブレイブ殿にカリュー殿、起きましたか。今日も晴れそうですぞ」
死人のジェットに寝起きの悪さなどないようだ。朝からナイスミドルパワー全開だった。
今はジェット一人だけ支度も終わり、お気に入りの口ヒゲを整えている際中だ。
隣のベッドでは、カリューが起きてベッドに腰を掛けている。
カリューも寝起きの良い方ではない。
「久しぶりの高配当な冒険だからな。気合を入れて行こうな」
俺はカリューに言ったが、カリューは朝から不機嫌そうな顔で答えた。
「おい、ブレイブ。今回の冒険の目的は、武亮の足取りを掴む事だぞ? あくまで魔族退治はついでだ。分ってるな?」
「あ、ああ……」
俺はカリューの機嫌をこれ以上悪化させないように答えたが、胸の中では全く同意などしていなかった。
俺の目的はあくまで魔族退治で、二千万カリムは必ず頂く。武亮の行方は二の次だ。
俺はクリーニングから返って来たばかりの綺麗なスーツに袖を通した。
この黒いスーツは特注品で、鋼の糸が編み込まれた布で作られているため、防御力が高くとても軽い。
ベルトには俺の愛銃のネカー&ネマーをホルスターでしっかりと固定し、シーフ専用の足の裏に動物の毛皮を張った黒い靴を履いた。
ベルトの腰の部分には、昨日カリューが買って来た短剣を装備し、最後に色々仕込んでいる黒の手袋をはめて、俺の装備は完了だ。
カリューも光り輝く青い装備に身を包んでいた。身体にはガイア教会で清められたブルーアーマーを装備し、左手には貴重なオリハルコンで作られた盾を装備している。また、背中には世界に一つしかない風のマントを羽織っている。
風のマントはカリューの家に代々伝わるマントで、どこでどのように作られたかは不明だが、高い所から飛んだ時は、暫くの間、空を飛ぶ事が出来るらしい。カリューは怖くて今まで一度もその能力を使ったことがないという事だったが。
俺はいつもカリューの貴重で高価な装備品一式を売りに出したくてウズウズしていた。いったい、総額いくらになるのだろう。
「さて、出発しよう。秋留は起きて準備終わってるのか? 女の準備は遅いからなぁ」
部屋を出て行くカリューの腰には、聖なる羽衣に包まれた魔剣ケルベラーが装備されていた。
今回の冒険で、剣の呪いから解放されるのだろうか。
宿屋の前で六時に待ち合わせをしていたが、十分程過ぎた頃に秋留が眼を擦りながら宿屋から出てきた。
秋留は、黒いチェストアーマーに赤いミニスカート、背中にはブラドーを装備している。
「秋留、おはよう」
俺は秋留に軽く右手を挙げながら挨拶をしたが、秋留は黙ったままで何も言わなかった。
やはり、朝早いのは辛いようだ。
俺達は荷物を銀星の背中に縛りつけ、初めてこのジェーン・アンダーソン村に入ってきた時と同じように、『ジェーン・アンダーソン村へようこそ』というアーチの下をくぐって、惑わしの森に向かおうとした。
「待って下さい!」
後から声をかけてきたのは、ジーニスだった。
「惑わしの森に行かれるそうですね。私も連れて行ってください」
ジーニスは真っ白のローブを身にまとい、右手には太陽をイメージさせる飾りのついた杖を握り、背中にはリュックサックを背負っていた。
「これから行く所は、モンスターが戦陣を組んで襲ってくる惑わしの森だぞ? 危なくて連れて行くなんて出来る訳ないだろ」
カリューは言った。
「私も知りたいんです! 私の曾祖母の命を奪った魔剣ケルベラーと暗黒騎士ケルベロスの関係を! どうか連れて行って下さい! 足手まといにはなりません!」
ジーニスは顔を紅潮させて訴えていた。
それ程曾祖母への想いが強かったようだ。一体、ジェーン・アンダーソンとはどのような人物だったのだろうか。
「ねぇ、カリュー? パーティーに司祭がいるのは良い事だよ? ジーニスさんを連れて行かない?」
秋留はジーニスをパーティに加えるのは賛成のようだ。
カリューは考えているようだったが、暫くして口を開いた。
「じゃあ、パーティ全員の意見を聞こう。まず、ジェットはどうだ? 賛成か? 反対か?」
「構わないですぞ。か弱い婦女子を守るのも騎士の役目ですから、ジーニスさんは安心してついてきて下され」
ジェットの意見を聞いて、ジーニスの顔が明るくなった。
か弱い婦女子……。俺は思わず秋留の方を見て、秋留と眼が合ってしまった。
「ブレイブ、何見てるのよ? どうせ私はか弱くないですよ〜だ!」
秋留はそう言って、口を膨らませていた。俺は秋留のそういう顔をした時が大好きだ。
「じゃあ、ブレイブはどうだ?」
秋留の膨れっ面に見とれていたが、俺が唯一気にしている事は一つだけだ。
「デールを倒した時の報奨金の分け前は無しだぜ?」
俺以外の全員の眼が白くなっているのを感じたが、俺にとっては頭数が一人増えるのは重要な問題なのだ。
二千万カリム÷五=四百万カリム。つまり一人増えただけで分け前が百万カリムも減ってしまう。
「は、はい、勿論、お金なんていりません! 真実さえ分ればそれで満足です!」
暫く呆気に取られていたジーニスだったが、良い返事をしてくれた。
俺の意見を聞いて、呆れて話す気にもなれないカリューの代わりにジェットが言った。
「それでは、惑わしの森に向けて出発しましょう。ジーニス殿は荷物を銀星にくくりつけて下され」
ジーニスが荷物をくくりつけている間、銀星は嬉しそうだった。
正直、ジェットの性格に銀星は合っていないのではないだろうかと思ってしまう。
ジーニスの荷物を銀星にくくりつけ終わると、俺達はジェーン・アンダーソン村のアーチをくぐり、惑わしの森に向けて出発した。
外はまだ完全に日が出る前なので、幾分か涼しかった。
体力の少ない秋留とジーニスは銀星に乗り、俺とカリューとジェットは歩いていた。
銀星の野郎は女性二人を乗せて上機嫌で、足も速くなっている。
「おい! 銀星! もう少しペース落とせよ!」
俺は銀星に向かって言ったが、奴は有頂天になっていて全然聞こえていないようだった。正に馬の耳に念仏だ。
太陽が真上に来る前には、惑わしの森が遠くに見え始めていた。
照りつけられた草原から熱気が立ち上り惑わしの森の外観を覆っていたが、森自体の威圧感は離れていても感じる事が出来る。
「で、これからどうするんだ? 前みたいに全速力で森を駆け抜けるのだけは勘弁だぞ?」
俺は銀星に乗って、爪を弄っている秋留に聞いた。隣ではカリューも同意、という風にうなずいている。お互い全力疾走は、もうコリゴリだった。
「私がホーク・アイを唱えてデールのいる館の場所を探し出して、後はそこに向かってひたすらダッシュよ」
ホーク・アイは召喚魔法で、唱えるとその者の眼に上空からの映像が見えるようになるらしい。
しかし秋留の作戦だと、結局はまた走るという事になる。俺はそれだけでやる気が無くなってしまう。
「館までの最短ルートを探して、なるべく森の中を走る距離を短くするから」
俺とカリューの不満気な顔を見て秋留がつけ加えたが、結局は走る事には変わりないようだ。
「後は、幻想術で私達の姿が見えないようにする。どれくらい相手を騙せるか分らないけど、やってみる価値はあるよ」
「な、なぁ、走らないと駄目なのか?」
俺は懇願するように秋留に聞いた。
「う〜ん、デールに存在がバレる前に館に着きたいんだけど……」
全員が何か良い方法はないかと考えていた沈黙の時間を破ったのは、ジェットだった。
「ワシが囮になりますぞ。幻想術も何もかかっていない状態で森に入って暴れますから、その間に皆様方は館に近づくという事でどうですかな?」
確かにその方法だと先程の作戦よりは、何倍も確実な気はする。
「そ、そんな! ジェット様が囮なんて!」
今まで黙って聞いていたジーニスは、ジェットの意見には賛成出来ないようだった。
もしかすると、ジーニスも「冒険者オタク」なのかもしれない。しかも、ジェットのような老兵がタイプなのか?
「ジーニス殿、安心して下され。ワシは死人だから、何があっても死ぬ事はないんじゃ」
「で、でも……」
ジーニスは悩んでいるようだったが、結局納得したらしく、銀星の背中から降りた。
秋留もジーニスの意図を察し、銀星の背中から地面に華麗に着地した。
「じゃあ、ジェット、銀星に乗って存分に暴れてね。私達が館についたら合図を送るから、受け取ったらジェットも館に来るようにして?」
秋留の説明を聞いて、ジェットは銀星に飛び乗った。
「それでは皆様方、無事を祈ってますぞ。何かあった時も合図を送って下されば、即行で駆けつけます。間に合わない場合は、ワシの仲間入りですな。ふぉっふぉっふぉ」
笑えない冗談を言ってから、ジェットと銀星は惑わしの森に向かって消えていった。
「さ〜って、いつまでもジェットに囮になってもらう訳にもいかないし、急がないと囮だとバレる可能性があるからこっちも早速始めるよ」
ロッドを構えつつ秋留は言った。
「天空の覇者ホルスよ、その眼力で万物を捉えよ……」
秋留は眼を瞑って詠唱している。
「ホーク・アイ!」
呪文と同時に秋留は空に顔を向け眼を開いた。その眼は鷹の眼のように鋭くなっているような感じを受ける。
暫く秋留は眼を開けながら空中を眺めていたが、突然、俺達の方へ向き直った。
その時には、いつもの可愛らしい秋留の眼に戻っていた。
「ここから少し東に進んでから森に入ろう。そのルートが館までの距離が一番近い。多分一時間程歩けば、館に到着するはずだよ」
秋留の言った朗報に俺は胸を撫で下ろした。一時間くらいなら、万が一全力疾走する事になっても楽勝で走りきる事が出来るだろう。
早速俺達は東へ二十分程歩き、森の入り口までやってきた。
「じゃあ、次の段階だね。全員に幻想術をかけるよ」
そう言うと、秋留は大きく円を描くように腕全体を動かしながら、呪文を詠唱し始めた。
魔法と違い、幻想術は大きな声を発して呪文の詠唱をする訳ではないため、盗賊の俺の耳にも秋留が何を言っているのか聞き取る事は出来なかった。
「静寂の蜃気楼!」
その言葉と共に俺達の周りにうっすらともやがかかったように見えた。
「これで相手は私達の姿が見え難くなったはずだよ」
秋留が言ったその言葉を待っていたかのように、カリューが言った。
「よし! 惑わしの森、再突入だ」
太陽の位置からすると、昼を少し過ぎたところだろうか。
森の中は以前と同様に静まり返っていたが、獣の気配は感じる事が出来る。
「いる、いる……。そこら中を獣が徘徊しているぞ。俺が安全なルートを探して先頭を歩くから、皆は俺の後をついてきてくれ」
俺は全員に注意を促した後、ネカー&ネマーをホルスターから取り出して構え、先頭に立って辺りを見渡した。
「どうやら今のところはデールに気付かれていないようだね。ブレイブの五感が生きているって事は、悪意の霧は使われていないみたいだし」
俺の後ろにピッタリくっついている秋留が言った。今の俺達の陣形は先頭が俺で、その後ろが秋留、ジーニス、パーティの後ろをカリューが守っている。
暫く進んでいると、遠くの方で獣の叫び声が聞こえ始めた。
もっとも、盗賊である俺の耳には聞こえているが、他のメンバーには何も聞こえていないはずだ。
「どうやら、ジェットが戦闘を始めたみたいだ。辺りのモンスターが西に集まって行っている」
「ジェットはうまく囮をやっているようだね。今のうちにドンドン進んじゃおう」
もしかしたら、秋留はジェットが囮を志願する事を分っていたのではないだろうか?
そう思うのは、初めに話した作戦が秋留らしくなかったからだ。問題点が多すぎた。
しかしジェットが囮を志願した事により、この作戦は大成功間違い無しと思えるようになった。
暫くの間は、辺りを見渡しながら森の中を問題なく進んで行った。所々にトラップが仕掛けられていたが、俺の腕にかかれば発見する事は造作も無い事だ。
トラップを解除しつつ進んでいたため、二時間近くかかってしまったが、どうやら目の前に見えてきたのが、目的の館らしい。
町の図書館位の大きさで、館の周りには高くて大きい柵がつけられていた。館自体は赤い屋根で壁はレンガで出来ていたが、その全体には茨が巻きついている。
その時、目の前に突然、六亡星の魔法陣が現れた。
「感付かれた!」
秋留が叫んだと同時に、目の前の魔法陣から凶暴な猿のモンスター、エイプスが現れた。
エイプスは皮の鎧と棍棒と盾を装備している。
不意をつかれた俺は目の前のモンスターに攻撃する事が出来なかったが、後方で構えていたカリューの攻撃でエイプスの頭が空中を飛んだ。
自分の頭が吹っ飛んでしまった事に身体が反応していないのか、エイプスの胴体は暫くその場に立ち尽くしていたが、やがて地面に倒れた。
「マジック・トラップだよ。デールがただの魔術師だと思って甘く見てたね」
秋留が言った。
マジック・トラップとは読んで字の如く魔法の罠だ。
魔法の罠は、ある程度魔力のある者にしか発見する事が出来ないため、俺は気付かずに魔法陣を踏んでしまったようだ。
しかし、マジック・トラップはその辺にいる魔術師には到底仕掛ける事が出来ないような高度な技のはずだ。デールは思っていたよりもかなりの強敵なのかもしれない。
「館まで走るぞ!」
カリューの叫び声を合図に俺達は走り始めたが、俺の耳は続々と館へ集結してくるモンスターの足音を聞き取っていた。
森中のモンスターが集結しようとしているだけで頭を抱えたくなる程の緊急事態だが、館の目の前まで走った俺達が目にしたのは、門の前で待ち構えている大型の一つ目モンスター、キングサイクロプスと中型のドラゴンであるグリーンドラゴンだった。
キングサイクロプスは、巨大な一つ眼で俺達の姿を睨みつけている。
三メートルはある黄金色の身体の大きさに負けない程の鉄のハンマーを構え、今にも襲って来そうだ。一方、グリーンドラゴンは、ドラゴンの中でも中型だが全長は十メートル程もある。身体は緑色の硬そうなウロコで覆われ、長い尻尾を振っている。
「やるしかないな! 援護を頼むぞ! 秋留! ブレイブ!」
カリューはそう言うと、グリーンドラゴンに向かって魔剣ケルベラーを構えつつ走り出した。
俺はネカー&ネマーのトリガーを引き、今にもカリューに向かってハンマーを振り下ろしそうなキングサイクロプスの目玉を狙って硬貨の弾を発射した。
サイクロプス系モンスターの弱点はその大きな目玉だからだ。
しかし、硬貨の弾がキングサイクロプスの眼に当たる寸前に、空からフライ・アイが降りてきて、キングサイクロプスの盾となった。
硬貨はフライ・アイの身体を吹っ飛ばしたが、キングサイクロプスへのダメージはない。
「デールの野郎がモンスターを操ってるな!」
俺は悪態をついて、ネカー&ネマーのトリガーを連続で引いた。
キングサイクロプスは右手に持っている鉄のハンマーを振り回して、迫り来る硬貨の弾丸を弾き飛ばしたが、何発かは奴の腕に命中した。
しかしそれでもキングサイクロプスは怯む事なく、その傷ついた右手で持ったハンマーでカリューを攻撃しようとする。
俺は慎重に奴の腕目掛けてトリガーを一回引き、少しの時間を置いてから、奴の眼に向かって再度トリガーを引いた。
キングサイクロプスは俺の予想通り、腕を上げて一発目の硬貨の弾丸を避けたが、その体勢からでは眼に向かって迫り来る弾丸をハンマーを使って防ぐ事は出来ない。
肉を抉る気持ち悪い音と共に、二発目の弾丸は見事にキングサイクロプスの弱点である目玉を破壊した。
キングサイクロプスは館の柵に寄りかかるように倒れた。
「ちゃんと操ってやらないと、次々と大事なモンスターが死んじまうぞ!」
俺は館の中にいるであろうデールに聞こえるように、大声で罵った。
その時、俺達の周りの空気が、門を守っているグリーンドラゴンの口に吸い込まれていくのを感じた。
その足元では、長い尻尾の攻撃を華麗にかわしつつ、カリューがドラゴンの身体に剣を突き刺している。
カリューの剣により傷つけられていたグリーンドラゴンの口が、大きく膨らみ出した。どうやら炎を吐く準備をしているらしい。空気を吸い込んでいたのはそのためか。
隣を見ると、秋留が魔法の詠唱をしていた。
「女王シヴァの口つけは全てを凍らし、その抱擁は全ての自由を奪う……、アイスバインド!」
秋留の言葉と共に、ロッドの先から氷の結晶を大きくしたような塊がドラゴンの顔目掛けて勢い良く飛んで行った。
正にグリーンドラゴンが炎を吐こうとした瞬間、秋留の放った魔法がドラゴンの口元に命中し、顔のほとんどを凍らせてしまった。
その一瞬の隙を見逃さずに、上を向いたまま凍ったドラゴンの首を、カリューは剣で切り裂いた。
ドラゴンは首筋から血の雨を降らしながら、口元が凍っているため断末魔の叫び声を上げる事もなくキングサイクロプスの隣に倒れた。
「館の周りにモンスターが集結しつつあるぞ!」
俺の叫びにカリューは剣についたモンスターの血を払いながら言った。
「館に入るぞ!」
そう言うと目の前に倒れている巨大なモンスター二匹を飛び越え、館の柵の前面にある扉に手を掛けた。
「ぐあああああああ!」
柵に左手を掛けたカリューが叫び声を上げた。その身体からは、金色の稲妻が走っている。
戦闘の間中、傍で震えていたジーニスを含めた俺達三人は、カリューの元に駆け寄った。
カリューは扉から手を離し、全身から煙を出しながら地面に片膝をついた。
「これは物理的な電撃のバリアみたいだな。館全体を覆っているぞ。大丈夫か? カリュー?」
俺は柵を調べながら言った。館を覆う柵ごとドーム型の電撃のバリアに守られているようだ。
「我が神、ガイアよ、この者に癒しの力を……」
気付くとジーニスが、身体中から煙を出しているカリューの腕に触れて呪文を唱えていた。
「癒合の雫!」
ジーニスが呪文を唱え終えたと同時に、カリューの身体が黄色の暖かい光に包まれた。
みるみる内に、身体から出ていた煙も消え、電撃により受けた火傷の傷も治っていく。
「あ、ありがとう、ジーニスさん。しかし、この結界はどうすればいいのか……」
立ち上がったカリューが言った。
結界をどうこうする以前に、既に俺達はモンスターに取り囲まれていた。
俺達は、前面を覆っているモンスターの群れと後方のバリアの壁に挟まれてしまった。
しかし、モンスターの群れは一向に俺達に襲ってこようとはしない。
「ようこそいらっしゃいました。我が館へ……」
突然後で、男が裏声を出しているような気持ち悪い高い声が聞こえてきた。
緑色の長い髪の毛と真っ黒の不気味なローブが風に揺れ、細い顔にある眼は真っ赤だ。
写真で一度見て覚えている。館から出てきたのは魔族のデールだ。
「館の中から拝見していたところ、暗黒剣士のケルベロスさんが見えたので、こうして直々に外に出てきました」
デールは武亮の行き先だけではなく、暗黒剣士ケルベロス自体を知っているらしい。
しかし、どこを見て暗黒剣士ケルベロスと言っているのだろう?
魔剣ケルベラーを持っているカリューを、暗黒剣士ケルベロスと勘違いしているのだろうか?
「お前、デールと言う魔族だな? 暗黒剣士ケルベロスって誰の事だよ? この魔剣ケルベラーって一体何なんだ?」
カリューは言った。カリューの言葉を聞いて、デールは驚いたようだ。
「き、貴様、まだ人間としての心が残ったままなのか? どうりで普通の人間と一緒に行動している筈だ!」
人間の心?
俺の頭の中に魔剣ケルベラーに関する最悪のシナリオが浮かんだ。
呪われた魔剣ケルベラーを装備し続けると人間の心を失い、暗黒剣士ケルベロスとして生まれ変わってしまうのではないだろうか。
「てめぇ、そこから出やがれぇ!」
カリューはバリアの中にいるデールに向かって言った。
「ふふ、まあいい。まだ人間の心を残しているというなら、この俺がその邪魔な心を排除して立派な暗黒剣士ケルベロスにしてやろう。おまけの人間共には、俺の手足となっているモンスターで相手をしてやろう……」
そう言うとデールは右手に持っていた髑髏の飾りがついた杖で地面をポン、と一回突いた。
それが合図となったのか、俺達の周りで様子を窺っていたモンスターが一斉に襲い掛かってきた。
「ジェットにはさっき合図を送ったよ。ジェットが来るまでは、この場でなんとかしのぐよ!」
そう言って、秋留はロッドを構えて、モソモソと呪文の詠唱を始めた。
俺はネカーとネマーのトリガーを引いて、近づいてくるモンスターの眉間を狙って、打ち続けた。
俺はネカーとネマーでモンスターを確実に倒しながら、デールを観察した。
どうやら、デールは沢山のモンスターを同時に細かく動かす事は出来ないようだ。しかし、これだけ数がいれば関係ないような気もする。
カリューも前へ出てケルベラーでモンスターを薙ぎ払っている。
「幻惑の霧!」
秋留は敵モンスターを混乱させる幻想術の幻惑の霧を唱えた。辺りに紫色の霧がかかる。
途端にモンスター達は同士討ちを始めたが、レベルの高いモンスターの何匹かは、尚も俺達へ攻撃を仕掛けてきた。俺は、数が少なくなり狙い安くなったモンスターを一匹ずつ倒していく。
「幻想士がいたか……。どうりで、館に近づくまで気付かなかった筈だ。しかし、その悪あがきもそこまでだ!」
デールはいつの間にか呪文の詠唱を終えていたようで、奴の身体の周りからは異様な妖気が出ている。
「ダーク・ピラー!」
デールは魔法を唱えた。今までに聞いた事のない魔法だ。
デールが魔法を唱えたと同時に、前線で戦っていたカリューの足元に六亡星が現れた。
「危ない!」
咄嗟に六亡星からカリューを突き飛ばしたのはジーニスだった。
ジーニスはカリューの代わりに六亡星の上へ倒れ、それと同時に、六亡星から黒い光の柱が上がった。その黒い光は天高くまで舞い上がる。
「ジ、ジーニスゥゥ!」
カリューは叫んだ。
辺りは、黒い柱の威力により風が吹き荒れている。
俺達が倒した何匹かのモンスターが、竜巻のような柱に吸い込まれていった。
暫くすると、直径十メートル程あった黒い光の柱は、少しずつ小さくなり、やがて消えた。
光の柱があった地面は大きく抉れ、その中心に、半分土砂に埋まっている人の姿がある。
「ジ、ジーニス……」
カリューは半分虚ろな眼をして、土砂を下り始めた。
その無気力な姿に俺も秋留も言葉を発する事が出来ないでいた。
後ろで様子を窺っているデールは、その光景を見て、薄ら笑いを浮かべている。
こんなバリアなどなければ、奴の身体中に、ありったけの硬貨をブチ込んでやるのに……。
怒りに身体を震わせ、カリューの行動を見ていると、土砂に埋まった身体が突然何事も無かったかのように起き上がった。
これには、その場にいる誰もが驚いた。
バリアの向こう側で様子を窺っていたデールも、口を半分開けた状態で固まったようだ。
土砂の中から姿を現したのは、ジーニスを抱いたジェットだった。
「なんとか間に合ったみたいじゃな」
ジェットは地面が抉れて出来た穴から這い上がり、ジーニスを近くの木に寄りかからせた。
木の傍には、銀星もいる。
ジーニスの身体の土や埃を払いつつ、ジェットが口を開いた。
「黒魔術ダーク・ピラーは、丁度セイント・インディグネーションと反対の性質を持っている魔法で、聖なる心を持つ者にのみ、絶大なダメージを与えるんじゃ」
ジェットがデールを睨みつけながら言った。
「そ、そんな事は知っている! 貴様はなぜ無事なのだ!」
デールはそう言うと、杖を振った。
それと同時に空中で待機していたドリルのようなくちばしを持った鳥、ピッガーがジェット目掛けて急降下してきた。
鈍い音と共に、ジェットの背中にモンスターの鋭い嘴が突き刺さった。
小さく呻き声を上げたジェットだったが、倒れる事なくそのままデールを睨みつける。
「ワシは死人なんじゃ。聖なる心など持っとらん……」
そう言うと、ジェットは背中に突き刺さったモンスターを引き抜き、地面に叩きつけた。
そのまま腰につけた鞘からマジックレイピアを引き抜くと、地面のモンスターに突き刺した。
普段の紳士的なジェットでは、考えられないような行動だ。
その眼は獣のように険しい。ジェットは怒っているようだ。
「ジーニス殿は、ワシを信じて安心してこの旅に参加してくれた……。ジーニス殿はワシが守ると約束したんじゃあ!」
ジェットの迫力にデールは顔が引きつっている。
ジェットは今にもデールに向かって飛びかかりそうな勢いだったが、まだ冷静さは無くしてはいないようだ。
辺りはモンスターの屍だらけだが、デールのいる館の周りだけ、屍が転がっていない事を確認し、今はデールには近づけないと判断したらしい。さすが、戦いの年期が違うといったところか。
ジェットの肩に手を置き、落ち着かせるように秋留が言った。
「危うくジーニスを殺されるところだったね。きちんと仕返しはしないと……」
秋留は電撃のバリアの向こう側のデールを睨みつけて言った。
「岩山の巨人ジャイアントロックよ、我の前にその力を示せ! ジャイアント・フット!」
デールがバリアの向こう側から魔法を唱える事が出来たという事は、あの電撃のバリアは物理的なものしか弾き返す力がない。秋留もその事を理解したのか、召喚魔法を唱えた。
デールは何が起こるか分らず辺りを見渡していたが、奴の上空の空間が歪み出したのに俺は気付いた。
空間からは、巨大な岩で出来た足が出てきたかと思うと、轟音と共に大地を踏み砕いた。
しかしデールは寸前のところで空中にジャンプして、巨人の足を避けている。
「岩山の巨人ジャイアントロックよ、我の前にその力を示せ! ジャイアント・アーム!」
秋留は連続で召喚魔法を唱えた。すると、空中で身動きの取れないデールの目の前の空間が歪み、そこから巨大な岩で出来た腕が飛び出してきた。
空中のデールは避ける事が出来ずに、巨人の腕の攻撃をまともにくらった。
骨が砕けたような鈍い音と共にデールの身体が吹き飛び、電撃のバリアを突き破って外に飛び出した。
巨人の腕の攻撃の威力は高く、百メートル程吹き飛んだデールの身体は、近くの大きめの岩に叩きつけられた。
デールは岩の前に倒れ込んだ。それと同時に今まで襲ってきていたモンスターの群れも動かなくなった。デールが意識を失ったためだろう。
「ど、どうなったんだ?」
俺は言った。
俺がデールの様子を見ようとして近づいた時、館の二階の窓が突然割れ、倒れて動かないデールの前にモンスターが舞い降りてきた。その跳躍力は先程デールが吹き飛ばされた距離をゆうに越えるほどだ。
目の前に現れたモンスターは全身真っ黒な毛で覆われ、身体の作りや大きさは狼のようだったが、唯一違う点は、首と頭が二つある事だ。
その二つ首のモンスターは、地面への着地と同時に、デールに近づいていた俺へ攻撃を仕掛けてきた。
俺は奴の前足の攻撃を上体を反らして寸前でかわし、後方へ飛んだ。
しかし、俺の上着がモンスターの鋭い爪で切り裂かれた。
「こ、この不気味なモンスターは何だ?」
カリューが剣を構えながら言った。ジーニスが攻撃された事については、とりあえず落ち着いたようだ。
「良い子だ、武亮……」
二つ首を持ったモンスターの影に隠れていたデールが立ち上がって言った。
やはりまだ生きていたようだが、口からは紫色の血を流している。
「ねぇ? あいつ、あのモンスターの事を武亮って呼ばなかった?」
木に寄りかかっているジーニスの回復をしながら、秋留が言った。
「ほう? 武亮を知っているのか?」
俺達の知っている武亮は人間だったはずだが、目の前にいる武亮は明らかに人間ではなくモンスターだ。
「ど、どういう事だ?」
俺は言った。
「暗黒剣士ケルベロスは、主である魔剣ケルベラーに捨てられた時、暗黒の力が作用してその姿がモンスター、つまり魔獣ケルベロスとなるのだ」
つまり、武亮は魔獣に変化してしまったという事だ。
恐らく、ジェーン・アンダーソン村を武亮が離れた原因は、自分の身体が魔獣になり始めたためだろう。
「そこの青い髪の剣士も、いずれこうなる運命だな、はっはっは!」
デールの言葉を聞いたカリューは、俺の隣を通り過ぎ飛び出していった。
「うおおおおお」
剣を振り上げデールに向かって行ったカリューだったが、俺の時と同様に、モンスターとなってしまった武亮が立ちはだかった。
武亮は並のモンスターでは比べ物にならない程の速さで、カリューに飛びかかった。
その速さに対応しきれなかったカリューは、武亮の前足の鋭い爪で左腕に傷を負った。
「ちくしょう! カリュー! 落ち着けぇ!」
俺は武亮の眼を目掛けて、右手のネマーのトリガーを引いた。
しかし、またしても空から降ってきたフライ・アイが盾になり、命中はしなかった。
「そんなに暇なら、俺の手足となるモンスターで再び遊んでやろう!」
デールの言葉をきっかけに今まで沈黙していたモンスターが一斉に動き出した。
モンスターが再び動き出したと同時に、ジェットは気を失っているジーニスの元へ駆けつけ、迫り来るモンスターを捌き始めた。
その動きは、二度とジーニスを危険な目には合わせないという意思が感じられる。
一方、俺の前方では、武亮とカリューが対峙している。
武亮は二つある頭でカリューを噛み砕こうとしたが、それをカリューは寸前で避けた。そのままカリューは武亮の脇を抜け、デールの前に出た。
しかし横から飛び出してきたワイルド・ウルフが飛びつき、カリューは押し倒された。
「ブレイブ! ぼけっとしてるんじゃないよ!」
秋留に怒鳴られて、俺は我に返った。
目の前に迫ってきていたモンスターにネカーとネマーの弾丸を打ち込んで、吹っ飛ばす。
少し離れた所では秋留がコロナバーニングを唱え、迫り来るモンスターをドロドロに溶かしていた。秋留は既に肩で息をしているようだ。連続で巨大な魔法を唱えているためだろう。
素早い手の動きで、ネカーとネマーに硬貨を補充して、俺は飛び掛ってくるモンスターを次々に倒していく。勿論、秋留の元へ襲い掛かろうとする敵を一緒に撃退する。
このまま戦い続けても状況は悪化するばかりだ。
俺の銭袋も残りが少なくなってきている。
この戦闘に終わりを告げるには、デールをなんとかしなくてはならない。
俺はモンスターを一匹ずつ確実に仕留めながら、少しずつデールとの間合いを詰めていった。
そして、尚も武亮と戦っているカリューの隣までやってきた。
「ブレイブ、俺の援護はいいから、デールの野郎をぶっ殺してくれ! あいつを倒さないと何も変わらないぞ!」
カリューは武亮と対峙したまま言った。どうやらカリューは冷静さを取り戻したようだ。
俺は言われるまでもなくデールを始末するつもりだったが、カリューの隣まで危険な思いをして来たのは、アドバイスを聞くためではない。
「……(ヒュヒュヒュン)」
俺はカリューの懐から銭袋を拝借した。今回は、すぐに返すつもりはない。
デールを仕留めるために協力してくれ、と俺は心の中でカリューに言った。
俺はネカー&ネマーに硬貨をセットして、襲いくる敵を次々と倒しながら、更にデールに近づいた。
デールは俺が接近して来たのに気付いたようだ。
「あはははは。お前一人で何が出来る? 俺の魔法の餌食にしてく……」
俺は奴の言葉を最後まで聞かずに、止めを刺すため更にデールに近づいた。
突然、俺の足元に、六亡星が現れた。
「ちっ、またマジック・トラップか!」
俺は後方に転がり、六亡星から現れた鬼獣の攻撃を避けた。
鬼獣は頭に二本の角を持った人型のモンスターだ。右手には刀を装備している。
俺は落ち着いて鬼獣の心臓に硬貨をぶっ放した。
それで油断してしまった俺は、鬼獣からの予期しない攻撃をまともにくらってしまった。
硬貨をくらい、前傾姿勢になった鬼獣がそのまま頭突きを食らわしてきたのだ。
二本の角が俺の脇腹に食い込み、俺はその衝撃で後方に吹き飛ばされた。
なんとか体勢は維持し地面に倒れ込まずに済んだが、右脇腹から血が流れてきている。
鬼獣は心臓に致命傷の傷を負いながらも、俺に向かって突進してきた。
「はっはっは、エビルスピリットで強化したモンスターの威力はどうだい?」
どうやら、デールが魔術でモンスターを強化していたらしい。
エビルスピリットがどういう魔術かは知らないが、目の前の鬼獣の変わり様を見れば、効果は嫌でも分かる。
俺は右手で脇腹の傷を押さえながら、左手に持ったネカーで鬼獣の眉間を打ち抜いた。それでも怯まない鬼獣の両足も硬貨で吹き飛ばす。
鬼獣は地面に倒れ込み、暫くしてから動かなくなった。
「どうした? 鬼獣の攻撃で動けなくなったのか?」
俺は肩膝をついたまま、その場を動かなかった。その姿を確認して安心したのか、デールが俺の方へ歩いてきた。
「お前、職業は何だ? その防御力の低さだと、盗賊か何かか?」
デールはそう言いながら近づいてきている。確かに戦士系の職業ではない俺や秋留の防御力は極端に低い。
「盗賊は盗賊らしく、泥棒でもしていれば良い」
俺はデールが油断した瞬間、右手の手袋に仕込んだ煙玉をデールの足元目掛けて投げつけた。
「ぬぉっ」
突然の出来事にデールは声を上げた。
俺が煙玉を投げつけた動作は速すぎてデールには見えていないからだ。
俺は立ち上がると、右手のネマーのトリガを引いて、デールを攻撃した。
しかし、硬貨はデールの身体に到達する前に弾かれてしまった。
「はっはっは、やはりそんな事だろうと思ったぞ。あらかじめ対物理攻撃のシールドを張っていて正解だったな」
デールは得意気に言っているが、マジック・トラップや、モンスターを操れる程の技量を持った奴が、何の対策もせずに俺に近づいてくる訳はないと予想していた。
俺は煙の中で高笑いしているデールの頭上目掛けて、ダークスーツの内ポケットに隠し持っていた、液体の入ったビンを投げつけた。
そして丁度デールの真上にビンが来た時に、俺はネマーのトリガを引いて、ビンを割る。
デールの身体にビンの中の液体が降り注いだ。
「うわっ、なんだこの液体は!」
煙の中でデールは悪態をついているが、もう遅い。俺の仕事は終わった。
俺を侮辱した事を後悔させてやる。
暫くして、煙が晴れ、怒りに顔を強張らせているデールが現れた。
「卑怯な手を使いおって! 俺の魔法で灰にしてやるぞ!」
デールは右手に持った髑髏の杖を天にかざしながら呪文を唱えた。
「ダーク・ピラー!」
デールは先程の黒い柱の魔法を唱えたが何も起きなかった。俺の作戦は成功したようだ。
「ま、魔法が出ない? どういう事だ?」
「ジ・エンドだな」
俺は決め台詞を言うと、ネカーとネマーをデールに向けて構えた。
しかし止めを刺そうとした瞬間、俺の後方でカリューの叫び声が聞こえ、カリューの大柄な身体が吹っ飛んだ。
カリューを払いのけた武亮はデールを守るように再び立ちはだかった。
顔に似合わず、本当に主人想いの良い奴だが、いい加減しつこい。
だが、その主人想いの武亮は突然、後ろで胸を撫で下ろしているデールの方へ振り返ると、モンスター独特の雄叫びを上げ、左の頭でデールの脇腹に、右の頭でデールの左肩に喰らいついた。
「ぐああああ! な、何をする!」
武亮の喰らいついている脇腹と左肩には牙が深く突き刺さり、紫色の血が吹き出ている。
周りを見渡すと、今まで一つの巨大なモンスターのように俺達を包囲して攻撃して来ていたモンスターの群れが、呪縛から解き放たれたかのように、静かにデールの最期を見守っていた。
疲労によりその場に座り込んでいある秋留と、モンスターの返り血を浴びてボロボロとなったジェットが俺の隣まで来た。
秋留が戦闘中に守り抜いたインスペクターをデールの方へ向ける。
先程、武亮に吹き飛ばされたカリューも木に手をついて、俺達の方を見ている。
気を失ったジーニスは尚も木に寄りかかり休んでいた。そのすぐ近くには銀星が立っている。戦闘中はジェットと共にジーニスを守っていたようだ。
改めて周りを見渡すと、館の周辺一帯の地面がモンスターの血で赤く染まっていた。地面には今までデールに操られていた数多くのモンスターの屍も転がっている。
「どうやら、ブレイブが使った禁呪の雫の効果は、デールのモンスターを操る事の出来る魔力まで封印してしまったみたいだね」
秋留が言った。
俺がデールに投げつけた瓶に入れていた水は禁呪の雫と言って、その水を浴びた者は暫く魔法を唱える事が出来なくなると言う代物だ。
ただ、禁呪の雫は一つ十万カリムもする高級品のため、デールを倒した時の報奨金がなければ、まず使う事は考えなかった。
そのデールは右手に持った髑髏の杖を思いっきり武亮の背中に突き立てた。
武亮は獣の呻き声を上げ、デールから離れた。
デールは武亮に左腕を食いちぎられていた。その傷口からは、おびただしいほどの血が流れ出ている。
「な、なぜだ……、何が起きた?」
デールは今にも気を失いそうな声を発している。
「手足に使っていたモンスターが多すぎたようだな。手と足は二本ずつあれば十分だぜ?」
俺はデールに言った。
「ふ、ふざけるなぁ!」
デールは口から血を吐きながら怒鳴ったが、それと同時に空中で旋回していたピッガーの群れがデール目掛けて急降下してきた。
俺達の目の前で、デールはピッガー達の鋭いくちばしで串刺しにされた。
最早、デールは声を発する事も出来なくなったようだ。その不気味な眼だけが、俺を恨むように睨んでいる。
やがて、デールの身体からサラサラと灰が舞い始めた。
魔族はその命が尽きると、灰となって消え去ってしまうのだ。半分食われてしまったデールも例外ではない。
デールの身体が灰となって完全に消え去ると、今まで周りにいたモンスターがポツポツと姿を消し始めた。
デールの魔の手から解放してくれた俺達に攻撃してくる気配はなかった。自由を手にしたモンスター達は、どこへ向かうのだろうか。
モンスターを見逃すのは良い事ではないが、今は放っておく事にする。下手に手を出して一斉に襲い掛かってきたら、今度こそ全滅してしまうかもしれない。
今までデールの手足となって来たモンスター達へ、暫しの自由を与えたのだ。願わくば、人里離れた森などで静かに暮らして欲しいものだ。
ただし、次に俺達冒険者と会った時は、死を覚悟しなければならない。
特に、あそこで自由を手にしてこの場を去ろうとしている美味い後ろ足を持つワイルド・ウルフ。お前はいつか俺が狩ってやる……。
周りのモンスターはほとんどいなくなったが、俺達の目の前には以前として、魔獣ケルベロスになってしまった武亮が背中を向けたまま佇んでいる。
「魔剣ケルベラーを出せ……」
獣が話しているような恐ろしく低い声が聞こえてきた。
すると目の前の武亮が振り返ってカリューに向かって言った。
「魔剣ケルベラーを出すんだ」
話しているのは武亮だった。二つの頭で同時に喋っている。
「は、話せるのか?」
カリューは驚いて言ったが、驚いたのは全員同じだ。
「魔剣ケルベラーは生きている。ケルベラーの息の根を止めれば呪いから解放される」
そこまで話して武亮が血を吐いた。先程のデールの攻撃の影響というよりは今まで生きてきた負担が身体に一気にのしかかってきたような苦しみ方だ。
「ケルベラーは鍛冶屋の元で治療されていたはずなんだ……。今なら、覚醒し切っていない今なら呪いから解放出来るはずだ……」
それで魔剣ケルベラーがサイバーのところにあったのか。
「ほ、本当か?」
カリューは言った。
「早くケルベラーを差し出せ!」
鬼気迫る武亮の迫力にカリューは黙って魔剣ケルベラーを前に差し出した。
武亮はその大きな口を広げ、力の限り、魔剣に噛みついた。
ガキンッという金属音と共に火花が散る。武亮はそのまま魔剣に喰らいついたまま力を込めている。
全員が武亮とその剣を見守っていた。俺の手にも自然と力が入る。
暫くすると、魔剣ケルベラーからヒビの入ったような音が聞こえた。
俺達の顔に一瞬笑顔が浮かんだが、突然、今までにもあったように、カリューの身体を闇が包んだ。
「ちっ! またかよ?」
俺は後方に飛んで再びホルスターからネカー&ネマーと取り出して構えた。
「最期の悪あがきか……」
同じく後方に飛んで間合いを取った武亮が二つの口で言った。
秋留とジェットも戦闘態勢に入っている。
カリューを包んだ闇の中から、全身の肌が黒くなってしまったカリューが剣を構えて飛び出してきた。
「抜け殻は引っ込んでろー!」
カリューの口から出た言葉は、カリューの声ではなく、威圧感のある禍々しい声だった。
魔剣ケルベラーは以前の宿主だった武亮目掛けて剣を振り下ろしたが、素早さのある武亮はその攻撃を避け、カリューの後に回った。
武亮は後ろから魔剣ケルベラーを持つカリューの右手に喰らいついた。
暴走してしまったカリューは怯む事なく、その左手に装備しているオリハルコンの盾で右手に噛みついている武亮の頭を殴り始めた。
しかし武亮はその攻撃に耐えながら、尚もカリューの右手に喰らいついたままだ。
「今のうちになんとかするぞ!」
俺は叫び、ネカーとネマーの照準を魔剣ケルベラーに合わせた。
「ブレイブ、それじゃあ駄目だよ。この前のJ・A支部長室の時と同じように、魔剣ケルベラーごとカリューの身体を吹き飛ばすだけだよ」
秋留が俺の隣に来て言った。
「じゃあ、どうすれば魔剣ケルベラーを破壊出来るんだ?」
「ジェット」
秋留は後方で見守っていたジェットを呼んだ。
「悪いんだけど、神聖魔法をあの剣自体に唱える事、出来ないかな?」
秋留に聞かれ、ジェットは答えた。
「秋留殿の頼みなら断る事なんて出来ませんな。それにワシやブレイブ殿の攻撃や秋留殿の魔法では、あの剣を破壊する事は無理じゃろう」
ジェットは右手に持ったマジックレイピアを腰の鞘に収め、両手を魔剣ケルベラーの方に向けて、呪文を唱えた。
「浄化の光!」
以前、カリューの剣の呪いを解くためにジーニスが唱えた解呪の呪文を、ジェットは魔剣ケルベラー自体に唱えた。
ジェットの身体から青白い煙が上がり顔には苦痛を浮かべていたが、魔法の効果は見事、ケルベラー自体を襲った。
「ぐ、ぐああああああ」
カリューの口から悪魔のような叫び声が聞こえてきたかと思うと、カリューは喰らいついたままの武亮ごと右手に力を込めて振り回した。
地面に爪を立てて踏ん張っていた武亮だったが、その突然の力に負け、魔法を唱えていたジェットに叩きつけられた。
無防備だったジェットは後方に飛ばされ、武亮もカリューの腕から牙が外れ、後方に弾き飛ばされた。
無理矢理、右腕に喰らいついた武亮を振り回したため、カリューの右腕は血だらけとなっている。
「血、血が足りない! か、渇く! 渇くぞおおおおお!」
カリューは叫び、辺りを見渡して、ジーニスに狙いを定めた。
カリューは地を蹴って、ジーニスに襲い掛かる。
秋留が隣で魔法を唱え始めたが、カリューの素早さには追いつかないだろう。
俺もカリュー目掛けてネカー&ネマーを構えたが、どこを狙えば良いか分からない。
ジーニスを守っていた銀星がカリューの前に立ちはだかったが、魔剣ケルベラーの横一線の攻撃で首が吹き飛んだ。銀星の頭が木の根元に転がり、銀星の身体はその場に倒れた。
死馬の銀星は首が吹き飛んだ状態でも、首と胴体をつなげてやればジェットと同様に白いミミズのような物が動き出し、あっという間に首と胴体がつながってしまうので問題ないが、今は気を失っているジーニスが危険だ。
俺は意を決して、カリューの右足目掛けてネカーのトリガを引いた。
カリュー、少し痛いけど勘弁してくれ。
見事に硬貨がカリューの右足につけているアーマーに命中したが、怯む事なく、そのままジーニスに向かって突進し続けている。
しかし魔剣ケルベラーがジーニスの心臓を貫く瞬間、武亮がカリューの前に立ちはだかり、その身体を盾とした。
暴走したカリューの身体はそれでも止まる事なく、そのまま武亮の脇腹に剣を突き刺した。
魔剣ケルベラーの漆黒の刀身は武亮を貫き、ジーニスの顔の目の前まで迫った所で止まった。
武亮はその場に爪を立て、歯を食いしばり耐えている。
「う、動かない……」
カリューが苦悩の声を上げた。武亮は身体に突き刺さった剣を筋肉で押さえつけているようだ。
武亮を貫いた漆黒の刀身を伝って、武亮の身体から流れた黒っぽい色の血がジーニスの額に垂れた。
「きゃあああ」
ジーニスは武亮の血が額に垂れた事により気絶から立ち直ったが、その光景を目の当たりにして叫び声を上げた。
ジェットが隙をついて、ジーニスの身体を抱きかかえカリューと武亮の元から引き離した。
「あのモンスターは武亮だよ。魔剣ケルベラーに操られ捨てられた肉体は、魔獣ケルベロスになってしまうらしいの」
困惑顔のジーニスに向かって、秋留が簡単に説明した。
「セイント・インディグネーションでは、完璧に呪いを解く事は出来なかったという事ですね?」
秋留とジーニスのやりとりを聞いていた武亮は消えそうな声で言った。
「セイント・インディグネーション……。本当に邪悪な心を持っているのは、この魔剣だ。俺の身体に突き刺さっている、この魔剣ごとセイント・インディグネーションを唱えてくれ。あの時みたいに……」
武亮はジーニスが自分を魔剣ケルベラーから解放してくれたジェーン・アンダーソンと見間違えているようだ。
俺達は暫くジーニスを見守っていたが、やがて決心したように言った。
「……分りました。一度も成功した事はありませんが、やってみましょう」
そう言うと、ジーニスは杖を構え、呪文を唱え始めた。
「ジェーン……。私に力を下さい……」
俺が聞き取れたのは、曾祖母への祈りだった。それ以外は、特別な詠唱のためか聞き取る事が出来ない。
曾祖母の意思を引き継ぎ、魔剣ケルベラーに向き合っているジーニス。
十五年前にも同じような出来事が起こっていたかと思うと、俺は自分の冒した過ちの大きさに深く反省した。
俺は呪文を唱えているジーニスの姿を見て、J・A支部長室でジーニスが言っていた言葉を思い出した。
(曾祖母を殺したのが、暗黒騎士ケルベロスだったんです)
俺はジーニスの話の矛盾に気がついて、愕然とした。
ガイア教会の一室でジーニスから聞いた話では、曾祖母であるジェーンがセイント・インディグネーションを唱えて武亮を魔剣ケルベラーの呪いから解き放ったと言っていた。
……つまりジェーンの曾祖母は暗黒騎士ケルベロスに殺されてはいない。どういう事だ……?
「セイント・インディグネーション!」
俺がジェーンの死について考えている間に、ジーニスは魔法の詠唱を終え、神聖魔法であるセイント・インディグネーションを唱えた。
武亮の足元に聖なる五亡星が光り、巨大な光の柱が天空目掛けて走り抜けた。
その光の強さに俺は思わず眼を閉じてしまった。
どれ位の間、眼を瞑っていただろうか。
再び眼を開けるとそこには、人間の姿に戻った裸の武亮と元の肌色に戻ったカリューが脇に倒れていた。
その右手には魔剣ケルベラーは握られていない。
魔剣ケルベラーは、人間に戻った武亮の脇腹に突き刺さっている。
ジーニスの放ったセイントインディグネーションの効果は、魔獣と変えてしまった武亮の中の暗黒の力のみを消し去ったようだ。
「あ……りがと……う……」
武亮はジーニスに向かって言うと、その場に崩れ落ちた。その身体は、魔族にのっとられていた影響か、灰となって消えかけている。
武亮の最期の言葉を聞いたジーニスは、安心と強大な魔法を使った事による疲労とで、その場に倒れそうになった。
しかし寸前のところでジェットがジーニスに近づき抱きかかえた。
まだジーニスの意識はあるようだった。俺はジーニスに向かって言った。
「ジーニスさん、曾祖母のジェーンは暗黒騎士ケルベロスに殺された、と言ってましたよね?」
ジーニスは今にも眠りについてしまいそうな目を一生懸命開きながら話し始めた。
「セイント・インディグネーションは唱えた者の寿命を確実に縮めてしまうんです。ジェーンは高齢だったため、その魔法の威力に耐える事が出来ず、死んでしまったのです」
と、いう事は、ジーニスも確実に寿命が縮まってしまったという事か。
やはり、俺が魔剣ケルベラーを持ち出さなければ、こんな事にはならなかったのだ。
ジーニスは尚も話続けた。
「魔剣ケルベラーさえ現れなければ、曾祖母はまだ死なずに済んだはずなのに」
その魔剣は、今や灰となって消えてしまった武亮の身体があった場所に転がっている。俺がその魔剣を見つめていると、僅かにだが、剣が動いた気がした。
「おい! その魔剣、まだ怪しいぞ!」
俺が叫んだと同時に魔剣ケルベラーは独りでに地面から浮かび上がり、その形状を少しずつ変えていった。
刀身の部分からは、枝分かれして六本の昆虫のような足が現れ、剣の先端には、傷のように細い赤く輝いている眼が現れた。
今は、刀身から生えた六本の足でその漆黒の剣の身体を支えている。
しかしその漆黒の身体には無数のヒビが入っており、今にも砕け散りそうだ。
魔剣ケルベラーはそのボロボロの身体で最期の攻撃を仕掛けてきた。
地面を蹴り、その刀身の身体を俺の方へ飛ばしてきたのだ。
俺は冷静に右手のネマーを構え、魔剣ケルベラーに向けて硬貨を発射した。
ヒビだらけの身体で俺の放った硬貨の弾丸を弾く力はなく、その漆黒の身体は、硬貨が当たる度に、砕けていった。
その欠片が宙に舞う度にキラキラと光ながら、消えていく。
俺は目の前に迫ったケルベラーに向かって、最後のトリガを引いた。
「ヴォォォォォォ……」
魔剣ケルベラーは気持ちの悪い断末魔と共に砕け散り、俺を狙った刀身の欠片は俺の目の前の地面に突き刺さった。
やがて、地面に散らばった魔剣ケルベラーの破片は、灰になって宙を舞い出した。
どうやら、魔剣ケルベラーは魔族だったようだ。
その全てが灰となって消えてしまうのを少し離れた所でカリューが見守っていた。
「終わったな」
カリューは言った。その右手にはあの禍々しい魔剣ケルベラーは握られていない。
そう、終わったのだ。
これでデールを倒した報奨金の二千万カリム、一人頭五百万カリムだが、見事俺の物になった……。
本当は。
魔族であったケルベラーを倒した報奨金も貰いたかったが、あの剣、サイバーの小屋から勝手に持ってきたものだからなぁ……。無駄な事をしてしまった。